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司書室BBS

 
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▼ 終りのない夢   [RES]
  あらや   ..2025/03/24(月) 17:55  No.1170
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大人になったら喫茶店をしようと思った。
 (中略)
ある日、決心し友達に話してみた。意外にも男友達は「いいんでないか、似合うかも…」といい、女友達は「あんたならできそう…」と真面目な顔で言った。有頂天になった私は父にも言ってみた、「わっはっはあ、このブスのじゃじゃ馬がぁ、金も無いくせに、見ろこう言っただけでふくれっ面だ。喫茶店などはお客さんに何を言われても愛想よく笑っていなきゃならんのだ、お前にできるもんか、ひっひっひ」 父は一笑に附され、母には叱られて私は、地方官庁の事務員になってしまった。
(佐藤瑜璃「終りのない夢」)

「月刊おたる」という場を得て、書き慣れるにつれてもの凄く重要なことを語り出していると思う。小樽の人間は小林多喜二が大事で沼田流人なんか知らないから、こういう貴重な発言に誰も気がつかないのだろう。


 
▼ 雪明りの街  
  あらや   ..2025/03/24(月) 18:01  No.1171
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若くして病死した私の母は戦時中、収入のとだえた父に変って一家を支えるため働きづくめだった。母は秋田の出身で、女学校一年までは秋田で裕福に育ったとのこと、味噌製造業を営んでいた父親が事業に失敗して家と工場を失い、一家は北海道の農村に開拓者として入植した。母は女学校をやめ仲よしの友達とも別れ、見知らぬ雪国へ来て故里を思い、毎日泣いていたとのこと。しかし年月の流れと共にのどかな田舎暮しにも馴れ、家は農業に成功し、母は裁縫や茶華道のお稽古事もできるようになって楽しい青春の日をおくり、十八才の若さで父とめぐり合い恋をし、愛されて結婚した。その後母の実家はさらに新天地を求め、再び一家をあげて樺太へ移住し、小さいけれど木工場を営んだ。北海道に残った母のもとには両親や弟妹から頻繁に良い便りと高価な毛皮製品や食品等が送られてきて、経営が良好であるらしかった。しかし数年後母の両親は他界し、日本は戦争に敗け樺太はロシア領になって弟妹が悲惨な引揚者となって、長女である母のもとを頼って来た。終戦後は食糧、物資が不足して人々は苦しい生活をしいられていた、そんな社会情勢の中で母は結構逞しく、突然、行商人となった。その頃流行した「闇屋」である。
(佐藤瑜璃「雪明りの街」)

マツヱさんのイメージもずいぶん変わりました。それにしても、さすが物書き、この『雪明りの街』は本当に名文ですね。戦後の小樽の街が頭の中にぶわーっと拡がって、孤独感と幸福感に身体が包まれました。

 
▼ 懐想文学散歩  
  あらや   ..2025/03/24(月) 18:06  No.1172
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 私が再び「本」を手にしたのは、小樽に嫁いで専業主婦となり時間に余裕ができた頃で、結婚の時、父が〝嫁入道具〟の中に入れてくれた数冊の本だった。「読書は心を養い、生きる力になり、痛みを癒やしてくれる。」と、父のメモが挟んであった。
 (中略)
 後年、札幌へ移り住んで文通を始めた小樽の知人から、「手紙文がおもしろいのでエッセーを書いてみては?」と手紙をもらい、全く自信はなかったけれど思いきって文芸誌に応募してみると思いがけなく入選した、嬉しくなって何度か出しているうちに編集部の人から「小説を書いてみてわ?」と言われて投稿してみると、また思いがけなく佳作入選した。
 やがて息子が成人して巣立って行き時間に余裕ができると、一度味わった感激は新鮮なまま脳裏にあって、再びペンを執るようになった。
(佐藤瑜璃「懐想文学散歩」)

父や母のこと。そして娘である私のこと。もう自在に書きたいことを書く作家になっていますね。この『懐想文学散歩』は「月刊おたる」2004年2月号に載ったものです。佐藤瑜璃さんが爆発的に小説を書いていたのは1990~92年頃ですから、もう十年の歳月が流れている。「人間像」みたいな作品発表の第一線からは退いて、大好きな小樽の「月刊おたる」に落ち着いたエッセイを書く作家に変化して行ったように感じます。でも、「月刊おたる」があってよかった。沼田流人という人を正しく知りたいと思う私には宝の山です。百年経って、ようやく流人から返事が来はじめた…という想いです。


▼ 幼なじみ   [RES]
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:17  No.1165
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 あの夜の事は今も鮮明に憶えている。
もう三十年も昔の事とは思えないほど、思い出す度に私の胸はときめくのである。
 星のきれいな、水天宮の祭りの宵であった。金魚すくいや、わた飴の出店がジグザグと並び人波が坂道を埋めていた。娘ざかりだった私は、友人達と仕立おろしのワンピースを着て、少しばかりビールなどを呑んで、そぞろ歩いていた。私は、近郊の町の家へ帰る最終列車の時刻を気にしながら、花園町へぬける陸橋にさしかかった時、紅いジャンパーを着た青年とその連れらしいハデな服装をしたガラのよくない一団とすれちがった、私は咄嗟に、紅いジャンパーの彼が仲よしだった幼なじみのKちゃんである事に気づいた。
(佐藤瑜璃「幼なじみ」)

小樽のタウン誌「月刊おたる」の調査を二月頃から再開しています。佐藤瑜璃さんや村上英治さんが書いている…ということは前から知らされていたのですが、その二人以外にも「人間像」同人が書いているかもしれず、また、私自身、小樽の街の歩みを確認したい思いもあって1965年7月の創刊号以来の悉皆調査を去年から始めていたのです。何度かの中断を経て、この三月時点では「2001年(平成13年)」のところまで来ています。
佐藤瑜璃さんと「月刊おたる」の関係もわかってきました。「月刊おたる」は300号に到達した1989年あたりで「月刊おたる文学賞」を始めます。文学賞は最初は小説部門と随筆部門に分かれていたのですが、小説部門の応募が振るわず、翌年には「月刊おたる随筆賞」に一本化されます。紹介した佐藤瑜璃さんの『幼なじみ』は1991年の随筆賞の優秀作なのでした。佐藤瑜璃さんの「月刊おたる」でのデビュー作です。


 
▼ 曲線組曲  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:24  No.1166
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 曲りくねった野道を、一人でゆっくりと歩るくのが好き。とくに新婚生活をおくった若竹町二七番地の銀鱗荘へ通ずる曲線の坂道が好きだった、歩るくというより辿るといったムードが私をひきつけた。まだアスファルトでなかった雨あがりの道に青空や赤トンボや白い雲が写っている水たまりがあったり、見過していた雑草が意外と可愛い花を咲かせていたりした。その道で私は、突然眼下に広がった光る海を眺めて「ヤー、チャイカ」と呟いてカモメになったり、真赤に燃えながら海に沈む夕陽に向っでギンギンギラギラと唄って少女になったりした、独り歩るきのダイゴミである。
(佐藤瑜璃「曲線組曲」)

この『曲線組曲』は翌1992年の随筆賞佳作に選ばれました。二年続けての受賞であり、そしてこの頃はすでに「人間像」同人として『セピア色の薔薇』のような意欲作をばんばん発表していた時ですから、月刊おたる社の方でも注目していたのではないでしょうか。随筆賞とは関係なく、1994年2月号の『小樽色』や1996年2月号の『海を見ていたお地蔵さん』のように月刊おたるの方から原稿依頼が来るようにもなっています。
作品をお読みになれば気がつかれると思いますが、佐藤瑜璃さんの句読点の使い方は独特です。私のワープロ打ち間違いと思われる方もいらっしゃるでしょうが、そうではありません。原文の句読点を忠実に再現しています。

 
▼ 港の赤電話  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:29  No.1167
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 青い蛍光色の空の下に秋桜のゆれる昼下り、高一だった私が帰宅すると、母が新品の黒足袋のとじ糸を前歯でかみ切り、パンパンと、いせいよくたたいて父にわたしていた。
 父は、よそゆきのついの大島を着流しで、めずらしく母の鏡台をのぞきこんで、長い頭髪を手でなでつけていた。
「どこへ行くのっ」 突っ立ったまま私は少し興奮して聞いた。父は鏡の中から私に言った、「本屋だ、おまえも行くか?」、「いいの?」と私は母の顔を見た、母は笑いながら、「そんなに目ン玉丸くしなくたって行っといで、行きたいんだろ」と言った。私はカバンを放り出して、「ワーイ」と言いながら玄関へもどって靴を履いた。母は、「帰りは夜になるからねえ」と言いながら私のベビーダンスから赤いタータンチェックの衿巻をとり出して投げてよこした。父にもラクダの衿巻をかけながら、「カビのはえたような本のどこがいいんだか無学なわたしにゃわかんないけどねえ、今に父さんの本棚は古くさい本ばかりで雑品屋の倉庫のようになるんでないの」と笑った。父も笑いながら、「じゃ行くか」と下駄をはいた。
(佐藤瑜璃「港の赤電話」)

1994年の随筆賞佳作です。「人間像」発表の作品群と「月刊おたる」発表の作品群が大きくちがうのは「月刊おたる」では瑜璃さんの身のまわりの人々がばんばん登場することでしょう。こういうところは随筆形式の良さ。沼田家の様子が覗えて楽しい。

 
▼ ジョナさんは小樽の港へ帰った  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:33  No.1168
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 八十五才になったジョナさんは、真夜中とか、ひどい早朝など、一日数回も電話をかけてよこすようになった。「わたしの財布が無くなった」「どろぼうが入ったらしい」。そのたび息子が車をとばしてかけつける、「もう一人ぐらしは無理だよおばあちゃん」と言えば、「なにいってんだ、まだ若いもんにゃ負けないよ、わたしゃあ」と私達をにらんで言った。そしてきまって「札幌へなんか行かないよ」と言った。
(佐藤瑜璃「ジョナさんは小樽の港へ帰った」)

うーん、凄い。『セピア色の薔薇』のモチーフがこんなところにあったとは。

「月刊おたる」は館内閲覧のみの扱いなので調査には毎日市立小樽図書館に通わなければならない。二月下旬の頃はまだ雪の日々だったからいろいろ雑用も多く、毎日はとても無理でした。ペースが掴めてきたのはこの三月に入ってからです。じつは、この「月刊おたる」調査と並行して、北海道立文学館の『風の中の羽根のように』(佐藤ゆり著)調査も行っています。札幌の用事の隙間を見つけては文学館にも寄るようにしていますが、なかなかこちらもはかが行かない。『風の中の――』については読書会BBSの方で書こうと思っています。

 
▼ 時の流れの忘れもの  
  あらや   ..2025/03/14(金) 17:38  No.1169
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 小樽の街を歩いていると、青春時代の昔に還ったような気がして、みるみる若やいだ気分になり足どりまで軽くなっていた私だけれど、近年、そうでもなくなった。私が年をとってしまったからだろうと少し寂しくなっていたら、もう一つ思い浮かんだ。私の若い日の思い出がちりばめられていた街に、郷愁を誘う古いものが少しづつ無くなっている事、私の若かった日をかき消してしまうほどの新しさが視界を覆いつつある事に気づいた。
 小樽運河――、私はいまだに古い運河にこだわっている。悪評もあったけれど、エキゾチックで重厚な感じの風景が、私はとても好きだった。私が初めて見た頃は、もう往時の活気はなかったけれど歴史的なロマンが感じられた。河幅の半分を埋めたてて自動車の洪水になってしまった風景は、好きとはいえない。
(佐藤瑜璃「時の流れの忘れもの」)

この頃は「時の流れの忘れもの」とか「風前のともし灯」とか、小樽に対してやや感傷的な文章が続きますね。それとは別に、この「月刊おたる」2000年9月号には『どっこい函館本線』という現在の山線問題にも関連する重要な(と私には思える)記事が載っていました。詳しく展開したいので読書会BBSに行きます。この「月刊おたる」スレッドは一旦中断し、調査が完了したあたりで再開と考えています。


▼ 北からの風   [RES]
  あらや   ..2025/02/11(火) 11:39  No.1159
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 早いもので六冊目の作品集となった。最近に限ると一年一冊の割合である。原稿用紙にして四百枚ほど、六篇だから一年間の量としては決して多いとはいえないだろう。しかし、気ままに書いて行くぶんには恰度よいペースである。無理な駆け足で息を切らしても仕方がない。
 去年の『老春』に引き続き、この集も老人物になってしまった。考えてみると「天皇の黄昏」から最近の「RVの老人」まで三年間に十三篇続けて老人ばかりを対象としたことになる。自分ながら少し「しつこいな」と思う。でも、この「しつこさ」が大事なのだと自分を納得させている。
(針山和美「北からの風」/あとがき)

六冊目か… 「しつこさ」と自嘲気味に言っているけれど、私にはとても切なく聞こえます。定年退職のあたりから憑かれたように毎号作品を発表し続けている針山さん。この『北からの風』に至っては、「人間像」の発行を待ちきれず未発表作品を三篇も加えています。時間がない。残された時間がない。2025年を生きている私は、もう針山さんの小説集はこの『北からの風』の後の『白の点景』一冊しかないことを知っています。とても切ないです。


 
▼ 山の秋  
  あらや   ..2025/02/12(水) 17:10  No.1160
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 教えられたとおり、国道わきの地蔵尊から左折すると、細い農道が羊蹄山の裾野にむかってのびていた。馬鈴薯畑のなかに延びるこの道は、秋の収穫をはこぶためのものらしく、二、三十センチほどもある雑草に埋めつくされていた。そして車輪に踏みつけられたところだけが深い溝になって、そこだけ土が見えている。すこし心細い思いで車を乗り入れると、案の定草が車体の底を擦りつけ、思わず腰を浮かしたくなった。おまけに道の両脇は枯れかかったイタドリやヨモギ、オオバコ、コウゾリナなどの雑草が生い繁っていて車体をこすった。倒れかかったイタドリがフロントガラスを叩いた。よほど引き返して、さっきの地蔵尊のところにでも乗り捨てようかと何度も思いながら、重い撮影器具を背負って歩く苦労を厭う気持ちに負けて、そのまま進むことにした。まだかなり先まで道が続いているようであった。
(針山和美「山の秋」)

『山の秋』、本日アップしました。久しぶりに読み返して感じ入ってしまった。針山さんが延々と書いた老人物の中でも、これはある意味隠れた名作ではないだろうか。
写真は東川町の「松田与一彫刻の館」。もう十数年前の話なので今でもあるかどうかわからないけれど、『山の秋』を読むとなぜか反射的にこの彫刻の館を思い出すのです。

 
▼ RVの老人  
  あらや   ..2025/02/15(土) 09:46  No.1161
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【倶知安】 二十八日午後五時三十分ごろ、後志管内留寿都村字三の原××の国道で倶知安町南×条西×丁目無職坂田俊造さん(七八)運転のRV型乗用車が道路左側の立ち木に衝突、坂田さんは頭や胸を強く打ち即死した。倶知安署の調べによるとブレーキによるスリップ跡もないことから居眠りか脇見運転らしい。
(針山和美「RVの老人」)

三の原か… ああ、あそこかな…と思えるくらいには私も走りまわっていましたね。京極にいた頃はこういう「RVの老人」みたいな人は見かけなかったな。キャンピングカーで日本中を遊び呆けるバカ老夫婦ばっかりだったような気がする。
久しぶりに彫刻の館写真を引っ張り出して来たら、なにか昔のギャラリー写真が懐かしくなりました。これは洞爺湖キャンプ場の近くにある國松明日香。

 
▼ 浅き夢みし  
  あらや   ..2025/02/15(土) 10:18  No.1162
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 さざめいていた湖面が、にわかに鎮まったと思ったら、そこは一面の草原になっていた。今まで前方に屹立していた真っ白な風不死岳も樽前山も消えていて、どこまでも平原が続いている。よく眼を凝らすと遥か彼方に、粘土で固めたような粗末な家が点々としている。むかしどこかで眺めたことのある懐かしい風景のような気もするが、思い出せない。省三の田舎は山に囲まれた小さな山村であったが、眼前の風景は遮るものとてない曠野である。
 ふと気がつくと、その草原の中を掻き分けながらやって来る者がいる。背の高い草だとみえて、ときどき人影が見えなくなる。はて、どこへ行ってしまったのだろうと不審に思った途端、目の前に若い女が現れた。近ごろ見たこともない粗末なモンペ姿であるが、丸ぽちゃの可愛い娘である。女はつかつかとやって来て、断りもなくドアを開けると、いきなり助手席に腰をおろした。
(針山和美「浅き夢みし」)

『省三の夢』では、ここで小説『支笏湖』のモチーフになったと思われる夢になるのだが、『浅き夢みし』ではそれをばっさりと捨ててしまって戦争中の夢に繋げたところが大英断。物語としてすっきり締まって、作業していて楽しかったです。
写真は昔の支笏湖氷濤まつり。お魚さんが可哀想だ、残酷だというスマホ・ピープルの声でこのオブジェは中止になりました。

 
▼ バブル老人  
  あらや   ..2025/02/19(水) 17:54  No.1163
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「いらっしゃいませ、どんな御用でしょうか」
 折り目正しい対応で躾も行き届いているようだし、顔も肢体も並以上である。さすがに儲け頭の職場だと感心しながら用件を切りだす。
「株を注文したいのだが、T社は今いくらになっているね」
 新米と思われたくなくて、少しぞんざいな言い方をする。
「ただいま調べます。当社とはお取り引きありますでしょうか」
「いや、ここは初めてだよ」
「ハイ、分かりました。有難うございます」
 そう言いながら、机上のパソコンを操作している。何秒もしないうちに、
「二十円高の八百十五円です」という。
 出来れば八百円以内で買おうと考えていたので二十円高は残念な気がしたが、一日でも遅れればドンドン上がってしまう気がして、
「それでいいよ。三千株頼もうかな」
(針山和美「バブル老人」)

という訳で、札幌駅前通りの小野寺紀子です。

 
▼ K老人の話  
  あらや   ..2025/02/24(月) 13:39  No.1164
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 71号の表紙絵やカットをK老人に描いて貰うことにする。若いころ東京で彫刻や絵の勉強をしたと言い、かなり自信ありげな様子なので頼むことにしたのだ。それに生活保護を受けている人なので、少しでも謝礼すれば喜んで呉れると考えたからでもある。簡単なものでいいと何度も言ったのに、見ていると誠にこまごました支那風の山水画を描いている。K老人の風貌にはふさわしい絵であるが、『人間像』という誌名にはそぐわない感じに思える。
 (中略)
 もうこの頃になると私とK老人のあいだはかなり打ち解けていて、たがいに我がままも言いあえる仲になっていたようだ。
「なにせ、おれの習ったのは中国の山水画だからよ、ピカソみたいな今風のを書けと言われても、それは無理と言うもんだ」
(針山和美「K老人の話」)

その、第71号表紙です。

本日、単行本『北からの風』作業、すべて終了しました。作業時間は「64時間/延べ日数15日間」でした。内地の大雪が凄いので言うのも気が引けますが、小樽もそこそこには雪かきの毎日でいつもよりは日数がかかりました。窓から見える海はやや碧がかって春先のような様相です。


▼ 「人間像」第132号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/01/29(水) 15:32  No.1154
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第131号が終わった翌日には「人間像」第132号(114ページ)作業を開始しました。今、針山和美『バブル〈株〉老人』を人間像ライブラリーに挙げたところです。今号は、以下、福島昭午『記憶』、北野広『六十二才の誕生日』、内田保夫『夜のあわいに』、丸本明子『水芭蕉』、土肥純光『廃娼の家』と続きます。

第132号作業を急いでいるのは、『バブル老人』を挙げたことによって、針山さんの単行本『北からの風』の必要条件を満たしたからです。「人間像」発表分はこれでカバーしたから、早く『北からの風』所収の書き下ろし作品三作をやりたくてうずうずしています。この中には、私の好きな作品『山の秋』が入っているんですね。


 
▼ バブル〈株〉老人  
  あらや   ..2025/01/29(水) 15:35  No.1155
   「さっきから、格言めいたことを言ってますが、それなんでしょうか」
 すると、先に対局していた一人が、「それは株の格言なんだよ。杉山さんは碁も名人だけど株も名人なんだよ。あまり気にせんで打たないと相手の薬籠にはまってしまうから」
 と、笑いながら教えてくれた。
「そうなんですか。株のことはさっぱり知識がありませんもので、なんのことか意味が飲み込めませんでしたが」
「まあ、下手な知識は持たん方が身のためというもんじゃ。だいたい株は碁と似ているところがあって、定石通りには動かぬものさ。碁だって定石通りでは面白くもなんともないものな。……」
(針山和美「バブル〈株〉老人」)

碁と株に関する専門用語が飛び交っていて、そのどちらも知らない私にはなかなか骨の折れる作業でした。ミスがありましたらご指摘ください。

 
▼ 記憶  
  あらや   ..2025/01/30(木) 18:28  No.1156
   自宅の裏は遊歩道をはさんで雑木林が続いている。雑木林とはいえ野幌原始林の一部だから、巨木ばかりの広大な森林に続いている。そもそもこの団地は、原始林の中を切り開いて造成したものである。
 私は混雑する遊歩道を避け林の中の小径を辿ることを思い付いた。といっても月に一、二回くらいのものである。まったく気紛れな思い付きである。それでも小径を辿って林中に閑を求め、沈思黙考、瞑想にふけるといえばはなはだ格好はいいが、どういうわけか林に入ると雑念ばかり泛んでくるのである。
 昨秋、紅葉も終わろうとしているし、今日は秋晴れだから、久しぶりに森の妖精でも探しに行ってみよう、という気を起こしスニーカーを履いた。
(福島昭午「記憶」第2回)

福島さんの作品に時折り姿を見せる「裏の原始林」。子どもの頃私もこの原始林がある町に暮らしていたこともあって、いいなあ…といつも羨ましく思っていたのです。それがまさか、ここにエスコンフィールドなんていうチャラチャラしたもんがやって来るとは考えもしなかったな… 『記憶』、愛読しています。

 
▼ おんせん萬華鏡  
  あらや   ..2025/02/06(木) 16:36  No.1157
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 北海道内では殆んどその習慣はないが、本州では暑中見舞いが年賀状に次いで、お互いの消息を伝える季節的な習慣に近いものがあったはずだが、近年急激にそれが影を薄めてきたのは、電話の普及と同時に生活が豊かになって色々な形で避暑の機会に恵まれ、それだけ暑さからの重圧感が少くなったからだろう。
 僅か数枚の暑中見舞い状の中に、今年は川中登記子からのがなかったのが気になった。
 健康を害して定年一年前にホテルを退職してから六年になり、元の従業員仲間からの年賀状は今でも数十枚は届くが、更に登記子からは必らず暑中見舞いが届いてきて十六、七年にはなるだろう。勿論道内の知友人からも唯一のものであったし、それだけに今年の状況はやはり気になった。
(金沢欣哉「おんせん萬華鏡 三」/暑中見舞い)

金沢さんの書く「温泉もの」も楽しみです。今回の『暑中見舞い』もよかったなあ。その『おんせん萬華鏡』の横のページにこんな広告が。へえー、「佐藤ゆり」名で本を出していたことは聞いていたが、これがその本なのか。この第132号作業が終わったら単行本『北からの風』の復刻に入ろうと考えているのですが、さらに続けてこの本もやってみようかな。「月刊おたる」調査もそろそろ1992年に入って来ることだし。

 
▼ 「人間像」第132号 後半  
  あらや   ..2025/02/06(木) 16:41  No.1158
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「人間像」第132号(114ページ)作業、終了です。作業時間、なんと「40時間/延べ日数10日間」。収録タイトル数は「2489作品」になりました。

前回、第131号の後半に雪が全然降らないことを書いたのですが、その後一転、第132号作業の最中は連日の大雪でした。朝の雪かきを終えて部屋に戻ってきても30分くらいパソコンを操作する腕の力が抜けたようになって仕事にならない。まあ、小樽はまだマシな方です。12時間積雪量の観測史上最高が、朱鞠内でも羊蹄山麓でもなく帯広(2月4日記録)ってのはなにか意外な感じですね。


▼ 「人間像」第131号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/01/18(土) 14:04  No.1148
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第131号作業、開始です。120ページですので月末までに終わるでしょう。今号は、千田三四郎『つけらっと…』、日高良子『春が行く』、佐々木徳次『風が吹く』、内田保夫『絆』、丸本明子『鳥と画学生』、針山和美『省三の夢』と続きます。

 意気込んで始めた創作が、サッパリ捗らない。毎日が日曜日と言う事になれば今日ぐらい休んでも明日があるさと思いがちになる。これがノンプロ作家の落とし穴かも知れない。なにせ、締切なんてないのだし、尻を叩く者もいないのだから、自分の精神力だけが頼りと言う訳だ。
 精神力を試すために、急に思い立って今日から禁煙を始める事にした。禁煙を完成させる精神力と言うのは大変な事だと信じているからである。
(針山和美「四月馬鹿日記」/四月十八日)

禁煙の効果なんでしょうか。この頃からの「人間像」は煙草のヤニに汚れていない、キレイなんですね。


 
▼ つけらっと…  
  あらや   ..2025/01/18(土) 14:09  No.1149
   「むじゃけるでないの、ほれ袖がこんになにむじゃけて。あれ、おめは小泊の……、わいー、めぐせじゃ」
 ソノは身をひねり用心深く拒んだ。ずれた笠と手拭いを元のように被りなおし、うねる踊りの列に戻ろうとした。だが嘉助は袖をにぎって放さず、ひたむきに「前から懸想してたんだ。なでねばまえねって。あっちで、わと所帯もつ相談こしなべか」と誘ったが、ソノは汚らわしそうに男をにらみつけて、
「はんかくせ、なして、おめとそったらこと……」
(千田三四郎「つけらっと…」)

まず、一発目の「つけらっと」がわからない。千田さんの文章はルビの多用が特徴なのですが、今回はルビにプラスして方言の標準語訳までが付いたので恐ろしく時間がかかりました。今は亡き瀬田栄之助さんを懐かしく思い出す。今月中の作業完了は無理かもしれない。

 
▼ 鳥と画学生  
  あらや   ..2025/01/24(金) 11:12  No.1150
   鳥の鋭叫が脳裡を被う薄紙を剥す。
 ビルの外壁の塗り替えの塗装工事のために、外壁にそって組まれた足場の上で、トシはペンキ塗りをしている。
 手を上下左右に動かす単純な行為の惰性のような時間の中にいる。落下したら命は無くなることは重々知っている。神経は極限状況に張り詰めたまま、ビル風の強風に吹き哂しの、危険に身を曝して、感覚が麻痺する。
 トシは、昨日の画学生の事を考えていた。
(丸本明子「鳥と画学生」)

丸本さんの作品には、七、八回に一度くらい素材と語り口がぴたっと嵌まる一瞬があり、その時の作品はとても深い印象を残します。この『鳥と画学生』がそうでした。誰にも真似ができない。

 
▼ 省三の夢  
  あらや   ..2025/01/24(金) 11:16  No.1151
   下手稲通りをまっすぐ東へ抜け、札幌の中心街を突っ切る石山街道を南に走る。
「花つむ野辺に、日は落ちて……」 そんな古い唄が口を衝いている。藻岩山の麓を左折して豊平川を渡り真駒内を抜けると、一路支笏湖をめざした。石山・常盤などの新興住宅街を抜けると道はすぐに緩やかな登り曲線の連続となり、やがて蝦夷松や岳樺の樹木が鬱蒼としている。最初の坂を登りきったところで先のとがった鋭い稜線が見えてくる。恵庭岳の頂上である。
(針山和美「省三の夢」)

本当に「省三」の「夢」だった。

『四月馬鹿日記』に描かれた人間関係や事件から、針山さんの小説の様々なアイデアが生まれて来ることを知りましたが、針山さんの「夢」からも生まれていたんですね。『支笏湖』や『春の淡雪』の閃きが随所に露出していて、私は乗りに乗って根をつめて一日で仕上げてしまいました。他人の夢の話を聞かされることくらい苦痛なことはないのですが、この『省三の夢』には一切そういう感情は起こりませんでした。ある種、針山さんの隠れた名作ではないだろうか。

 
▼ 作品と作者  
  あらや   ..2025/01/27(月) 06:31  No.1152
   長いこと『人間像』の愛読者であった女性から「講読をやめたいので送本不要」という申し入れを受けた。これはショックだった。
 ご存じのように同人誌の読者などは、どの雑誌だってごく少数に限られていると思う。特に『人間像』の場合は誌代を払ってくれる定期講読者はきわめて少ない。従ってお金を払って読んで下さる人は大事にしているのだが、十数年来の読者から絶縁状を受けたのだからショックの大きさは想像されよう。
「内容がくだらんから止す」というのであれば、いさぎよく納得するしかないけれど、「貴方の作品を読んで怖くなりました。そんな怖い方とは知りませんでした」という理由だったから、ショックは更に倍加したのである。
 彼女がいう「貴方の作品」とは、僕の三冊目の作品集『愛と逃亡』のことであった。〈なぜ、どこが?〉――僕としては当然おきる疑問である。
(針山和美「作品と作者」)

「十数年来の読者」なのに『愛と逃亡』も『支笏湖』も『女囚の記』も読んでいないのだろうか。私は逆です。私はこれらの作品に加えて、『百姓二代』や『山中にて』などに接することによって「針山和美をやってみたい」となったのでした。この女性が「怖い」と感じた〈男〉の描写を私は想像することができますが、この自分の中の〈人間(男)〉や〈時代〉を書き切ったからこそ初めて針山和美は小説家になったのだと思っています。
「人間像」第131号は、『省三の夢』のほかに『作品と作者』(←いつもの「春山文雄」ではなく「針山和美」名を使っています)を読むことができ、私には意義深い号でした。

 
▼ 「人間像」第131号 後半  
  あらや   ..2025/01/27(月) 06:39  No.1153
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「人間像」第131号(120ページ)作業、終了です。作業時間、「57時間/延べ日数11日間」。収録タイトル数は「2475作品」になりました。

今年は、元日の朝にさらっと雪かきをしただけで、それ以来今日まで全然雪かきしていないのです。非常におかしな一月。近年、クリスマス直前まで雪がなく土が見えていたり、一月に雨が降っていたり(小樽しか知らないけれど…)確実に世界は温暖化していることを感じます。「人間像」の仕事がサクサク進むのは有難いが、こういう便利さを当然のように享受し続けている姿は、裏返せば、いつか終わりの日が近づいていることの兆しではないのか。世界中の山火事の映像を見ていると、こうやって人間は火につつまれて終わって行くのか…と思ったりします。

裏表紙は『老春』の広告に変わりましたが、「あとがき」の一部引用なので人間像ライブラリーの『老春』をご参照ください。


▼ 老春   [RES]
  あらや   ..2024/12/28(土) 13:29  No.1143
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 ぼくらの年代は戦中から戦後にかけて青春時代を過ごしたことになるが、一世代前の老人と言われる人たちは戦前から戦中にかけて青春時代を送っている。従ってそう言う人たちを描く場合どうしても戦争時代の影を省くことはできない、と言うのがぼくの固定観念にもなっている。関わりの軽重・深浅はあろうが、むしろ老いが深まるにつれて戦争にまつわる影は濃さと重さを増して思いだされるのではないか、と言うのもぼくの中に固く観念化されている。そうした影を意識しない人がおれば、その人はまだ実際には〈老いて〉はいない人なのではないか。一作ずつを書きながら、そんなことを思った。
(針山和美「老春」/あとがき)

2024年の暮れから2025年の新年にかけての仕事になるのかな。小樽のひきこもり生活も8年目に入ります。『老春』の作品群を今一度ワープロから起こしていると、なぜか、馬鹿だった自分の若い頃をあれこれ思い出す。


 
▼ シマ婆さん  
  あらや   ..2024/12/28(土) 13:35  No.1144
   私がシマ婆さんを初めて訪ねたのは、もう十五年程も前になる。
 K町と言う私の生まれ故郷で、開町八十周年記念の行事が開催され、その一環として町史を発行する事になった。当時、私は中学で社会科を教えながら、郷土史に関心を抱き、特に戦時中の庶民の生活や官憲の横暴、朝鮮人や中国捕虜の様子など調べていたので、戦時中の章について執筆を依頼されたのがそもそもの始まりだった。ところが、警察関係を調べているうちに、佐坂正平という者が治安維持法違反容疑で逮捕され、数日後には急性肺炎で死亡した事になっている事実を知った、小林多喜二の例もある事だし、私はその真相を明確にする事に興味を持った。
(針山和美「シマ婆さん」)

驚いた。「京極文芸」に発表した『敵機墜落事件』が「人間像」の『山中にて』に変身した時と同じくらいの衝撃でしたね。針山さんの小説家としての力量をまざまざと感じました。と同時に、合評会の威力というものも感じた。同人たちの講評無くして、こういう作品はなかなか生まれて来ないだろう。K町、W鉱山、手宮富士、胸がわくわくする。

 
▼ 老春  
  あらや   ..2025/01/04(土) 17:11  No.1146
   今日のために一生懸命練習したには違いないが、素人は素人、テレビで眼の肥えている者にとっては気の毒なほどにも見えた。しかし時間つぶしにはちょうど良く、生あくびを噛み殺しながら見ていた作太郎だったが、おしまい近くなって三人の老婦人の踊りが始まると知らず知らず舞台に喰い入っていた。踊りが上手と言うよりはその中の一人に魂が奪われたのである。まだ姿形も若々しく、厚化粧してはいるのだろうが、顔も綺麗だった。それだけならそんなに心が奪われる事もなかった筈だが、見ているうちに胸が苦しくなる程の懐かしさが込みあげていた。作太郎は石にでもなったように身じろぎもせず見入っていたが、あっと言う間に幕が閉まっていた。
(針山和美「老春」)

大晦日のあたりで別の作品に関わっていました。それが終わって一昨日あたりから『老春』の作業再開です。『洋三の黄昏』を終えて、本日『老春』をアップ。明日より『まぼろしのビル』~『黄昏の同級会』~『四月馬鹿日記』へと続きます。ザーッと読んだだけですが、『シマ婆さん』のような大胆な改稿はなく、雑誌発表形に近い形のようです。

 
▼ 四月馬鹿日記  
  あらや   ..2025/01/13(月) 13:47  No.1147
  その家内が今度ばかりは僕の言う事を無視して、道議は誰とか、市議は誰などとメモしている。何せ隣近所に自民党や民社党や公明党のファンが大勢いて、義理と人情で縛りつけ後援会にまで参加させると言う訳だ。まあ最初のうちは名前だけ貸したつもりでも、演説会などに出入りしているうちにだんだん妙なしがらみが生じて、いつの間にか庇を貸して母屋を取られる式に、気がついて見たら身も心も後援者になっていたと言う具合らしい。
(針山和美「四月馬鹿日記」/四月七日)

まず起床は六時である。これは休みの身に早すぎるかも知れないが、実際にはもっと早く五時には覚めているのだから、仕方がないところだ。あまり早くから起き出してストーブなど焚いたのでは小言の種になるから、六時までは我慢して布団の中にいる事にしている。
(四月二十五日)

「婆さんや、国旗は立てたか?」
「国旗って、あの日の丸のこと?」
「決まってるじゃないか。今日は陛下のお誕生日じゃろうが、国旗立てんで、どうする」
「お爺ちゃん、日の丸なんて、うちにはありませんよ」
「そんな事あるもんか。ちゃんと神棚の下に入れてあるはずだ」
「そんなの、大昔の話ですよ。ここ何十年も日の丸なんて揚げたことなんかありませんよ」
(四月二十九日)

どういう時に針山さんの小説が生まれるのかが窺え、大変興味深かった。『老春』、終了です。一応、参考として、かかった時間は「75時間/延べ日数17日間」でした。大晦日~正月の時間を跨いでいますのであまり参考にはなりません。さて、第131号かな。


▼ 迎春   [RES]
  あらや   ..2025/01/01(水) 16:48  No.1145
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-2度、朝7時の雪かきから2025年が始まりました。


▼ 「人間像」第130号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/12/09(月) 16:32  No.1138
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 二十歳代までだったか、三十歳代までだったか、もうまるっきり感じなくなったが、四季のにおいを嗅ぎわけていた頃があった。おそらく自分だけの嗅覚かもしれない。いや嗅覚というものでもなく、頭の芯のほうで捉えるような感じである。いや、それも違う。体全体に感じていたというのが適切だ。
「さやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という視覚や聴覚で捉えるものではなく「みかんの香せり冬がまたくる」といった季節の風物のにおいでもない。純粋無垢混じりっけなしの季節の「におい」なのである。空気のというより大気の「におい」であって、臭い、匂い、香り、と漢字を当てると違うのである。
(福島昭午「記憶」)

福島さんの小説作品が帰って来た!
第130号作業はすでに始まっています。130ページですので年内に終わらせたい。今号は、佐藤瑜璃『かもめ荘冬景色』、福島昭午『記憶』、内田保夫『残酷な終局』、丸本明子『駅前』、土肥純光『馬車道・遠い日』、針山和美『北からの風』と続きます。
『かもめ荘冬景色』はワープロ作業はすでに終わっているのですが、内容構成に不明な部分があり、単行本を取り寄せて確認してから公開したいと考えています。


 
▼ 北からの風  
  あらや   ..2024/12/13(金) 18:42  No.1139
   ゴルバチョフさんが帰国されてしばらくしてから発表になった抑留死亡者名簿というものを、わたしは薄くなった眼に強い老眼鏡をかけてくまなく見ました。でも初めのものには見つかりませんでした。それからしばらくして発表になった二回目の名薄でとうとう発見したのです。死亡が確認できれば長いあいだのわだかまりが消え失せ、わたしは心からホッとするはずでした。ところが死亡が一九五二年となっているのです。昭和でいいますと二十七年なのです。
(針山和美「北からの風」)

道立図書館に予約した『セピア色の薔薇』がなかなか届かないうちに、他の作品のアップはどんどん進んで、先ほど針山和美『北からの風』もアップしてしまいました。
人間像ライブラリーでは「一九五二年」となっている箇所ですが、雑誌発表形でも単行本『北からの風』でも「一九五七年」となっています。針山さんの計算ミスと思いますが、誰か単行本出版までに指摘できなかったのかなあ。私が気がついたのは、私が昭和二十七年生まれだからです。自分が生まれた時代の雰囲気が描かれていて大変興味深かった。
第130号作業が完了したら、単行本『老春』を人間像ライブラリーに挙げたいと考えています。『四月馬鹿日記』は単行本のための書き下ろしみたい。

 
▼ かもめ荘冬景色  
  あらや   ..2024/12/15(日) 14:45  No.1140
   浜小幌駅裏の岸壁にほど近い入船町仲通り。置きざりにされたようにポツンと一戸建っている古い大きな木造建築、まるで廃屋のようなかもめ荘も、宵の口ともなれば人間が住んでいる事を主張するかのように窓々に灯がともり、出入口はざわめく。
 夜間の商科短大へ通うデパート店員の洋子が、「わあ大変だあ遅刻するう、今日試験なのよう時間ないのっ、どいて、どいて」と玄関横の古びても豪華なバラのタイルばりの共同洗面所で仕事から帰って来て手を洗っている大工の辰っあんをおしのけて蛇口をひねる、蛇口は四つあり誰も使っていないのに。手を洗い終った辰っあんは笑いながら洋子の形のいいお尻をペンペンとたたく。洋子は「キャアセクハラッ、訴えられたくなかったら示談金千円出しな、あっ二つだから二千円よ、はい」と手を出す。そこへ屋台ラーメンの謙さんが通りかかる。「辰っあん、現行犯だ、見のがしてやるからこっちへ千円払いな」と笑いながら言った。
(佐藤瑜璃「かもめ荘冬景色」)

ようやく本が届いて、先ほど『かもめ荘冬景色』をライブラリーにアップしたところです。ラストの個所に一文字誤植があって、たぶんこうじゃないかな…とは思っていたのですが、単行本で確認するまでは直せなかったのでした。
作品では「小幌」となっていますが、この「浜小樽駅」は実際にあった駅です。旅客はなく、貨物専用で、小樽築港駅から支線が延びていました。デパートも、これも札幌ではなく、小樽市内のデパートです。勤務が終わって、一旦「かもめ荘」に戻って、商科短大に行くわけですね。位置関係がわかると、なぜ「かもめ荘」の前に捨て子があったのかもぼんやりとわかるような気がする。

 
▼ 沼田流人伝  
  あらや   ..2024/12/20(金) 17:59  No.1141
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第130号の発行は平成4年(1992年)の4月ですが、ここで初めて武井静夫『沼田流人伝』の広告が出ました。「人間像」の広告は一般誌の商業広告とは違います。すべて同人による広告文です。丸本さんの本については針山さんが書く。針山さんの本については朽木さんが書くというように、いちばん推している同人が責任を持って書いているのです。『沼田流人伝』については特にクレジットが入っていませんから編集の針山さんの文章ではないでしょうか。ここから沼田流人にまつわる誤読の歴史が加速して行く…と思うと何かいたたまれない気持ちになる。

 
▼ 「人間像」第130号 後半  
  あらや   ..2024/12/20(金) 18:40  No.1142
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「人間像」第130号(130ページ)作業、終了しました。作業時間は「64時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2453作品」です。裏表紙は前号と同じ。

◇ペレストロイカ、クーデター、八月革命と続いたソビエト連邦が遂に解体し、独立国家共同体という意味不明の集団になってしまった。独立国家同士の緩やかな共同体ということだが、社会主義から資本主義への転向がそんなに簡単に可能なのだろうか。自由経済の移行と同時に姿を現すインフレなどに泣く庶民が多い事を思えば、またまた暴動やクーデターが起こりはしないかと不安がつきまとう。そんな不安を残しながら越年したと思ったら、こんどはアメリカからブッシュ大統領が自国の不況脱却の切り札は日本にありと言わんばかりに、自動車メーカーの社長などを従えて乗り込んで来た。「一粒の米も入れない」という頑なな日本の保護主義をどこまで突き崩せるか。そんな最中の本誌編集となった。
(「人間像」第130号/編集後記)

そんな最中の本誌編集となった…か。いろいろ考えなければならないこともあるのだろうけれど、私は人間像ライブラリーの仕事を続けて行きたい。明日から針山和美『老春』の復刻に入ります。


▼ 「人間像」第129号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/11/17(日) 11:58  No.1133
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第129号作業、開始です。本日、佐々木徳次『椎の雨』をアップしました。この後、土肥純光『翳りある日々』、丸本明子『怒濤』、内田保夫『祀りの構図』、佐藤瑜璃『セピア色の薔薇』、針山和美『黄昏の同級会』、朽木寒三『奥山の砦』と続きます。
前号より表紙の絵柄が変わったように見えますが、描いてる人は変わりません。ずっと丸本明子さんです。

今日は朝から雨降り。この雨が明日には雪に変わるらしい。


 
▼ セピア色の薔薇  
  あらや   ..2024/11/23(土) 16:54  No.1134
   闇の中で電話のベルが鳴った。
 夢の中で二~三度聞いた。少しずつ辺りの静寂の分だけ心臓を打った。東京の大学へ旅立って行った息子の顔が浮かんだ。とび起きです早く受話器をとった。
「ああ、季枝さん? 夜遅くごめんなさい」
 悪びれた声ではない、姑の菊乃である。時計は十二時をまわっている。舌うちでもしたい気分だ。
「あなた、昨日いらした時私のバックお持ちにならなかったかしら、黒のオーストリッチの……」
 季枝は思はずベットの上で正座した。
「なんですって? おかあさんのバックをどうして私が? ……それに、私、お伺いしたのは火曜日ですから、三日ですよ」
「私、明日ちよっと出かけますのにあのバックを持って行こうと思ったんですけれど、ないのよ、どこにも」
(佐藤瑜璃「セピア色の薔薇」)

冒頭から、持って行かれました。最後の一行まで、ほぼ完全試合に近い作品ではないだろうか。凄い人が同人に入って来たものだ。

 
▼ 黄昏の同級会  
  あらや   ..2024/11/24(日) 17:23  No.1135
   「モシモシ、わたくし浅田と申しますが、吉川小夜さんは御在宅でしょうか」
 電話の向こうは若い女の声である。
「あ、お婆ちゃんのことね。いま呼びます。」
 そう言って置かれた電話を通して先方の様子が伝わって来る、「お婆ちゃん、浅田さんって人から電話よ」 「浅田さん、はて?」 「なんだか若い人みたい」 「若い浅田さん、はて?」 「はて、はて、言ってないで、早く出ればいいじゃないか」 中年の男の声が急き立てている。
「ハイ、吉川小夜ですが……」
「小夜さんね。わたし、玉世」
「あれ、玉世さん? 若い人みたいだなんて言うものだから分からんでしょう」
(針山和美「黄昏の同級会」)

本日、『黄昏の同級会』をアップ。これで、次号の『四月馬鹿日記』を仕上げれば、単行本『老春』の全作品が揃うことになりますね。さて、明日からは朽木さんの『奥山の砦』に入ります。帰って来た斎藤昭。楽しみです。

 
▼ 奥山の砦  
  あらや   ..2024/11/30(土) 17:16  No.1136
   で、上がりがまちでゴム長靴に足をとおしながら、
「ほんじゃ、ユーコンつぁんによろしく言ってけろや」
 などと姉に言って、たちまち靴をはきおえてしまった。
 昭はとめることもできないし、もじもじと立ったままである。
 すると利三郎おじはその前を通り過ぎながら、ふと立ちどまり、気のない調子で昭にたずねた。
「犬っこ、ちっとはおぼえたか」
「うん」 昭は嬉しくて、にこにことうなずく。
「そうな、おぼえたか」
「うん、おぼえたよ」
 犬が一体何をどうおぼえたのか二人とも分からない。だがこれでやっとこさっとこ、仲直りがすんだのであった。
「ほんじゃ」
 と、おじは庭木戸の方へ歩きかけて、また立ちどまった。
「アキラあ、どうだ」と振り返る。「こんど折りを見て槻ノ木平の奥山さいくべと思うんだが、おめもいきてか」
「いぐ、いぐ!」
 昭は叫んだ。行きたいにきまっている。
「つれてってけろ、おんちゃん、いついぐんだ」
(朽木寒三「奥山の砦」)

斎藤昭、数え十五歳。『奥山の砦』、コンサドーレ札幌のJ2降格が決まった本日、人間像ライブラリーにアップしました。斎藤昭の物語をやっていたおかげか、冷静な気持ちで降格を受け入れることができました。

 
▼ 「人間像」第129号 後半  
  あらや   ..2024/12/05(木) 11:33  No.1137
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 ソ連には十月革命というのがあったから、今回のクーデター騒動は『八月革命』と名づけても良いような気がする。騒動の内容は呆気なかったが、結果は革命に匹敵するものだった。
 八月十九日のクーデター発生から、二十六日の共産党の解体まで僅か一週間の出来事である。七十余年続いた共産党の一党独裁があっと言う間に瓦解したのであるから、これは文字通り革命と言うに相応しい。
(春山文雄「八月革命寸感」)

1991年か… この翌年の秋、私は埼玉を出て小樽に来るんですね。〈八月革命〉の記憶がぼやーっとしているのは1991年あたりで帰郷についてあれこれ考えてあたふたしてたからか。

「人間像」第129号(178ページ)作業、終了です。作業時間は「85時間/延べ日数19日間」。収録タイトル数は「2438作品」になりました。裏表紙は前号と同じです。さあ、第130号。残り、60冊。


▼ 「人間像」第128号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/10/11(金) 18:19  No.1125
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 信吾は港に立ってみた。
 二十五年前、信吾が村の郵便局から他局へ移った頃、漁況は順調で各船主は競って漁船を大型化し、港の修復拡張工事も進められて、十年前には二倍以上にも広くなった港に、二十屯級の中型船が十隻も舳先を並べていたはずだが、その日の港には、僅かに五隻の中型と三艘の小型船が係留されているだけで、しかも中型船の内、勝美の第三神洋丸と前後して、山一大森の承久丸も廃船となる運命にあった。
(金沢欣哉「海が暮れる」)

第128号作業、始まりました。金沢さんの久しぶりの小説。しかも、久しぶりの漁村文学が胸に沁みる。この後、土肥純光『落影の女達』、佐藤瑜璃『帰郷』、丸本明子『迷路』、内田保夫『消えた女』、佐々木徳次『素晴らしき恋人』、針山和美『まぼろしのビル』、平田昭三『たこ部屋ブルース(2)』、村上英治『高瀬川(1)』、神坂純『サイパン日記(2)』と延々と続いて行きます。それでは…


 
▼ 落影の女達  
  あらや   ..2024/10/14(月) 17:46  No.1126
   それは、思いがけない便りであった。内容は一片の転居通知に過ぎなかったが、差し出し人が室田隆子であったことが、私を驚かせ、同時に、或る種の感慨を呼び醒させることになった。
 新しい住居は、埼玉県の三郷市となっていた。
(土肥純光「落影の女達」)

私も驚きました。まさか、この1991年9月発行の第128号で〈小野静子〉の話が飛び出して来るとは思いもしませんでした。小野静子追悼号が出たのは1960年6月の「人間像」第56号ですからね。かれこれ30年以上も前の女達のことを今でも考え続けている人がいるということに驚きを禁じえない。じつは、30年ぶりに復活した金沢さんの漁村文学にも私は驚いているんですけど、こういう作品が二連発で続く第128号って何なんだろうと思いながら、次、佐藤瑜璃さんに進みます。

 
▼ 帰郷  
  あらや   ..2024/10/16(水) 12:00  No.1127
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。
(佐藤瑜璃「帰郷」)

やー、凄い! ライブラリーにあげて、最後のチェック(五度目の通読)を終えたら、じっとしていられなくなった。誰かにこの嬉しさを話したい、コピーして皆に送りたい、そんな気分です。佐藤瑜璃さんの作品を読む度に、私は峯崎ひさみ『穴はずれ』を初めて読んだ時の驚愕を思い出すのですが、今回の『帰郷』は特にそれが強かったですね。今少し、この余韻に浸っていたい。作業再開は午後からにしよう。

 
▼ まぼろしのビル  
  あらや   ..2024/10/23(水) 12:14  No.1128
   いつもより盃の回数が速くなっていた。
「そうねえ、名案なんて思い当たらないけれど、とにかく家にいる息子さんがなんと言っても大切なんだから、よそへ行ってる子供さん方には多少我慢して貰うのが良いのじゃありませんか。それとも財産分けなどと言う事ではなくて、財産を元手に収入の上がる道を選ぶとか」
「財産を元手にか……。たとえばどんな事があるかね」
「そうねえ、駐車場かビルでも建てて、そこから入る収入を兄弟で適切に分配するのはどうかしらねえ。実際に運営するのは家にいる息子さんだから当然多く貰えるわけ。ほかに出ている人たちは謂わば不労所得だから、そんなに多くなくっても諒解できるのじゃありませんか」
 女手ひとつで店を切り盛りしているだけあって、喜代はすぐ具体的なことを思いつくようだった。
「なるほどねえ。会社組織にして株を按分すると言う訳か」
(針山和美「まぼろしのビル」)

単行本で読んでいるはずなんだけど、何の記憶もなかった。初めて読む針山作品といった形で新鮮に読めました。新鮮で、かつ、切ない話でしたね。

第128号もこの辺りで中盤。132ページまで来ました。

 
▼ 犬にまつわる話  
  あらや   ..2024/10/26(土) 18:27  No.1129
   『いろはかるた』と言っても知らない人が多いかもしれない。戦前までは、正月の子供達の最もポピュラーな遊びであった。いろは四十八文字それぞれの絵札があり、それぞれに格言や諺がついていて、それを読みながら絵札をひろっていく。『いろはかるた』といっても京都、大阪、江戸(東京)とあって、いろはの『い』の字は京都では『一寸先は闇』 大阪で『一を聞いて十を知る』 そして東京では『犬も歩けば棒に当たる』となる。この江戸かるたの意味は、でしゃばるとひどい目に遭う、とか、出歩くと思いがけない良いことがある、という二通りの意味がある。まして人間はいったん外に出れば大小にかからわず何らかの障害に突き当たるものかも、と解釈される。ほかに、人のあらは探そうと思えば幾らでも見つかる、というのもある。そう言えば、英語でも『犬をぶつのに棒のよりごのみすることはない』という諺がある。Any stick will do to beat a dog with 犬と棒に関しても洋の東西ではこうも違う。
(白鳥昇「犬にまつわる話」)

昔、白鳥さんの文章って凄く読みにくかったものなのだけど、久しぶりに出会った『犬にまつわる話』は圧倒的に面白く読めましたね。さあ明日から『たこ部屋』だ。

 
▼ たこ部屋ブルース  
  あらや   ..2024/11/01(金) 14:47  No.1130
   「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

いやー、長かった。引用したあたりから漸く〈たこ部屋〉話が動き始めるのですが、ここまで来るのに第127号の(1)全部と(2)の三分の一を使って野島要三の人生を引っ張って来たわけですからね。朽木さんの持久力には驚くばかり。
私もここで〈たこ部屋〉話を始めると収拾がつかなくなりそうなので、読書会BBSの方に場を改めて書くつもりです。

 
▼ 高瀬川  
  あらや   ..2024/11/07(木) 10:58  No.1131
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 鴨川の白く乾いた河原に下り、加吉は石に腰をおろした。尻をちょっともたげるほど石は陽に焦げていた。尻切れた草鞋の足を流れにひたす。水は温んでいたが、浸した足から軀の中を涼しい風が吹き抜けていくように思い、加吉は何となく耳を澄ましていた。河原は眼を細めたいほどの光の中で静まり返っていた。時折、せきれいが水際の濡れている石に来て尾を振っている。流れに浸している親指の先に、ちくちくする鈍い感覚があった。高瀬川を曵舟していて、石に蹴つまずき爪を剥がした右足の傷が膿んでいた。その傷口が洗われるかすかな痛みなのだろう。
(村上英治「高瀬川(一)」)

あれ、まだ魚津にいるはずなのに… いきなり京都から話が始まってちょっと混乱しました。でも、この一篇だけを目にした人にとっては、この構成でいいのだと思う。作品が味わい深くなる。単行本では、全体の話の流れに沿ってこの構成は換えられています。

昨夜、初雪でした。

 
▼ 「人間像」第128号 後半  
  あらや   ..2024/11/08(金) 17:19  No.1132
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「人間像」第128号(262ページ)作業、終了です。作業時間は「128時間/延べ日数29日間」。収録タイトル数は「2423作品」になりました。
久しぶりの100時間越え。作業日数がちょっと多いのは、この時期、冬の準備などで時間をとられて作業に集中できなかったからです。印刷インクが薄い号で、画像データを二度撮り直したことも一因かな。裏表紙の『天皇の黄昏』広告文は以下の通り。

 小説家なのに気取って、私は詩人ですという言い方を好む人がいる。小説を書いているのだから私は小説家だとなぜ言わないのか大いに不満だ。その意味で針山和美は正統派の小説家である。
 針山和美の特質を一口で表すのはむつかしいが、詩派ではなくドラマ派であり、様式ではなく感情、たてまえでなくて本音、大袈裟は避けて控え目、衒気とは無縁の平凡、私小説ではなく客観小説、いきり立たず平静、冷感よりも温度、といった作風なのだが、互いに対立する多数の作中人物を書き分けてドラマを組み立てることがうまい。そしてときに毒性のある人物をも活写する。
 今回は短編を主とした創作集だが、以上列記した彼の特質を、個々の作品について味わってもらえれば幸いである。(朽木寒三)

美しい文章。朽木さんも針山さんも私に生きる意味を与えてくれる。



 


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