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読書会BBS

 
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▼ 人魚姫の町   [RES]
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:29  No.726
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 宏太は去年高校を出て、地元の企業に勤めたものの長続きしなかった。今はコンビニでアルバイト中だ。そのアルバイトもコロナ騒ぎでシフトの変更があった。六月に入った今日から三日間休みになってしまった。
「暇です」
 高校時代の先輩の友田さんに電話したら、
「アネキが男の子を産んだんだ。顔を見てくる。コロナ第二波が来るかもしれないだろ」
と、今から千葉まで車で行くという。
「県をまたいでの移動は、自粛ってことになるとしばらく会えなくなる。行くんなら今だって思ってさ」
 慎重派の友田さんにしてはめずらしいと笑いかけて、去年死んだ父を思った。
(柏葉幸子「人魚姫の町」)

図書館で柏葉さんの新刊(?)を見つけました。久しぶり。東日本大震災から九年、柏葉さんはしっかり今を生きているのだなと深く感じ入った。私も、学校が閉まり、何ヶ月も図書館が使えなかった数年前の日々を絶対に忘れない。忘れないだけではなく、今の生き方に繰り込んで行くつもりです。帯に『岬のマヨイガ』アンサー作品とあった。なるほど、アンサーだ。


 
▼ バチェルダー賞  
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:33  No.727
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同じく帯に「米バチェルダー賞 受賞作家 最新作!」とあって、バチェルダー賞って何だ…と調べてみたら、これでした。

https://www.kodomo.go.jp/info/child/2022/2022-018.html

『帰命寺横町の夏』は、物語といい、表紙といい、イラストといい、活字といい、本当に百点満点の本だと私も思っています。こればかりは、図書館から借りるよりは、谷口ジローの本のようにきちんと買って私の本棚に置きたい。英訳本、見てみたいな。


▼ 毎索   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:13  No.723
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『浮浪の子』を探して、もうずいぶん時が経ってしまった。
沼田流人『浮浪の子』は大正十年八月、東京日日新聞(←毎日新聞の前身)に連載された小説です。現在、国立国会図書館デジタルの『新聞集成大正編年史』の「大正10年」に、その連載第一回を見ることができるのですが、第二回目以降がない。そうなると「毎索」(毎日新聞記事データベース)かなあ…と漠然とは思っていたのです。でも、この歳になると東京って辛いんだよね。スマホがはびこる世界では私は身動きがとれない。
ひょんな事から札幌市図書・情報館で「毎索」を閲覧できることを知り、私は喜び勇んで行ったのが今週です。早速、東京日日の「大正10年8月16日」を開いてみました。おー、8月16日の新聞紙面が目の前にある! でも、私が見たいのはこの面じゃないの。次、次の面とカーソルをあれこれいじってはみるのだが画面は一向に動かない。
で、ようやく気がついたのですが、この時代の毎日新聞は「主要記事見出し」なんですね。つまり、8月16日は、8月16日の主要記事が載っている紙面1枚だけの掲載なのです。他の紙面はないんです。いやー、がっかり。


 
▼ どうしん記事データベース  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:17  No.724
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ちなみに「毎索」では〈沼田流人〉のキーワードでも引いてみましたが、答えは0件でした。北海道新聞の方で〈沼田流人〉を検索すると、見なれた記事の中で1件だけこのような記事を発見。早速、札幌市図書・情報館で『路上』第10号の所蔵館を調べてもらいました。函館市立図書館より道立の方が多く所蔵していたのにはちょっと吃驚。翌日、市立小樽図書館で『路上』第10号を予約し、昨日、館内閲覧してきたところです。

 
▼ 二人の「流人」と有島武郎  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:21  No.725
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倶知安で〈沼田流人〉について知りたい…となると、どいつもこいつも札幌・掘る会の『小説「血の呻き」とタコ部屋』をぶら下げて出てくるので私はウンザリしているのです。もう倶知安は駄目だと私は思ってる。その点、函館には妙な期待があって、いつかは〈松崎天民〉や〈北原洋服店〉の話が飛び出して来るのではないか…と夢想しているのです。当然、北村巌『二人の「流人」と有島武郎』にもそんな期待がありました。

『血の呻き』を手にする前の世界を懐かしく思い出しました。流人については武井静夫『沼田流人伝』からの知識がすべてですね。ただ、「二人の流人」という視点は函館ならではの視点で、特に、大島流人についての解説は丁寧に整理されていて、その上で啄木や有島との接点を説明してあるのでこれは勉強になりました。評論の最後に埴谷雄高を出してきたのも私と気が合いそう。こういう人になら、湧学館・製本教室で作った『血の呻き』を贈りたいと思いました。


▼ たこ部屋ブルース Part 1   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:53  No.718
  「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

連載二回目の中盤にして漸く始まる〈タコ部屋〉話。それまでの野島要三の人生を見てみると極めて異例のタコ部屋親方であることを感じる。こんな親方もいたのね。斎藤昭と同じく、朽木さんが書いたら、それは小説の中の「事実」なんです。


 
▼ たこ部屋ブルース Part 2  
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:57  No.719
   こうして現場についた土方を働かせるのだが、ただやみくもにやれっ、やれっ、と頭ごなしの命令をしたってだめだ。だから、
「おまえはここからここまでの仕事だ」
 と一人々々にわりふってやって責任を持たせる。そしてノルマを果たしたやつは、たとえ三時が二時になっても部屋に帰って寝転んでいてかまわないという仕組みでした。だから腕のいいやつ、やる気のあるまじめなやつは楽ができる。
 それとは逆にぐずぐずして割り当てた分を果たせないやつは、夜中までかかっても提灯をつけてやらせる。これが土方をサボらせずに使うやりかただが、誰だって夜業はつらいし、暑いとき、寒いとき、少しでも早く部屋に帰って楽をしたい。その一心でがんばるので、期日までに工事が完了するということになる。
 よく話に聞くんだけど、土方の尻をひっぱたいて酷使するという、そんなやりかたをする親方は下の下で、土方をやたらコキ使って疲れさせるとかえって能率はおちる。だからといって、大事にしてやったつもりが逆になめられて裏目に出てはなんにもならない。そこらがむつかしいんだが、とにかく土方から信用され、慕われて、自発的にやる気をおこさせるのが腕のいい親方なんだ。皆がこのおやじさんのためならばと精を出して働き、その結果たとえ一日でも早く期限内に工事が終われば、これは親方の大きなもうけになります。
(同書)

ここまで冷静に土方労働を語られると、一体あれは何だったんだ…という気にもなる。例えば、羽志主水(はし・もんど)。

 
▼ 監獄部屋  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:00  No.720
   今は大正の聖代に、ここ北海道は北見の一角×××川の上流に水力電気の土木工事場とは表向き、監獄部屋の通称が数倍判りいい、この世からの地獄だ。
 ここに居る自分と同じ運命の人間は、かれこれ三千人と云う話だが、内容は絶えず替っている。仕事の適否とか、労働時間とか、栄養とか、休養とかは全然無視し、無理往生の過激の労働で、人間の労力を出来るだけ多量に、出来るだけ短時間に搾り取る。搾り取られた人間の粕はバタバタ死んで行くと、一方から新しく誘拐されて、タコ誘拐者に引率されてゾロゾロやって来る。
 三千人の内には、自己の暗い過去の影から逐われて自棄で飛込んで来るのもあるが、多くは学生、店員、職工の中途半端の者や、地方の都会農村から成功を夢みて漫然と大都会へ迷い出た者が、大部分だから、頭は相応に進んでいて、理屈は判っていても、土木工事の荒仕事には不向だ。そこへ圧搾機械のような方法で搾られるんでは、到底耐ったものでない。朝、東の白むのが酷使の幕明で、休息時間は碌になく、ヘトヘトになって一寸でも手を緩めようものなら、午頭馬頭の苛責の鉄棒が用捨なく見舞う。夕方やっと辿り着く宿舎は、束縛の点では監獄と伯仲でも、秩序や清潔の点では到底較べものでない。監獄部屋の名称は、刑務所の方で願下げを頼み込むに相違ない。
 搾り粕の人間の窶れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば国葬格だ。まだ搾り切れずに幾分の生気を剰して居る人間は、苦し紛れに反抗もする、九死に一生を求めて逃亡も企る。しかもその結果はいつも、判で捺したように、唯一の「死」。その死の形式は、斬殺、刺殺、銃殺はむしろお情けの方で、時には鬱憤晴し、時には衆人への見せしめに、圧殺、撲殺、一寸試しや焚殺も行われる。徒党を組んだ失敗者は時に一緒に十五、六人鏖殺されたこともある。
(羽志主水「監獄部屋」)

ひどくステレオタイプ化された〈タコ部屋〉。沼田流人などに「事実」を学習した東京のインテリたち。

 
▼ 人を殺す犬  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:04  No.721
  それは例えば小林多喜二。

「集まったか?」大将がきいた。
「全部だなあ?」そう棒頭が皆に言うと、
「全部です」と、大将に答えた。
「よオし、初めるぞ。さあ皆んな見てろ、どんなことになるか!」
 親分は浴衣の裾をまくり上げると源吉を蹴った。「立て!」
 逃亡者はヨロヨロに立ち上った。
「立てるか、ウム?」そう言って、いきなり横ッ面を拳固でなぐりつけた。逃亡者はまるで芝居の型そっくりにフラフラッとした。頭がガックリ前にさがった。そして唾をはいた。血が口から流れてきた。彼は二、三度血の唾をはいた。
「ばか、見ろいッ!」
 親分の胸がハダけて、胸毛がでた。それから棒頭に
「やるんだぜ!」と合図をした。
 一人が逃亡者のロープを解いてやった。すると棒頭がその大人の背ほどもある土佐犬を源吉の方へむけた。犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢が見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。
「そらッ!」と言った。
 棒頭が土佐犬を離した。
(小林多喜二「人を殺す犬」)

『たこ部屋ブルース』は流人文学の魅力を思わぬ角度から照射してくれたことで私には忘れられない体験でした。羽志主水や小林多喜二の作品にこんな感情を持ったことはなかったです。

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:07  No.722
  沼田流人が描く〈タコ部屋〉はもっと幻想的なものなんだ。

「どうした。藤田……」
 年老った、灰色の髭を生した監視者が、彼の肩を叩いて言った。
「頭が、痛い……。俺を、こうして置いてくれ」
 明三は、悩ましげに言った。
「お前は、……。ほら、あの病室だぜ……」
 老監視者は、なだめるように言った。
「うむ、その病室へ、入れてくれ……」
  (中略)
 明三は、そっとマッチを擦って、点火した。黄色っぽい弱々しい灯光は、暗い坑の中を溜息のように慄えながら、少しの間照した。
 それは、まるで穽のように深く遙かの上に、鉄板で覆われた室の壁が見えた。地面から底は、唯深い土の坑であった。明三が踏みつけたのは、恐ろしく腫れあがった人間の屍であった。しかも、その坑の底には、向うの隅の方に重なり合った二個の屍体があった。
 明三は、も一度マッチを擦って、屍骸の顔を覗き込んだ。それは、あの足に釘の刺った眼鏡をかけた若い男で、全身が暗紫色に腫れ上ってその足は、腐った柘榴のようになっていた。齦に膠着した唇の間から、気味悪く白い歯が光り、腫れ上った瞼の間から、灰色の、死にきれないような恐ろしい眼が、暗がりを見ていた。
(沼田流人「血の呻き」/二二章)


▼ 時を追う者   [RES]
  あらや   ..2024/09/18(水) 11:15  No.710
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「事情はよく知りません」
「GHQは解明した。やはり誰が企画し、誰が実行したか。その個人名、密謀が計画された日時、場所がほぼわかっている」
「さっき先生が、謀略の阻止、関係者の排除で戦争は回避できる、とおっしゃったのは、その謀略を事前につぶすか、関係者を物理的に遠ざけてしまうということですね?」
 排除という言葉が、暗殺を意味するだろうとはもう想像がついている。でも、ここではまだ、そう直截には言いたくなかった。
「そのとおりだ」守屋がうなずいた。「もちろん、この破局、この破滅に直接つながる歴史的事件はほかにもいくつか数えられる。でも、わたしたちがいま行って修正が可能な過去は、話したようにいまから二十年前ほどの過去だ」
 和久田が言った。
「二十一年プラスマイナス二年の誤差、とわたしは計算する」
(佐々木譲「時を追う者」)

昨夜から読み始めたのですけれど、その「歴史的事件」が起こったのが、今日、9月18日だったんですね。

 満州事変は、張作霖爆殺事件の三年後、一九三一年、昭和六年に起こった。張作霖爆殺事件の現場にも近い柳条湖で南満州鉄道の線路か爆破され、関東軍はこれを張作霖の息子・張学良の仕業として軍事行動を起こし、満州南半分を占領した。日本陸軍中央と政府もこれを追認した。日本政府は当初、不拡大、を唱えていたが、関東軍は翌年春までには北部満州までを占領している。
(同書)

これも何かの縁なのか。今、「人間像」第126号作業が終わり、第127号に手をかける直前のぶらぶらした数日です。ぱっと読んでしまおう。


 
▼ 倶知安町百年史  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:36  No.711
  『時を追う者』、良かった! 最近は本を出す毎に鋭く凄くなって行くような印象ですね。著作権の関係で人間像ライブラリーに挙げることはできないだろうけれど、私はいつも佐々木譲を山麓文学の巨峰だと思っていますよ。

なかなか紹介するチャンスがなかったのですけど、いい機会だから、ここで『倶知安町百年史』の〈佐々木譲〉を全文引用しておきたいと思います。使うのは『倶知安町百年史』の下巻。「第三章 倶知安文化史/第三節 詩・創作活動の歩み/三 昭和から平成へ」と来て、その「(4)推理小説と倶知安」、1123ページからです。執筆は武井静夫さん。

 
▼ 犬どもの栄光  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:39  No.712
   佐々木譲『犬どもの栄光』
 佐々木譲が倶知安町字比羅夫に移り住んで、作家活動を始めたのは、昭和六三年一月であった。
 この前年、佐々木は寒別を舞台に、『犬どもの栄光』(昭和62・8・25)を集英社から出版した。警察庁の幹部の家を爆破したという容疑者の逮捕に協力した元機動隊員が、無実となったそのグループからわけもなく追われ、警察からも見放された中、強靱な肉体と不屈の意志で生き抜いていく物語である。その主人公を命がけで守り抜こうとする元警官、寒別の澱粉工場跡で出会い、その男のなぞを迫っているうち、魅かれていく女性翻訳者らをからめて、舞台は寒別から、赤井川村の近くのログハウスへと展開する。もはや警察と過激派という図式は過去のものとなり、復讐に燃える男と、理由なき復讐に刃向かう男とのあくなき戦いが続く。やがて復讐者の最後の一人が捕われるが、主人公は殺すことができない。その男は逮捕にきた機動隊に向かって歩んで行き、撃たれて倒れるというのである。
 そこでは、しきたりやきまりや道徳が無視されている。己一人を信じて生き抜いていこうとする骨太な人間があるだけである。そんな裸の人間の行動に、かえってヒューマニティな共感が生まれるのである。
 佐々木の描く主人公は、やがて舞台を世界へと広げていく。

なぜ武井さんは無粋な要約をするのかな? 読者には迷惑。著者には無礼。

 
▼ ニセコ山麓日記  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:42  No.713
   「ニセコ山麓日記」
 佐々木譲(ささき・じょう、本名ゆずる)は、昭和二五年三月一六日、夕張市で生まれた。札幌月寒高校を卒業して立正大学に進むが中退、本田技研に勤務してのちフリーライターになった。昭和五四年一二月「鉄騎兵、跳んだ」で、第五五回オール読物新人賞を受賞、文壇にデビューした。
 比羅夫に自宅を持った佐々木は、東京と北海道とを往復して創作を続ける。比羅夫の家には、ワープロと資料類を置き、両親も呼んだ。この家のワープロから叩き出された『エトロフ発緊急電』(平成元・10・25)は、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、山本周五郎賞を受賞した。
 主な著書に、『仮借なき明日』、『ベルリン飛行指令』、『夜を急ぐ者よ』、『五稜郭残党伝』などがあり、倶知安にかかわるエッセイに、「帰郷の記」(昭和63・4・9、北海道新聞)、「ニセコ山麓日記」(平成2・7、小説新潮)がある。

ちなみに『倶知安町百年史』下巻の発行年は平成7年(1995年)5月です。

 
▼ 飢餓海峡  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:45  No.714
  「(4)推理小説と倶知安」の引用、続けます。また要約してる。『飢餓海峡』の愛読者(私です!)がこの要約を見たら、どんな気持がすると思う?

 水上勉『飢餓海峡』
 昭和二九年九月二六日、台風一五号は、函館に洞爺丸を沈めて北上し、岩内の中心街を焼き尽した。
 その七年後、水上勉が文芸春秋社の講演会で岩内を訪れ、雷電温泉に泊った。水上は荒々しい雷電の海を見ながら、岩内の町を焼いた男を思いつく。作品は、二九年を二二年とし、岩内を岩幌、洞爺丸を層雲丸とした。失火は放火にし、犯人に犬飼多吉を登場させた。『飢餓海峡』(昭和38・9・15)である。
 殺人強盗をし、岩幌を焼き、仲間まで殺して逃げた凶悪犯犬飼は、樽見京一郎の名で、舞鶴市の食品会社社長になっている。その名士の仮面をあばいたのが、杉沢八重の清純な善意であった。しかし、その裏づけには、樽見の青年期の足どりが必要であった。味村警部補は、その確認のために倶知安を訪ねた。
「倶知安へは、夜なかについた。昼ならば、南の方の澄み切った空に蝦夷富士といわれる羊蹄山の容姿が眺められるはずだったが、夜なので山は黒い姿を鼡いろの空にみせているだけであった。」
 味村は樽見が寒別にいたことを確かめて、事件は解決に向かった。
 ここでも寒別が、その舞台となっている。

 
▼ 有島青少年文芸賞  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:48  No.715
   ミステリーの研究
 昭和六二年の第三五回有島青少年文芸賞の佳作に、倶知安高校二年の中尾律人が入選した。それまでも、有島青少年文芸賞には、倶知安から次の人たちが入選していた。
  第二回 佳作 屋口正純(供中三年)
  第三回 佳作 屋口正純(供高一年)
  第五回 佳作 稀代由起子(供高三年)
  第一〇回 佳作 堀佳美(供高一年)
  第二二回 優秀賞 山根美由紀(東陵中二年)
  第二三回 優秀賞 山根美由紀(東陵中三年)
 中尾は立教大学に進むと、ミステリー研究会に入った。千街昌之の名で、「世界との総力戦」を『立教ミステリー』に発表、竹本健治の世界を論評した。次いで平成六年二月には、角川文庫として出版された、竹本健治の『将棋殺人事件』の解説を担当した。
 千街(中尾)は、自らもミステリーに挑む夢を持ち続けている。

人間像ライブラリーはなぜ〈有島武郎〉を扱わないのか?と、過去に二、三度聞かれたことがあります。それは、ライブラリーの作家たちで有島の作品に触発されてものを書き始めた人がいないから。有島青少年文芸賞を踏台にしてのし上がっていった作家なら知ってるけれど、それは私の仕事ではないし。

 
▼ ニセコ要塞  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:51  No.716
   SFの舞台
 SF(空想科学小説)の舞台としては、ニセコが登場する。札幌在住の作家荒巻義雄は、昭和六一年八月、中央公論社から『ニセコ要塞1986 1』を発刊する。米ソ対立の冷戦構造を下敷きに、パソコングームの手法を用いた戦争空想小説である。
 ニセコ要塞は、ニセコ連峰に造られた山岳要塞で、ニセコ航空団、稜線砲兵連隊、歩兵部隊が置かれている。東には羊蹄山要塞、北には積丹要塞があり、倶知安に第一五歩兵師団の駐屯地があるという設定で、北海道侵略軍との戦闘が開始される。
 それは、戦争を人道の問題としてとり上げるのではなく、ゲームの展開と見て、そこからもたらされる大量な殺りくを、もしかしたらありうる可能性としてとらえて、平和とは何かを考えさせる作品となっている。『ニセコ要塞1986』は3まで続いて、『十和田要塞1991』に続いている。
 ほかにも、トラベル・ミステリーに倶知安とニセコが出ている。西村京太郎『「C62ニセコ」殺人事件』(光文社)と斎藤栄『ニセコ積丹殺人旅行』(徳間書店)とである。

 ノンフィクション
 ノンフィクションには、昭和一八年三月六日、二〇八名の犠牲者を出した布袋座(北二条西二丁目)の火災をあつかった、水根義雄の『二百八名の命を呑込んだ劇場火災』(平成3・7)がある。

「(4)推理小説と倶知安」の全文、引用してしまいました。武井さんの文章読んでいたら、『時を追う者』の感動がすっかり失せてしまった。凄い効果だ。つべこべ言ってないで、「人間像」第127号作業に行けってことなのかな。

 
▼ 千街晶之  
  あらや   ..2024/10/08(火) 14:33  No.717
  有島青少年文芸賞のスレッドで〈千街昌之〉とあったのは間違い。〈千街晶之〉が正しいそうです。私の書き写し間違いかとも思って『倶知安町百年史』をもう一度確認しましたが、どうやら武井さんの間違いのようですね。『倶知安町百年史』も〈千街昌之〉になっていました。


▼ 少年マタギと名犬タケル   [RES]
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:38  No.708
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 ながーい昭和が、やっと終わった。六十二年間のうち、戦争に明け暮れたのは四分の一くらいだったが、まるまる昭和を生きて来た者にとっては、半分くらい、いや、それより長い期間だったような気がする戦争だった。
(「人間像」第121号/編集後記)

現在、「人間像」の復刻は全190号の内、「125号」を進行中です。同人も一斉に定年退職期に入り、執筆にかける時間も増えてきました。時代も昭和から平成に入り、なにかと自らの「昭和」を考える作品が増えてきているように感じます。村上英治『いつかの少年』(124号)を読んだ時は、なんときっちりしたヤングアダルト文学!と感心したものです。

そしてついに児童書として出版されるようなケースも出てきました。朽木寒三『少年マタギと名犬タケル』(ポプラ社,1987)、『釧路湿原』(理論社,1991)は、「人間像」に発表された〈斎藤昭もの〉をベースに書き下ろされたものです。結構なお値段だったけれど、こればかりは図書館で済ませたくなく(私は斎藤昭ファンクラブなので)古書店で買いました。『少年マタギ――』は子どもに親切すぎる気がした。子どもは頑張って、大人のために書かれた小説だけど『縁の下の砦』(121号)を読んでみるといいよ。絶対面白いから。


 
▼ 釧路湿原  
  あらや   ..2024/07/10(水) 17:40  No.709
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 まれに見る劇的かつ感動的なこの物語は、昭和二十五年七月の末、本篇の主人公・斎藤昭(当時まだ十六歳になってわずか二ヵ月の少年だった)が、東京浅草の隅田公園で、風にあおられて足もとに舞い落ちた一枚の古新聞をなにげなく手にとったことから始まる。
 二匹の白犬を朝の運動に連れて来ていた斎藤昭は、解き放った犬たちが遊んでいる間、かたわらのベンチに腰をかけて、その古新聞をひろげた。そして、ふと目にうつったのが、

  《夏の風物詩》
  北海道大楽毛の馬市
    いよいよ明後日から開催

 (中略)

「あっ、これが釧路馬なのか」
「おれどうしよう。こんなことしちゃいられね」
 さっと全身の血がひく。
(朽木寒三「釧路湿原」)

7/20の講演を控えて、資料作りであまり落ち着いた状態ではない中での読書でした。講演が終わったら、『少年マタギ』ともども、また読み直そう。今、作業中の「人間像」第125号に面白い記事が。

☆朽木寒三が理論社から出版した『釧路湿原』が重版になると共に北海道の教育選定図書になった。中学生向けという事だが一冊でも沢山売れてほしいものだ。それにしても今の中学生が「選定図書」なんて読んでくれるかな、とちょっと心配になる。同社から「窓の下の犬」の出版の申し込みも来ている。
(同人消息)


▼ ヘカッチ 第19号   [RES]
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:17  No.704
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日本児童文学学会北海道支部の機関誌「ヘカッチ」第19号を頂きました。毎号、大きな発見があるのですが、今年度のは特に凄かった。

まず、谷暎子さんの論文『忘れられていた北海児童図書博物館――京極町の廣徳寺・江隈園導のとりくみ』。これは、十年前京極町で戦時中に使われた国策紙芝居が発見された時に、紙芝居とは別件で、湧学館で抱えていた未解決レファレンス「広徳寺に在ったといわれる児童図書博物館」を児童文化研究者の谷先生に相談したのがそもそもの始まりです。
その後、研究調査は少しずつ少しずつではあるが進み、時に「昭和3年、京都の仏教児童博物館」といった私などが考えてもいなかった相貌を見せてくれもし、ついにこの論文に辿り着いたと云えるでしょう。論文は「北海児童図書博物館」が京極という町の成り立ちと密接に関わっていたかを教えてくれます。
図書館史的には、この「北海児童図書博物館」の蔵書10点が見つかっていることが大きいと感じています。北海道の図書館史を見ても、何々の文献にこれこれの記述がある…といった程度の実証も多く、現実にその図書館の蔵書が残っているなどというのはかなり珍しいケースなのではないだろうか。私もその図書ラベルが貼られた10点を見ていますが、その分類法など解き明かさなければならないことはまだまだあると思いました。


 
▼ 稲村真禮氏  
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:21  No.705
  谷暎子『北海道文学館に寄贈された紙芝居――故・稲村真禮氏の紙芝居をめぐって』について。
稲村氏を知ったのは、これも十年前の国策紙芝居発見を通じてですが、その時点では、国策紙芝居を含めて古い貴重な紙芝居を持ってる(らしい)人…といった程度の認識しかありませんでした。(現物はみていないので…) 谷先生の論文にも稲村氏所蔵の紙芝居は度々登場するので、私はもうとっくに紙芝居資料は北海道文学館に寄贈されているものだと思っていたのですが…
去年の四月、北海児童図書博物館の調査で広徳寺にお伺いした時に、住職の江隈薫氏から稲村氏が亡くなられたことを知らされました。で、あの紙芝居はどうなったのだろう…ということになったのでした。そこからの経緯は論文にある通りです。無事、文学館に着地して良かった。

 
▼ AINO FAIRY TALES  
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:26  No.706
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大変勉強になったのが高橋晶子『B.H.チェンバレン“AINO FAIRY TALES(アイヌ昔噺)”におけるアイヌ口承文芸の子ども向け再話』。
恥ずかしながら、私、「ちりめん本」を知りませんでした。
https://shinku.nichibun.ac.jp/chirimen/
この国際日本文化研究センターのデータベース、かっこいいですね。金、かかりそうだけど。

 
▼ ワッカタサップの丘  
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:31  No.707
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老婆

皆さん 今日わ 私はこの丘に住んでおる婆じゃ
この丘 ワッカタサップ おおなつかしい名じゃ
古い土地の大帳にゃ このあたりのことを こう書いておる
胆振国 虻田郡 倶知安村字ワッカタサップ番外地 とな
わしらがここに住みついた頃は
大きな木がうっそうと茂ってな この空もみえなかったのじゃ
それを 血の出るような苦労をして 木を切り
いもをまいて わしらの丘をつくってきたのじゃ

京極で勤めている頃から『ワッカタサップ』という芝居(?)があったことは誰からともなく聞いて知っていました。広徳寺にお伺いした折にも、何かの拍子にこの話題が出て、坊守の江隈貞子氏より、それは昭和56年花まつりに公演された人形劇『ワッカタサップの丘』ではないかと教えられました。江隈貞子氏はその脚本を書き、公演をプロデュースされた当のご本人だったのです。そして、北海児童図書博物館蔵書が見つかった広徳寺書庫の一角からは当時の人形や脚本がわらわらと出てきたのです! いや、驚いた。


▼ 松崎天民選集   [RES]
  あらや   ..2024/04/12(金) 11:17  No.703
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もう一人父が尊敬の念を抱いた表情で語っていて印象的だったのは、松崎天民という人だった。やはり東京からよく手紙や書籍が送られてきた。函館新聞社におられた頃に、独身だった父は時折り訪れては、半月くらい寄宿させていただいたものだと誰かに話しているのを聞いたことがある。東京といえば私にとって遠い他国のような感じで、父が「先生」という人がとても偉い人に思え、私たちとは世界の違う人という考えしかなかった。そして父もまた急に違った人間になったように感じられ、私はこの三人を思い出すと、いまだに不思議な感情におそわれるのである。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出(第五回)/交友・一/三人の先生)

800冊も持っていたプロレス本を売り払ったら、部屋は片付くし、思いがけない小金も入ったんですね。で、買ってしまいました。

北海道の図書館は全然といっていいほど松崎天民を持っていません。それで、頼るは国立国会のデジタル・コレクションだけという状態が長らく続いていたのです。でも、デジタル・ライブラリーって疲れるんだよね。一冊の本を開いていると、他の一冊を開くことができない。まるで集密書架の中で作業しているようだ。一箇所の書架を開けると、他の書架は閉じてしまうのによく似てる。まあ、人間像ライブラリーも同じ弱点を抱えているので、この文句には意味がないんだけど… だから、選集とはいえ、主要著作を紙媒体で手にしていられるのは本当に有難い。これからのライブラリーの展開に大きな武器になると思います。



▼ 蔵出し!木彫の味わい   [RES]
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:34  No.697
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発端は道立旭川美術館のこのチラシでした。
https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/abj/exhibition/program/172
2月24日(土)に上映会&トーク「音威子府を語る」なんて書いてある。いいなあ、上映会、観たいなあ…と思ったけれど、チラシよく読むと、去年の「12月22日より電話受付開始」。で、「定員50名」。普通は、駄目だこりゃ…と諦めるところなんだけど、十日前の2月15日になぜ電話をかけてみる気になったのか、自分でも今となってはよくわからない。電話してみたら、なんと予約が取れてしまったんですね。


 
▼ 旭川市彫刻美術館  
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:38  No.698
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もう十年くらい前になるのかな、狂ったように旭川の彫刻写真を撮りまくっていた時期があって、その時、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館は改修中だったんですね。かなり長い期間だったような記憶がある。それでも苦にならなかったのは、旭川の野外彫刻がとんでもないくらい数多いということもあるけれど、それ以上に、〈入館料〉を払って見る芸術や文学に嫌悪感があったから。

そんな感情がいくぶん緩和したのは、たぶん「人間像ライブラリー」を始めたからではないかと思う。自分のやることがはっきりしたから。そして、無料原則は優れた〈作品〉と出逢うための入口のひとつにすぎないと人間像の人たちに教えられたから。あまり入口のあたりでもたもたしていてはいけないと最近は思うようになっています。残された時間はそんなにはないのだから。一刻も早く〈作品〉に行かなくては。

第一回中原悌二郎賞だという木内克『婦人誕生』、えらい迫力あったなあ。旭川や東川に行くと、いつも木内克が気になる。

 
▼ ステーションギャラリー  
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:41  No.699
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旭川駅には彫刻美術館の分室にあたるステーションギャラリーがあります。本館改修中の処置としてスタートしたものと記憶していますが、その後、本館が再開したので駅の方はどうなったかな…と旭川駅に着いたら即行ってみました。
行ったら、あった。入館無料だし、企画展はやっているし、関係図書コーナーはあるし、もう申し分ない。しかも、なんと、砂澤ビッキ『樹鮭・樹蝶』『カムイミンタラ』が壁にどーんと掛かっている! なんて素晴らしいんだ!
本館でも分室でもそうなんですが写真撮影は原則OKでした。ただし、個人的な楽しみの範囲内でということで、写真をSNSなどにあげるのは不可。私もこの旅行で撮りたい作品の写真は撮っていますが、このスレッドで彫刻の画像をあげないのはそのためです。

 
▼ 北海道立旭川美術館  
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:45  No.700
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いや、面白かったなあ。本田明二とか峯田敏郎とか、普段、彫刻の方で知ってる人たちが〈木〉でこんなことをやっていたなんて目から鱗です。それにもまして、〈材質〉についていちいちきちんと解説しているのが興味深かった。これはホオとベニマツ、これはカエデとシナと廃材…とかね。そういえば、砂澤ビッキの作品見る時でも、これはクルミとカツラとか、これはニレ(埋れ木)とカツラとナラとか、そんなこと考えたこともなかったなあ。植木茂『トルソ』、カッコいい! 材質はタモね。
講演「音威子府を語る」。会場は関係者風の人たちで溢れていて熱気むんむん。私にはアウェイ感をびしびし感じる館内でした。

あと、もうひとつ。ここ旭川で、阿部典英さんに出逢うとは思いませんでした。私にとって阿部典英さんは毎年春に朝里川(←うちの近所)で行われる現代アート展に面白い作品をばりばり出品する人という認識だったんですけどね。(写真は今年度作の『ネエ ダンナサン あるいは 静・緩・歩』) 第2展示室「北海道美術の1980年代」でも大きく取り上げられているし。小樽へ帰ったら朝里川アート展の作品、見直してみよう。

 
▼ 三浦綾子記念文学館  
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:49  No.701
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氷点橋をわたって見本林へ。昔は彫刻作品の多い忠別橋側からまわって行ったものですが、今回、駅に氷点橋に抜ける出入口を発見したので徒歩でも可能かな…と思ったのでした。日曜の朝早くだったので文学館は期待していなかったのだけど、朝九時に見本林に着くと、三浦綾子文学館には「開館中」の表示があった。ありがたい。

ずいぶん垢抜けたなあ…というのが感想です。どこの文学館もそうだけど、自分では気づかないうちに言葉でだらだら解説しすぎる。壁に蘊蓄を並べすぎる。そのくせ、肝心の本はガラスケースに入っているし。
三浦綾子文学館はそういう文学館の弱点にかなり配慮していましたね。一階の壁面を大きく使って三浦綾子の生涯を図示し、その年代の所々では家族の写真アルバムを手にとって見ることができるなど、相当踏み込んだ工夫がなされていました。壁に解説文を掲げるところを、一台の大きなプロジェクターの中で、学芸員や友の会の人たちが代わる代わる語りかけてくるアイデアもすばらしい。
すっきりした館内展示の中に、三浦綾子が所蔵していた加藤顕清『盲目の首』や佐藤忠良『スイス帽の未来』の彫刻があった。さらに奥の部屋で佐藤忠良の『三浦綾子像』を発見した時は腰が抜けましたね。この世に『三浦綾子像』があるなんて考えてもみなかった。

 
▼ 知里幸恵文学碑  
  あらや   ..2024/02/27(火) 18:53  No.702
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今回はバスをよく使いました。
彫刻美術館の帰り道で古本屋の看板を見つけ、それが常磐公園の近くであることがわかったので、講演「音威子府を語る」の後、旭文堂書店まで足を伸ばしました。書棚に佐藤忠良『つぶれた帽子』(日本経済新聞社,1988.12)を発見! サイン入りだったので「高いんだろうな」と恐る恐る裏頁を覗いたら1100円の値段が。即座に手に握りしめた次第です。

知里幸恵文学碑のある北門中学校にもバスで行きました。
以前からその存在は知っていたのですが、その団子を積み重ねたようなフォルムがあまり好きではなかった。けれど今までの彫刻の経験から、写真で見るのと実物を見るのとでは大きな違いがあることを知っていましたから、実物をこの目で見ない限りは「見た」とは言えないのです。雪に埋まっていました。でも、碑の大きさをしっかり目に焼き付けました。頭に雪の団子をもうひとつ被った冬の姿がユーモラス。


▼ 詩と創作   [RES]
  あらや   ..2024/02/13(火) 17:40  No.696
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人間像ライブラリーに、『詩と創作』第1集・第2集より〈高田紅果〉〈藤田南洋〉をアップしました。啄木が小樽を離れて三年。明治43年の高田紅果たちはこんな作品をつくっていたんですね。松崎天民もそうなんだけど、昔の出版物って「くずし字」が存在します。今回も難渋したけれど、このサイトの「変体かな一覧」のおかげでずいぶん捗りました。これからの必需品ですね。
https://www.nijl.ac.jp/koten/kuzushiji/post.html

 積丹半島の紀行文を書くために父と二人でわらじをはいて出かけたら、道に迷って足にマメが沢山できてしまい、見知らぬ漁師宅に泊めてもらった時のこと、大江鉱山に行って誤解を受けて人夫達にとりかこまれてしまった時、父の話し方がうまくて説得に成功し、逆にとても親切にされたことなど、大きな声で楽しげに聞かせてくれた。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出」第六回/小樽の高田さん)

うーん、やはり、高田紅果ではないだろうか。藤田南洋の『壜』という作品、凄くロックしていて気持ちいい。あと、高田紅果の『瑰玖』という作品、「はまなす」と読むんだと思いますが、何度見ても「玫瑰」ではなく「瑰玖」と書いてある。どうしようか悩んだけれど「瑰玖」で出すことにしました。(ちなみに、「瑰玖」でヤフーを引いてみると中国のサイトがわらわら出てくる…)



▼ 凍土抄   [RES]
  あらや   ..2024/01/19(金) 09:12  No.691
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 汽車が止まると乗客たちがひとり残らず下車してしまった。寒寒とした材木くさい駅であった。駅員に訊いてみると、そこが終着駅で、あとは上りがひと列車あるだけ、下りは翌朝までないという話だった。わたしは下りで、もっと先の鉱山町までゆく予定だったから、行先をよく確めないで乗っていたわけだが、急ぐ旅でもなかったので旅館に一泊することにした。ところが、その旅館が一軒もなかったのである。途方に暮れているわたしをみて、駅員は、二里ほど先の村落に木賃宿があるからそこへいって泊めてもらったらどうかといい、そこへゆく道順を教えてくれた。
(大森光章「凍土抄」/「安産」)

降り立った駅は「京極駅」。もっと先の鉱山町が「脇方」。二里ほど先の木賃宿とは「沼田仁兵衛」がやっていた木賃宿。

大森光章氏を『このはずくの旅路』の作家と捉えると、そのスケールの大きさを見誤ってしまいます。大森氏の名誉のためにも、ライブラリーのバランスをとる意味でも、心に残った名作をいくつか紹介させていただきます。


 
▼ 王国  
  あらや   ..2024/01/19(金) 09:19  No.692
   保安員たちが川下の職員住宅地の一劃に移住してしまうと、険しい山峡の斜面に不気味な廃墟の静寂をたたえて階段状に立ちならんでいる七、八百戸の荒寥たる空家街に住んでいる人間は、かれひとりになった。夜になると、あわただしく立ち去っていった飼主に見捨てられたおびただしい犬や猫が、孤独と空腹をうったえてこの世のものとは思われないような悲痛な鳴き声を発した。
(大森光章「王国」)

初めて読んだ大森作品が『王国』だった。明日の朝、図書館に出勤したら誰彼かまわず「この舞台は脇方なんだぞ!」と吹聴してまわろうと興奮して夜も寝られなかった。この町に今住んでることが嬉しくて十年も経ってしまった。冬の雪は辛かったけれど、三月の陽光に、つい「もう一年だけ頑張ってみるか…」と思ってしまうんだよね。

 
▼ 星の岬  
  あらや   ..2024/01/23(火) 16:43  No.693
   「いつもあんなにおとなしいんですか」
 繁雄は宮寺に訊いてみた。
「眠っているのじゃ」と老人は答えた。「吹雪のつぐ日は、いつもああして昼間眠るんじゃよ。ほれ、あすこにもいるわな」
 指差された反対側の斜面に視線を投げると、岬のほとんど突端と思われる丘の日溜りにも、同じような馬が五、六頭、雪の中に集まっていた。
「小馬がいますね」 繁雄は一頭の小馬を発見して言った。「しかし、あの馬たちは、いまごろなにを食べているんでしょう?」
「いまは、すすきや笹を食っている」 宮寺が答えた。
「雪を掘って?」
「そうじゃ、二尺や三尺は平気で掘る。当歳駒は掘り方を知らんが、親馬の食い残しを拾い食いしているうちに、いつの間にか、自分の脚で掘ることを覚えていくんじゃ」
(大森光章「星の岬」)

いつも『王国』の強烈さの影になってあまり語られることのない『星の岬』だけど、今回作業の対象として〈読んで〉みると、じつに端正に書き込まれた逸品であることを再認識しましたね。星の岬の風景に生きて、作業がとても楽しかった。

 
▼ 名門  
  あらや   ..2024/01/27(土) 18:40  No.694
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 親方につれられて北海道に出発することがきまると、わたしは、それまでいちども経験したことのない異常な興奮が、一日になんどもくりかえして自分に襲いかかるのをとめることができなかった。
 終日小舟にのって激浪にゆられているような、沈むとも昇るともはっきりしない太陽が、いつまでも頭上をうごこうとしないような、おちつかない毎日だった。四十年も馬丁をしている松下老人は、そんなわたしをながめて「初めて女にほれたときは、だれだってそんなもんだ」と無愛想にからかった。わたしには老人のことばの意味が理解できなかった。それはとりようによっては、わたしの心情をくんでの、ひそかな激励と祝福のこもった慈愛のことばともとれたが、べつな見方をすれば、まだみぬミハルの幻影にまどわされておちおち仕事も手につかぬわたしの動揺とひとりよがりへの皮肉な訓戒のようでもあった。
(大森光章「名門」)

1月25日に『名門』のファイルを作成し、プロバイダに送りました。直後、いつものように「人間像ライブラリー」でチェックしようとしたのだけど、『名門』が読み込めない。あれこれ試みると、『名門』だけじゃなく、現在、ライブラリーの全ての作品が読めない状態になっています。ご迷惑をおかけしますが、今少し時間をください。

大森光章作品のデジタル化は、『名門』で第一期終了としたいと思います。「人間像」作業を一ヶ月半もお休みしたので、腕が落ちていないか心配です。

 
▼ えあ草子  
  あらや   ..2024/01/30(火) 17:15  No.695
  なぜ「えあ草子」は大地震の直後にシステム更新を行うのだろうか?
六年前の北海道胆振東部地震の時も、その直後に「人間像ライブラリー」の全作品が読めなくなる事態が起きて、私は「これは何か今回の地震と関係があるのだろうか?」とか、けっこう真剣に考えたことを思い出す。
さすがに今度の能登地震ではそんなことは考えず、すぐに「えあ草子」だなと気がついたけれど、問題は、今度は使っている機種の方で起こりました。六年前でさえすでに絶滅危惧種だったWindows7と今のWindows11(Microsoft Edge)の間には深くて暗い溝がありましたね。使っている言葉が、いちいち何を言ってるのか解らないんだもの。
今でも、人間像ライブラリーの作品が読めなくなって困っている老人はいると思います。インターネット閲覧をMicrosoft Edgeで行っている人は、以下の方法を試してください。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/081100/cacheclear_d/fil/cacheclear.pdf
Windows対応はとっくにうち捨てて、スマホ・タブレット対応に特化していったのが「えあ草子」だと思っていたけど、今回のWindows対応版、すごく綺麗ですね。人間像ライブラリーが若返った。



 


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