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▼ 隠蔽捜査 9.5   [RES]
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:29  No.749
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「月刊おたる」調査で市立小樽図書館に通うことが多くなっています。で、書架をチェックする機会も多くなって来ていて、新作が出たら読みたいと思っていた佐々木譲の「道警シリーズ」や今野敏の「隠蔽捜査シリーズ」も、ようやく百何十人待ちの予約状況を脱して一般書架に並ぶようになりました。例えば『隠蔽捜査 9.5』の出版年は2023年1月ですから、二年遅れで新作(?)を手にしたことになるのかな。ま、今の私にはお似合いという気もする。

どんな時も原理原則を貫くキャリア・竜崎伸也の周囲で日々まき起こる、本編では描かれなかった9つの物語。家族や大森署、神奈川県警の面々など名脇役たちも活躍する、大人気シリーズ待望のスピンオフ短編集。本書のための特別書き下ろし短編も収録!(帯より)

竜崎家の家族構成って、ぴったり私の家族構成と同じなんですね。時代も合っているので、事件とは別に、家族それぞれの動きも興味を持って読んでいます。そういう意味では、いきなり「隠蔽捜査 10」にならないで「9.5」があってよかった。『内助』、楽しく読みましたよ。


 
▼ 隠蔽捜査 10  
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:45  No.750
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神奈川県警刑事部長・竜崎伸也のもとに、著名な小説家・北上輝記が小田原で誘拐されたという報が舞い込む。犯人も目的も安否もわからない中、竜崎はミステリ作家・梅林の助言も得ながら捜査に挑むことに。劇場型犯罪の裏に隠された、悲劇の夜の真相とは――。
累計330万部突破の大人気シリーズ、記念すべき第10弾!(帯より)

普段は「人間像」の作品を集中的に読んでいるから、そこを離れたら、読むのはこういう本がよくなって来ている。警察小説ってのには何か理由があるのだろうか。同じ警察小説でも、好きな作家と肌が合わない作家があるんですけどね。

 
▼ 警官の酒場  
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:54  No.751
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大ベストセラー道警シリーズ、第1シーズン完!
それぞれの季節、それぞれの決断――。
警官射殺命令を阻止する24時間を描いた『笑う警官』から、《己の信念と矜持》を描き続ける警察小説の金字塔、待望の最新刊&最高傑作。

捜査の第一線から外され続けた佐伯宏一。だが能力の高さは重大事案の検挙実績では道警一だった。その佐伯は、度重なる警部昇進試験受験の説得に心が揺れていた。
その頃、競走馬の育成牧場に強盗に入った四人は計画とは異なり、家人を撲殺してしまう。強盗殺人犯となった男たちは札幌方面に逃走を図る……。
それぞれの願いや思惑がひとつに収束し、警官の酒場にある想いが満ちていく――(帯より)

「第1シーズン完!」なら、フィナーレの舞台はあそこだな…と読んでる途中でわかりましたよ。まあ、タイトルが『警官の酒場』ですからね、誰だってわかるか… 「第2シーズン」なんて、あるのかな?


▼ 風のページ   [RES]
  あらや   ..2025/03/16(日) 17:37  No.744
   その日、みどりが降り立った札幌駅は、夏の終りの饐えた匂いが漂い、薄暗い洞窟のような構内には疲れた目をした人々が群れていて、立ち止る事もできないままみどりは出口へと押し流されてしまった。駅前でタクシーに乗ろうと思っていたのだけれど、みどりはなんとなく雑沓にもまれて歩いていた。どこまで行っても人の波はとぎれる事がない、ビルの谷間をひんやりとした風が吹きぬけていった。おひる少し前の大通公園は、思っていたほどのざわめきもなく、みどりはベンチに腰かけてホッと一息つくと、鞄の中のノートにはさんでおいた古い手紙の封筒をとり出してみた、中身はない。「中央区南七条 西十丁目アカシアハイツ二○三 石川三枝」。近くの交差点の表示からすると、ここから、そう遠くはないと思われる。汽車で二時間程のK町に住むみどりだが、一人で札幌へ出て来たのは、高二の今日がはじめてだった。
 みどりは今日、小学校五年だった自分を捨て、年下の男とかけおちしてしまった母をたずねて逢うために父や義母にだまって学校を休み札幌へ出て来たのである。
(佐藤ゆり「風のページ」)

佐藤ゆり『風の中の羽根のように』(叙情文芸刊行会,1992.7)は九つの短篇を集めた小説集。その巻頭に『風のページ』を持って来た気持ちがなんとなくわかるような気がします。すすきの界隈の描写が巧い。佐藤ゆりさんの句読点の打ち方は一風変わっているのですが、その句読点でさえみどりの心象を現すのには適っているように思ってしまう。私は好きですよ。


 
▼ 十字架  
  あらや   ..2025/03/16(日) 17:45  No.745
   美奈はふと思い出した。少女の頃、いつも祖母と歩いた森の中の枯葉の道。
 今はもうゲレンデの下に埋もれて、あとかたもないニセコアンヌプリの麓の熊笹の中に、おきざりにされたような部落で美奈は生まれ育った。今思うと、アパルトヘイトのような感じもするけれど、みんな仲よく助け合って、のどかに暮していた。
 美奈は四季を通じて祖母や部落の人達と森へ行き、薪木を拾い、山菜を採り、木の実を採った。みんな貧しかった。食生活の大半は森や野山から採ったものだった。祖母は森へ入る時、きまって「シリコロカムイ」(木の神様)と呟いて、てのひらを天に向け頭を深く下げた。
 娘ざかりは部落で一番のピリカメノコ(美しい娘)だった祖母の名はアイリン。
(佐藤ゆり「十字架」)

短篇だけど、きちっと締まった展開に目が洗われるようだ。汚くうす気味悪いニュースに取り囲まれて毎日を生きている私には、こういうニセコアンヌプリの麓の物語が必要だったのだと心底思った。私には札幌と小樽の対比が面白い。

 
▼ 風の中の羽根のように  
  あらや   ..2025/03/16(日) 21:17  No.746
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『十字架』を読んだ後で『風の中の羽根のように』や『星の国から』を読むのはちょっと辛かった。アイデア倒れと感じました。
いつもなら表紙の画像くらいは付けるのですが、この本、所蔵しているのが北海道でただ一館、道立文学館だけなんですね。で、道立文学館は写真撮影やカラーコピーを受けつけていないので諦めました。まあ、文学館で資料の閲覧やコピーができるだけでも有難いことなのですが…(考えてみたら珍しい文学館だ) 表紙の代わりに芸術の森美術館の入口にあったオブジェです。ちっとは〈風〉っぽいかなと(笑)
昨日、札幌市民交流プラザで行われた講演『北海道・謎の彫刻史』の帰り道、道立文学館にも寄って『風の中の羽根のように』の後半五篇をコピーして来ました。ライブラリー公開を急ぎます。

 
▼ 終点  
  あらや   ..2025/03/18(火) 17:36  No.747
   あの人はいつも土曜日の午後になると、うす汚れた灰色のジープに乗ってやってきた。泥だらけのこともあった。ジープが小さく見えるくらい大きな身体にカーキ色の作業服をいつも着ていた。あの人は道路工事の現場監督で、父の部下だった。葉子が中三、弟が中一の晩秋父は工事現場の事故で死んだ。泣きくずれ、おろおろするばかりの母をよく助け、葉子たちにも力づけてくれたあの人は二年後母と結婚した。生前の父の上司の世話であった。父が大好きだった葉子はあの人を絶対に父親と認めなかった。
(佐藤ゆり「終点」)

話の流れの途中から突如「あの人」が登場する。逆断層みたいな進行なのだが、これが意外とロックしていて私は面白く読みました。同じ逆断層技でも『裏窓』はよくわからん。

 
▼ 帰郷  
  あらや   ..2025/03/20(木) 18:05  No.748
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。ひととき吹き荒れた消費税反対の嵐も、時の流れと共になんとなく静まって、不夜城の林立するススキノは年の瀬を迎えて再び巨大歓楽街の喧騒をきわめている。
 昨夜までのセンチメンタルな思いをふっ切って、今宵、祐子は足どりも軽く、〝お店〟へ向って歩いた。無力な女をこばかにしているようなネオンサインの点滅も、もう気にしない。
(佐藤瑜璃「帰郷」/「人間像」第128号)

 夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 昨夜までのセンチメンタルな思いをふっ切って、今宵、祐子は足どりも軽く、〝お店〟へ向って歩いた。無力な女をこばかにしているようなネオンサインの点滅も、もう気にしない。
(佐藤ゆり「帰郷」/『風の中の羽根のように』所収)

「人間像」にはあった、やや饒舌な部分をばさっと削ぎ落として、全体に筋肉質の『帰郷』になりましたね。私はどちらも好きですよ。単行本の『帰郷』は、北原ミレイの『石狩挽歌』みたいな存在になったと感じました。


▼ 『どっこい函館本線』について   [RES]
  あらや   ..2025/03/16(日) 09:54  No.738
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この記事は小樽のタウン誌「月刊おたる」2000年9月号(通巻435号)に載ったものです。現在、「人間像」同人が書いた作品を探して「月刊おたる」を創刊号から調査しているのですが、その過程で見つけました。
2000年3月の有珠山噴火と山線(函館本線)の関係については「北海道新聞」2024年5月11日後志・小樽欄に載った渡辺真吾さんの記事で初めて知りました。で、いつものようにそのサイトを引用しようとしたのですが…
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1010510/
有料なんだもんな。がっかりだ… 要旨は、この有珠山噴火によって運休状態になった室蘭本線の代替として函館本線が使われたということ。山線なき後は有珠山が噴火しないことを祈るばかりだということでした。
『どっこい函館本線』は当時の様子を詳細に語ってくれます。山線の意味を知らない、東京から来た知事や社長にはぜひ読んでいただきたい。


 
▼ どっこい函館本線  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:01  No.739
   ▼直通列車走る
 虻田町の有珠山噴火は、世紀末の本年のトップニュースになるだろう。残雪があった三月二十七日に火山噴火予知連絡会が噴火警報をだし、住民の避難勧告をしたとき虻田町周辺の住民は長期避難、深刻な被害も覚悟したろう。
 有力な観光地である洞爺湖温泉街では、シーズンにかけての予約が例年通りのところ、よもやの事態に大あわてだったという。ホテルは堅固な建物で頻発した振動は宿泊客に不安を与えるものでなかったというが、二十七日に急転し、震度のレベルが上がって、断層、隆起、地溝発生と目に見えて悪化した。クライマックスの噴火はいつかに、報道の焦点がしぼられ、湖畔に設置したテレビカメラの前でアナは懸命に実況放送を続けていた。
 噴火の第一報は三月三十一日午後一時といわれている。火口は湖畔の温泉街から見て稜線沿いに開いたようだった。いくつもの火口から噴煙が上がり、テレビでも噴石がはじき飛ぶ様が見受けられた。
 しかし七月末には火口周辺以外は避難解除になっているが、この噴火で洞爺湖温泉街の観光客入り込みは莫大な影響を受けた。洞爺湖ばかりでなく小樽も、例年より周遊客が減少し、予想外の成り行きに不安を党えている向きもある。有珠山噴火は洞爺湖ばかりでなく、ただちに道央の小樽にも影響があるのだ。全道的に観光客の入り込みは昨年度までは右肩上がりだったが、本年度は四月期マイナス一○%で、その傾向は続くと思われる。積極的な誘致対策が展開されているが挽回できるだろうか。
 この噴火で国道二三〇号線が地盤隆起でストップとなったが、同時にJR室蘭本線も洞爺―有珠間で線路がS字状にずれて運休となった。列車は翌一日以降は東室蘭―長万部間は全列車が運休し、一部は函館本線に迂回となった。噴火で札幌―小樽―函館を結ぶ函館本線を、二ヵ月ほど直通特急列車が走った。ひさしぶりのことだった。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:07  No.740
   ▼優等列車があった頃
 特急などの列車は鉄道会社では優等列車と呼ぶらしい。函館本線でそうした列車は走っているだろうか。冬季には優美華麗な快速スキー列車が走るが、あれが優等列車なのであろう。
 いささか昔を振り返ると、国鉄当時、函館本線の直通列車にも愛称がつけられたが、鉄道ファンの記憶にある優等列車は急行『まりも』だろう。『まりも』は昭和三十一年(一九五六)秋のダイヤ改正からC62型のSLに牽かれた。C62は東海道線で特急『つばめ』を牽いたことで知られていた。ところが東海道線が全線電化されたので余剰SLとなって、海を渡って北海道に回ってきたのだ。そしてツバメのマークをつけたままさっそく『まりも』を牽いた。
 だがエネルギー革命は着々と進んで、昭和四十二年には函館本線にジーゼル特急『北海』が走るようになり、同六十一年に『北海』は千歳線の『北斗』と併合になって、函館本線から特急はなくなっている。
 この特急開設当時はC62が牽く急行『ニセコ』も走っていたが、季節急行になったり、長万部発の普通列車になったりしているうちに、ばっさりナタを振られて小樽回りの優等列車はなくなってしまった。
 かっては首都札幌と函館を結ぶ大動脈は函館本線だったが、優等列車は消え、その座は千歳・室蘭本線に明け渡した。同線が複線化され輸送力が向上したのに加え、千歳空港という要衝をひかえ、苫小牧、室蘭港の進展もある。
 札幌を中心とする旭川や、太平洋側の苫小牧、室蘭の各般のプロジェクトの発展は戦後の流れで、それに比して小樽から後志にかけては山間、豪雪地をかかえ開発に後れをとっている。人口、産業が伸びていない。だから水が引くように優等列車もなくなってきたのだろう。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:12  No.741
   ▼日は当たったが…
 函館本線が大動脈であった頃は急行、準急の列車を時刻表で何本か数えられた。いまは函館までの直通列車がないので、その日のうちに函館にたどりつくかと思われる時刻表の心細さだ。長万部まで三時間かかる普通列車が日に四本ほどあり、不便な接続で函館まで続いている。時刻表では二五二・五キロの函館までの鉄路を六時間ほどかけて行くことになっているが、接続の待ち時間があるから、もっとかかる。結局千歳回りの特急に乗ることになる。それだけ金もかかる。千歳回りでは札幌から函館まで三一八・七キロを三時間半ほど、小樽からはさらに札幌までの距離三三・八キロと時間三〇分ほどを加え、四時間ほどかかる。小樽から千歳回りは、迂回だが、しぶしぶ利用されている。
 そこへ噴火である。函館行きの特急列車は小樽を回った。といっても四月から六月初めまでの二ヵ月間だったが、忘れられていた函館本線につかの間の日が当たった。単線運行だからスムーズな運行だったとはいえない。待ち合わせ時間があって所要時間は延びた。
 ところが小樽―長万部間の普通列車がバス転換となった。優等列車優先で、普通列車は切り捨てられている。いまの時刻表を見ると、線路は三種になっている。新幹線、幹線、地方線である。函館本線は幹線の表示がしてある。だが幹線を走る列車でも、じゃまになれば切り捨てるのが会社の方針なのだろう。切り捨ててもかまわない列車が走っているのが函館本線で、幹線とは名ばかりだと多くの人は知った。今回はそれがあって、公共の面目が立ったといえる。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:15  No.742
   ▼新幹線で…
 最近は北海道新幹線の話題が盛んである。新幹線は小樽市内を経て札幌に至るとされている。かつて北海道新幹線は、室蘭経由か小樽経由かで揺れた。南北戦争といわれ、路線争奪があったが昭和四十八年九月に北回りが決定している。路線決定とともに新駅の話題もあって、小樽は新小樽駅の誘致を図った。新駅は従来朝里インターチェンジ付近が有望とされている。
 北海道新幹線のルートは青函トンネルから木古内、函館、八雲、長万部、ニセコ、小樽を経るルートになると思われている。それぞれに新駅はできるだろうが、超特急が停まるのは、札幌を出発したあとはせいぜい函館くらいで、その他は急行が停まるくらいだ。
 それでも長万部や八雲では新駅の決定を見越して、一帯活性化のプラン作りをスタートさせているという。気になるのは長万部の進め方で、ここは函館本線と室蘭本線の合流点だ。どうやら新駅と室蘭線の連携を探っているらしいという。では一方の函館本線をどう考えているのだろう。眼中にないのだろうか。ひょっとしたら新幹線の開通で、長万部以北の函館本線は不必要と見られている現れのようで、気味悪さを漂わせている。幹線といいながら、状況で列車を切る扱いなら、新幹線とひきかえにばっさりもありそうなことだ。
 函館本線は噴火でつかの間の日があったが、新幹線導入時でも後志地方の基盤整備に欠かせない線路であることを示す必要があるのではないか。(T)

 
▼ 山線  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:21  No.743
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 父が「本屋」といえば小樽の古本屋だ。私達が住んでいた倶知安の本屋の場合は「文化堂」とか「日進堂」といい、父はわざわざ家人にことわる事もなく散歩の途中で立寄る程度のものだった。汽車に乗ると父は家から持ってきた本をふところから出して読みはじめる。私は久しぶりに汽車に乗った事が楽しくて、窓外の風景を夢中で見つめながら父に「あの木はなんていう木?」とか「あの木に止っている鳥はなんていう鳥?」とか矢つぎ早やにうるさく質問しても、父はその都度目を上げて、やさしい語り口で詳しく教えてくれた。
 父とそうして小樽の古本屋へ行くのが私の大きな楽しみであった。最初は太平洋戦争中で、小学生だった私は私のランドセルにお米を入れたのを背負い駅員やお巡りさんの目をのがれて父に手をひかれ古本屋さんへ行くと、父は何かいかめしい金文字で横文字の皮表紙の本とそのお米を交換したのを今も懐かしく思い出す事がある。ぶ厚いグレーのセーターを着たやせたおじさんが奥の方からその本を新聞紙に包んで重そうに持って来て、チラと中味を見せ父に手渡した。それをまた父は私のランドセルに入れると、おじさんは上りがまちに座布団を敷いてお茶を出し、父と談笑を始める。私は店頭の古い「キンダーブック」とかワラ半紙のような「少女クラブ」などを手あたり次第に読みあさる。私があきた頃におじさんは、当時めづらしかったジャムパンとココアなどを出してくれて引続き父と話しこんだ。
(佐藤瑜璃「港の赤電話」)

北海道の作品にはいつも山線が走っている。


▼ ぼくらのジャングル街   [RES]
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:44  No.733
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札幌芸術の森美術館に行ってきました。家の裏から札幌駅前まで直で行けるバスがあって、よくそれを使います。そのバスの中でいつもは『アイヌ神謡集』を手にしているんだけど、なぜか今回は『ぼくらのジャングル街』なのでした。
ひょんなことから正月にジョン・ロウ・タウンゼンドの『さよなら ジャングル街』を手に入れたんですね。これでタウンゼンドの日本語版の本は全冊集めたと思うんだけど、そしたらタウンゼンド熱が何十年ぶりにぶり返してね、『さよなら――』をいきなり読むなんて無粋なことはできない、ここは正しく『ぼくらの――』から読まなければ駄目じゃないか…となったのでした。

『ぼくらのジャングル街』、良いなあ。今回読んでいて、亀山龍樹訳の言葉の調子がひどく私に合っていることに気づきました。神宮輝夫先生の訳もいいんだけど(『アーノルドのはげしい夏』、何回読み返したことか!)、亀山龍樹の言葉には、自分の子ども時代がこのようなものであったなら…を妄想させる力を感じるのです。うまく言えないけれど…


 
▼ レッスン  
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:53  No.734
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生誕120年ということで今年はいろいろな場面で本郷新に出会えそうです。
https://artpark.or.jp/tenrankai-event/hongoh_love_for_sculptures/
この「入門・本郷新」展は、三月に本郷新彫刻美術館で始まるコレクション展「本郷新 彫刻の設計図 リターンズ」の予告編みたいに感じました。
http://www.hongoshin-smos.jp/d_detail.php?no=197
本当に凄そうですね。今、そのチラシを見ているのですけれど、鹿児島市の『太陽の讃歌』や大阪市の『緑の賛歌』が写っている。遠くて、もう私には無理…と諦めていた作品、もしかしたら見られるかもしれない。あるいは、あまりにも高い場所に設置されていて肉眼ではとても確認できない真駒内公園の『雪華の像』も初めてその姿を間近で確認できるのだろうか。チラシには「なお、本展は2021年に開催し、コロナ禍で中断された展覧会をアップグレードし再現するものです」と書いてある。これは本当に凄そう。

閑話休題。「入門・本郷新」展で『レッスン』を落ち着いて見られたのは本当に良かった。以前、グランドホテルにある『レッスン』をロビーに探したのですが見つからない。なんと『レッスン』は若い外国人団体(修学旅行?)のトランクの山に埋もれていたのでした。以来、いつ行っても人がばたばた居て、写真なんか撮れたもんじゃない。

 
▼ 無辜の民  
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:59  No.735
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「入門・本郷新」展は主にエスキース(本番の彫刻をつくる前の小型の彫刻)を使っての展示だったので、なにか今までには感じなかった本郷新の魅力を感じました。
例えば、この『無辜の民』シリーズ。本物は石狩浜の草茫々の場所に『無辜の民』が横たわっています。人気のない時期に行ったものだから、一人で『無辜の民』に対峙するのはなかなかに怖ろしい体験だったのを思い出します。でも、「入門・本郷新」展は違いますね。エスキースだから、このように四体を並べることによって、なにか本郷新が『無辜の民』を造った新らしい意味が生まれたようにも思う。特にこんな戦争のニュースが毎朝のニュースに平気で流れるような毎日の中ではとても意味深い。
なぜ、本郷新はこのような彫刻を生みだしたのだろう。普通、健康な肉体を表現する具象彫刻の中にあって、人間の死体を彫刻するなどということは極めて異例なことではないだろうか。『レッスン』をつくった作家が、同時に『無辜の民』をつくる作家であることは忘れないようにしたい。

 
▼ 嵐の中の母子像  
  あらや   ..2025/03/04(火) 18:04  No.736
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同じくエスキース。ね、かなり印象がちがうでしょう。

去年の旭川以来、デジカメを手にすることってなかったものだから、芸術の森に着いてからデジカメが電池切れ寸前なのに気がついた。まあ、シャッター音が聞こえるからまだ写るんだろうと撮っていたんだけど、帰って来てパソコンに取り入れたら、ピンボケ写真や暗い画像の写真の山でがっかりです。この『嵐の中の母子像』も、いつもならもうちょっとくっきり写るはずなんだけど… まあ、仕方ないか。電池切れに気づかぬほどほったらかしにしていた私が悪い。

 
▼ さよならジャングル街  
  あらや   ..2025/03/04(火) 18:10  No.737
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いやー、懐かしかったなあ。やっぱり亀山龍樹訳はいい。パソコン仕事に疲れたら、何度でも『ジャングル街』を読み返そう。
亀山龍樹訳のタウンゼンドはもう一冊あって、それは学研のジュニア世界の文学シリーズ『北風の町の娘』なんですが、こっちに行こうか、それとも、ケビンやサンドラたちの前の世代、トニー・ボイドやシェイラが登場する『海賊の島』(こちらは神宮輝夫訳)に行こうか、なかなかに迷うところですね。まあ、こういう経過を辿って、人生何度目かのタウンゼンド詣でが始まるわけです。


▼ シロカニペ 第29号   [RES]
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:14  No.728
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「シロカニペ」の最新号、待ち遠しかったです。これには去年の9月23日「知里幸恵フォーラム」で行われた金田一秀穂氏の講演要約が載っているんですね。
じつは去年の夏頃、この講演に行こうか行くまいか、けっこう悩んだんです。でも、7月に京極町で行った私の講演『湧学館後の日々』が上手く行かなくて(音声不良)、その後、講演内容を人間像ライブラリーに起こすなどの作業に没頭したため登別に行くチャンスを逸したのでした。

 金田一京助の孫というだけで呼ばれましたから、アイヌ語や知里幸恵さんのことはほとんど知らないわけで、アイヌ語やアイヌ文化に関してお役に立つお話はほとんどできません。ですが、僕は普段、大学で日本語学・言語学を教えています。言語学ではバイリンガル(二つの言葉ができる人)について扱うので「バイリンガルとしての知里幸恵さん」というお話ならできそうです。
(金田一秀穂「幸恵の言葉」/要約・山口翔太郎)


 
▼ バイリンガルとは  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:23  No.729
   バイリンガルは、翻訳や通訳が良くできると思われがちです。できる人もいますが、そう簡単ではありません。英語の頭と日本語の頭というふうに、二つの言葉が同時に頭の中にあって、両方を感じ取ってしまいます。そうすると、世の中の見え方が違います。例えば、今朝ホテルでイカそうめんが出ましたが、あれは「イカそうめん」という言葉があるから食べられます。「イカの死骸の肉を細く切ったもの」と言われたら嫌です。
 誰しも、方言と共通語のバイリンガルです。例えば北海道だったら「あずましい」とか言うんですかね。それを共通語で言うとなると困りませんか。まだ共通語ならなんとかなりますが、アイヌ語と日本語のように全く違う言語では、恐ろしく困ったことになります。初めて見たものを、どちらの言語で考えたら良いか悩むことは、とてもつらく苦しい大変な作業です。自分の頭の中が分裂しちゃうわけです。両方をうまく調整できて、矛盾を感じず、悩まない人もいますが、それには、ある種の才能、天才的な賢さが必要です。二つの言語ができるとは、そういうことです。普通はできません。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:28  No.730
   幸恵さんはどうだったかというと、その辺の葛藤や苛立ちをあまり感じさせませんが、弟の真志保さんは、かなりあったのではと想像します。たぶん、真志保さんはアイヌ語を日本語にした時に「そうじゃないよ」と恐ろしく感じる人で、それがつらかったのではと思います。彼は、京助のお弟子さんとして研究を始めます。幸恵さんの弟さんなのでアイヌ語が良くできます。京助の翻訳に「違うよ」と思うことが多かったんでしょう。幸恵さんは素直な人ですから、割りと「そうなんですね」と従っていたと思いますが、真志保さんはそう思えなくて、最終的に京助と喧嘩になってしまいます。京助はすごく寂しい思いをしましたが、真志保さんは正しい判断をしたと僕は思います。

昔から知里真志保の文章が恐ろしく読みにくかったのです。こちらの頭が悪いからなんだと長らく思っていたけれど、この説明でもの凄く救われたような気がする。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:34  No.731
   ところが、幸恵さんの場合は味方がいません。京助の奥さんに連れられて銀座へ行っても.、アイヌ語にその語彙がないから、見聞きしたものをうまく表現できません。日記を読むと、大変だったんだなと感じます。
 逆に、時々入る自然描写には、とても美しい言葉が出てきます。「銀の滴降る降る」という一節が有名ですが、日記でも、雨を「緑の雫、銀の雫」と表現しています。「緑色の朝」という言葉もあります。それらはたぶん、アイヌ語にある言い方を、そのまま日本語に変えられたんでしょう。幸恵さんの日本語が魅力的なのは、母語のアイヌ語が魅力的だからです。

札幌へ用事で行くバスの中では必ず『アイヌ神謡集』を持つようになった。声に出さないが頭の中では、トーロロ ハンロク ハンロク!とか、クツニサ クトンクトンといった音が鳴っている。宮沢賢治以来の面白さだ。最近では日本語の右ページだけでなく、左ページのアイヌ語も読むようになりました。意味はわからないけれど、音が心地よい。

 
▼ 血の通った濃密な気配のユカラ  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:39  No.732
   よく「美しい日本語、正しい日本語は何か」と聞かれますが、正しい日本語なんてないです。あるとすれば、それは心からそう思っている人が発した、本当のことを言っている言葉です。それは相手の心を打ちます。最近はAIが作文しますが、書かれたものを見ると、つまらないです。絶対に間違いも失礼もなく、万事滞りなく、全てに目が行き届き、うまく丸く収まる文章ですが、心に響かない。それは美しくないし、正しくない日本語だと思います。文法的に正しくても、無機的で血の通っていない言葉のような気がします。
 幸恵さんの日本語やアイヌ語には、血が通っています。彼女の中の、おばあちゃんや伯母さんの言葉は、印刷された言葉ではなく、生の声です。声には気配があります。言葉だけでなく、息使いや態度、表情、姿勢で表現される一つ一つが、ユカラ(叙事詩)全体を作っていると思います。

やっぱり行った方がよかったかな。最後の質疑応答で面白いことがあったのでご紹介します。

【質問2】映画『カムイのうた』で、おじいさんの人生が描かれましたが、感想は?
【回答2】自分が出るテレビさえ見ないので、家族の出るものなんか恥ずかしくて一切見ません。怒られている時もあって怖いし。


▼ 人魚姫の町   [RES]
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:29  No.726
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 宏太は去年高校を出て、地元の企業に勤めたものの長続きしなかった。今はコンビニでアルバイト中だ。そのアルバイトもコロナ騒ぎでシフトの変更があった。六月に入った今日から三日間休みになってしまった。
「暇です」
 高校時代の先輩の友田さんに電話したら、
「アネキが男の子を産んだんだ。顔を見てくる。コロナ第二波が来るかもしれないだろ」
と、今から千葉まで車で行くという。
「県をまたいでの移動は、自粛ってことになるとしばらく会えなくなる。行くんなら今だって思ってさ」
 慎重派の友田さんにしてはめずらしいと笑いかけて、去年死んだ父を思った。
(柏葉幸子「人魚姫の町」)

図書館で柏葉さんの新刊(?)を見つけました。久しぶり。東日本大震災から九年、柏葉さんはしっかり今を生きているのだなと深く感じ入った。私も、学校が閉まり、何ヶ月も図書館が使えなかった数年前の日々を絶対に忘れない。忘れないだけではなく、今の生き方に繰り込んで行くつもりです。帯に『岬のマヨイガ』アンサー作品とあった。なるほど、アンサーだ。


 
▼ バチェルダー賞  
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:33  No.727
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同じく帯に「米バチェルダー賞 受賞作家 最新作!」とあって、バチェルダー賞って何だ…と調べてみたら、これでした。

https://www.kodomo.go.jp/info/child/2022/2022-018.html

『帰命寺横町の夏』は、物語といい、表紙といい、イラストといい、活字といい、本当に百点満点の本だと私も思っています。こればかりは、図書館から借りるよりは、谷口ジローの本のようにきちんと買って私の本棚に置きたい。英訳本、見てみたいな。


▼ 毎索   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:13  No.723
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『浮浪の子』を探して、もうずいぶん時が経ってしまった。
沼田流人『浮浪の子』は大正十年八月、東京日日新聞(←毎日新聞の前身)に連載された小説です。現在、国立国会図書館デジタルの『新聞集成大正編年史』の「大正10年」に、その連載第一回を見ることができるのですが、第二回目以降がない。そうなると「毎索」(毎日新聞記事データベース)かなあ…と漠然とは思っていたのです。でも、この歳になると東京って辛いんだよね。スマホがはびこる世界では私は身動きがとれない。
ひょんな事から札幌市図書・情報館で「毎索」を閲覧できることを知り、私は喜び勇んで行ったのが今週です。早速、東京日日の「大正10年8月16日」を開いてみました。おー、8月16日の新聞紙面が目の前にある! でも、私が見たいのはこの面じゃないの。次、次の面とカーソルをあれこれいじってはみるのだが画面は一向に動かない。
で、ようやく気がついたのですが、この時代の毎日新聞は「主要記事見出し」なんですね。つまり、8月16日は、8月16日の主要記事が載っている紙面1枚だけの掲載なのです。他の紙面はないんです。いやー、がっかり。


 
▼ どうしん記事データベース  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:17  No.724
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ちなみに「毎索」では〈沼田流人〉のキーワードでも引いてみましたが、答えは0件でした。北海道新聞の方で〈沼田流人〉を検索すると、見なれた記事の中で1件だけこのような記事を発見。早速、札幌市図書・情報館で『路上』第10号の所蔵館を調べてもらいました。函館市立図書館より道立の方が多く所蔵していたのにはちょっと吃驚。翌日、市立小樽図書館で『路上』第10号を予約し、昨日、館内閲覧してきたところです。

 
▼ 二人の「流人」と有島武郎  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:21  No.725
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倶知安で〈沼田流人〉について知りたい…となると、どいつもこいつも札幌・掘る会の『小説「血の呻き」とタコ部屋』をぶら下げて出てくるので私はウンザリしているのです。もう倶知安は駄目だと私は思ってる。その点、函館には妙な期待があって、いつかは〈松崎天民〉や〈北原洋服店〉の話が飛び出して来るのではないか…と夢想しているのです。当然、北村巌『二人の「流人」と有島武郎』にもそんな期待がありました。

『血の呻き』を手にする前の世界を懐かしく思い出しました。流人については武井静夫『沼田流人伝』からの知識がすべてですね。ただ、「二人の流人」という視点は函館ならではの視点で、特に、大島流人についての解説は丁寧に整理されていて、その上で啄木や有島との接点を説明してあるのでこれは勉強になりました。評論の最後に埴谷雄高を出してきたのも私と気が合いそう。こういう人になら、湧学館・製本教室で作った『血の呻き』を贈りたいと思いました。


▼ たこ部屋ブルース Part 1   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:53  No.718
  「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

連載二回目の中盤にして漸く始まる〈タコ部屋〉話。それまでの野島要三の人生を見てみると極めて異例のタコ部屋親方であることを感じる。こんな親方もいたのね。斎藤昭と同じく、朽木さんが書いたら、それは小説の中の「事実」なんです。


 
▼ たこ部屋ブルース Part 2  
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:57  No.719
   こうして現場についた土方を働かせるのだが、ただやみくもにやれっ、やれっ、と頭ごなしの命令をしたってだめだ。だから、
「おまえはここからここまでの仕事だ」
 と一人々々にわりふってやって責任を持たせる。そしてノルマを果たしたやつは、たとえ三時が二時になっても部屋に帰って寝転んでいてかまわないという仕組みでした。だから腕のいいやつ、やる気のあるまじめなやつは楽ができる。
 それとは逆にぐずぐずして割り当てた分を果たせないやつは、夜中までかかっても提灯をつけてやらせる。これが土方をサボらせずに使うやりかただが、誰だって夜業はつらいし、暑いとき、寒いとき、少しでも早く部屋に帰って楽をしたい。その一心でがんばるので、期日までに工事が完了するということになる。
 よく話に聞くんだけど、土方の尻をひっぱたいて酷使するという、そんなやりかたをする親方は下の下で、土方をやたらコキ使って疲れさせるとかえって能率はおちる。だからといって、大事にしてやったつもりが逆になめられて裏目に出てはなんにもならない。そこらがむつかしいんだが、とにかく土方から信用され、慕われて、自発的にやる気をおこさせるのが腕のいい親方なんだ。皆がこのおやじさんのためならばと精を出して働き、その結果たとえ一日でも早く期限内に工事が終われば、これは親方の大きなもうけになります。
(同書)

ここまで冷静に土方労働を語られると、一体あれは何だったんだ…という気にもなる。例えば、羽志主水(はし・もんど)。

 
▼ 監獄部屋  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:00  No.720
   今は大正の聖代に、ここ北海道は北見の一角×××川の上流に水力電気の土木工事場とは表向き、監獄部屋の通称が数倍判りいい、この世からの地獄だ。
 ここに居る自分と同じ運命の人間は、かれこれ三千人と云う話だが、内容は絶えず替っている。仕事の適否とか、労働時間とか、栄養とか、休養とかは全然無視し、無理往生の過激の労働で、人間の労力を出来るだけ多量に、出来るだけ短時間に搾り取る。搾り取られた人間の粕はバタバタ死んで行くと、一方から新しく誘拐されて、タコ誘拐者に引率されてゾロゾロやって来る。
 三千人の内には、自己の暗い過去の影から逐われて自棄で飛込んで来るのもあるが、多くは学生、店員、職工の中途半端の者や、地方の都会農村から成功を夢みて漫然と大都会へ迷い出た者が、大部分だから、頭は相応に進んでいて、理屈は判っていても、土木工事の荒仕事には不向だ。そこへ圧搾機械のような方法で搾られるんでは、到底耐ったものでない。朝、東の白むのが酷使の幕明で、休息時間は碌になく、ヘトヘトになって一寸でも手を緩めようものなら、午頭馬頭の苛責の鉄棒が用捨なく見舞う。夕方やっと辿り着く宿舎は、束縛の点では監獄と伯仲でも、秩序や清潔の点では到底較べものでない。監獄部屋の名称は、刑務所の方で願下げを頼み込むに相違ない。
 搾り粕の人間の窶れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば国葬格だ。まだ搾り切れずに幾分の生気を剰して居る人間は、苦し紛れに反抗もする、九死に一生を求めて逃亡も企る。しかもその結果はいつも、判で捺したように、唯一の「死」。その死の形式は、斬殺、刺殺、銃殺はむしろお情けの方で、時には鬱憤晴し、時には衆人への見せしめに、圧殺、撲殺、一寸試しや焚殺も行われる。徒党を組んだ失敗者は時に一緒に十五、六人鏖殺されたこともある。
(羽志主水「監獄部屋」)

ひどくステレオタイプ化された〈タコ部屋〉。沼田流人などに「事実」を学習した東京のインテリたち。

 
▼ 人を殺す犬  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:04  No.721
  それは例えば小林多喜二。

「集まったか?」大将がきいた。
「全部だなあ?」そう棒頭が皆に言うと、
「全部です」と、大将に答えた。
「よオし、初めるぞ。さあ皆んな見てろ、どんなことになるか!」
 親分は浴衣の裾をまくり上げると源吉を蹴った。「立て!」
 逃亡者はヨロヨロに立ち上った。
「立てるか、ウム?」そう言って、いきなり横ッ面を拳固でなぐりつけた。逃亡者はまるで芝居の型そっくりにフラフラッとした。頭がガックリ前にさがった。そして唾をはいた。血が口から流れてきた。彼は二、三度血の唾をはいた。
「ばか、見ろいッ!」
 親分の胸がハダけて、胸毛がでた。それから棒頭に
「やるんだぜ!」と合図をした。
 一人が逃亡者のロープを解いてやった。すると棒頭がその大人の背ほどもある土佐犬を源吉の方へむけた。犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢が見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。
「そらッ!」と言った。
 棒頭が土佐犬を離した。
(小林多喜二「人を殺す犬」)

『たこ部屋ブルース』は流人文学の魅力を思わぬ角度から照射してくれたことで私には忘れられない体験でした。羽志主水や小林多喜二の作品にこんな感情を持ったことはなかったです。

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:07  No.722
  沼田流人が描く〈タコ部屋〉はもっと幻想的なものなんだ。

「どうした。藤田……」
 年老った、灰色の髭を生した監視者が、彼の肩を叩いて言った。
「頭が、痛い……。俺を、こうして置いてくれ」
 明三は、悩ましげに言った。
「お前は、……。ほら、あの病室だぜ……」
 老監視者は、なだめるように言った。
「うむ、その病室へ、入れてくれ……」
  (中略)
 明三は、そっとマッチを擦って、点火した。黄色っぽい弱々しい灯光は、暗い坑の中を溜息のように慄えながら、少しの間照した。
 それは、まるで穽のように深く遙かの上に、鉄板で覆われた室の壁が見えた。地面から底は、唯深い土の坑であった。明三が踏みつけたのは、恐ろしく腫れあがった人間の屍であった。しかも、その坑の底には、向うの隅の方に重なり合った二個の屍体があった。
 明三は、も一度マッチを擦って、屍骸の顔を覗き込んだ。それは、あの足に釘の刺った眼鏡をかけた若い男で、全身が暗紫色に腫れ上ってその足は、腐った柘榴のようになっていた。齦に膠着した唇の間から、気味悪く白い歯が光り、腫れ上った瞼の間から、灰色の、死にきれないような恐ろしい眼が、暗がりを見ていた。
(沼田流人「血の呻き」/二二章)


▼ 時を追う者   [RES]
  あらや   ..2024/09/18(水) 11:15  No.710
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「事情はよく知りません」
「GHQは解明した。やはり誰が企画し、誰が実行したか。その個人名、密謀が計画された日時、場所がほぼわかっている」
「さっき先生が、謀略の阻止、関係者の排除で戦争は回避できる、とおっしゃったのは、その謀略を事前につぶすか、関係者を物理的に遠ざけてしまうということですね?」
 排除という言葉が、暗殺を意味するだろうとはもう想像がついている。でも、ここではまだ、そう直截には言いたくなかった。
「そのとおりだ」守屋がうなずいた。「もちろん、この破局、この破滅に直接つながる歴史的事件はほかにもいくつか数えられる。でも、わたしたちがいま行って修正が可能な過去は、話したようにいまから二十年前ほどの過去だ」
 和久田が言った。
「二十一年プラスマイナス二年の誤差、とわたしは計算する」
(佐々木譲「時を追う者」)

昨夜から読み始めたのですけれど、その「歴史的事件」が起こったのが、今日、9月18日だったんですね。

 満州事変は、張作霖爆殺事件の三年後、一九三一年、昭和六年に起こった。張作霖爆殺事件の現場にも近い柳条湖で南満州鉄道の線路か爆破され、関東軍はこれを張作霖の息子・張学良の仕業として軍事行動を起こし、満州南半分を占領した。日本陸軍中央と政府もこれを追認した。日本政府は当初、不拡大、を唱えていたが、関東軍は翌年春までには北部満州までを占領している。
(同書)

これも何かの縁なのか。今、「人間像」第126号作業が終わり、第127号に手をかける直前のぶらぶらした数日です。ぱっと読んでしまおう。


 
▼ 倶知安町百年史  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:36  No.711
  『時を追う者』、良かった! 最近は本を出す毎に鋭く凄くなって行くような印象ですね。著作権の関係で人間像ライブラリーに挙げることはできないだろうけれど、私はいつも佐々木譲を山麓文学の巨峰だと思っていますよ。

なかなか紹介するチャンスがなかったのですけど、いい機会だから、ここで『倶知安町百年史』の〈佐々木譲〉を全文引用しておきたいと思います。使うのは『倶知安町百年史』の下巻。「第三章 倶知安文化史/第三節 詩・創作活動の歩み/三 昭和から平成へ」と来て、その「(4)推理小説と倶知安」、1123ページからです。執筆は武井静夫さん。

 
▼ 犬どもの栄光  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:39  No.712
   佐々木譲『犬どもの栄光』
 佐々木譲が倶知安町字比羅夫に移り住んで、作家活動を始めたのは、昭和六三年一月であった。
 この前年、佐々木は寒別を舞台に、『犬どもの栄光』(昭和62・8・25)を集英社から出版した。警察庁の幹部の家を爆破したという容疑者の逮捕に協力した元機動隊員が、無実となったそのグループからわけもなく追われ、警察からも見放された中、強靱な肉体と不屈の意志で生き抜いていく物語である。その主人公を命がけで守り抜こうとする元警官、寒別の澱粉工場跡で出会い、その男のなぞを迫っているうち、魅かれていく女性翻訳者らをからめて、舞台は寒別から、赤井川村の近くのログハウスへと展開する。もはや警察と過激派という図式は過去のものとなり、復讐に燃える男と、理由なき復讐に刃向かう男とのあくなき戦いが続く。やがて復讐者の最後の一人が捕われるが、主人公は殺すことができない。その男は逮捕にきた機動隊に向かって歩んで行き、撃たれて倒れるというのである。
 そこでは、しきたりやきまりや道徳が無視されている。己一人を信じて生き抜いていこうとする骨太な人間があるだけである。そんな裸の人間の行動に、かえってヒューマニティな共感が生まれるのである。
 佐々木の描く主人公は、やがて舞台を世界へと広げていく。

なぜ武井さんは無粋な要約をするのかな? 読者には迷惑。著者には無礼。

 
▼ ニセコ山麓日記  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:42  No.713
   「ニセコ山麓日記」
 佐々木譲(ささき・じょう、本名ゆずる)は、昭和二五年三月一六日、夕張市で生まれた。札幌月寒高校を卒業して立正大学に進むが中退、本田技研に勤務してのちフリーライターになった。昭和五四年一二月「鉄騎兵、跳んだ」で、第五五回オール読物新人賞を受賞、文壇にデビューした。
 比羅夫に自宅を持った佐々木は、東京と北海道とを往復して創作を続ける。比羅夫の家には、ワープロと資料類を置き、両親も呼んだ。この家のワープロから叩き出された『エトロフ発緊急電』(平成元・10・25)は、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、山本周五郎賞を受賞した。
 主な著書に、『仮借なき明日』、『ベルリン飛行指令』、『夜を急ぐ者よ』、『五稜郭残党伝』などがあり、倶知安にかかわるエッセイに、「帰郷の記」(昭和63・4・9、北海道新聞)、「ニセコ山麓日記」(平成2・7、小説新潮)がある。

ちなみに『倶知安町百年史』下巻の発行年は平成7年(1995年)5月です。

 
▼ 飢餓海峡  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:45  No.714
  「(4)推理小説と倶知安」の引用、続けます。また要約してる。『飢餓海峡』の愛読者(私です!)がこの要約を見たら、どんな気持がすると思う?

 水上勉『飢餓海峡』
 昭和二九年九月二六日、台風一五号は、函館に洞爺丸を沈めて北上し、岩内の中心街を焼き尽した。
 その七年後、水上勉が文芸春秋社の講演会で岩内を訪れ、雷電温泉に泊った。水上は荒々しい雷電の海を見ながら、岩内の町を焼いた男を思いつく。作品は、二九年を二二年とし、岩内を岩幌、洞爺丸を層雲丸とした。失火は放火にし、犯人に犬飼多吉を登場させた。『飢餓海峡』(昭和38・9・15)である。
 殺人強盗をし、岩幌を焼き、仲間まで殺して逃げた凶悪犯犬飼は、樽見京一郎の名で、舞鶴市の食品会社社長になっている。その名士の仮面をあばいたのが、杉沢八重の清純な善意であった。しかし、その裏づけには、樽見の青年期の足どりが必要であった。味村警部補は、その確認のために倶知安を訪ねた。
「倶知安へは、夜なかについた。昼ならば、南の方の澄み切った空に蝦夷富士といわれる羊蹄山の容姿が眺められるはずだったが、夜なので山は黒い姿を鼡いろの空にみせているだけであった。」
 味村は樽見が寒別にいたことを確かめて、事件は解決に向かった。
 ここでも寒別が、その舞台となっている。

 
▼ 有島青少年文芸賞  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:48  No.715
   ミステリーの研究
 昭和六二年の第三五回有島青少年文芸賞の佳作に、倶知安高校二年の中尾律人が入選した。それまでも、有島青少年文芸賞には、倶知安から次の人たちが入選していた。
  第二回 佳作 屋口正純(供中三年)
  第三回 佳作 屋口正純(供高一年)
  第五回 佳作 稀代由起子(供高三年)
  第一〇回 佳作 堀佳美(供高一年)
  第二二回 優秀賞 山根美由紀(東陵中二年)
  第二三回 優秀賞 山根美由紀(東陵中三年)
 中尾は立教大学に進むと、ミステリー研究会に入った。千街昌之の名で、「世界との総力戦」を『立教ミステリー』に発表、竹本健治の世界を論評した。次いで平成六年二月には、角川文庫として出版された、竹本健治の『将棋殺人事件』の解説を担当した。
 千街(中尾)は、自らもミステリーに挑む夢を持ち続けている。

人間像ライブラリーはなぜ〈有島武郎〉を扱わないのか?と、過去に二、三度聞かれたことがあります。それは、ライブラリーの作家たちで有島の作品に触発されてものを書き始めた人がいないから。有島青少年文芸賞を踏台にしてのし上がっていった作家なら知ってるけれど、それは私の仕事ではないし。

 
▼ ニセコ要塞  
  あらや   ..2024/09/22(日) 14:51  No.716
   SFの舞台
 SF(空想科学小説)の舞台としては、ニセコが登場する。札幌在住の作家荒巻義雄は、昭和六一年八月、中央公論社から『ニセコ要塞1986 1』を発刊する。米ソ対立の冷戦構造を下敷きに、パソコングームの手法を用いた戦争空想小説である。
 ニセコ要塞は、ニセコ連峰に造られた山岳要塞で、ニセコ航空団、稜線砲兵連隊、歩兵部隊が置かれている。東には羊蹄山要塞、北には積丹要塞があり、倶知安に第一五歩兵師団の駐屯地があるという設定で、北海道侵略軍との戦闘が開始される。
 それは、戦争を人道の問題としてとり上げるのではなく、ゲームの展開と見て、そこからもたらされる大量な殺りくを、もしかしたらありうる可能性としてとらえて、平和とは何かを考えさせる作品となっている。『ニセコ要塞1986』は3まで続いて、『十和田要塞1991』に続いている。
 ほかにも、トラベル・ミステリーに倶知安とニセコが出ている。西村京太郎『「C62ニセコ」殺人事件』(光文社)と斎藤栄『ニセコ積丹殺人旅行』(徳間書店)とである。

 ノンフィクション
 ノンフィクションには、昭和一八年三月六日、二〇八名の犠牲者を出した布袋座(北二条西二丁目)の火災をあつかった、水根義雄の『二百八名の命を呑込んだ劇場火災』(平成3・7)がある。

「(4)推理小説と倶知安」の全文、引用してしまいました。武井さんの文章読んでいたら、『時を追う者』の感動がすっかり失せてしまった。凄い効果だ。つべこべ言ってないで、「人間像」第127号作業に行けってことなのかな。

 
▼ 千街晶之  
  あらや   ..2024/10/08(火) 14:33  No.717
  有島青少年文芸賞のスレッドで〈千街昌之〉とあったのは間違い。〈千街晶之〉が正しいそうです。私の書き写し間違いかとも思って『倶知安町百年史』をもう一度確認しましたが、どうやら武井さんの間違いのようですね。『倶知安町百年史』も〈千街昌之〉になっていました。


▼ 少年マタギと名犬タケル   [RES]
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:38  No.708
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 ながーい昭和が、やっと終わった。六十二年間のうち、戦争に明け暮れたのは四分の一くらいだったが、まるまる昭和を生きて来た者にとっては、半分くらい、いや、それより長い期間だったような気がする戦争だった。
(「人間像」第121号/編集後記)

現在、「人間像」の復刻は全190号の内、「125号」を進行中です。同人も一斉に定年退職期に入り、執筆にかける時間も増えてきました。時代も昭和から平成に入り、なにかと自らの「昭和」を考える作品が増えてきているように感じます。村上英治『いつかの少年』(124号)を読んだ時は、なんときっちりしたヤングアダルト文学!と感心したものです。

そしてついに児童書として出版されるようなケースも出てきました。朽木寒三『少年マタギと名犬タケル』(ポプラ社,1987)、『釧路湿原』(理論社,1991)は、「人間像」に発表された〈斎藤昭もの〉をベースに書き下ろされたものです。結構なお値段だったけれど、こればかりは図書館で済ませたくなく(私は斎藤昭ファンクラブなので)古書店で買いました。『少年マタギ――』は子どもに親切すぎる気がした。子どもは頑張って、大人のために書かれた小説だけど『縁の下の砦』(121号)を読んでみるといいよ。絶対面白いから。


 
▼ 釧路湿原  
  あらや   ..2024/07/10(水) 17:40  No.709
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 まれに見る劇的かつ感動的なこの物語は、昭和二十五年七月の末、本篇の主人公・斎藤昭(当時まだ十六歳になってわずか二ヵ月の少年だった)が、東京浅草の隅田公園で、風にあおられて足もとに舞い落ちた一枚の古新聞をなにげなく手にとったことから始まる。
 二匹の白犬を朝の運動に連れて来ていた斎藤昭は、解き放った犬たちが遊んでいる間、かたわらのベンチに腰をかけて、その古新聞をひろげた。そして、ふと目にうつったのが、

  《夏の風物詩》
  北海道大楽毛の馬市
    いよいよ明後日から開催

 (中略)

「あっ、これが釧路馬なのか」
「おれどうしよう。こんなことしちゃいられね」
 さっと全身の血がひく。
(朽木寒三「釧路湿原」)

7/20の講演を控えて、資料作りであまり落ち着いた状態ではない中での読書でした。講演が終わったら、『少年マタギ』ともども、また読み直そう。今、作業中の「人間像」第125号に面白い記事が。

☆朽木寒三が理論社から出版した『釧路湿原』が重版になると共に北海道の教育選定図書になった。中学生向けという事だが一冊でも沢山売れてほしいものだ。それにしても今の中学生が「選定図書」なんて読んでくれるかな、とちょっと心配になる。同社から「窓の下の犬」の出版の申し込みも来ている。
(同人消息)



 


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