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 NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>引用
      2024/03/17(日) 09:24  No.6978
 
 
おとみ山の急逝にさいし、この掲示板にもお悔やみを多くいただきました。私からも御礼申し上げます。おとみ山のご子息と連絡がつき、ご葬儀は、ご兄弟に高齢者が多いため、身内で済ませるとのことです。

当初、私のところには温泉施設で転んでという情報が伝わってきたのですが、浴槽内でなんらかの発作が起こってというのが事実だそうです。大好きな温泉に浸かりながらとは、なんともすばらしい昇天ではないかと、実のところ私はおとみ山を囲んでお祝いの会をしてあげたいと思っているのに、肝心のご本人が出席できないのがもどかしいばかりです。

計画していた、4月のNEO-OSSOの旅を、これはキャンセルかなと最初は思ったのですが、卒寿の前祝という趣旨はなくなったものの、行くのは岐阜だし、おとみ山を偲ぶ旅とすればいいことだと考えなおしました。

去年の恵那の旅では、おとみ山が疎開していたとき遊んだという裏山を歩くつもりが、大雨で岩村城址へと転進しました。そこで、その計画を復活させることにしました。

裏山の南側は今では東濃牧場となっていて、その牧場から、おとみ山が遊びまわった、馬禿という、恵那市街が見渡せる(見渡せた?)ところまで歩いてみようと考えています。山歩きというよりは牧場歩きとなるでしょう。牧場からは恵那山や御嶽山の眺めがいいらしいです。ホテルは関にとってありますから、それはそのまま、あとの計画はこれから練るつもりです。

おとみ山とは当日現地にて合流する予定になっています。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山の絵描き     >>
        2024/03/17(日) 10:59  No.6979
 
 
富田さんの訃報を知った時には信じられない…と言う思いでしたが、長沢さんの書いているのを読んでいれば、もしかして本当にそうだったのかもしれない、と思えてきます。

ご冥福をお祈るするばかりですが、サバサバした長沢さんの文章を繰り返し読めば、また何とも言えずにホロリとした気分になってしまいます。

昨年の恵那の旅でもご一緒しました。あれは本当にいい旅でした。
雨でもなんでも、おとみさんの故郷をみんなで訪ねる機会を持てたのです。

まだNEO-OSSOに空きがありましたら、改めて申し込みします。



 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>
        2024/03/17(日) 11:26  No.6980
 
 
ちょうどよかった。

おとみ山とは現地で合流となったので、席がひとつ空いたのです。旅は道連れ、一緒の車で行けばいいじゃないですか、と言ったのですが、そんなまだるっこしい方法は、もう必要ないんですと。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>
        2024/04/05(金) 08:57  No.7006
 
 
NEO-OSSOの計画をこの1月の末に掲示板に書いた。その一連を今一度並べてみよう。

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1月27日 私の投稿 

木曜山行の一環で、おととしの5月、おとみ山と神戸N女史の米寿記念登山をした。そのとき、もう卒寿まで間もないと話題にしたのが早くもその年がやってきて、またお祝いができるのはうれしいことである。

そのときは山梨市の八幡山を歩いたが、九十なら「九重」もしくは「久住」か、といったん私は口走って、皆がその気になりかけたので、慌てて取り消したものである。とても九州までは出かけられないし、九重ならツアーにでも参加すればいつでも行ける。木曜山行ならではの、絶対にそんなことがなければ行かないところというのが望ましい。

そこで、なにか代案はないものかと考え、岐阜県本巣市根尾に「越卒(おっそ)」という地名があるのを発見した。「卒を越える」とはなんともおあつらえ向きの地名ではないですか。調べたら、その集落には「九社神社」なんてのもあって、偶然にしてもよくできている。名付けて「NEO-OSSO」計画。語呂もいい。

どうせ山国なことだもの、若い集まりならその集落の裏山にでも無理やり登るが、さすがにそれは危険だと、本巣市の中心地にある文殊の森を歩くことにする。文殊とはこれまた名前がいいじゃないですか。

宿は関市のビジネスホテルにとって、1日は刃物の町の見学とするか、天候のこともあるので、そのあたりは流動的です。

4月3、4日(水・木)で出かけます。計画前段階ですでに参加が決まっている人があるので、残り若干名です。

おとみ山の投稿

長生きをすると、色々ご迷惑をおかけするものですね。でも、それを遊びのネタに生かす山旅師匠の眼力・企画力は流石と唸ります。
NEO-OSSO のタイトルも秀逸。越卒・九社神社・文殊の森……と、良くも揃ったものですね。楽しみと期待は膨らみます。

卒寿予備軍の皆さん、日本刀やペティナイフを仕入れるチャンスがあるかも知れず、古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿から超大台への、長くて短い道のりのワンステップを、共に楽しみましょう。

裏の隠居Iさんの投稿

おとみ山卒寿祝い山行参加希望。

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さて、その当日がやってきた。ところが前日、NEO-OSSO計画の、もう一人の主役だった神戸のNさんに支障が出て来られなくなってしまった。しかも天気予報は2日間とも雨。しかしもう出かけるしかない。

出しなには降っていなかったが、西に向かえば雨の中に突っ込んでいくことになる。名古屋組との待ち合わせ、恵那駅に着くころにはかなりの雨脚となっていた。

しかし、名古屋組から聞いたのは、翌日にはすっかり雨が上がるとの新しい天気予報で、うれしいことに低気圧が予想より早く行き過ぎるらしい。

ならばと、おとみ山疎開先の裏山歩きは翌日にまわし、初日は、宿をとった関市の観光に振り替えることにした。

そもそも、根尾越卒に行くために、地理的な位置と、安い宿があるというだけの理由で選んだ関市だったのだが、N女史が来られなくなって、根尾越卒行きがなくなったのでは、関市を観光するしかない。しかし、これが因縁めいていた。

裏のご隠居Iさんの学生時代の後輩が『大野ナイフ株式会社』http://1.onoknife.com/top/という、関市にある有名な高級刃物会社の社長で、連絡を取ったら社内を見学させてくれるというのである。

そして、おとみ山が亡くなった日、私たちが訪れていたのは木喰上人の里だった。この木喰上人とよく並び称されるのが円空上人で、それは、作風や時期は違うとはいえ、同じく江戸時代に諸国をまわって木彫仏を多数残したという理由による。その円空上人が晩年を過ごし、入定したのが関だったのである。その縁で市内に円空の記念館がふたつある。そんなこともまったく知らずにいたのだった。

円空が中興の祖となった弥勒寺の境内跡の一角に関市円空館がある。午前中はそこを見学し、そして午後に訪れた『大野ナイフ』では、社長みずから広い工場の隅々まで案内してくださるなど、恐縮するばかりの歓待を受けた。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>
        2024/04/05(金) 09:18  No.7007
 
 
『大野ナイフ』を辞したあとは、市内の刃物がらみの施設を見学した。『せきてらす』という、市内中の刃物メーカーの製品を集めた施設があって、私は記念に包丁を一丁買おうと思っていたのだが、おりしもドイツ人の団体で混み合っていたし、とにかく包丁が多すぎて、どれを選んだものか迷うばかりで買うのをあきらめた。夜はホテル内のレストランで、おとみ山を偲ぶ会食をし、関の夜は更けていった。

明けて、すっかり雨が上がっていた。予定どおり、東濃牧場から、おとみ山の疎開先の裏山(おとみ山はソンデ山といっていた)へ向かう。雨上がりの晴天とまではいかなかったが、春の風が心地よい。

地形図に「馬禿」という地名があって、おとみ山はそのあたりまで登って遊んでいたと聞いた。そこからは、去年登った笠置山が眺められたし、下にはおとみ山が疎開していた集落が見えた。たまたま車で登ってきた土地の人の話では、馬禿という斜面には、かつて木がなくて、下から駒形の砂礫地が見えたのでそう呼ばれたのだという。子供たちがその斜面を滑って遊んだとか。

すぐそばに「鍋山メンヒル」という立石がある。麓から、そこ経て馬禿に通じる道があったのだろう。きっと、おとみ山も目にしていたのではなかろうかと、岩の上に、去年の恵那での写真を置いた。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..名古屋のN     >>
        2024/04/05(金) 09:22  No.7008
 
 
お早うございます。早速の投稿、報告、ありがとうございます。

個人的にも、20年以上にわたる、おとみ山を巡る交友を振り返り「追悼」する良い旅になりました。

関の宿の夕食の場や、彼が疎開先での4年間、遊び回った馬禿(うまはげ、と呼ばれた駒形)のある山の上での昼食の場にも、おとみ山が「参加」してくれました。

特に、お昼の馬禿に、地元の家族連れの方が車で登ってきて話すうちに、馬禿のことや「ヘボ採り」にも詳しい、長島(おさしま)小学校にも通った年配の方。おとみ山が引き合わせてくれた‥‥という感慨もありました。

木喰上人との巡り合わせも、関鍛治にも由来する「大野ナイフ」さんとの出会い、またまた行ってしまった岩村城との因縁も‥‥不思議でした。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>
        2024/04/05(金) 09:26  No.7009
 
 
「馬禿」からは、去年おとみ山と登った笠置山が眺められ、眼下には、疎開先の集落が見えた。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山旅     >>
        2024/04/05(金) 10:01  No.7010
 
 
八ヶ岳に帰ってきて、トドメとばかりに、おとみ山の大好きだったギネスが飲めるパブに有志で繰り出しました。おとみ山、おかげ様でたくさん遊ばせてもらいましたよ、ありがとう。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..山の絵描き     >>
        2024/04/05(金) 11:55  No.7011
 
 
今回の旅に参加できて、本当によかったです。関市では裏のご隠居Iさんのおかげで、経験できないような刃物の世界を垣間見ることができ、円空の施設も見応え充分でした。

翌日の富田さんの疎開先を見下ろす東濃牧場内では「木曜山行」恒例?の、おそらく富田さんが一番多く経験したであろうヤブ道突破・急降下を経て、馬禿に辿り着きました。みんながアタフタしながら下っている姿を、あのよく通る声でアハハ!と笑ってらしたんじゃないでしょうか。

山旅師匠の背中(ザック)には富田さんのにこやかなお顔が背負われていたし、食事も、また最後にはギネスビールまでご一緒でき、皆さんと共に思い出に浸れた二日間でした。

 Re:NEO-OSSOの旅 改め おとみ山を偲ぶ旅    ..やまんば     >>
        2024/04/05(金) 14:27  No.7012
 
 
今回の旅に参加できたことには、感謝しかありません。ずう〜っとおとみ山の存在を感じている二日間でした。何にでも好奇心旺盛な生き方に学ぶ事も多く、目標にしていた方でした。円空さん、ナイフ工場、馬禿〜メンヒルの石。おとみ山の感想を現地で聞きたかった。

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