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 富田さんを送る会    ..山旅     >>引用
      2024/04/24(水) 16:25  No.7020
 
 
今日、スパティオ小淵沢で、富田さんを送る会があった。各方面から多士済々が集まって、故人の遺徳を偲んだ。90歳にもなろうという人が亡くなって、これだけの盛大な会が催されるなんて、まずないことであろう。

付き合いと興味がおそろしく多方面に渡っていたなか、山部門を担当していたようになっていた私にも弔辞をというので、原稿を書いていった。以下がそれである。

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皆さんこんにちは。長沢洋と申します。大泉町でロッジ山旅という宿を経営しております。木曜山行という、文字通り木曜日に山歩きをしようという企画を始めて20年以上になります。

富田さんは、その初期からのご常連で、しかも断トツのご常連でした。

富田さんの定年後のご活躍ぶりは、ご自分が書いた記録を僕がもらったものをコピーして皆さんに配ってもらいました。これを見て、富田さんの山以外での活動を僕は具体的に知ったわけですが、僕なんかは富田さんの山部門だけの知り合いだったんだなあということがよくわかります。したがって、ここにお集まりの皆さんとも初対面という方が多いのです。

雨の日には山に行きませんから、木曜日に雨のときには金曜日に順延なんてこともよくあるんですが、富田さんの場合、まずそうなると参加できないという返事でした。もう、他の予定が入っているからです。要するに、もう、曜日曜日、または数週間後まで、遊びその他の予定がきっちり入っていたんですね。興味の分野がおそろしく多岐にわたっていました。僕は、予定をつくることが嫌いな人間なので、これは驚異です。

このコピーは2年前にまとめられた記録ですが、その時点ですでに木曜山行への参加が660回を越えています。残りを僕が数えてみたら、全部で726回となりました。これは木曜山行だけの参加数で、僕とは、それ以外でも山に出かけたことも多かったし、またその間、僕以外の仲間と出かけた、海外のトレッキングを含めた山歩きを足したら、さらに回数は増えます。800回なんて軽く超えるのではないでしょうか。

僕との山歩きが始まったのが富田さんがすでに古稀だったことを思うと、70歳から90歳に近くなるまでの20年間に800回なんていう山行回数はほとんど空前絶後ではないかと思うんです。僕はまだ古稀にはなりませんが、これからの人生で自分が800回も山に出かけることなんて想像もできません。

つい3週間前の4月の初め、富田さんと、もうひとりの山仲間が今年卒寿だっていうので、その前祝をしようと岐阜県のとある場所に旅をするつもりで宿もとって、あとは出かけるだけになっていたんです。このおふたりの米寿のお祝いを2年前にしたので、その流れです。

ところが直前になっての富田さんの訃報で、これは中止にせざるを得ないと思いました。でも、すぐに考えなおしました。だって、突然の離別だからショックではあったけれども、よくよく考えればこれはお祝いすべきことだと思ったんです。参加者はいずれも富田さんと親しい人だけだし、卒寿の前祝転じて偲ぶ旅にしてしまえばいいじゃないかと。

ちょうど1年前、富田さんが小学校から中学校にかけて疎開していた岐阜県恵那市の山を歩こうと泊りがけで出かけました。初日には、笠置山という、恵那市街地からもひときわ目立つ山に登りました。翌日は大雨で、富田さんが子供のころ、山菜やキノコを探して駆け回ったという、疎開先の裏山を歩くつもりでいたのは中止にしたんです。そこで、どうせ岐阜に宿もとってあるのだから、その山歩きを復活させればいいじゃないかと考えたんです。

その疎開先の裏山には馬禿という、今の地形図にも載っている場所があって、つまり、馬の形に山肌が露出した場所なんですね。今では木が茂って下からはよくわかりませんが、そこに行ってみたわけです。

行ってみたら、今でもまずまず視界が開けていて、正面には、昨年富田さんと登った笠置山が見えました。そして眼下には富田さんの疎開先の集落も見えました。

うーん、なるほどなあ、このシチュエーションは出来過ぎではないかと思いました。要するに、富田さんは、自分を偲ぶ旅を生前にすでに用意していたことになるんですね。してやられたと思いましたよ。まあでも、富田さんを偲ぶ旅ですもの、僕たちもにぎやかに楽しませてもらいました。きっと空の上から、俺をダシに楽しみやがってと見ていたでしょうから、ま、おあいこ様ですね。

 Re:富田さんを送る会    ..鉄人M     >>
        2024/04/24(水) 22:05  No.7021
 
 
晴天とはならず、一面の白き山霧に覆われた八ヶ岳南麓で催行された「送る会」に、女房ともども参加させていただきました。
(残念ながら、八ッの山容を望むことは叶いませんでした)

山旅さんをはじめとして、すがぬまさん、やまんばさん、俵さん、塩山のFさん、そしてSさん…
木曜山行ご常連の懐かしきみなさま方とともに、富田さんとの思い出を存分に語り合うことが出来た素晴らしいひとときを、今改めて反芻しております。

多趣味だった富田さんがお付合いされていた、各方面の分野からお集まりいただいた方からの弔辞は、山旅さんを含め、心にジ〜ンと染み渡りました。

さらに、劉薇(Liu Wei)さんが奏でてくださったたソロのヴァイオリン…
まさしく、富田さんへの鎮魂曲になったと信じて疑いません。

東都の陋巷に住む我が身としては、四十九日法要ののちに、是非とも元麻布の墓所に富田さんを詣でたい…との思いを新たにした次第です。

富田さん、ありがとうございました。
合掌。

 Re:富田さんを送る会    ..鉄人M     >>
        2024/04/24(水) 22:11  No.7022
 
 
劉薇さんによる、ソロのヴァイオリン生演奏…

静まり返った場内に、富田さんの耳元に届け…とばかりに響き渡りました。
富田さん、きっと心から聴き入ってくださったに違いありません。

 Re:富田さんを送る会    ..梟マム     >>
        2024/04/25(木) 12:12  No.7023
 
 
山旅さん、鉄人Mさん他山旅メンバーの皆さんが富田さんをしのぶ会にご出席され、しかも素晴らしい「しのぶ会」であったと聞き、さすが富田さんだと思いました。今更ながら富田さんの偉大さを忍んでおります。

富田さんの人生もすごかったですが、引き際もきれいでしたね。
私が木曜山行に参加するときは当然富田さんがいらっしゃった。
私が企画した熊野古道も2度参加くださいました。
私が大阪に帰ってからも時々木曜山行でご一緒しましたが、コロナ禍で私の来やつが遠のいてしまってからはお会いしていませんでした。

もっともっとご一緒に歩きたかったですが、きっと私が山を歩いているときはそっとついてきてくださると信じます。

熊野古道で偶然出会ったSNSでの知り合いの美女二人に挟まれてご満悦の富田さんの写真です。

 Re:富田さんを送る会    ..山旅     >>
        2024/04/25(木) 16:41  No.7024
 
 
皆さま、ありがとうございます。

今日は霧ヶ峰に出かけておりましたが、20年も近所の山歩きをしていれば、行くところ行くところ、すべて富田さんとご一緒したところばかりです。今日のコースもしかり。

もう、目新しいところはそんなに残っていないわけですから、これからも、どの山へ出かけようが、富田さんと歩いたことを思い出しつつ歩くことになるでしょう。

添付したのは、昨日の会で、息子の達至さんが出席した方々に配ったカードです。これは私と去年の秋に登った林岳での写真で、達至さんが気に入って記念のカードとしたのでした。

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