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 海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅     >>引用
      2023/12/23(土) 09:33  No.6898
 
 
今年の木曜山行納会の山をどうしようかと考えて、久しぶりに源太ヶ城山を訪れることにした。調べてみたら、納会の山として登るのは2005年以来のことで、18年ぶりとなる。同じ山に登るにも、ちょっと工夫をというわけで、今回は海岸寺山と組み合わせることにした。

浅川峠東の1124.6m三角点の点名が「海岸寺」であることから、ここが海岸寺山とされているが、これは点名信仰の一種で、あきらかな間違い。浅川峠の西の山こそが海岸寺の背後にあって、海岸寺山と名付けるのにふさわしい。この海岸寺山も納会登山で登ったことがあり、2009年のことだった。

今回は、いまでは滅多に人が歩くことのない、海岸寺参道石段を下から登って海岸寺に参り、海岸寺山に登って源太ヶ城山へ縦走するという計画である。

半ば落ち葉に埋もれた参道の石段、静謐の海岸寺、海岸寺山から源太ヶ城山への美しい樹林の稜線、もう久しく車の通った形跡のない林道、崩壊したのろし台、枝越しに見える豪華な山々の風景、下山に選んだ尾根道のやわらかさ。

5人が冬の軽い山歩きを満喫したのち、夜の部の隠れ家料理屋には6人が加わった。山も料理屋も貸切で、歓談も気兼ねない。おおいに盛り上がって今年の最後をしめくくった。

今年1年、山に同道してくださった方々に御礼申し上げます。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅     >>
        2023/12/23(土) 10:48  No.6899
 
 
昭和の終わりころ、源太ヶ城山には烽火台が復元され、甲府から伝達の実験もされたという。10年くらい前まではまだ建っていたが、今回行ったら完全に崩壊していた。

解説が書かれた木柱もあったが、それももう朽ち果てたことだろう。まだ建っていた時代に撮った写真があるので文字化しておこう。

「逸見冠者黒源太清光が築城したと伝えられ、その名がある。烽火台に用いられたといわれているが、山頂から西へ旭山砦、谷戸城、南に若神子城、北に浅川や平沢方面が一望でき、重要な中継点であったことがうなずける。武田氏の時代に活躍した津金衆は、この城のふもとにある古宮城(屋敷)を本拠とし、北辺を守る武士団として信州佐久郡あたりまで勢力をもっていた。遺構は双峰の山頂部に平坦部をもち、数段の帯郭がよく残っている。土塁はなく、須玉川左岸の崖をもって要害としている。」


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..名古屋のN     >>
        2023/12/23(土) 14:47  No.6900
 
 
「山も料理屋も貸切」の「冬の軽い山歩き」にしては、冬枯れの二つの低山の稜線を歩いた、中身の濃い木曜山行「納会」の山歩きでした。

特筆すべきは、津金山海岸寺の素晴らしさ。「百体観音」の石仏群の見事さには、時間も忘れるほどでした。調べると、高遠石工(いしく)の名工・守屋貞治(さだじ)の名作群。石工を越えた「石仏師」とも呼ばれたそう。観音堂の彫刻の見事さも含め、山歩きついでの儲けものの静謐の寺、印象に残りました。

山旅師匠夫妻やSさんの準備や趣向もあって、「隠れ家」のお料理もお酒も楽しめました。この一年も、みなさんありがとうございました。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅     >>
        2023/12/24(日) 08:53  No.6901
 
 
海岸寺で、私の一押しの観音様です。

季節や見る角度でずいぶんと雰囲気が変わるんです。


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