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小・中学校は同じような夏休みを過ごしていたが、高校に入ると様相は一変した。 様々な運動部から入部の勧誘を貰ったが、家が貧しかったため運動部への入部は叶わず、結局中学時代に応援団(3年次団長)に入っていた関係もあって応援団(3年次は団長)に入団することになった。
新興高校のため運動部の強豪校ではなかったが、それでも運動は盛んな高校で特に野球部やサッカー部の遠征が多く、それに同行しての応援遠征も多く、持ち前の大声を振り上げての応援団活動に明け暮れていた。夕方遅くまでの練習や毎日の練習でも無かったので、家庭への負担も少なく助かった。
それに定期券を持つことになったお陰で、帰宅すると父が川で獲ってきたアユを篭(幅30cm×長さ40cm×高さ20cmぐらい)に入れ、新庄駅からほど近かった清野鮮魚店(すでに廃業)に持って行き、アユを買って貰った 。父の釣ったアユは大ぶりで姿形が良かったのでとても喜ばれたことを覚えている。持ち運びの最初の頃は格好悪く恥ずかしかったが、店主に褒められると父のことを誇りに思えるようになった。篭にアユを入れる際には裏の畑に植えられていたミョウガ(茗荷)の葉を敷き詰め、アユを並べたらその上に更にミョウガの葉を敷き詰めて運んだ。ミョウガの葉は殺菌力があるということから、こういう方法で持ち運んだ。そんな繰り返しの3年間の夏休みだったような気がする。【20240815(木)】
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