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鞆の浦(1)・・・ >>
クマジィ 2024/07/02(火) 03:07
.gif / 2.3KB 「鞆の浦」といきなり時代的な名勝地を私のコラムに取り上げてみた。
『かつて日本の大動脈を担っていた瀬戸内海の中央に位置している鞆の浦は、満ち潮と引き潮がぶつかる場所でもあったため、瀬戸内海を横断する船は一度ここで立ち止まり潮の流れが変わるのを待っていました。 そしていつしか「潮待ちの港」と呼ばれるようになり、人と物が行き交う寄港地として栄えた歴史を持っています』と解説されている。

先日、購読している毎日新聞の記事を切り抜きしていたら「わたしのふるさと便/広島県」として、この港「鞆の浦」が取り上げられていて、早速切り抜き書斎でじっくり読むことにした。
実は以前からこの場所に行ってみたいと思っていたのだが、なかなかそのチャンスがなく、またどういう方法で行けるのかもわかっていなかったのだが、この記事を読み詳しく調べることにした。

なぜ行きたくなったのかという理由は三つあり、一つは明治維新の魁と言われた幕末の志士清河八郎が25歳のとき母を伴い、諸国漫遊(山形県庄内町〜善光寺〜金毘羅山〜錦帯橋〜備前〜大阪〜京都〜天橋立〜江戸〜山形)の旅の途中、ここ鞆の浦にもよってその絶景を旅日記「西遊草」に収めていたこと。
二つ目は坂本龍馬が暗殺される半年前に紀州藩との間で「いろは丸事件」が起きて、その賠償交渉にあたった場所でもあったこと。そして三つめはこの鞆の浦の海を埋め立て道路建設しようとしたとき、住民が立ち上がり国道建設を撤退させたこと。などが理由である。詳しくはおいおい書いていこうと思うのだが、最近になって急に旅をしたいと思うようになった。【20240702(火)】



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