|
小さかった頃の夏休みの思い出に残るのは小学1年か2年の夏休みに母の実家だった宮城県女川に長兄に連れて行って貰ったのが強く印象に残っている。母にランニングシャツの内側にポケットを作って貰い、50円だったか100円の札を入れて出かけたことを今でもはっきりと覚えている。 母の実家は道路を隔てて海に面していた。従兄弟が二人いて毎日眼の前の海で釣りをして遊んで貰った。 帰りは仙台市内に住んでいた叔父(父の弟)の家に1泊、広瀬川での花火を始めて見学、酒造メーカーの花火が自分の名前と同じ「正」が現れた時、「僕の名前だ」と言って叫んだことも覚えている。
夏休みに入る前日は、学校全体で最上川の支流、鮭川の広い河原に行き、芋煮会をするのが恒例だった。 1班5~6人がそれぞれ鍋やしゃもじ、ジャガイモ、ササゲ、味噌、クジラの脂身などを持ち寄り、河原で大きな石を拾い集めかまどを造り、乾いた流木を拾い集めて薪にして食べる芋煮会は翌日から夏休みに入るという気安さも重なり実に楽しかった。
小学校6年間の夏休みは毎朝父と一緒に畑仕事の手伝いをし、日中は最上川の支流となる鮭川の鉄橋の下で仲間と一緒に泳いだり、一人ガラス箱を覗いてカジカ獲りに夢中になった。夕方帰宅すると祖母がカジカを串に刺し、父が獲ってきた鮎と一緒にいろりで焼いてくれた。 川に行かない日は、溜まった宿題を纏めて行い、その後はセミやトンボ獲り、山の麓を流れる小流れで「ざっこ」(小魚/ハヤ、オイカワ、タナゴ)」を釣ったりして遊んだことを思い出す。ゲームに夢中になる現代っ子とは天地ほどの差がある夏休みだった。【20240809(土)】
|
|