|
私が住む恵比寿に恵比寿ガーデンプレイスがグランドオープン(以下GO)して今年(10/8)で30周年を迎えた。GOする前から恵比寿は地元住民が多く住み、地理的には山の手に当たるが地元は下町気質に溢れ、親近感の持てるまちだった。 その違いは恵比寿に住んでこの4月で40年になるのだが、恵比寿に引っ越す前はお隣の代官山に10年ほど住んでいた。
代官山は渋谷区内でも渋谷区東、渋谷区松濤と並んで高級住宅街と呼ばれていて、その中でも代官山には大使館や総合商社の社宅、それに高級マンションも多く、雪国&寒村生まれの私などが住めるというか近づけるような場所ではなかった。たまたまこれには深くて不思議なワケがあって住めるようになったのだが、どちらにも住んでみてその違いが分かったことは多々あった。
代官山から恵比寿に移り住んだ1904年頃の恵比寿駅周辺にはどこの町でもある地元民が経営するスーパーや日用雑貨品など売るお店もあった。駅舎は木造で小さな改札口が2つほどあり、ホームは土手の上に切妻型の屋根が乗っかっているまさに私が生まれ育った駅舎&ホームとなんら変わりのないものだった。駅から山手線に沿って目黒駅方向に長い坂を上ったところに恵比寿ビール工場があり、ビールを醸造していて、赤や黄色のビールケースに囲まれた中でビアガーデンを営業していた。そんな恵比寿村が大きく変貌したのは1904年からだった。【20241017(木)】
|
|