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勤務する大学では新入生を勧誘するガイダンス真っ盛りである。 他に健康診断も10日間にわたって行われ、授業は10日(木)から始まる予定である。私の新社会人のスタートは今から約60年前の1966年4月だった。 雪国寒村の工業高校土木科を卒業後、上京した私は当時茗荷谷(丸ノ内線)にあった社員300名(大阪支社、仙台、名古屋、福岡支社含む)ほどの総合コンサルタントに入社したのである。
社員寮は三鷹市野崎と京王井の頭線の三鷹台にあって、私は三鷹にある社員寮に入り、水戸市出身のN本さんという先輩と六畳一間の相部屋だった。イケメンのとても優しい舟木一夫似の先輩だったので助かった。三鷹市野崎から小田急線のバスに乗り、三鷹駅から中央線に乗り、池袋駅に出て丸ノ内線に乗り換え、二つ先の茗荷谷駅で下車、徒歩5分のところに日本技術開発株式会社の本社があった。隣には日本教育大学(現筑波大学)があり、近くには国士舘大学、跡見女子学園やお茶の水大学、学習院大学があるまさに文教地区だった。
入社式は広い会議室で行われ、それから各部署を視察して3ヶ月間の研修期間を経て配属されたのが総合計画部公園緑地室だった。総合計画部には他に都市計画課、交通計画課、区画整理課、宅地造成課などがあり、配属された公園緑地室には次長、課長の他、東大出身のSさん(東大の日笠研究室/都市計画)、Hさん、Nさん(東大)、NさんにOさんTさん(北海道大学)、Nさん(都立大)、TさんにWさん(農大)とそうそうたるメンバーの中に高校卒は私一人だけだった。【20250408(火)】
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