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No.1108 への▼返信フォームです。


▼ 天皇の黄昏   引用
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:25  No.1108
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7/20講演会から帰って来て、直ぐに「人間像」第126号作業に入らないで、単行本『天皇の黄昏』デジタル化に取り組んでいました。収録作品中、『天皇の黄昏』〜『春の狂い』〜『再会』〜『古い傷跡』〜『ひみつ』〜『俺の葬式』と来て、本日、『春の淡雪』をアップし完了となったので、ここでご報告です。336ページの本に対して、作業時間は「66時間/延べ日数14日間」でした。

微妙に手が入れられていて興味深かった。針山氏の場合、書き足すというよりは、削るという修正が特徴的ですね。『敵機墜落事件』→『山中にて』みたいなケースは極めて例外的なことだったんだと知りました。『雪が解けると』(第118号)→『春の淡雪』が若干そういうケースにあたるかな。

考えている仕事がもうひとつふたつあって、それをちょっと試みてみて、時間がかかるようだったら今回は諦めて第126号作業に復帰することにします。

 
▼ 湧学館後の日々   引用
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:32  No.1109
  7/20講演会は、私の声が小さかったり、ピンマイクの性能がいまいちだったり、耳の遠いお年寄りが多かったりで、よく聞こえなかったとの感想がけっこうありました。イベントとしては失敗かな。資料作りに使った画像などがまだ残っていますので文章化して人間像ライブラリーに挙げるかもしれません。

次々とイベント打って客を集めるのが今どきの図書館なのかもしれないが、私には、それが図書館の客とは思えない気持もある。「新谷さんが紹介していた『三年間』という作品を読んでみたい」という声に、「スマホでもパソコンでも読めますよ」と答えて、なにか仕事したつもりになっている図書館はないだろうか。世の中にはインターネット接続料金が払えない年金生活者だっていっぱいいるし、私みたいに電話以外の機能は何が何だかわからない、ガラケー使えなくなったから仕方なくスマホに乗り換えた老人だっている。そういう人たちの「読む自由」にきちんと奉仕してこその図書館だと私は思うのだが。

……と、七年前の私ならそう思い、そう行動するのだが、最近はそのように動けるか…自信がなくなっている。スマホが昭和のテレビのように日本人に蔓延してしまった世の中を感じるからだ。「スマホで読めますよ」と答える図書館員しかいなくなった世界を感じるからだ。私は「スマホで見れますよ」と答えることにしています。

 
▼ 湧学館後の日々・インターネット版   引用
  あらや   ..2024/08/13(火) 01:07  No.1110
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「聞こえなかった」そうなので、インターネット版をつくりました。人間像ライブラリーの〈新谷保人〉に挙げてます。
頭の中に話した内容がまだ残っていましたので、下書き稿などはつくらず、エディタに直接書き込むという今まで一度もやったことのない方法でつくりました。そのせいなのかどうなのか、何度書き直してもパソコンの画面に表示されない画像が一枚あって、さすがに四度目の書き直し失敗で諦めました。悔しいので、こちらの方に画像をあげておきます。
講演会で話した内容以上のことは書き加えていません。文章にしてみると、本当にこれを1時間+10分でやったのかと本人が驚いてしまいますが、たしか70分でやったのです。「聞こえない」というよりは、「聞いたことのない」名前の続く70分に飽きられたのかもしれませんね。けれど、同窓会をやるつもりのない私には、こういう話しかなかったのです。
経験的にパワーポイントを使えば10分の1の努力でできることを知ってます。話す内容も、所詮は電気紙芝居だから、たらたら適当な言葉をつなげていれば何かものを言った気にもなれる。でもね、「講演」が終わったら、観客の頭の中には3%の記憶すらも残っていないんだよ。私は、それで良しとする人間が嫌いだ。

 
▼ 人間像を走る山線   引用
  あらや   ..2024/08/22(木) 10:53  No.1111
   温泉行きの大型バスが二台、威勢の良いデイーゼルエンジンの音を残して発車して行ったばかりの駅前は、にわかにひつそりと静まりかえつた感じで、あとに残つた一台は、先刻のロマンスカーとは比較にならぬ程の古ぼけた車体であつたが、その方が、かえつて此の小さな田舎駅と辺りの風景には、ふさわしく見えた。
 三人ほどの乗客が所在な気に窓外を見て居る切りで、未だエンジンも掛けて居ないのは、あと三十分ほどで入つて来る下り列車の乗客を待つてから発車する為である。
(渡部秀正「硫黄山」)

本当にひっそりと今日も山線は走っている。明日もこの風景が消えてしまわぬように私は動こうと思ったのです。北海道を描いたすべての作品には、その背後に山線(函館本線)が走っている。すべての読者は、あそこに線路があり駅があることを前提にイメージを膨らませるのだ。100億や200億の赤字がなんだっていうんだ。北海道の文学から駅員や旅人の物語が消える文化的損失に比べたら、こんなもの、蚊に刺されたほどの痛みでもない。

北海道文学を走る山線に突き進みたい。でも、それは、私がやるべき仕事なのだろうか。(やってもいいけど…) どこか、「北海道」を名乗っているところの仕事ではないのか。いずれにせよ、ここで頑張って抵抗しなければ一生悔いが残るような気がしている。せめて、自分の分をわきまえて、「人間像」を走る山線くらいはまとめておかなくては…と思ったのです。

 
▼ 坂の街の母校   引用
  あらや   ..2024/08/24(土) 17:57  No.1112
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峯崎ひさみさんの『坂の街の母校』ほか、『「山線」と花嫁たち』、『潮の風に偲ぶ』、『手帳』、『先生の指輪』の四篇を人間像ライブラリーにあげました。

すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、7/20講演会を機に、今まで「○○氏」とやっていた堅苦しい呼び方を「○○さん」に改めています。これは尊敬の念が薄れたとかそういうことではなく、そうかと云って、私は「○○」を研究する人ではないわけで、なにかそういう立場をうまく表す言葉はないかと以前から考えていたのですが暫定的に「○○さん」でやってみようということです。繰り返しますが、尊敬の念が薄れたなどと云うことはありません。むしろ「湧学館後の日々」をやってみて、これから進む方向が明確になったようで深く感謝するばかりです。

今は、机の上に溜まった書類の山とパソコンに溢れているファイル群を片付けている最中です。もう一仕事、「湧学館後の日々」関連の記事を仕上げてから、第126号作業に戻ります。

 
▼ 沼田流人伝を読む   引用
  あらや   ..2024/08/31(土) 14:02  No.1113
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昨日、『沼田流人伝を読む』という拙文を人間像ライブラリーにアップしました。それと同時に、二年間封印していました『文芸作品を走る胆振線』を復活させました。

『文芸作品――』は十年以上も前に書いた文章です。二箇所に事実誤認があり、とうてい人様にお見せできる代物ではないのですが、一時は人間像ライブラリーで公開していたこともあり、そういう文章がある日突然理由も知らされずに消えるというのは、それはそれで図書館としてはやってはいけない行為だと思っていました。
自分としては、『沼田流人伝』の著者・武井静夫さんに対する態度をはっきりさせる形でなら『文芸作品――』は存続させてもらってもよいのではないかと考えています。その上でなら、批判にもきちんと応えることができるような気もする。
『沼田流人伝を読む』の最後を「みなさん、本を読みましょう」という言葉で締めくくりました。笑われるかもしれないが、私の本心です。結局、私の書いたものは〈研究〉などめざしたことはなく、いつでも単なる〈読書案内〉でした。詰まるところ、「みなさん、本を読みましょう」以上のことを言ってはいないと感じています。

さて、これで、「湧学館後の日々」に触発された仕事は完了しました。明日からは「人間像」作業に戻ります。



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