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二十歳代までだったか、三十歳代までだったか、もうまるっきり感じなくなったが、四季のにおいを嗅ぎわけていた頃があった。おそらく自分だけの嗅覚かもしれない。いや嗅覚というものでもなく、頭の芯のほうで捉えるような感じである。いや、それも違う。体全体に感じていたというのが適切だ。 「さやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という視覚や聴覚で捉えるものではなく「みかんの香せり冬がまたくる」といった季節の風物のにおいでもない。純粋無垢混じりっけなしの季節の「におい」なのである。空気のというより大気の「におい」であって、臭い、匂い、香り、と漢字を当てると違うのである。 (福島昭午「記憶」)
福島さんの小説作品が帰って来た! 第130号作業はすでに始まっています。130ページですので年内に終わらせたい。今号は、佐藤瑜璃『かもめ荘冬景色』、福島昭午『記憶』、内田保夫『残酷な終局』、丸本明子『駅前』、土肥純光『馬車道・遠い日』、針山和美『北からの風』と続きます。 『かもめ荘冬景色』はワープロ作業はすでに終わっているのですが、内容構成に不明な部分があり、単行本を取り寄せて確認してから公開したいと考えています。
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