| 「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」作業が完了した一月末から数日間、次の「人間像」第97号作業に入る前に行っておかなければならない物事が公私ともに溜まっていて、今少し「人間像」作業は中断しています。
昨年秋、雪が降る前にと大急ぎで針山家からお預かりしてきた「人間像」第171号〜第190号の作業環境への取り込みもその一つ。 もともと、人間像ライブラリー当初の復刻計画では、針山和美氏の編集権が及ぶ範囲の「第170号まで」を考えていました。「人間像」第170号(2003年5月発行)は「渡部秀正追悼特集」号。その次の号が「針山和美追悼号」(2003年11月発行)となります。この辺が潮時かな…とは思っていました。第171号以降を扱うとすると、2003年以降の福島氏編集体制で新同人として参加してきた人たちの著作権の問題もありますし。(福島氏はそれを含めて「人間像」の復刻を許すとは言ってくれましたが…) ひと冬、「人間像」作業の進行と平行する形で第171号〜第190号を読んできた現時点での感想では、やはり第190号までをしっかり復刻しなければならないという思いに傾きつつあります。第171号〜第190号の20年弱の時間の中でさえ、そこには福島第一原発があり、コロナ禍があり、千田氏や平木氏たち同人の死もありました。 「人間像」創刊号に針山氏は脇方鉱山へ勤労動員された旧制倶知安中学生を書いたことを思い出します。戦争、震災、病苦、そして、個人の小さな幸福も。「人間像」には現代の日本人が味わった様々な人生が描かれています。まさしく創刊号から第190号まで丸ごとが私たちの人間像なのだという思いが強い。
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