| それにしても、吉川の単独犯だろうか。打田らと組んでの共犯なのだろうかと考えたが、もちろん結論など出なかった。ただ、なんということもなしに、吉川の単独犯だったかも知れないと思うのであった。いずれにしても、今さら罪もない遺族の人々に、苦汁をなめさせることはないと思った。彼は小笠原老人への電文を考えながら、さらにアクセルを踏みこんだ。 「オオムラセイジシノイショワ ホンニンノモノニマチガイナシ イデカツジ」 (針山和美「敵機墜落事件」)
1979年4月発行の「京極文芸」第十号ではこのようだった結末が、八ヶ月後の12月発行の「人間像」第103号の『山中にて』では百八十度異なる展開をみせます。私は京極町の図書館時代、当然『敵機墜落事件』の方を先に読んでいますから、単行本の『山中にて』に出会った時は腰が抜けるほど驚きましたね。と同時に、針山氏の作家としての力量を嫌というほど感じました。以降、どんどん針山氏にのめり込んで行くことになった忘れられない作品の一つです。
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