みる ..2007/01/21(日) 00:24 No.125 |
| みなさん、こんばんは。 夕刊を読んで気がつきましたが、今日はセンター試験だったんですね。 受験生は大変だ〜
さて、『武士の一分』を観てきましたので、感想を書かせていただきますね。 (若干ネタバレしています)
山田洋二監督の時代劇はリアルさ特徴と言われています。 私は今回が山田時代劇初体験だったのですが、まず、それをすごく実感しました。 これを見ると、今までの時代劇が形式美の上に作られているのがよ〜くわかります。
無駄な動きを廃した殺陣や下級武士の質素な生活のリアル感は目からウロコ。 普通の時代劇でも庶民の生活は出てきますが、例えば、下町のお花ちゃん(仮名 笑)が くるくると家事をこなしても、彼女のかすりの着物は小奇麗なままです。汗もかかない。 (ぬぐうマネはしますけどね 笑)
でも、本当は、武士の袴だって1日穿いていれば当然ヨレヨレです。ずっとパリっとした 姿でいられるわけがない。 夏はどんな美人だって汗だくになり、首筋を汗がつたって、それが着物に染みていく。 草履で外出すれば、足袋は当然うす汚れる。
キムタクは下級とはいえ武士なので、極貧というわけではないはずですが 普通の時代劇的感覚でいくと、彼の家はほとんどあばらやに感じられます。 でも、きっとあれが当時の本当の姿なんでしょう。
また、そういうモノの面だけでなく、武士像も新鮮でした。 『たそがれ清兵衛』でも、サラリーマン的武士の姿を描いていたと聞いていますが 『一分』でも「城勤めの武士」は「会社勤めのサラリーマン」と同じなんだなぁ、と思いました。 謀議や仇討ちのような緊迫した非常事態が、そうそうころがっているわけもなく、 武士と言えども普通に生活に追われているんですよね。
さて、肝心の夫婦二人の姿ですが…キムタク妻が瑞々しくて良かったです〜 ひとつひとつの所作がとても丁寧で、美しい。目の見えない夫に絶妙なタイミングで差し 出される手、夫に風を送る団扇の動きの優しさ…「生活ににじみ出る愛情や幸福感」は この妻がほとんどを醸し出していて、キムタクからのものを圧倒しています。 そもそも、キムタクはどんな作品でも常に「キムタク」で、あまり変わらない感じがする。。。
キムタク妻は、確かに古い女性像かも知れませんが、想像していたより潔く強い人でした。 夫に尽くし、従順で、メソメソしちゃう…そういう感じではなく、いつもは慎ましいけれど、いざと いうときには凛としています。例えば、失明した自分に価値が見出せなくなったキムタクは 自害しようと大暴れするのですが、それに対して「お好きになさいませ! 私もすぐ後を追って 死にますから!」と言い切り、キムタクはようやく思いとどまる、という。 まあ、こういう「古き良き日本の女」は絶滅しているでしょうけどねぇ。
キムタクには、「自分の矜持」に対するこだわりは感じるのですが、妻への感情が 私には今いち物足りなかったです。ところどころ発露はあるんですけどね。 妻をたばかった相手との果し合いは、私は「自分の誇りが傷つけられた」という理由だと 思って観ていたのですが、「妻の仇」という言葉がひょいっと出てきて、「あ、それもあったのね」と 遅まきながら気づく…という感じでした。
キムタクの殺陣は良かったですねぇ。トレンディドラマ(死語?)の俳優は刀さばきがヘロヘロしてたり するのですが、キムタクは剣道をやっていたからか(どこかで読んだような?)、すごい勢いで 振り下ろした刀がピタッと止まる様は、ちょっとびっくりしました。 そういう実力に裏打ちされた、無駄な動きがまったくない剣は緊迫感に溢れています。 相手も良かったし(緒方拳、坂東三津五郎)、「見せる殺陣」ではなく、命がかかっているという リアル感に満ちた殺陣でした。
全般的に、ストーリーや俳優の演技などの中身的なことより、「時代劇の新しい形」についての 印象が残る映画でした(私にとっては)。
あんこう椿さんへのレスが続きます(字数オーバー 汗)
|
|