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No.1005 への▼返信フォームです。


▼ 沼田流人伝   引用
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:20  No.1005
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「人間像」第114号を終えてから二週間ほど休暇をもらって、「沼田流人」のこれからをあれこれ考えていました。いくつか試みたこともあります。そのひとつが、武井静夫『沼田流人伝』のライブラリー化。付随して、『沼田流人伝』の前身となる『沼田流人小伝』も復刻してみました。『小伝』は大森亮三主宰の歌誌「防風林」に6回連載。同じ「防風林」には3年前から佐藤瑜璃『父・流人の思い出』が始まっており、『小伝』はこの『思い出』連載に割り込むような形で展開された流人伝と云えます。年代順にすると、
@ 北海道文学全集 第6巻 『地獄』/流人略歴 1980(昭和55)年6月発行
A 『父・流人の思い出』 1987(昭和62)年7月〜1991(平成3)年10月連載
B 『沼田流人小伝』 1990(平成2)年1月〜年12月連載
C 『沼田流人伝』 1992(平成4)年3月発行
これらを踏まえて「沼田流人マガジン」第5号(2013年9月発行)に発表した拙文『「血の呻き」の「発禁」をめぐって』を内容整理した上でライブラリーに載せたいと考えています。


 
▼ このはずくの旅路   引用
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:24  No.1006
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現在、大森光章『このはずくの旅路』のライブラリー化を考慮です。しかし、大森光章氏の著作権継承者の方になかなか尋ねあたりません。どなたか情報をお持ちの方は御一報ください。

沼田流人理解には、佐藤瑜璃『父・流人の思い出』とこの『このはずくの旅路』があれば、後はいらないというのが今の私の考えです。
そして、『このはずくの旅路』のライブラリー化が完成した暁には、現在封印している拙文『文芸作品を走る胆振線』の再掲載をお許しいただきたいのです。当時、『沼田流人伝』の影響下で〈沼田流人〉を描いていたという点では、佐藤氏も大森氏も私も同じです。事実誤認を書いてしまった痛みは残るけれど、私もそれを隠すのではなく、私の今の仕事で『沼田流人伝』を乗り越えて行かなければならないと考えています。

 
▼ 松崎天民   引用
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:29  No.1007
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人間像ライブラリーに〈松崎天民〉の項目をつくりました。今は『悽愴たる火葬場』一篇しか載っていませんが、将来的には多面的な天民の世界を構築してみたいと夢みています。沼田流人の理解には天民作品が欠かせないと感じる日々です。

また松崎天民に付随して、「おたるの青空」以来二十年ぶりに〈石川啄木〉に一作品を加えました。『日本無政府主義者隠謀事件経過及び附帯現象』という、大逆事件に触発された作品ですが、啄木の大きな情報源が東京朝日新聞の同僚だった天民と云われています。

旧漢字を使いこなすほど頭が良くないので、テキストに筑摩書房版「石川啄木全集」を使いました。作業中、岩波版「啄木全集」」をベースに使っている「青空文庫」を参照させてもらいましたが、そこで明らかに入力ミスと思われる箇所を三つ見つけました。漢字や踊り字の使用にも厳格だし、校閲者も別にいる「青空文庫」にして、こういう入力ミスが存在するんだということに少し驚いています。

 
▼ 雪に撃つ   引用
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:35  No.1008
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「ベトナムのひとには、北海道はきっと寒いよね」
 チャムが言った。
「信じられない寒さでした。わたし、気温零度っで、初めての体験でした」
 声が明るくなっていた。車の中が、ふいになごんだ。このふたりの女性たちは、どうやらこのまま逃走できるだろう。列車に乗ってしまえば、あとは札幌で支援団体が彼女たちを助ける。もう心配しなくていい。
 それにしても、と太一は思った。どこに本社を置く会社なのか知らないが、こんな土地にタコ部屋を設けるなんて。奴隷を使うように外国人労働者を集めて、安く働かせて利益を出しているなんて。
(佐々木譲「雪に撃つ」)

作業中に読んでいました。(百何十人の予約が終わったのか、最近書架で出廻るようになりました) そんなに多く小説を読んでるわけではないから断言はできないが、自分の作品で公然と「タコ部屋」を言い放った人、佐々木譲が初めてです。

あなたは、佐々木譲が技能実習生の現場に「潜入取材」したと思いますか?



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