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▼ このはずくの旅路2   引用
  あらや   ..2024/01/01(月) 12:06  No.1033
   三十九年の春を迎えて参禅会を再開したものの、初回も二回目も参加者はいなかった。本堂でひとりで、坐禅を行っていると庫裏の方から聞えてくる子供らの騒いでいる声や、それを叱っているユキの声が耳について気分が散る。呼吸を止めたり、心の中で経文をとなえたりしても、容易に雑念は消えず、遊びに興じている子供らの姿が瞼にちらつくのである。
 事実、この二年間に庫裏には子供らの数が増えていた。長女トミはその春から岩内女子小学校高等科に転校し、岩内の檀徒の家に下宿して通学していたので、孝運寺にはいなかったのだが、前年春から倶知安高等小学校に通学している旅家家の末娘スエは相変らず日曜日には母タカについて寺を訪れていた。この年、三号線の第一尋常小学校へ通っていたのは長男恒栄(四年)と次女ヒサシ(三年)であるが、数年前から倶知安に居住して今出家の敷地内で木賃宿を営んでいた沼田仁兵衛の養子ハルイ(四年)と一郎(二年)が恒栄兄妹と一緒に通学していたので、当時、日曜日の庫裏はこの子供らの遊び場と化していたのである。
(このはずくの旅路/第五章 絆と柵/2 戸籍族)

第五章から沼田一郎(後の流人)が登場。沼田流人の生涯を考える時、ここに出てくる「トミ」「恒栄」「ヒサシ」「スエ」「ハルイ」「一郎」(そして「ひろせ」)という名はすべて重要なのだということを大森光章『このはずくの旅路』を読んで初めて知りました。それを、この尋常小学校の時代から描いてくれる大森氏の仕事には頭が下がります。


 
▼ クニとひろせ   引用
  あらや   ..2024/01/01(月) 12:09  No.1034
   思えばクニとは不思議な因縁で結ばれてきた。肉親といっても母が違うし、五歳で生地瀬上宿を追われ、六歳で出家させられた彼には、明治五年に戸籍法が施行されてクニが彼の戸籍に入り、今出姓を名乗った後も、姉に対して肉親の情を実感したことはなかった。その意味ではクニは彼にとって戸籍上の家族でしかなかったのだが、彼女が田中仙隆と結婚(内縁)したことから交流が深まり、彼が北海道へ渡った後までさんざん迷惑をかけることになる。そうした過去の出来事がつぎつぎと思い出されて、今回の養子問題で多少でも姉の役に立てたことが、素直にうれしかったのだった。
 だから、姉の養女に決まった下山ひろせを翌年、自分の養女として入籍しなければならない仕儀になろうなどとは、このときは夢想だにしていなかった。
(このはずくの旅路/第五章 絆と柵/2 戸籍族)

家族ではなくて、戸籍族。今出姓のもとに集まった名前の異様さに改めて驚く。

 
▼ 今出ひろせ   引用
  あらや   ..2024/01/01(月) 12:12  No.1035
   仲よしのトミとひろせは、朝の本堂の拭き掃除をすませたあとも、孝運のおつとめが終るまで本堂から去ろうとしなかった。毎日ではないのだが、ユキから台所の用事を命じられない限り、参詣席に正座して合掌していた。
 そのうちに孝運は、自分の読経に合わせてひろせが小声で般若心経を唱えているのに気付いた。どこで覚えたのか訊いてみると、「お師匠さんがよくお仏壇であげていたので、自然に覚えたのす」という返事だった。姉が読経しているのを見かけたことがなかったので、ちょっと意外に感じたが、ひろせが寺の養女になることを躊躇いもなく承知した背景には、そんな姉との暮しがあったのか、とようやく納得した。
 すると間もなく、トミがひろせと一緒に心経を唱えるようになった。そればかりか、修行中断以来、まったく経文に興味を示さなかった恒栄までが、夏休みに入って間もなく朝のおつとめに加わり、経典を手に心経を唱えるようになったのである。
(このはずくの旅路/第五章 絆と柵/3 初弟子)

〈研究〉で「ひろせ」のような存在を捉えることはほぼ不可能に感じる。〈小説〉という形式だったからこそ描きうる世界であり真相ではないか。そして、大森氏のこの仕事があったからこそ、佐藤瑜璃の〈思い出〉が生きてくる。〈思い出〉に描かれた流人像は相当に正確なものだ。

 
▼ ユキと大栄   引用
  あらや   ..2024/01/02(火) 18:26  No.1036
   妻から突然、「ひろせを親元へ帰してほしい」といわれて、またか、と孝運は内心むかっとした。以前、大栄とひろせが駅前大火の現場へ行ったとか、亜麻会社を見に行ったとかで、ユキから、「ひろせが大栄を引っ張り出しているようだから、注意してほしい」と要望されたことがあったが、孝運は取り合わなかった。ひろせを不良少女のように思っているらしいユキの口ぶりに腹が立ったからである。
「ひろせはよくやっている。大栄が得度を受けたのも、ひろせのおかげではないか。ふだん女中代りに使ってるくせに、一度や二度羽を伸ばしたからといって、文句をいうな」
 夫が不意に怒り出したので、ユキは黙ってしまい、以来、ひろせへの批判は一言もいわなくなった。それで孝運は今回も、またか、と苦々しく思ったのだが、このときはユキは引き下がらなかった。前年十月の競馬見物の一件や、今回の尻別川転落事件は、ひろせが大栄を誘い出したために起きたものだと主張し、「大栄の身に何かあったらどうしますか。ひろせをこのまま家へ置くのは考えものですちゃ」と力説した。
「何かあったらとはどういうことだ。あの二人の仲を疑ってるのか」
「そうはいってませんよ。いまのところ、そんな気配はないけれど、この先のことを心配しているがです。姉弟といってもあの子たち、実際は赤の他人なんですからね」
(このはずくの旅路/第六章 亀裂/1 養女離縁)

この「亀裂」の章は、意図的に、ひろせと大栄の動きに焦点を絞って引用を続けています。たぶん、それが、沼田一郎の左腕を説明するために最も重要だと私は考えるから。

 
▼ ひろせと大栄   引用
  あらや   ..2024/01/02(火) 18:29  No.1037
   学校から帰宅した大栄は、ひろせが姿を消したのに気付いて騒ぎ立てたが、ユキから「急に裁縫塾に通うことが決まったんだよ。お盆には帰ってくるから我慢しなさい」と慰められてしぶしぶ納得した。
 しかし、ひろせが二度と孝運寺に戻ってくることはなかった。一ヵ月後の七月中旬、彼女は無断で坂本家から姿を消したのである。孝運とユキがその事実を知ったのは、十日ほど経ってからだった。ひろせが倶知安村へ帰ったものと推量した坂本家が、いずれ孝運から連絡があるものと考えて、ひろせの家出を通知しなかったからだ。ある日、ひろせの実父下山彦右衛門から届いた手紙で、ひろせが突然帰郷して、二度と倶知安には戻らないと言い張っていることを知らされたのである。
〈娘ひろせの話では、岩内の檀家宅へ下女に出されたとのこと、あまりの仕打ちに当方一同憤慨している。二度と娘を貴下の許に戻すつもりはないから、しかるべくご承知被下度し〉
(このはずくの旅路/第六章 亀裂/1 養女離縁)

結局、ひろせは帰って来なかった。ひろせ失踪をはずみに、ユキは今まで以上にユキになり、大栄も今まで以上に大栄たる本性を露わにして来るような印象を受ける。もう止められない、隠しようがないほどに。

 
▼ 養嗣子   引用
  あらや   ..2024/01/02(火) 18:31  No.1038
   ところが、入学手続きをする段になって、突然、予期せぬ難題が発生して、孝運とユキをあわてさせた。入学手続きの書類には本人の戸籍抄本が必要だった。入学が決まって気分的に高揚していた大栄は、自分で村役場へ抄本を受け取りに出掛けた。そして、交付された抄本に、「明治二十九年三月一日生、岩内郡野束村二番地大森多蔵五男入籍、養嗣子」と記載されているのを見て愕然となった。それまで戸籍抄本を目にしたことがなかったので、そこに書かれている文言の意味がよく飲み込めなかったものの、自分は今出家の養子で、本当は岩内の大森多蔵という人の子らしいと直感したのである。
 頭の中が混乱したまま帰宅した彼は、事実を知らされるのが怖かったのだろう、その抄本を父親ではなく、母親に示し、「これ、どういうことなんだ?」と問い質した。驚いたのはユキも同じだった。内心、あっと叫んだに違いない。事情はわかっているものの、彼女もまた今出家の戸籍文書を一度も見たことがなかったからだ。しまった、と思ったが、すでに後の祭りだった。彼女はその紙切れを手に方丈間に駆け込んだ。
(このはずくの旅路/第六章 亀裂/3 弟子の行方)

これは亀裂の決定打ではない。もっと恐ろしい亀裂の予兆にすぎない。

 
▼ 沼田一郎   引用
  あらや   ..2024/01/02(火) 18:36  No.1039
   十六日の盂蘭盆会が無事にすみ、仙台に戻る日が近づいたある日、大栄は沼田一郎ら小学校高等科の後輩数人と、尻別川の岸辺にある森製軸所へ遊びに出掛けた。
 その木工場は、二年前に姉(養女)ひろせを誘って見物に行き、貯木場の水中に転落した思い出の場所である。そのあと間もなくひろせが急に寺から姿を消したため、彼はそれが両親の画策によるものと疑って反抗的な態度をとったものだが、今は当時の記憶も断片的にしか浮かんでこない。後輩から「馬鉄線を見に行こう」と誘われて気楽に応じたのだが、そのとき中学林の制帽と羽織を着用して外出した。
 木工場は二年前にも増して景気がいいらしく、工場から倶知安駅まで約二キロに線路を敷き、トロッコを馬に曵かせて製品を運び出していた。その馬車鉄道を村の人たちは「馬鉄線」と呼んでいるのである。
 (中略)
 そのうち大栄は奇妙な衝動に襲われて、羽織のひもをベルトと車輪の間に投げ込んでみた。後輩たちの前で格好のいいところを見せたかったのかも知れない。車輪が半回転して、ひもがポイとはじき出される。少年たちが面白がるので、彼は得意になり、何度もそれを繰り返した。すると、傍で見ていた一郎が、突然、絣の着物の袂でそれを真似た。次の瞬間、とんでもない事故が発生していた。袂と一緒に一郎の左手がベルトと車輪の間に吸い込まれたのである。事故に気付いた工員があわてて機械を止めたが、間に合わなかった。
(このはずくの旅路/第六章 亀裂/3 弟子の行方)

 
▼ 孝運と大栄   引用
  あらや   ..2024/01/02(火) 18:39  No.1040
   「お前は何もわかっていないし、わかろうともしないようだから、この際一言いっておく。きのうのことは、お前に責任があるとか、ないとかの問題ではない。しかし、お前が木工場で不用意にやったいたずらが、イッちゃの無分別なひとまねを誘い、それがあの子の片腕を奪ったのだ。なぜあんなことをしたのか、いまそこに気付かなければ、お前はまた同じような間違いを犯すだろう。だいたい、友達と工場見物に行くのに羽織なんか着て行く必要はないではないか。中学林の帽子もかぶっていったそうだが、おそらくお前は、中学林の服装をみんなに見せびらかしたかったのだろう。羽織のひもで機械にいたずらしたのも、根は同じだ。そんな虚飾は仏道でも厳しく戒められている。虚栄心は誰にでもあるが、仏道修行にとっては邪魔でしかない。そんなものは捨てない限り、学校でなんぼ学問をしても本物の出家にはなれん。お前はまだ自分のそんな性格に気付いていないようだから、学校へ戻るまで、夜のおつとめのあとも、ここで坐禅を組んで、自分の心の内側と真剣に向い合ってみろ。これはお前の師としてのわしの命令だ」
(このはずくの旅路/第六章 亀裂/3 弟子の行方)



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