| 仙台の曹洞宗第二中学林から孝運あてに一通の文書が届いたのは、それらのことが一段落した四月下旬のある日だった。開封して中味を見て、孝運は呆然となった。それは〈大栄が第一学年の課程を落第し、留年手続きも取らなかったため、四月十九日付で退学処分にした〉という通知書だった。そればかりか、〈御子息大栄殿が当林寄宿舎で使用していた所持品は舎内で御預りしているので可及的速やかに御引取りいただきたく……〉という添書まで付いていたのである。 (このはずくの旅路/第六章 亀裂/3 弟子の行方)
〈父上様、母上様。御心配、御迷惑をおかけして申し訳ありません。夏休み以来、自分なりにいろいろ考えてみましたが、僕は僧侶には向かないと思いますので、学林をやめることにしました。二、三年、東京で自分の今後の生き方を探してみるつもりです。将来の見通しが立ちましたら手紙を書きますから、僕を探さないで下さい。くれぐれもよろしくお願い致します。大正二年三月二十二日。大栄拝〉 (同章)
イッちゃ(沼田一郎)の事故から四日後、仙台の曹洞宗第二中学林に戻った大栄。平常を装う心の底で、なにか得体の知れないものが蠢いていたようだ。
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