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No.1084 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第123号 前半   引用
  あらや   ..2024/04/27(土) 17:15  No.1084
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「トヨをどうする」
「聞いたって仕方なかべさ。あれがいて暮らしが立たねば、オンチャにカタルおらにしても同じことだ。いくらカマドガエシしたからって、三つになる子の食い扶持ぐらい、なんぼも掛からねべさ」
(千田三四郎「ばばざかり」)

第123号作業、始めました。世の中は連休みたいだけど、私には関係ないから。先ほど、千田三四郎『ばばざかり』を人間像ライブラリーにアップしたところです。
アップした『ばばざかり』には、「カタル(寄食する)」のように標準語翻訳?が付いているのですが、私には津軽弁が面白くてちょっといじってみました。

さて、次の平木国夫『北村喜八に乾杯』に行こう。第123号は小説だけでも十二本が並んでいるので、いつものようにラインナップの紹介は省略します。面白い作品に出会ったら、その時点でこのBBSに書きます。


 
▼ お婆さんの軍歌   引用
  あらや   ..2024/05/01(水) 18:35  No.1085
   あれはその年の秋も終わりにちかかった。彼女は野良帰りのままで遅い昼食を摂っていた。かまどにむかって土間に腰掛けてお茶漬けを食べていた時だ。玄関のあたりが急に薄暗くなってきた。天気が変わってきたのかとふと顔を向けた途端、そこに長男が立っていたのである。出征のときのあの凛々しい軍服姿ではなく、それは疲労困憊した黝ずんだ背嚢姿であった。彼女は食べかけの茶碗と箸を持ったままそこに立ち竦んだ。
「嘉夫、戻って来たのか」
(佐々木徳次「お婆さんの軍歌」)

うーん、切ないなあ。『天皇の黄昏』の前に、この『お婆さんの軍歌』が来るのか… 『天皇の黄昏』の迫力が倍になった。

作業は『ばばざかり』以降、平木國夫『北村喜八に乾杯』、北野広『岐路』、内田保夫『愚かなり汝の心』、丸本明子『笹舟』と来て、今、『お婆さんの軍歌』をライブラリーにアップしたところです。まだ、針田和明氏も朽木寒三氏も登場していないことからも、いかにこの第123号が分厚いかがお分かりになると思います。

 
▼ 天皇の黄昏   引用
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:50  No.1086
   三日目の事である。陽兵は相変わらず朝からテレビの前に噛りついていたが、一生懸命に見ているつもりなのに、いつの間にかソファの上で居眠りをしているのだった。もっとも居眠りしていても風邪を引く季節でもないので、嫁の十三子も見て見ぬふりをしていたが、そのままにして置けば置いたで、なぜ起こしてくれなかったのだと文句を言われる事もある。だから頃合を見て「お爺ちゃん、ちょうど良いところですよ」と肩を揺すってやるのが十三子の役割にもなっていた。ところが臨時ニュースのチャイムが鳴ったので、何事かと思って見ると天皇が大量の吐血をしたと言う。
「お爺ちゃん、大変よ」
 慌てて揺り動かすと、
「日本が勝ったか」
 と、とんちんかんな事を言う。居眠りを始める前の画面の事を言ってるのだ。
「なに言ってるのよ、お爺ちゃん。天皇陛下が大量に吐血したんだって」
 天皇と聞くと陽兵は直ちに姿勢を整えて、
「なに、吐血だって? で、ご容体はどうじゃ」
(針山和美「天皇の黄昏」)

追悼号で作ったファイルがすでにあるので『天皇の黄昏』は作業の必要はなかったんだけど、読んでる(作業する)のが楽しいので、またゼロから仕事してしまった。名作って、そんなもんです。

 
▼ 宝石と孤独   引用
  あらや   ..2024/05/08(水) 13:52  No.1087
  『天皇の黄昏』以降、作業は、矢塚鷹夫『宇宙をぼくの手の中に』、日高良子『夢おこし』、土肥純光『宝石と孤独』と来て、今、針田和明『吾木香』に入ったところです。

『宝石と孤独』。四十周年記念号なのに、20年前の作品を何の手も入れずに出して来る…というのはどういうことなのだろう。こちらは、作業している途中で気づいたのだけど、ファイルを比較するのも面倒なのでラストまで作業してしまいました。半日分の時間、損した。

 
▼ サハリンの旅   引用
  あらや   ..2024/05/13(月) 14:23  No.1088
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 なにかなつかしい様なかんじがして来たが、この街の空気は札幌に実によく似ている。それも戦後の混乱期をようやくぬけ出した二十年代中頃のそれではないだろうか。なんとなく大雑把でそれなりに自然と調和している。札幌はあれから大きく変わりすぎたが、ここにはまだそれがある。
(竹内寛「サハリンの旅」)

針田和明『吾木香』、朽木寒三『窓の下の犬』という高い山を二つ越えて、ここからはエッセイの森が緩やかに続きます。第123号も終盤。『サハリンの旅』、よかったなあ。小樽に移り住んだ頃、このフェリーは現役でばりばり運航していたんですね。気づくのが遅かった。頭が悪かった。

 
▼ うたたかの四十年   引用
  あらや   ..2024/05/16(木) 18:01  No.1089
  『神様の結婚』も14年前の原稿じゃないか! また、時間を損した…
『サハリンの旅』じゃないが、こういう思いをした後には、けっこう凄い文章が来る…というのがこの第123号の面白いところ。

 考えて見れば僕は、三つのものから抜け切れないでいるようだ。
 一つ目は志賀直哉である。文学の神様と言われた志賀直哉の文章を信奉して、出来る限り修飾の少ない判り易い文章を書こうと心がけた。しかしこれは事務的で特徴のない文章だと思われる要因になった。
 二つ目は「罪と罰」である。ドストエフスキーの心理とサスペンスに溢れたこの作品がずっと意識の底にあって〈事件もの〉に興味を持たせる事になったような気がする。
 三つ目は「嵐が丘」である。荒涼たる原野に繰り広げられる野生的な恋の物語が忘れがたく舞台を山野に求めた「百姓二代」や「愛と逃亡」を書かせたようにも思える。
(針山和美「うたたかの四十年」)

おお、『嵐が丘』! 私も若い頃からのエミリー・ブロンテのファンクラブですよ。針山氏の口から『嵐が丘』の言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。そうですか…、私の愛する『百姓二代』も『愛と逃亡』も嵐が丘由来だったんですか。感激です。

 
▼ 「人間像」第123号 後半   引用
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:16  No.1090
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「人間像」第123号、246ページの全作業を完了しました。作業時間は「119時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「2333作品」になりました。

 昭和二十四年(一九四九年)十一月『道』の誌名で創刊してから四十年たった。十年目の区切りなので華々しく記念号でも作ろうかと考えたが、二十歳の青年も六十歳になってみると、そのような事にある種の照れを感じるようになっていた。外部の人から原稿を貰って目次面を仰々しく飾るのはよして、この際、しばらく誌面から遠のいている人に無理やり書かせるように仕組む事で創刊四十周年の意義づけをしようと言う事になった。そんな事で表紙には格別なんの文字も入れず、扉につつましく「創刊四十周年」の文字を入れる事で多少の意味合いを出した次第である。
(「人間像」第123号/編集後記)

四十年か… 「人間像」に興味を持った理由のひとつが、同人たちが私の父母とぴったり同時代だったということが挙げられます。一冊一冊の作業が終わる度に、札幌の実家の母に「あの時はどうしていた」とか聞くのが楽しみでした。最近は、発行年代も「平成」に入り、父母の「あの時」よりは、私の「あの時」を考えることが多くなっています。あと数年で、私、小樽に家族ごと移住して来る時代に入るんですね。ますます想うことが増えそう。

 
▼ 二つの柩 佐々木徳次作品集   引用
  あらや   ..2024/05/20(月) 17:20  No.1091
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裏表紙の広告が変わりました。全文です。

 佐々木徳次にとって初めての作品集である。この中で九篇の創作を自選している。それはそのまま、彼の本誌での創作活動を物語るものであるが、二三の作品について発表時に於ける反響と彼の作品の本質にふれる解説を加えたい。〈イノックの家〉は昭和三十二年に発表され「中央公論」の書評〈日本の地下水〉でとりあげられた。――人物も事件もいちおうかけている小説はたくさんある。しかし問題のある小説ということになると、まれにしかみつからない。「人間像」45号の佐々木徳次「イノックの家」は、手法や題材にとりたててあたらしいものがあるわけでなく、戦争が狂わした一人の人間の運命、予定しえなかった悲劇を淡々と描いているだけで、数すくないもんだいのある小説の一つになっている。 (略) 過去と現在の奇妙に倒錯した状況のなかに、いいかえれば異常神経の正常さともいうべきもののなかに、現在がよりリアリスチックに表現されているという感じがする――このデビュー作の私たちに与えた影響は大であった。戦争がもたらした悲劇を、裏日本の一寒村に集約してみせたこの作品には、作者の鋭い人間観察の姿勢が伺える。標題の「二つの柩」は96号に発表され『北方ジャーナル』誌の、第二回同人雑誌賞をとっている。撰者の目黒士門の評である。――これは素晴らしい鎮魂歌だと思った。静かに歌いあげられた鎮魂歌である。赤銅色に焼けた精悍な漁師の父、十人の子を生み育て、貧乏と病いに苦しんだ母、この二人の老いと死とを何の衒も気負いもなく、淡々と語る筆致は確かである。幼い日々の両親、看病する姉の苦労、父の譜んじている経文、すべてが同じ調子、同じ高さで語られ、しかも個々の場面が読むものの心に強く迫ってくる。文章は秀逸、切々たる作者の情感をよく伝えている。審査した九篇中、もっとも読みごたえがあった。――彼の私小説の決定版といっていい作品である。父と母を、自ら語り、姉の話から拾い、淡々と話をすすめているが、私にはその背景に拡がる、裏日本の漁村がみえる思いがした。一つの評価を得た彼は、今迄自分がやってきた仕事が、始めて自分の血肉になっていたことを識って喜びにひたったことだろう。「イノックの家」と並んで、彼にとって記念すべき作品である。 (上澤祥昭)



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