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No.1125 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第128号 前半   引用
  あらや   ..2024/10/11(金) 18:19  No.1125
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 信吾は港に立ってみた。
 二十五年前、信吾が村の郵便局から他局へ移った頃、漁況は順調で各船主は競って漁船を大型化し、港の修復拡張工事も進められて、十年前には二倍以上にも広くなった港に、二十屯級の中型船が十隻も舳先を並べていたはずだが、その日の港には、僅かに五隻の中型と三艘の小型船が係留されているだけで、しかも中型船の内、勝美の第三神洋丸と前後して、山一大森の承久丸も廃船となる運命にあった。
(金沢欣哉「海が暮れる」)

第128号作業、始まりました。金沢さんの久しぶりの小説。しかも、久しぶりの漁村文学が胸に沁みる。この後、土肥純光『落影の女達』、佐藤瑜璃『帰郷』、丸本明子『迷路』、内田保夫『消えた女』、佐々木徳次『素晴らしき恋人』、針山和美『まぼろしのビル』、平田昭三『たこ部屋ブルース(2)』、村上英治『高瀬川(1)』、神坂純『サイパン日記(2)』と延々と続いて行きます。それでは…


 
▼ 落影の女達   引用
  あらや   ..2024/10/14(月) 17:46  No.1126
   それは、思いがけない便りであった。内容は一片の転居通知に過ぎなかったが、差し出し人が室田隆子であったことが、私を驚かせ、同時に、或る種の感慨を呼び醒させることになった。
 新しい住居は、埼玉県の三郷市となっていた。
(土肥純光「落影の女達」)

私も驚きました。まさか、この1991年9月発行の第128号で〈小野静子〉の話が飛び出して来るとは思いもしませんでした。小野静子追悼号が出たのは1960年6月の「人間像」第56号ですからね。かれこれ30年以上も前の女達のことを今でも考え続けている人がいるということに驚きを禁じえない。じつは、30年ぶりに復活した金沢さんの漁村文学にも私は驚いているんですけど、こういう作品が二連発で続く第128号って何なんだろうと思いながら、次、佐藤瑜璃さんに進みます。

 
▼ 帰郷   引用
  あらや   ..2024/10/16(水) 12:00  No.1127
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。
(佐藤瑜璃「帰郷」)

やー、凄い! ライブラリーにあげて、最後のチェック(五度目の通読)を終えたら、じっとしていられなくなった。誰かにこの嬉しさを話したい、コピーして皆に送りたい、そんな気分です。佐藤瑜璃さんの作品を読む度に、私は峯崎ひさみ『穴はずれ』を初めて読んだ時の驚愕を思い出すのですが、今回の『帰郷』は特にそれが強かったですね。今少し、この余韻に浸っていたい。作業再開は午後からにしよう。

 
▼ まぼろしのビル   引用
  あらや   ..2024/10/23(水) 12:14  No.1128
   いつもより盃の回数が速くなっていた。
「そうねえ、名案なんて思い当たらないけれど、とにかく家にいる息子さんがなんと言っても大切なんだから、よそへ行ってる子供さん方には多少我慢して貰うのが良いのじゃありませんか。それとも財産分けなどと言う事ではなくて、財産を元手に収入の上がる道を選ぶとか」
「財産を元手にか……。たとえばどんな事があるかね」
「そうねえ、駐車場かビルでも建てて、そこから入る収入を兄弟で適切に分配するのはどうかしらねえ。実際に運営するのは家にいる息子さんだから当然多く貰えるわけ。ほかに出ている人たちは謂わば不労所得だから、そんなに多くなくっても諒解できるのじゃありませんか」
 女手ひとつで店を切り盛りしているだけあって、喜代はすぐ具体的なことを思いつくようだった。
「なるほどねえ。会社組織にして株を按分すると言う訳か」
(針山和美「まぼろしのビル」)

単行本で読んでいるはずなんだけど、何の記憶もなかった。初めて読む針山作品といった形で新鮮に読めました。新鮮で、かつ、切ない話でしたね。

第128号もこの辺りで中盤。132ページまで来ました。

 
▼ 犬にまつわる話   引用
  あらや   ..2024/10/26(土) 18:27  No.1129
   『いろはかるた』と言っても知らない人が多いかもしれない。戦前までは、正月の子供達の最もポピュラーな遊びであった。いろは四十八文字それぞれの絵札があり、それぞれに格言や諺がついていて、それを読みながら絵札をひろっていく。『いろはかるた』といっても京都、大阪、江戸(東京)とあって、いろはの『い』の字は京都では『一寸先は闇』 大阪で『一を聞いて十を知る』 そして東京では『犬も歩けば棒に当たる』となる。この江戸かるたの意味は、でしゃばるとひどい目に遭う、とか、出歩くと思いがけない良いことがある、という二通りの意味がある。まして人間はいったん外に出れば大小にかからわず何らかの障害に突き当たるものかも、と解釈される。ほかに、人のあらは探そうと思えば幾らでも見つかる、というのもある。そう言えば、英語でも『犬をぶつのに棒のよりごのみすることはない』という諺がある。Any stick will do to beat a dog with 犬と棒に関しても洋の東西ではこうも違う。
(白鳥昇「犬にまつわる話」)

昔、白鳥さんの文章って凄く読みにくかったものなのだけど、久しぶりに出会った『犬にまつわる話』は圧倒的に面白く読めましたね。さあ明日から『たこ部屋』だ。

 
▼ たこ部屋ブルース   引用
  あらや   ..2024/11/01(金) 14:47  No.1130
   「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

いやー、長かった。引用したあたりから漸く〈たこ部屋〉話が動き始めるのですが、ここまで来るのに第127号の(1)全部と(2)の三分の一を使って野島要三の人生を引っ張って来たわけですからね。朽木さんの持久力には驚くばかり。
私もここで〈たこ部屋〉話を始めると収拾がつかなくなりそうなので、読書会BBSの方に場を改めて書くつもりです。

 
▼ 高瀬川   引用
  あらや   ..2024/11/07(木) 10:58  No.1131
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 鴨川の白く乾いた河原に下り、加吉は石に腰をおろした。尻をちょっともたげるほど石は陽に焦げていた。尻切れた草鞋の足を流れにひたす。水は温んでいたが、浸した足から軀の中を涼しい風が吹き抜けていくように思い、加吉は何となく耳を澄ましていた。河原は眼を細めたいほどの光の中で静まり返っていた。時折、せきれいが水際の濡れている石に来て尾を振っている。流れに浸している親指の先に、ちくちくする鈍い感覚があった。高瀬川を曵舟していて、石に蹴つまずき爪を剥がした右足の傷が膿んでいた。その傷口が洗われるかすかな痛みなのだろう。
(村上英治「高瀬川(一)」)

あれ、まだ魚津にいるはずなのに… いきなり京都から話が始まってちょっと混乱しました。でも、この一篇だけを目にした人にとっては、この構成でいいのだと思う。作品が味わい深くなる。単行本では、全体の話の流れに沿ってこの構成は換えられています。

昨夜、初雪でした。

 
▼ 「人間像」第128号 後半   引用
  あらや   ..2024/11/08(金) 17:19  No.1132
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「人間像」第128号(262ページ)作業、終了です。作業時間は「128時間/延べ日数29日間」。収録タイトル数は「2423作品」になりました。
久しぶりの100時間越え。作業日数がちょっと多いのは、この時期、冬の準備などで時間をとられて作業に集中できなかったからです。印刷インクが薄い号で、画像データを二度撮り直したことも一因かな。裏表紙の『天皇の黄昏』広告文は以下の通り。

 小説家なのに気取って、私は詩人ですという言い方を好む人がいる。小説を書いているのだから私は小説家だとなぜ言わないのか大いに不満だ。その意味で針山和美は正統派の小説家である。
 針山和美の特質を一口で表すのはむつかしいが、詩派ではなくドラマ派であり、様式ではなく感情、たてまえでなくて本音、大袈裟は避けて控え目、衒気とは無縁の平凡、私小説ではなく客観小説、いきり立たず平静、冷感よりも温度、といった作風なのだが、互いに対立する多数の作中人物を書き分けてドラマを組み立てることがうまい。そしてときに毒性のある人物をも活写する。
 今回は短編を主とした創作集だが、以上列記した彼の特質を、個々の作品について味わってもらえれば幸いである。(朽木寒三)

美しい文章。朽木さんも針山さんも私に生きる意味を与えてくれる。



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