| 掘れば無くなると判って居る。過去五十年、長かったとも短かかったとも言えるが、開山当時から関係し、終山式まで見届けたという例はあまりない。先日御招待を受け、懐かしの脇方へ参上し、昔ながらの山神社社殿で終山式、次いで殉職者慰霊碑の参拝、採掘の見学などをし、誠に感無量だった。 第二の故郷ともいうべき脇方に再び訪れるのはいつの日のことか? 次に行われた京極公民館での開宴の際、乞われるまま壇に立ったが、喉がつまり声が出ずに見苦しい顔を御見せした事を御詫び致します。 (大町政利「脇方の思い出」)
佐々木六郎著『わっかたさっぷ』の中から、大町政利の文章『脇方の思い出』をライブラリーにアップしました。大正八年に鉄道院北海道建設事務所が発行した『東倶知安線建設概要』以外、倶知安―脇方間の鉄道が生まれた「事情」を語る資料が身近になく、昔から『脇方の思い出』を使わせていただいています。鉄道関係の文献や当時の新聞記事などはあまり調べていません。私が知りたいのは、東倶知安線が生まれた「事情」であり、タコ部屋が生まれた「事情」だったのです。
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