NARIさん ..2011/03/18(Fri) 18:28 No.204 |
| 私も家族も無事です、そして皆さんもきっと無事でいると信じています。 本当に驚きました。当時下館(筑西市)にて打合せをしていましたが、まさかあんなに大きくなるとは思わず会議を続けていたためだんだん激しくなってきた時にはもう逃げる間もなく、ただ壁際で動けなくなっていました。 一旦おさまったので下館事業所内を点検し設備には大きなダメージがないことを確認し、余震の中打合せを何とかまとめテレビを見たら、津波が三陸沖から鹿島まで来ているのを知り初めて事の重大さが分りました。 それからいくら日立へ電話しても携帯を入れても通じないので、心配になり戻ることにしましたが北関東道路は閉鎖、国道50号はずっと渋滞で途中停電のため信号も消え、あちこちで交通事故も起きており薄暗い中をまるで映画を見ているようでした。 笠間から城里を抜けることにしそこからは順調に進めたのですが、那珂川にかかる千代橋かな?ここが通行止め、迂回したのですが方向が分らずナビの通りに行くとどうも戻ってしまいそうなので常陸大宮へ向かうことにしました。がそこからまた渋滞が始まりガソリンが残り少ないのが分かり更に不安が増し、やっと段差ができている大桂大橋を渡って大宮まで来たのですが今度は水郡線が渡れないとのこと。 あっちこっち迂回しながら太田まで来ると国道6号が大渋滞とナビもラジオも言っているので、旧道を通り大甕駅前から245号線でようやく帰って来れたので先ず日立事業所に寄り、誰もいない中を外から点検し異常がないことを確認。直ぐ家に向かったところ入り口の隣のブロック塀が倒れそうに傾いているので恐る恐る通行し車庫に止めたが家の中は全く灯りがなし。でも家の中に母が一人で待っていたので安心しました。 皆さんも今回は始めての経験をいろいろしたのではないかと思います。 今は電気と水と食料の有難さが身にしみて感じています。今日現在我が家にはまだ水道が来ていません。いつになるのでしょうか? でも贅沢は言えませんね、東北の被災者はもっともっと過酷なのですから。 早く話をしたい「あの時は大変だったね」と言えるその日まで頑張りましょう!!!
|
|