| 4年ぶりに日立を訪れました。埼玉飯能ににある母の墓参りついでに。母が亡くなったことをきっかけに日立を訪れたのは20年以上ぶりだったけれど、それも墓参りのついでだった。私たち家族が暮らした助川台の社宅が偶然一棟だけ残されていて感動していたら車の中でパチパチという音が響いて、母も一緒に懐かしいこの場所に着いてきたんだと思った。日立に来ればいつも地元の魚が美味しい「まんてん」という居酒屋にいく。懐かしい茨木弁が飛び交って家族と営む店の人たちと思い出を語り出す。日立を去ってからデラシネのような生き方でいろんな場所で暮らした。神戸、大阪、横浜、東京、そして名古屋。今は名古屋の民放を退職して長野県に暮らしている。非常勤で勤める名古屋の大学に通いながら故郷に憧れ続けて日立に行っていた。日立で海を見つめているだけで安心していた。ここでたくさんの友人と出会ってテニスで汗を流し、映画放送委員会で活動したことが仕事に繋がって行った。私の原点、大切にしたい故郷です。
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