| 須田茂さんの『近現代アイヌ文学史稿』(同人雑誌『コブタン』連載)が現代編に入り、ついに今年発行の第46号で〈鳩沢佐美夫〉と〈上西晴治〉の名も登場してきました。
この二人の作家についてはなにか苦い感情がいつもあります。なぜか最後まで読めない。北海道の作家ということで、とりあえずは手元の「北海道文学全集」の、鳩沢佐美夫『対談・アイヌ』(第11巻)、上西晴治『ポロヌイ峠』(第21巻)から読みはじめるのが常だったのだけれど、これがいけなかったのかもしれない。字面を追うことはできるけれど、その作品の世界観が次第にわからなくなって、感想というか、感動というか、そういういつもの本の読後感が形づくれなくなって行くのですね。今回もそうでした。
まあ、私の頭が悪いからなんだろうけど、最近は、「北海道文学全集」の編集(作品の切りとり方)に対する疑問もいろいろあって(例えば、なぜ「人間像」の作品はオール無視なのかとか)、今回は全集に頼らず、作品発表時の単行本で読もうと考えました。(発表時の同人雑誌で読めればより理想的なんだろうけど、そんな極楽の環境にない…) 市立小樽図書館に上西晴治がほぼ揃っていたのはありがたかった。(鳩沢佐美夫がすべて館内・禁帯出なのは残念だった…)
正解だったみたい。『十勝平野』が貸出中だったので、『ポロヌイ峠』(風濤社,1971.8)と『コシャマインの末裔』(筑摩書房,1979.10)の二冊からスタート。いつもの通り『ポロヌイ峠』は挫折だけど、今日の私には『コシャマインの末裔』いう技がある。これが功を奏したのか、上西晴治という人の立ち位置が初めてわかったような気になりました。その位置から『ポロヌイ峠』に戻って来ると、『オロフレ峠』という作品に堪らず涙してしまった。
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