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昔、沼田流人を調べている途中で、二葉亭四迷訳『うき草』を手にした時の衝撃は忘れられない。『血の呻き』と地続きの世界がそこにあった。
沼田流人は小林多喜二と同時代を生きているけれど、その精神形成は大きく違っているのではないか。すでに有島武郎『カインの末裔』も発表されている世界に、流人みたいな明治文学の亡霊のような作品が登場したことに大変興味を持つ者です。その『ルーヂン』発見の報を伝える「沼田流人マガジン」第4号の表紙に、私は、啄木の「みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな」の歌を大書きしました。
『ルーヂン』は凄く退屈な本なので、現代の生活リズムの中で味わい読みつくすのは容易ではないです。過去、何回も放り投げている。で、今回、荒療治として、手にこれ一冊だけを持って動くことにしました。読むものはもうこれしかない、という状況をつくることによって初めて最後まで読み通しました。
うまく、今手掛けている『血の呻き』復刻に反映できるといいんだけど。
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