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No.704 への▼返信フォームです。


▼ ヘカッチ 第19号   引用
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:17  No.704
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日本児童文学学会北海道支部の機関誌「ヘカッチ」第19号を頂きました。毎号、大きな発見があるのですが、今年度のは特に凄かった。

まず、谷暎子さんの論文『忘れられていた北海児童図書博物館――京極町の廣徳寺・江隈園導のとりくみ』。これは、十年前京極町で戦時中に使われた国策紙芝居が発見された時に、紙芝居とは別件で、湧学館で抱えていた未解決レファレンス「広徳寺に在ったといわれる児童図書博物館」を児童文化研究者の谷先生に相談したのがそもそもの始まりです。
その後、研究調査は少しずつ少しずつではあるが進み、時に「昭和3年、京都の仏教児童博物館」といった私などが考えてもいなかった相貌を見せてくれもし、ついにこの論文に辿り着いたと云えるでしょう。論文は「北海児童図書博物館」が京極という町の成り立ちと密接に関わっていたかを教えてくれます。
図書館史的には、この「北海児童図書博物館」の蔵書10点が見つかっていることが大きいと感じています。北海道の図書館史を見ても、何々の文献にこれこれの記述がある…といった程度の実証も多く、現実にその図書館の蔵書が残っているなどというのはかなり珍しいケースなのではないだろうか。私もその図書ラベルが貼られた10点を見ていますが、その分類法など解き明かさなければならないことはまだまだあると思いました。


 
▼ 稲村真禮氏   引用
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:21  No.705
  谷暎子『北海道文学館に寄贈された紙芝居――故・稲村真禮氏の紙芝居をめぐって』について。
稲村氏を知ったのは、これも十年前の国策紙芝居発見を通じてですが、その時点では、国策紙芝居を含めて古い貴重な紙芝居を持ってる(らしい)人…といった程度の認識しかありませんでした。(現物はみていないので…) 谷先生の論文にも稲村氏所蔵の紙芝居は度々登場するので、私はもうとっくに紙芝居資料は北海道文学館に寄贈されているものだと思っていたのですが…
去年の四月、北海児童図書博物館の調査で広徳寺にお伺いした時に、住職の江隈薫氏から稲村氏が亡くなられたことを知らされました。で、あの紙芝居はどうなったのだろう…ということになったのでした。そこからの経緯は論文にある通りです。無事、文学館に着地して良かった。

 
▼ AINO FAIRY TALES   引用
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:26  No.706
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大変勉強になったのが高橋晶子『B.H.チェンバレン“AINO FAIRY TALES(アイヌ昔噺)”におけるアイヌ口承文芸の子ども向け再話』。
恥ずかしながら、私、「ちりめん本」を知りませんでした。
https://shinku.nichibun.ac.jp/chirimen/
この国際日本文化研究センターのデータベース、かっこいいですね。金、かかりそうだけど。

 
▼ ワッカタサップの丘   引用
  あらや   ..2024/06/16(日) 14:31  No.707
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老婆

皆さん 今日わ 私はこの丘に住んでおる婆じゃ
この丘 ワッカタサップ おおなつかしい名じゃ
古い土地の大帳にゃ このあたりのことを こう書いておる
胆振国 虻田郡 倶知安村字ワッカタサップ番外地 とな
わしらがここに住みついた頃は
大きな木がうっそうと茂ってな この空もみえなかったのじゃ
それを 血の出るような苦労をして 木を切り
いもをまいて わしらの丘をつくってきたのじゃ

京極で勤めている頃から『ワッカタサップ』という芝居(?)があったことは誰からともなく聞いて知っていました。広徳寺にお伺いした折にも、何かの拍子にこの話題が出て、坊守の江隈貞子氏より、それは昭和56年花まつりに公演された人形劇『ワッカタサップの丘』ではないかと教えられました。江隈貞子氏はその脚本を書き、公演をプロデュースされた当のご本人だったのです。そして、北海児童図書博物館蔵書が見つかった広徳寺書庫の一角からは当時の人形や脚本がわらわらと出てきたのです! いや、驚いた。



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