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No.718 への▼返信フォームです。


▼ たこ部屋ブルース Part 1   引用
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:53  No.718
  「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

連載二回目の中盤にして漸く始まる〈タコ部屋〉話。それまでの野島要三の人生を見てみると極めて異例のタコ部屋親方であることを感じる。こんな親方もいたのね。斎藤昭と同じく、朽木さんが書いたら、それは小説の中の「事実」なんです。


 
▼ たこ部屋ブルース Part 2   引用
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:57  No.719
   こうして現場についた土方を働かせるのだが、ただやみくもにやれっ、やれっ、と頭ごなしの命令をしたってだめだ。だから、
「おまえはここからここまでの仕事だ」
 と一人々々にわりふってやって責任を持たせる。そしてノルマを果たしたやつは、たとえ三時が二時になっても部屋に帰って寝転んでいてかまわないという仕組みでした。だから腕のいいやつ、やる気のあるまじめなやつは楽ができる。
 それとは逆にぐずぐずして割り当てた分を果たせないやつは、夜中までかかっても提灯をつけてやらせる。これが土方をサボらせずに使うやりかただが、誰だって夜業はつらいし、暑いとき、寒いとき、少しでも早く部屋に帰って楽をしたい。その一心でがんばるので、期日までに工事が完了するということになる。
 よく話に聞くんだけど、土方の尻をひっぱたいて酷使するという、そんなやりかたをする親方は下の下で、土方をやたらコキ使って疲れさせるとかえって能率はおちる。だからといって、大事にしてやったつもりが逆になめられて裏目に出てはなんにもならない。そこらがむつかしいんだが、とにかく土方から信用され、慕われて、自発的にやる気をおこさせるのが腕のいい親方なんだ。皆がこのおやじさんのためならばと精を出して働き、その結果たとえ一日でも早く期限内に工事が終われば、これは親方の大きなもうけになります。
(同書)

ここまで冷静に土方労働を語られると、一体あれは何だったんだ…という気にもなる。例えば、羽志主水(はし・もんど)。

 
▼ 監獄部屋   引用
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:00  No.720
   今は大正の聖代に、ここ北海道は北見の一角×××川の上流に水力電気の土木工事場とは表向き、監獄部屋の通称が数倍判りいい、この世からの地獄だ。
 ここに居る自分と同じ運命の人間は、かれこれ三千人と云う話だが、内容は絶えず替っている。仕事の適否とか、労働時間とか、栄養とか、休養とかは全然無視し、無理往生の過激の労働で、人間の労力を出来るだけ多量に、出来るだけ短時間に搾り取る。搾り取られた人間の粕はバタバタ死んで行くと、一方から新しく誘拐されて、タコ誘拐者に引率されてゾロゾロやって来る。
 三千人の内には、自己の暗い過去の影から逐われて自棄で飛込んで来るのもあるが、多くは学生、店員、職工の中途半端の者や、地方の都会農村から成功を夢みて漫然と大都会へ迷い出た者が、大部分だから、頭は相応に進んでいて、理屈は判っていても、土木工事の荒仕事には不向だ。そこへ圧搾機械のような方法で搾られるんでは、到底耐ったものでない。朝、東の白むのが酷使の幕明で、休息時間は碌になく、ヘトヘトになって一寸でも手を緩めようものなら、午頭馬頭の苛責の鉄棒が用捨なく見舞う。夕方やっと辿り着く宿舎は、束縛の点では監獄と伯仲でも、秩序や清潔の点では到底較べものでない。監獄部屋の名称は、刑務所の方で願下げを頼み込むに相違ない。
 搾り粕の人間の窶れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば国葬格だ。まだ搾り切れずに幾分の生気を剰して居る人間は、苦し紛れに反抗もする、九死に一生を求めて逃亡も企る。しかもその結果はいつも、判で捺したように、唯一の「死」。その死の形式は、斬殺、刺殺、銃殺はむしろお情けの方で、時には鬱憤晴し、時には衆人への見せしめに、圧殺、撲殺、一寸試しや焚殺も行われる。徒党を組んだ失敗者は時に一緒に十五、六人鏖殺されたこともある。
(羽志主水「監獄部屋」)

ひどくステレオタイプ化された〈タコ部屋〉。沼田流人などに「事実」を学習した東京のインテリたち。

 
▼ 人を殺す犬   引用
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:04  No.721
  それは例えば小林多喜二。

「集まったか?」大将がきいた。
「全部だなあ?」そう棒頭が皆に言うと、
「全部です」と、大将に答えた。
「よオし、初めるぞ。さあ皆んな見てろ、どんなことになるか!」
 親分は浴衣の裾をまくり上げると源吉を蹴った。「立て!」
 逃亡者はヨロヨロに立ち上った。
「立てるか、ウム?」そう言って、いきなり横ッ面を拳固でなぐりつけた。逃亡者はまるで芝居の型そっくりにフラフラッとした。頭がガックリ前にさがった。そして唾をはいた。血が口から流れてきた。彼は二、三度血の唾をはいた。
「ばか、見ろいッ!」
 親分の胸がハダけて、胸毛がでた。それから棒頭に
「やるんだぜ!」と合図をした。
 一人が逃亡者のロープを解いてやった。すると棒頭がその大人の背ほどもある土佐犬を源吉の方へむけた。犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢が見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。
「そらッ!」と言った。
 棒頭が土佐犬を離した。
(小林多喜二「人を殺す犬」)

『たこ部屋ブルース』は流人文学の魅力を思わぬ角度から照射してくれたことで私には忘れられない体験でした。羽志主水や小林多喜二の作品にこんな感情を持ったことはなかったです。

 
▼ 血の呻き   引用
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:07  No.722
  沼田流人が描く〈タコ部屋〉はもっと幻想的なものなんだ。

「どうした。藤田……」
 年老った、灰色の髭を生した監視者が、彼の肩を叩いて言った。
「頭が、痛い……。俺を、こうして置いてくれ」
 明三は、悩ましげに言った。
「お前は、……。ほら、あの病室だぜ……」
 老監視者は、なだめるように言った。
「うむ、その病室へ、入れてくれ……」
  (中略)
 明三は、そっとマッチを擦って、点火した。黄色っぽい弱々しい灯光は、暗い坑の中を溜息のように慄えながら、少しの間照した。
 それは、まるで穽のように深く遙かの上に、鉄板で覆われた室の壁が見えた。地面から底は、唯深い土の坑であった。明三が踏みつけたのは、恐ろしく腫れあがった人間の屍であった。しかも、その坑の底には、向うの隅の方に重なり合った二個の屍体があった。
 明三は、も一度マッチを擦って、屍骸の顔を覗き込んだ。それは、あの足に釘の刺った眼鏡をかけた若い男で、全身が暗紫色に腫れ上ってその足は、腐った柘榴のようになっていた。齦に膠着した唇の間から、気味悪く白い歯が光り、腫れ上った瞼の間から、灰色の、死にきれないような恐ろしい眼が、暗がりを見ていた。
(沼田流人「血の呻き」/二二章)



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