| TOP | HOME | ページ一覧 |


No.728 への▼返信フォームです。


▼ シロカニペ 第29号   引用
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:14  No.728
  .jpg / 52.5KB

「シロカニペ」の最新号、待ち遠しかったです。これには去年の9月23日「知里幸恵フォーラム」で行われた金田一秀穂氏の講演要約が載っているんですね。
じつは去年の夏頃、この講演に行こうか行くまいか、けっこう悩んだんです。でも、7月に京極町で行った私の講演『湧学館後の日々』が上手く行かなくて(音声不良)、その後、講演内容を人間像ライブラリーに起こすなどの作業に没頭したため登別に行くチャンスを逸したのでした。

 金田一京助の孫というだけで呼ばれましたから、アイヌ語や知里幸恵さんのことはほとんど知らないわけで、アイヌ語やアイヌ文化に関してお役に立つお話はほとんどできません。ですが、僕は普段、大学で日本語学・言語学を教えています。言語学ではバイリンガル(二つの言葉ができる人)について扱うので「バイリンガルとしての知里幸恵さん」というお話ならできそうです。
(金田一秀穂「幸恵の言葉」/要約・山口翔太郎)


 
▼ バイリンガルとは   引用
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:23  No.729
   バイリンガルは、翻訳や通訳が良くできると思われがちです。できる人もいますが、そう簡単ではありません。英語の頭と日本語の頭というふうに、二つの言葉が同時に頭の中にあって、両方を感じ取ってしまいます。そうすると、世の中の見え方が違います。例えば、今朝ホテルでイカそうめんが出ましたが、あれは「イカそうめん」という言葉があるから食べられます。「イカの死骸の肉を細く切ったもの」と言われたら嫌です。
 誰しも、方言と共通語のバイリンガルです。例えば北海道だったら「あずましい」とか言うんですかね。それを共通語で言うとなると困りませんか。まだ共通語ならなんとかなりますが、アイヌ語と日本語のように全く違う言語では、恐ろしく困ったことになります。初めて見たものを、どちらの言語で考えたら良いか悩むことは、とてもつらく苦しい大変な作業です。自分の頭の中が分裂しちゃうわけです。両方をうまく調整できて、矛盾を感じず、悩まない人もいますが、それには、ある種の才能、天才的な賢さが必要です。二つの言語ができるとは、そういうことです。普通はできません。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力   引用
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:28  No.730
   幸恵さんはどうだったかというと、その辺の葛藤や苛立ちをあまり感じさせませんが、弟の真志保さんは、かなりあったのではと想像します。たぶん、真志保さんはアイヌ語を日本語にした時に「そうじゃないよ」と恐ろしく感じる人で、それがつらかったのではと思います。彼は、京助のお弟子さんとして研究を始めます。幸恵さんの弟さんなのでアイヌ語が良くできます。京助の翻訳に「違うよ」と思うことが多かったんでしょう。幸恵さんは素直な人ですから、割りと「そうなんですね」と従っていたと思いますが、真志保さんはそう思えなくて、最終的に京助と喧嘩になってしまいます。京助はすごく寂しい思いをしましたが、真志保さんは正しい判断をしたと僕は思います。

昔から知里真志保の文章が恐ろしく読みにくかったのです。こちらの頭が悪いからなんだと長らく思っていたけれど、この説明でもの凄く救われたような気がする。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力   引用
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:34  No.731
   ところが、幸恵さんの場合は味方がいません。京助の奥さんに連れられて銀座へ行っても.、アイヌ語にその語彙がないから、見聞きしたものをうまく表現できません。日記を読むと、大変だったんだなと感じます。
 逆に、時々入る自然描写には、とても美しい言葉が出てきます。「銀の滴降る降る」という一節が有名ですが、日記でも、雨を「緑の雫、銀の雫」と表現しています。「緑色の朝」という言葉もあります。それらはたぶん、アイヌ語にある言い方を、そのまま日本語に変えられたんでしょう。幸恵さんの日本語が魅力的なのは、母語のアイヌ語が魅力的だからです。

札幌へ用事で行くバスの中では必ず『アイヌ神謡集』を持つようになった。声に出さないが頭の中では、トーロロ ハンロク ハンロク!とか、クツニサ クトンクトンといった音が鳴っている。宮沢賢治以来の面白さだ。最近では日本語の右ページだけでなく、左ページのアイヌ語も読むようになりました。意味はわからないけれど、音が心地よい。

 
▼ 血の通った濃密な気配のユカラ   引用
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:39  No.732
   よく「美しい日本語、正しい日本語は何か」と聞かれますが、正しい日本語なんてないです。あるとすれば、それは心からそう思っている人が発した、本当のことを言っている言葉です。それは相手の心を打ちます。最近はAIが作文しますが、書かれたものを見ると、つまらないです。絶対に間違いも失礼もなく、万事滞りなく、全てに目が行き届き、うまく丸く収まる文章ですが、心に響かない。それは美しくないし、正しくない日本語だと思います。文法的に正しくても、無機的で血の通っていない言葉のような気がします。
 幸恵さんの日本語やアイヌ語には、血が通っています。彼女の中の、おばあちゃんや伯母さんの言葉は、印刷された言葉ではなく、生の声です。声には気配があります。言葉だけでなく、息使いや態度、表情、姿勢で表現される一つ一つが、ユカラ(叙事詩)全体を作っていると思います。

やっぱり行った方がよかったかな。最後の質疑応答で面白いことがあったのでご紹介します。

【質問2】映画『カムイのうた』で、おじいさんの人生が描かれましたが、感想は?
【回答2】自分が出るテレビさえ見ないので、家族の出るものなんか恥ずかしくて一切見ません。怒られている時もあって怖いし。



Name 
Mail   URL 
Font
Title  
File  
Cookie  Preview      DelKey