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ウィークディのランチビール・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/07/04(木) 03:13
.gif / 3.7KB 本当は「鞆の浦」の続編を書きたいのだけれど、探している資料が見つからず、週末に書くことにして、昨日のランチについて書こうと思う。
仕事休みの3日(水)は友人と待ち合わせ、開店1年になる魚定食を食べさせてくれる食堂に入る。混むのは12時過ぎからで、我々は開店早々の11:30に入店、テイクアウト用の弁当作りに忙しい。

魚の焼くいい匂いを嗅ぎながらまずはサッポロ黒ラベル生で乾杯。旨い!!
つまみは炙ったイカでいいは八代亜紀の歌だが、本日はイカの塩辛にする。
魚専門の食堂は珍しく、サラリーマンや年配のお客さんに人気のようで、私もその一人である。むかし父が「魚は毎日でもいい」と良く言っていたが、私も肉よりも魚料理の方が好きだ。
以前と言って1年ほど前まで隠れ家的なお寿司屋さんがあって、友人が来るとランチに良く使っていたが、急に引っ越してしまい、それと入れ替わるようにこの食堂が出来た。

旨いビールを呑みながら私は「銀鮭定食」、友人は「焼きサバ定食」を注文する。
ここの魚は大ぶりなうえに脂も乗っていて、じっくり焼いてくれるので実に旨いしビールもすすむ。
ここからちょっと歩けば広尾の商店街に出られ、広尾にも魚定食を食べさせてくれる店があるのだが、最近はもっぱらこの店を利用している。次回はお気に入りの冷やし中華にしようか。【20240704(木)】


夕べは熱帯夜・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/07/03(水) 03:11
.gif / 2.3KB 午前三時、目覚まし時計の音で目が覚める。
たっぷり8時間は寝ただろう、熟睡出来たのだが、Tシャツは汗で湿っている。熱帯夜だったのだろうか。
昨年に比較すると本降りの雨が多く、そのうえ連日蒸し暑い日が続いているようだ。梅雨入りが遅く、梅雨明けも早そうなことをニュースでは伝えているがもっと雨が続きそうな気配を感じる。

昨年のダイアリーを見ると、梅雨入りは6/8で梅雨明けは7/22になっている。
しかし、ほとんど雨は降らず、連日暑さは続いていた。梅雨入りしたとき1週間ぐらい雨は降っていたがその後は降らず、6/12以降オオタニ君の本塁打量産に呼応するかのように真夏日が続いていた。
暑さが続いていたのに梅雨明け宣言するのは遅いんじゃないかと思ったほどだった。

確かにウオーキングの距離もサボっているわけじゃないけど減っている。
今日は久しぶりに友人と恵比寿でランチをしようと考えている。やっぱり休日のランチビールは私にとって最高の贅沢でもある。さてテルモスを持って早朝ウオーキングに出かけるとしよう。【20240703(水)】


鞆の浦(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/07/02(火) 03:07
.gif / 2.3KB 「鞆の浦」といきなり時代的な名勝地を私のコラムに取り上げてみた。
『かつて日本の大動脈を担っていた瀬戸内海の中央に位置している鞆の浦は、満ち潮と引き潮がぶつかる場所でもあったため、瀬戸内海を横断する船は一度ここで立ち止まり潮の流れが変わるのを待っていました。 そしていつしか「潮待ちの港」と呼ばれるようになり、人と物が行き交う寄港地として栄えた歴史を持っています』と解説されている。

先日、購読している毎日新聞の記事を切り抜きしていたら「わたしのふるさと便/広島県」として、この港「鞆の浦」が取り上げられていて、早速切り抜き書斎でじっくり読むことにした。
実は以前からこの場所に行ってみたいと思っていたのだが、なかなかそのチャンスがなく、またどういう方法で行けるのかもわかっていなかったのだが、この記事を読み詳しく調べることにした。

なぜ行きたくなったのかという理由は三つあり、一つは明治維新の魁と言われた幕末の志士清河八郎が25歳のとき母を伴い、諸国漫遊(山形県庄内町〜善光寺〜金毘羅山〜錦帯橋〜備前〜大阪〜京都〜天橋立〜江戸〜山形)の旅の途中、ここ鞆の浦にもよってその絶景を旅日記「西遊草」に収めていたこと。
二つ目は坂本龍馬が暗殺される半年前に紀州藩との間で「いろは丸事件」が起きて、その賠償交渉にあたった場所でもあったこと。そして三つめはこの鞆の浦の海を埋め立て道路建設しようとしたとき、住民が立ち上がり国道建設を撤退させたこと。などが理由である。詳しくはおいおい書いていこうと思うのだが、最近になって急に旅をしたいと思うようになった。【20240702(火)】


半年が過ぎた・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/07/01(月) 03:09
.gif / 2.3KB 本日より7月、2024年も半年が過ぎてしまった。
昨日は久しぶりに18kmのロングウオーキングを行い、シャワーを浴び8:15から始まったMLBドジャースvsジャイアンツ戦を観戦、ショウヘイさんは第2打席で6月12本目となる本塁打を打った。
この日は両チームの投手が調子悪く、出て来る投手が抑えきれず乱打戦となり、延長戦までもつれ込み14-7でドジャースが勝利した。

試合終了後、読書に出かけようとしたのだが、あまりの蒸し暑さで外に出る気力は無くなり、ダラダラとしていたのだが、午後になりこれじゃまずと思い出かけようとしたら、小雨が降って来たので結局、終日ウサギ小屋に閉じこもって一日を過ごした。私としては珍しい・・・(笑)
それでも結構溜まった新聞の記事を切り抜く作業だけはしたのだが、あまり気に入った記事は見つからなかった。

半年過ぎた中での主な活動と言えば、1月、2月は趣味のスキーに行き、6月前半にNPOの仕事で山形に行ったことぐらいだろうか。NPOの活動は山形県庄内町とお隣の戸沢村を訪問、そして山形県庁に出向き、活性化の提案などをさせて貰ったのだが、地元がどう受け取ってくれるか、今はジッと待っている状態である。庄内町では5年前に最上川に舟番所(関所)を150年振りに復元、現在は「御殿茶屋」として結構な賑わいを見せている。今後二期、三期の基本構想改訂版の作成を依頼したいとも言ってくれた。

今月1ヶ月大学での仕事をこなせば、我々シルバーも長い夏休みに突入する。
観光地はどこに行ってもインバウンドや国内旅行をする日本人で溢れかえり、あの人混みを見るだけで人酔いしてしまいそうで、観光地への旅をする気力は失せてしまう。ここはじっくりドクダミ荘周辺をのんびり散歩するに留めておこうと決めている。【20240701(月)】


葛西臨海水族園(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/29(土) 03:18
.gif / 2.3KB 都市公園の計画・設計を生業にして40年間の中でも印象に残る仕事でもあった。
特に正面入り口の滝(高さ4m×幅20m)は、そのむかし横浜市旭区の住宅団地にも同じような人口の滝を設計したのだが、同じような滝を二度も設計出来たのはとてもラッキーだった。

「水辺の自然」はむかし東京周辺のどこでも見られた池や川(長さ200m、高低差6m)が再現され、水草の中を泳ぐ魚(アユ、オイカワ、ウグイ、タナゴ、ハヤ、ドジョウなど)が早瀬や淵でも良く見られ人気があった。雑誌BE-PALにも取り上げられたりもした。
幅30cm〜3mの人工の川に流す水の量や深さを調整しながらの設計には随分苦労したことを思い出す。

8月には中学1年になる孫(3歳から毎夏、冒険旅行と称して羽黒山や高尾さん、そして月山縦走の旅をしていた)を連れて行こうと考えていたのだが、川の生物や水生植物はすでに他の場所に引っ越ししてしまったようで、もう見ることは出来なくなった。
2011年の東日本大震災の数年後、友人と一緒に見学に行ったのだが、管理担当者は震災の影響も殆どなかったとやや自慢げに話してくれたうえ、入場無料にして貰ったのはちょっと嬉しかった。要塞のような新水族館が出来る頃には果たして生きているのだろうか。(笑)【20240629(土)】


葛西臨海水族園・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/28(金) 04:47
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このところ何度か、葛西臨海水族園の記事が毎日新聞に掲載されている。
渋谷に在った造園設計事務所に勤務していた1979年から1989年の後半2年にかけて、谷口吉生建築設計事務所と東京都から委託を受け、水族園の正門入り口部の「滝の広場」を含めた「水辺の自然」の設計を担当させて貰った。開業は1989年、あれから35年が経過、谷口さんが試みたのは「建築の存在感を極力極小化して、むしろ目の前に広がる東京湾と修景によって新たに広がる樹林帯を引き立てる環境造形と呼べる方法」という考えはいまや風前の灯となっている。https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=&inst=&link_num=28606

鬱蒼と生い茂った葛西臨海公園には、樹木1700本のうち300本だけを残し、600本を伐採、800本を移植して巨大な要塞のような新しい水族館が建設されるという。“建築をつくることは余白としての庭園を生み出すことだという環境形成の哲学”はこれで失われてしまう。その上、民営化によって入園料は数倍になることが予想されるらしく、誰もが等しく自然環境を学ぶ社会教育的な性格は大きく損なわれるという。
公園全体が商業化されたテーマパークに変貌するのは明らかだと、神奈川大学教授の松隈洋氏は語っている。同じような状況は明治神宮公園の再開発にも言えるのではないだろうか。88年から89年の2年間はいい勉強をさせて貰った。あの頃の忙しさは実に楽しかった。【20240628(金)】


トマトの収穫・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/27(木) 07:14
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昨日は気温30℃を超える中、屋上の畑で育てているミニトマト(アイコ)の収穫を行った。
先日、管財課へ捥ぎごろですよと報告しておいたところ「管財課の方で採りに行きます」と言っていたのだが、昨日「スイマセン、忙しくて行けないので採って貰えませんか」とわざわざ作業中の私を探して声をかけてくれた。

午前9時過ぎ、直径20cm、深さ15cmほどのボール2個を持って屋上へ。いや〜暑い!!
小一時間ほどかけてボール2杯のアイコを収穫することが出来た。
トマト以外のサツマイモやナス、メロンなども順調に育っているが、雑草の成長も凄いことになっていたので、トマト収穫後、90分かけて除草を始める。非常に蒸し暑かったので途中、麦わら帽子を取りに行き、45リットルのビニール袋2個が一杯になった。かなりの重さである。
午後は水遣りと、終日畑での作業だった。それにしても蒸し暑かった〜。【20240627(木)】


遠征ランチを楽しむ・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/26(水) 02:52
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昨日は久しぶりに逗子まで遠征してランチを楽しんだ。3ヶ月振りかも知れない。気にはしていて、行って見ようかと思っていたら、オーナーの方から連絡を貰い決断した。
自宅らかお店までドアツードアでちょうど1時間、居眠りしているうちに着いてしまう。
まあ、たまには読書などしていればあっという間だ。

昼前に着くとカウンターには2人分の席が用意されている。
「えっ、誰かくるの?」、「クマさんを好きな人」、「えっ、誰?」、「剛ちゃんよ」、「そうか、剛ちゃんか」、昨年5月のモンクスBBQの時に紹介された神奈川県警のKさんである。
能登地震の災害復旧のため石川県穴水町に2週間、派遣されていたのだが、つい最近帰って来たらしく、連休を貰えたのでランチに来たということだった。スポーツ万能だが、スキーだけは初心(級)者とかで、どうしても上手くなりたいと、先シーズン(今年)1月と2月にマンツーマンに近い形でコーチをしたら中級ゲレンデまで滑れるようになった。とにかく来シーズンが待ち通おしくて仕方ないらしい。
ランチタイムが終わってもオーナーを入れて、男子3名、夏のスキー談義は盛り上がった。【20240626(水)】


暑かった〜・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/25(火) 03:21
.gif / 2.3KB いや〜昨日は実に“熱”かった。
都心の気温は今年最高の33.4℃、そのうえ蒸し暑く、予定していたトマト畑の除草は諦め、水遣りだけに専念した。トマトの他ナス、サツマイモ、メロンも順調に育っている。
昨日は新しい品種のトマト(アイコ/前回はミライと書いたのだが、間違いでした)はたわわに実をつけ、管財課へ報告したところ、本日捥いで食堂で学生に振舞うとか・・・全員には無理かもしれないが、甘いので学生請けするかも知れない。

今日は仕事休みなので、久しぶりに逗子までランチに出かけようと考えている。
最近はすっかりご無沙汰していて気にはなっていたら案の定、先週オーナーから連絡が来てしまった。(笑) ウィークディのランチはそんなに混んではいないので、会話をしながら一人でも気兼ねなく楽しむことが出来る。以外と気が小さい方で、近所の居酒屋にも一人で入った試しがなく、せいぜい書斎としている珈琲ショップ位しか一人では入れない小心者なのである。

逗子にはもう一軒、2年前から友人が小さなカウンターだけの寿司屋を開店したのだが、寿司にしようか、洋食にしようか、いつも悩んでしまう。それもまさに目と鼻の先ぐらいにお店があるので悩みの種となっている。寿司は次回の愉しみということで、今回は店自慢のビール付きハンバーグランチを頂くことにしよう。【20240625(火)】


趣味の話・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/06/24(月) 03:06
.gif / 2.3KB 都心も昨年より2週間ほど遅れて21日(金)梅雨入りした。
梅雨入りして初めての休日は朝からの雨、予定通り書斎で溜まった新聞記事を読みふけっていたのだが、わずか三分の一を消化しただけで帰宅し、11:10から始まったMLBドジャースvsエンゼルス戦を観戦、応援の甲斐あってかショウヘイさんの23号2ランが飛び出した。

午後はTVを付けたまま居眠りを繰り返していたら、どっかの番組で趣味の話で盛り上がっていた。そこで高貴(笑)高齢者となった私の趣味はなんだったろうかと振り返ってみることにした。
貧しい家庭に育ったため、好きな運動部に入ることは出来ず、自宅周辺をランニングをやっていたが、これを趣味と言えるかどうかは難しい。
高校3年間は応援団に入団して運動部の応援で県内の至る所へ遠征出来たのだが、これは旅行というようなものでもなく、制約された中での移動だから趣味のうちには入らないだろう。

趣味と言えるようになったのは社会人になり、多少経済的にも余裕が持てるようになってからだった。好きなスポーツ(野球、スキー、トライアスロン)とカメラ(スポーツ写真を撮ること)、それになんと言っても本を読むことだった。高貴高齢者になった今でも運動と読書は欠かしたことはなく、身体が動く限り、この二つの趣味は続いて行くに違いない。【20240624(月)】




 
 


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