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夏休みに入る前だったと思うが、裏の畑で採れた初物のきゅうりを数本持って川に行き、陸羽西線の鉄橋の上から持参したきゅうりを川に投げ入れるということを毎年していた。 川に棲む河童に差し上げ「僕を川に引き連れていかないで下さい」という、思いを込めたお願いだった。
当時は海水パンツというような洒落た物が無かったので、普段着の短パンで行くか、私の場合は母や祖母が作ってくれた赤いふんどし(通称:赤ふん)を身に着けて終日川遊びを楽しんだ。赤ふんは河童が嫌いな色だという言い伝えがあったのだと思う。今でいう水難事故を防ぐための儀式ではなかったろうか。 こういう習わしは遠野(岩手県)でもあったのだろうか、調べてみたい。
中学校の3年間も同じような川遊びをしていたように思う。 但しパンツは赤ふんから初めて親に海水パンツを買って貰った。 トランクスタイプの水着に白い布地のベルトにバックルはシルバー製で輝いていて、バックルを嵌めるとカチャッという音がカッコ良かった。ただ、1シーズン使うと錆が出て来てバックル付近から白いベルトが茶色に変色してくるのであった。 赤ふんは小学校高学年ぐらいになると、ちょっと恥ずかしさが出て来て、初めて買ってもらった水着はもの凄く嬉しかったことを覚えている。それでも泳ぐことよりもカジカ獲りに夢中になった。父は鮎釣り名人として名を馳せ、旧国鉄(現在のJR)の鮎釣り大会の時は前日から友釣り用の種アユを獲るのに忙殺されていたことも強く印象にン残っている。【20240811(日)】
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