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タイ焼きの値上がり・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/12/06(金) 03:02
.gif / 2.3KB タイ焼きの値段は大体一尾200円ぐらいだが、最近恵比寿にある柊(ひいらぎ)のタイ焼きの値段が30円値上がりして230円となった(なるらしい?)
恵比寿駅周辺にはタイ焼きやさんが、3ヶ所ほどあるが、私は断然柊のタイ焼きが好きでときどき友人に土産として持参することもある。

日本人は三大なんとかというワードが好きな民族であるらしく、東京の三大たい焼き屋さんというのもある。その三大たい焼きとは麻布にある「浪花家総本店」、人形町の「柳屋」、四谷の「わかば」と言われているが、これらは誰がどういう基準でランク付けしたのだろうか。麻布は恵比寿からも近く、昔は洋食屋「がんちゃ」があって友人を伴い良く通った。その際、何度か浪花家のたい焼きは食べたことはあるが、柳屋さん、わかばさんのたい焼きは食べたことはない。
余談になるが、“泳げたいやきくん“という歌があったが、そのモデルとなったのが麻布のお店だったらしい。

恵比寿のウリ(自慢)は恵比寿ビールだけだったが、最近では“柊のたい焼き”と“恵比寿豚まん”も加わることが出来、小自慢できることになったのは嬉しい。(笑) そうそう、恵比寿ユニクロ店では、恵比寿ビールがプリントされたTシャツが人気を集めているが、柊のたい焼きもプリントしてくれたら喜んで着用したい。週末、久しぶりに食べてみようかな。【20241206(金)】


晩秋・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/12/05(木) 03:14
.gif / 2.3KB ドクダミ荘周辺もやっと紅葉が楽しめるようになった。
NPOの仕事などで地方に行く機会が多かったのでいわゆる“紅葉狩り”と称する旅行はした記憶はないと思う。
都心にも新宿御苑、明治神宮、代々木公園、表参道のケヤキ並木、もう少し近くには恵比寿ガーデンプレイス、目黒川沿いと緑は多く、新緑や紅葉に飢えていると感じたことはない。

恵比寿から國學院大學を結ぶ道路のイチョウ並木は現在、まっ黄色に染まり見ごたえ十分の景観をつくっている。明治神宮外苑や昭和記念公園などには及ばないがね。(笑) 大変なのは大学に植えられているケヤキ、イチョウ、タイワンフウの落ち葉が今が旬で多い時には終日落ち葉の処理にてんてこ舞いをしている。無風の場合は問題ないが、風があった日には処理した後(うしろ)を見ないようにし、ただただ前だけを見て処理するしかないというのが本音でもある。ただしモミジの落葉はこれからで、葉が小さい分、ちょっとした風でも飛んでしまうのでこちらの処理も大変。【20241205(木)】


リフト券1万円越え・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/12/04(水) 04:01
.gif / 2.3KB 昨日ネットニュースを見ていたら、ニセコスキー場のリフト券が今冬初めて1万円を超え、1万500円になったというから驚きだ。ニセコ地域を訪れた外国人観光客の延べ宿泊数は昨冬、過去最高を更新、その人気を追い風に2024年度から3年間で100億円超を投資するスキー場もあるらしく、道民からは「高くてとても行けないとため息が漏れている」とかで、もちろん内地から行くスキーヤーにとっても二の足を踏んでしまうことだろう。

現ルスツリゾートは1972年にオープンした当時、大和ルスツスキー場と呼んでいて、スキー仲間3人で滑りに行き、夜はボウリングに興じたのだが、今冬からルスツリゾートのリフト券は何と1万4500円となるらしい。
2005年、スキー仲間(男女4名)がニセコで滑ったときのツアー料金は2泊3日二食付き¥49,200-/人で3日間のリフト券も付きだったことを考えれば、ニセコやルスツのスキー場などは、昔のように気軽にスキーに行ける場所ではなくなってしまった。昨年7か所のスキー場が閉鎖されたと聞くが、スキー場にも格差の波押し寄せている。

私もそろそろスキーを封印しようと考えていたのだが、一昨年逗子の住む友人からカービングスキーの滑り方を教えて欲しいと依頼され、昨年は数年ぶりにスキーブーツを購入した。友人が経営するお店のお客さんにはスキー好き(40歳代以上のお客さん)が多く、今シーズンも3回のツアーを組んでくれるという。ツアーを組む必要もなく、ただ参加して楽しく滑るだけの身分になったことは嬉しい限りで、初滑りはどこなのか今からウキウキ気分である。ちなみに昨年の湯沢高原スキー場の1日リフト券は¥3,500-だった。【20241204(水)】


読書日記―30 [ RES ]
クマジィ 2024/12/03(火) 03:22
.gif / 2.3KB 20024年のカレンダーも残り1枚となった。
月日の経つのは誰もが一緒だが、早いと感じる人はきっと充実した人生を送っている人かも知れない。そういう人生を送りたいと思ってはいても私の人生はなかなか思うようにいかない。それでも充実したいと思ってチャレンジするところに人生の面白さが潜んでいるのかも知れない。

●池永 陽著:「珈琲屋の人々/遠まわりの純情」 双葉文庫

【避けがたい理由で人を殺してしまった喫茶店『珈琲屋』の主人・行介と、かつて行介の恋人だった冬子。ふたりの恋の行方を軸に、『珈琲屋』のある商店街に暮らす人々の苦しみや喜びを描いて人気を集めるシリーズの最新作。今作では、『珈琲屋』に預けられた今日子という女の子をめぐり、人間の裏と表の顔を描出。濃厚でほろ苦く、それでいて温かい〝人間ドラマ〟が展開される。―本の紹介よりー】

著者の「珈琲屋の人々」を最初に読んだのは確か“心もよう”だったような気がする。
珈琲というワードにすぐ反応するという性格を持っているのだが、それは小学生のころ亡き長兄が帰省したとき、ドロップ缶に入った粉末の珈琲なるものを飲ませて貰ったときからだったと記憶している。あれから優に半世紀以上が経っている。

ロスオリンピックの時、アルバイトに来ていた女性がロスオリンピックのボランティアをやりたいとロスに行きにハガキをくれた。その文面には「ヤグチさんが良く言っていたいい街の条件とは“珈琲屋さんと本屋さんがあるまちはいい街だ”と言っていたことが良く分かった」と書いてきたことがあった。
日曜日も朝8時から1時間ほど「珈琲屋の人々/遠まわりの純情」をコーヒー・クリエでブレンドコーヒー/ホットを飲みながら読了。【20241203(火)】


アルコール解禁・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/12/02(月) 03:11
.gif / 2.3KB 日本橋にあるクリニックに行って昨日で1週間が経過した。
やっとアルコール禁止から解放され、夕べはしたたか呑んだと言いたいところだが、控えめに焼酎ロックを1.5杯、時間をかけて呑んだ。いい気分だった。
どんな酒でも呑み、また強い方だと思うのだが酒に呑まれたことはないと思う。
父は大酒呑みで酒癖も決していい方ではなかったので、男兄弟4人は父を反面教師にして誰もがいい酒を呑んでいた。

私が最初に酒を呑んだのは高校2年の時だったと記憶している。
一つ先輩の家で作ったどぶろくに砂糖を少し入れ甘くしたどぶろくを小茶碗一杯飲んだところ、いい具合に酔って先輩の家に泊まってしまった。土曜の夜で助かった。
酒を呑んだ最初の思い出である。

東京に出てきて間もないころ、長兄が住んでいた新代田(井の頭線新代田駅)に兄弟4人が集まり夕食後、呑みに行こうと言う話になり下北沢にあったキャバレーとクラブの中間ぐらいの店で吞むことになった。
愉快な酒で大いに賑わい店の女性にも振舞った。もちろん長兄の奢りである。
男兄弟4人で来店したのは珍しく、それも愉快な酒だったので店も喜んでくれたのを今でもはっきり覚えている。

錦糸町にある設計事務所の後輩(すでに退職)が、OB呑み会をしようと連絡をくれた。7日(土)18:00からだという。翌日の早朝ウオーキングに支障のないように帰宅できるのか甚だ心配である。“酒は百薬の長“になれば申し分ないのだが・・・【20241202月)】


聖護院大根・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/12/01(日) 04:24
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聖護院大根(しょうごいんだいこん)は、京野菜の一つであり、「京の伝統野菜」に指定されていて、京都の冬には欠かせない食材と言われる。
その大根がいま大学の屋上の畑で育てられ、丈が20cmほどまでに成長した。
収穫したあとテレビなどで千枚漬けするシーンが放映され、冬の風物詩にもなっている。昨年は普通の大根だったが、今年は聖護院大根を植えてもう1ヶ月ほどになる。

二十代前半、2年半ほど大阪支社に転勤していたとき、京都にスキー仲間が3人ほど住んでいて週末になると京都に行っては観光地や美味しい食べ物やに連れて行ってもらっていた時期があった。その際、お店の名前は忘れてしまったが千枚漬けを食したことがあったが。どんな味だったかはすでに記憶の中にはなくなっている。
12月暮れ、休みに入る前には収穫した際、1本ぐらいは貰えたら嬉しいのだが果たして・・・(笑) 【20241201(月)】


詩人佐々木安美さんと会う・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/11/30(土) 04:12
.gif / 2.3KB シルバーを通じて勤務先の大学で知り合いになった詩人佐々木安美さんと1年半ぶりに恵比寿ガーデンプレイスで会いともにランチを楽しんだ。
最上川舟運で栄えた山形県大石田町出身ということもあって、勤務した当初から何くれと声をかけてくれた。植物も好きなところも似ていて、見てくれの悪い空き地にせっせと植物を移植してはそれなりの景観をつくって来たシルバー仲間でもあった。

職場でのちょっとした事情があって5年勤務した大学の臨時職員を辞めて現在は自宅のある笹塚(渋谷区内)で悠々自適の生活を送りながら、詩集本の制作や創作活動に余念がない。そして何よりも好きなヘラブナ釣りも月3度は出かけるという。
詩人としては詩壇界の芥川賞と言われるH氏賞や丸山豊賞の受賞歴をお持ちの方なのだが、そんな姿は微塵も見せず、多少自虐的に自分をさらけ出すというそんな性格を持っているところが私のお気に入りのところで、仕事中にもよく会話を楽しんだものだった。

会う1週間前、2冊の詩集と1冊の絵が送られてきた。
詩集の1冊は「生き事19号2024」ともう1冊は「すぷん/鏡順子と佐々木安美6号」、じっくり読ませて貰ったのだが特に「すぷん」が私には心地よく、二人の詩を論評した3名の方のお二人が表した詩を難しくも解りやすく解説してくれたのが素晴らしかった。佐々木さんに「詩作者は哲学者だね」と言ったら「そういう見方、よくされるよ」と言ってくれたのが嬉しかった。
また会いましょうと言って自転車にまたがり颯爽と帰って行った。御年72歳まだまだ元気!こちらも負けちゃいられない。(笑)【20241129(土)】


季節外れのトマト・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/11/29(金) 04:54
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今年5月に屋上の畑にミニトマト(品種名:アイコ)を植え、9月に収穫したのだが、収穫が間に合わず落ちた多くの実が畑に落ち、その後、茎や蔓を処分さらに畑を耕し元の更地に戻したのだが、その均した畑からトマトが芽を出し20cmほどに成長した苗を理事長室で育てたい(鑑賞)ので植木鉢3個に移し替えて欲しいとの依頼を受け移し替えた。

残った10数本の苗は畑の端に寄せ植えしたのだが4、5日ほど前に管財課職員の方にのらぼう菜の苗を植えたので水遣り・除草をお願いしたと言ってきたので、畑に見に行ったところ、寄せ植えしたトマトが10個ほど緑色の実をつけていた。
今年の夏は昨年以上に暑かったので実をつけたのか、それとも季節外れでも普通に育つのかは不明だが、期待した以上に育っていたのには植えた私が驚いている。
果たして食べられるようになるのだろうか、食べれても美味しいのだろうか、不安半分期待半分の気持ちでこれからの成長を見守っていきたいこの頃である。【20241128(金)】


白洲次郎(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/11/28(木) 05:07
.gif / 2.3KB 私はそのころ、蔵王と青木湖のスキー場をベースに仲間達と一緒に滑りまくっていたのだが、ある日地元の友人でSAJ指導員のサイトウさんとリフトに乗りながら白洲次郎(ヒュッテ・ヤレン)の話をしたところ、山荘も現存しているし、支配人を良く知っているので中を見せてもらえると言う。そうしてS女史とOさん、そして私の3人は支配人の案内で山荘を見せて貰った上、オーナーも紹介して頂いた。

そして2010年ごろ、東京に住むオーナーと話し合いの末、「ヒュッテ・ヤレン保存・活用の会」創設を了承してもらい、活動を続けた。(詳細は、まちネットHPを参照)
話はずいぶん飛んでしまったが、先日のテレビを見て何故吉田茂が20歳以上も年の離れた白洲を側近にしたのかわずかながらも知ることが出来たことが嬉しい。

余談になるが、先日石破首相が椅子に座ったまま握手したことがマナーを知らないと批判されていたが、似たようなケースが池田隼人元首相にもあった。今回のテレビにも映っていたのだが、講和条約調印のためアメリカに向かう飛行機の中で池田が食後に喰え楊枝で寛いでいると、後ろの席の白洲が「行儀が悪い」と言って素早くそのつま楊枝を取り上げたという話を「風の男 白洲次郎(青柳恵介著)」に記されている。
知識人でも政治家でも有名人でもマナーの知らない人はずいぶんと多い。【20241128(木)】


白洲次郎(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/11/27(水) 06:01
.gif / 2.3KB いや~初めて白洲次郎の動いている姿を目にし、生の声を聴くことが出来た。
11/25(月)NHK総合テレビ午後10時から放映された『映像の世紀 占領下のワンマン宰相・吉田茂日本独立と安保条約の舞台裏▽側近白洲次郎』を録画し、夕べ夕食をしながらじっくり本人を観察することが出来た。
カッコ良さは当代随一だが、声は意外と軽い感じがして驚いた。

私が初めて白洲次郎を身近に感じたのは、2006年4月5日NHK総合テレビで放映された、そのとき歴史は動いた『マッカーサーを叱った男 白洲次郎』を見た時だった。番組の途中から私が勤務した会社の元社長永山時雄(当時商工省物資調整課長)が出てきたのでびっくりして凝視したことを思い出す。
白洲次郎は吉田の命により商工省を解体し、貿易庁を創るとして永山と敵味方として対峙、その後一緒になって貿易庁(元通産省、現経済産業省)を創設し、初代官房長となるのだが、その後天下って私が勤務した総合コンサルタントの社長に就任することになる。
白洲と永山は、生涯の友人として過ごすことになるのだが、宮沢元首相は「白洲次郎を一番良く知っているのは私と永山さん」と語っている。

私が勤務した会社では当時「誕生会」というのがあって、その月の誕生日だった社員と社長がランチを共にし、記念品をもらい歓談するのが習わしとなっていて、私が出席した4月の誕生会で「矢口君は山形出身か・・・懐かしいな」と声をかけて貰った思い出がある。高卒出身のルーキーに声をかけて貰えるとは思わなかったのでその時は何も感じなかったのだが、白洲次郎が東北電力初代会長に就任すると仙台から山形蔵王に向かい、蔵王温泉スキー場に山荘「ヒュッテ・ヤレン」を造ることになり白洲次郎~永山時雄~矢口~蔵王~白洲次郎(こじつけ(笑))【20241127(水)】




 
 


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