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一月の満月・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/14(火) 04:20
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1月の満月は「ウルフムーン」と言うらしい。
昨日早朝ウオーキングの際、茶屋坂上で見た時は薄い雲に覆われていたが、代々木公園に入ると雲が切れ、くっきりと1月の満月ウルフムーンを見ることが出来た。
ラジオを切り、スマホを取り出し満月を収め、またウオーキングに戻った。

『ウルフムーンという名称は、アメリカ先住民の風習に由来します。 厳しい冬が続く1月に、食料が尽きてお腹を空かせたり、繁殖期を迎えたりするウルフ(=狼)の遠吠えが聞こえることから、1月の満月をウルフムーンと呼ぶようになった。―ウイキペディアよりー』都会でもこんなに鮮やかな満月を見られるのは嬉しい。

田舎にいるときは星や月はいつでも見られたから気にも留めなかったが、都会暮らしが長くなるとこういう自然現象(観察)などにとても敏感に反応してしまう。
東京も今週ぐらいが寒さのピークを迎えるが、北国の寒さとは比べようがないものの、北風のときはさすがに厳しい。それでもこの厳しさも大寒(20日(月))までだろう。【20250114(火)】


成人の日・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/13(月) 03:12
.gif / 2.3KB 私が成人の日を迎えたのは三鷹市野崎にあった会社の寮の部屋だった。
炬燵に入って一人でミカンでも食べていたのだろうか、半世紀以上前のことなのではっきりとは思い出せないが、なんとも侘しい成人の日だった。
理由は上京して2年、同期で入社した仲間はそれぞれ地元に帰り、同級生たちと喜びを分かち合っていたのだろうが真冬に帰る勇気がなかったように思う。

あれから半世紀以上が経ち、テレビで成人の日のイベントを眺めているが、着物姿や洋服姿など、ど派手になりどこか平和ボケしているように見えるのは私だけだろうか。(笑) 今回新しく成人式を迎えたのは125万人いたらしいが、ちなみに私たち団塊世代が成人式を迎えたのは確か260万人位ではなかったろうか。
残念ながら少子高齢化はますます進んでいくのだろう。

今日は成人の日で仕事が休み、早朝ウオーキングを済ますと朝食後は決まって書斎に行き、ガラス越しに待ちゆく人の後姿を眺め、一杯180円のMサイズ珈琲を飲みながら読書をするのが休日のルーティンとなっている。気分が落ち着く時間でもある。【20250113(月・祝)】


スキーの日・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/12(日) 09:36
.gif / 2.3KB 今朝ラジオを聴きながらウオーキングをしていたら、NHKFMの「今日は何の日」という番組で知った。そうか、「スキーの日」なんてあったのだということを始めて知った。
『1911年(明治44年)1月12日、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐が、上越市において、日本で初めて本格的なスキー指導をしました。この日を公益財団法人全日本スキー連盟など全国のスキー関係団体が、平成14年に「スキーの日」と制定しました。』とある。

スキーが日本に伝わって114年、私が本格的にスキーを習ってから半世紀過ぎたが、最初にスキーを履いたのは小学校6年生ぐらいだったと記憶している。
男兄弟4人で代々兄から受け継いできたスキーで、単板だったためシーズンが終わるころは反ってしまい。滑っているとスキーがバタバタと不気味な音がした。
シーズンが終わると反ったスキーの中心に小さな空き缶を挟み、トップとテールを当時は紐できつく縛って物置小屋にしまってくのが決まりだった。

4人で繋いできた我が家のスキーも私が中学三年のシーズンに滑走中真ん中からぽっきりと折れてしまった。折れたあとを見たら金具をつけていた場所が兄弟の足に合わせて金具の位置を変えていたため、ビス(ネジ)跡が腐っていたのが原因だった。
怪我をしなかったのが不幸中の幸いかも。(笑)
今月下旬、滑りなれた福島県裏磐梯のスキー場に行くことになっている。
初級から中級者まで15名、果たしてどんなスキー行になるのか今から楽しみである。
【20250112(日)】


聖護院カブ(かぶら)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/11(土) 03:08
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「京都聖護院近辺で江戸時代から栽培された、わが国で最も大きいカブです。根径15~20cm、重さ1.5kgにもなり、肉質はち密で甘みがあり、千枚漬け用カブとして利用されています。」と記されている。
私が勤務する大学屋上の畑に植えられていて、2~3日に一度、土が乾いているのを見定め水遣りや除草を行ってきたのだが、9日(木)管財課職員2人と私の3人で収穫作業を行った。

表記のような大きさにはならなかったが、結構たくさん取れた。
学食で出すらしい。
なぜ大きくならなかったのか気になって調べてみると、間引きや株間(30cm~40cm欲しい)、追肥などを怠ったことが原因にあげられることが分かった。
理事長の指導を仰ぎながら管財課職員が管理することになっているのだが、何せ職員も本来業務があり、なかなか屋上まで上がって水遣りや除草などをするのが難しく、用務員(全員で6名)が担当しているのだが、なぜか私以外の同僚はやる気がないらしく、(階段を上がる、腰を屈めることが無理?(笑)) 結局私一人が収穫も含めて担当するに至ったという訳である。

ほかには「野らぼーな」などが、ネットに覆われ植えられていて、春~夏にかけて維持管理が続くことになる。カブを収穫した跡地には昨年と同じく、ミニトマトが植えられることになるのだろう。
造園家を生業にしていたこと、もともと父と一緒に畑仕事をしていたことなどの経験が、土いじりすることに何ら躊躇いのようなものが無かったことが、畑に向かわせてくれる理由のような気がする。また昨日は植え込みの隙間(根元)に溜まった枯れ葉などを掻き出すために小型の熊手をアマゾンから購入した。使用するのが楽しみである。【20250111(土)】


清河八郎について・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/10(金) 06:12
.gif / 2.3KB 「回天の門」のあとがきに藤沢周平さんはこう書いている。
『清河八郎は、かなり誤解されている人だと思う。山師・策士あるいは出世主義者と言った呼び方まであるが、この呼称には誇張と曲解があると考える。
おそらく幕臣の山岡鉄舟や高橋泥舟などと親しく交際しながら、一方で幕府に徴募させた浪士組を、一転して攘夷の党に染め変えて手中に握ったりしたことが、こうした誤解のもとになっていると思われる。

八郎は、先に幕府の罠にはまって同志を奪われ、妻を奪われ、長く潜行の苦しみを甞めた人間である。・・・八郎は、坂本龍馬が姉にあてた手紙の中で「一人の力で天下を動かす」と記したような、徒手空拳、恃むはおのれ一人といった型の志士だった。権力は利用したが、その内側に組み込まれることを嫌った。幕府という権力機構に憎まれたのは当然である。
八郎は策を弄したと非難される。だが維新期の志士たちは、争って奇策をもとめ、それによって現状の打開突破をはかったのである。策を持って人を動かすのが山師だとするなら、当時の志士の半分は、その誹り(そしり)を免れないのではないだろうか』

同感である。池波正太郎、観音寺潮五郎、司馬遼太郎など幕末を描いた作家の作品を読んだが、八郎を良く書く作家はいなかった。しかし、司馬遼太郎は「維新の扉は清河八郎が開け、坂本竜馬が閉じた」とある本に書いていたが、確かにその通りのような気がする。ますます八郎が好きになっていく自分がいる。【20250109(木)】


読書日記―1 [ RES ]
クマジィ 2025/01/08(水) 03:48
.gif / 2.3KB 昨年は32冊の本を読んだ。
むかしは50冊を読むと自分に課し必死だったが、もともとは遅読な性分なので年間50冊読書には無理があった。50冊の根拠は4冊/1ヶ月×12ヶ月=48、切りが悪いので50冊というのがその根拠だった。
新書もあれば再読した本もある。本は私にとっては癒しと知識を与えてくれるものでスマホや財布は忘れても本を忘れることはあってはならないものと考えている。

●藤沢 周平著:「回天の門」 文春文庫

【変節漢・山師・策士と人は呼ぶ。清河八郎は今なお悪評と誤解のなかにある。八郎は仕官の途さえ望まぬ、一個の“草莽の士”であった。さらにその時代は、倒幕の機いまだ熟さず、彼は早すぎた志士として生きねばならなかった。郷里出奔から、麻布一ノ橋で凶刃に倒れるまで、この悲劇の孤士の生涯を余すことなく辿る力作。-本の紹介よりー】

郷土が生んだ国民的作家の藤沢作品を読むようになったのはスキー仲間橋田さんからの勧めで「蝉時雨」が最初だった。それ以来藤沢ファンとなり、いまでは作品の7~8割いやそれ以上かな?読んでいる。
清河八郎は隣村の出身で高校生のころに知ったのだが、父に聞いても知っているのか、知っていても教えて貰えないのか、微妙な間があった。その理由は本作品を読むことによってその間が解消された。

本作品「回天の門」から、さらに八郎に興味を持つようになり、出奔したときの山形路(清川~山伏峠~添川~手向(とうげ)~六十里越え街道~田麦俣~寒河江~上山)約150kmを山形新聞の同行取材を受けながらNPO仲間の橋田さん、佐野さんたちと2009年と2010年の2回に分けて踏査・検証した。
そして2010年には、「回天の道整備」、「清河八郎生誕180年記念シンポジウム(地元清川と東京)」そして「清川舟番所復元」、「お蓮さんの梅記念樹植栽」へとNPO法人・元気まちネットが目指す「勝手連的地域おこし」活動へと繋がった。
コラムお蓮さんの梅を書きながら再読した。【20250108(水)】
Re:読書日記―1
八王子様 2025/01/08(水) 17:53
藤沢周平の作品は、山形の景色もそうですが、食、人間までが沁みてきます。この年末年始に見たかった映画を鑑賞していたら、このページにたどり着きました。「いしゃ先生」志田周子という素晴らしい人間を知ることができました。山形には偉人が沢山いますね!
本年も宜しくお願いします

Re:読書日記―1
クマジィ 2025/01/09(木) 17:05
これはこれは珍しい。
八王子のアイアン権現様!(笑)
まずは明けましておめでとうございます。
どうしてここへ辿りついたの?

上洛することはないの?
たまには一献どうですか?


お蓮さんの梅(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/07(火) 08:17
.gif / 2.3KB 前置きが長くなってしまったが、ここから再び八郎とお蓮さんを結びつけるヒントが梅の木に宿っていたのである。
その後の八郎は攘夷運動から倒幕に向かうのだが、一の橋(現東京麻布一の橋)で暗殺されることになる。

梅の苗木を末裔の菅原さんから貰うと、2017年5月下旬の清川神社例大祭の際に実生木2本を町長、議長ほか菅原さんと私が清河神社境内に記念樹として移植することが出来た。獄死したお蓮さんが、清河神社に於いて160年振りに八郎と再び夫婦になれたという訳である。このストーリー展開は我ながら良くできたものだと自負している。(笑) 移植したときは1m&1.2mだった梅も昨年目視だが、どちらも2mを優に超えるまでに成長し、梅の実も結構多くついていた。

片方の梅は後ろに植えられていたにソメイヨシノの古木が倒木したことでさらに成長して隣のソメイヨシノの傍まで伸びていたこともあり、昨年11月下旬1mほど下がったところに菅原さんたち3名で移植して頂くことが出来た。
私も手伝いに行きたかったのだが、予定日が急に決まったこと、さらに予定日の天候が悪く、さらに5日ほど延期して無事移植できたということを菅原さんの賀状で知ることが出来た。予定通り行けたらメディア(以前取材して頂いた山形新聞及び庄内日報)に連絡して再び取材して貰おうと考えていたのでちょっと残念でもある。【20250107(火)】


お蓮さんの梅(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/06(月) 04:34
.gif / 2.3KB 幕末の志士清河八郎は現庄内町清川の豪農の家に1830年に生を受けた。
そして数え18歳の時に出奔(家出)し、江戸へ向かい、剣(北辰一刀流)の修行を積みながら学問でも頭角を現し、現お茶の水の淡路坂に3回目となる清河塾を開いた。
同門の安積五郎を伴い実家に帰る途中、湯田川温泉の宿で豪遊をし、芸妓数名を呼びどんちゃん騒ぎをする。そのとき安積は節分の豆まきよろしくお金をばらまいた。女たちはお金を奪い合ったが、その中で一人の女は騒ぎに加わらず、ひっそりと部屋の隅でその混乱を見ていた。その女(高代)を見初め、“泥中の蓮だ”と思い身請け、お蓮と名前を変えて妻とした。

お蓮の実家は現鶴岡市熊出(くまいで)で医者をしていて、お蓮は子供の頃、畑に植えられていた梅の木に登って良く遊んでいたということが歴史本に書かれていたことを思い出し、末裔の方に連絡し、その梅の木を見せて貰ったのが2015年だったと記憶している。
私はもともと造園家を生業としていたことでピンとくることがあって、もしかしてと思い「梅の苗木などありますかね」と問うと、「5,6本育ててますよ」という返事だった。訳を話し「1,2本、譲って頂けませんか」、「いいですよ、2本差し上げましょう」ということになり、そのことを地元の方に連絡するととても喜んでくれた。

八郎とお蓮さんが江戸に出て幸せに暮らせたのは7年ほどしかなかった。
それは清河塾が虎尾の会を作り尊王攘夷運動に進むことになり、それを危惧した幕府は八郎を召し取るためにある罠を仕掛けた。これが「町人切り」という罠だった。
八郎は逃避行を重ねているうちに、妻お蓮、弟熊三郎などを召し取り拷問を加え、それが原因でお蓮さんは亡くなる。こうしてお蓮さんと八郎は元の鞘に戻ることが出来ずに歴史から消え去ってしまうことになる。【20250106(月)】


冬(正月)休みが終了・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/05(日) 09:31
.gif / 3.0KB 2週間にわたる長い冬(正月)休みが今日で終了する。
夏はいろいろやることもあるが、(と言ってもほぼ出かけることはないが・・・)冬(正月)休みは殆どやることがないので、却って仕事に戻れることが有難い。
テレビ(駅伝)に夢中になり、初詣には私だけが行っていない。(笑)

今日はやっと静かになったので10枚ほど頂いた年賀状に返事を書こうと思う。
暴飲暴食はしてないし、早朝ウオーキングも欠かしてないので太ってはいないのが有難い。
そうそう、年末に大家さんから年越しそばを頂いたのだが、この蕎麦、実はむかしイザベラ・バードの山形路を踏査・検証しているときに尾花沢市にあった芭蕉・清風歴史資料館で地元の歴史家故梅津保一氏にバードについてお話を聞いたあとに紹介して頂いた大石田蕎麦街道にある「きよ蕎麦」と言う名のお店だった。
そこの蕎麦を頂いたのはまさに偶然でこんなこともあるのかと、ちょっと驚いた。

今朝の都心の最低気温は1.6℃と厳しい朝だったが、ウオーキングするにはなんら問題なく、快調なうちに終えることが出来た。
いよいよ明日からは仕事が始まるのだが、私にとっては気合が入って有難い。
さてこれから本と年賀状を持って第二書斎に行こうと考えている。
【20250105(日)】


戦い済んで・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/01/04(土) 07:01
.gif / 2.3KB 箱根駅伝は予想通り青学の圧勝に終わった。
2位にはこれも(多分)誰もが予想したであろう駒沢大が入り、実力の差を見せつけられたような気がしたのは私だけだったろうか。
それでも大学駅伝三強と言われた“意地”だけは見せてくれた。
箱根は逃げない。来年も再来年も続く、いつか近い日にサクラは若木に微笑んでくれるものと信じている。

箱根駅伝も終わり、私の心は早くもMLBドジャースの大谷選手にシフトした。
今年は二刀流としてのシーズンを迎えるが、3月の日本開催のときは二刀流を封印して、日本時間3月28日(金)のドジャース本拠地での二刀流お披露目になるんじゃないかと密かに期待しているのだがどうだろう。
ドジャースでの開幕試合の日は仕事を休んで観戦しようとダイアリーには記してある。

今日は娘家族も岡崎市(愛知県)に帰る。
むかしから“来て良し、帰って良し”という言葉があるが、まさに昔の人は良く言ったものだと感心する。(笑)
やっとクマジィの日常に戻ることが出来る。
シルバーの仕事、ウオーキング、珈琲、読書、友人との会食とこれだけ揃っていれば当分の間、いや一生かな?(笑) 元気で毎日を過ごすことは十分である。
2025年も明けたが、これと言った目標は特にはないが、健康で普通の日常が送れるよう、体調管理をしっかりして1年を送りたい。【20250104(土)】




 
 


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