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       へたうま工房の詩

片寄りをもって 人は生きる  そのわずかな違いが時に個性と呼ばれる  
すぐに答を求めてはいけない 
待つこと・・・人生に結果があるとしても 別解というものがこの世にはあるのだ 
自分を見つめる力 中腰で 耐える力 待つ力 ステレオタイプなヒーローに目を眩まさなたりしなければ 
思いもしなかったような誰かに いつか出会うことができる

幻想を抱いて人は生きる その小さな重なりが時に恋と呼ばれる   
すぐに答えを求めてはいけない 
待つこと・・・人生に別れがあるとしても新たな出会いがこの世にはあるのだ 
自分を 見つめる力 中腰で 耐える力 待つ力 ステレオタイプな愛に 目を眩まされたりしなければ 
想像もしなかったような幸せに きっといつか 出会うことができる

狂気をもって 人は生きる そのわずかなずれが 時に 志と呼ばれる 
 すぐに答えを求めてはいけない 
待つこと・・・人生に誤解があるとしても沈黙という手がこの世にはあるのだ 
自分を見つめる力 中腰で耐える力 待つ力 ステレオタイプな知性に目を眩まされたりしなければ
 予想もしなかったような和解にいつか出会うことができる


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 陶芸は土が炎の洗礼を受けて生まれ変わる転生芸術である。
それはあたかも1つの宇宙が超新星となり、その構成物質が焼き尽くされ
新たな宇宙となる輪廻のごとき因果律に似ている。
老いも若きも陶芸に魅せられるのは、その因果律を
タナゴコロのうちに感じるからである。
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 ◆ 読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いOZ     [返信] [引用]

 

ヨーロッパにおける個人主義とは何かを本から学習しましょう。
まずは朗読者です。
朗読者はベルンハルトシュリンクというドイツ人が書いています。私は最初は本で映画では「愛を読む人」という題名で製作されています。
原作と映画は微妙なところで表現や解釈が異なっていますが、大まかなストーリーは原作に忠実です。とりあえずビデオを借りて見るとあらすじは理解できます。
コピペ


..2020/07/05(日) 02:05 No.16194
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いOZ=読書会主催者     [引用]

 

15歳のドイツの若者が学校帰りにアパートの前でゲロを吐き、この若者を介抱した36歳の路面電車車掌と愛人関係になります。ハンナは必ずミヒャエルに対しセックスの前に本を朗読させます。そしてある日突然ハンナは何の予告もなく失踪します。
数年後ミヒャエルはハンナがナチス裁判の被告として裁判に架けられていることを知ります。 ハンナは文盲であることを裁判途中にミヒャエルは気が付くのですが、ハンナは文盲であることを恥じており、そのために転々と職を変えたのです。
 ハンナ達が問われている罪は終戦間近西へ女囚(ユダヤ女性達)を移動させる途中夜間逃亡を防ぐため、教会に監禁したのですが、この教会が夜間爆撃に遭い2人を除いて焼け死ぬのです。その際女性看守たちは外から掛けた閂を外せたのにそれをせずほぼ全員を見殺しした罪に問われたのです。
ハンナは自分が文盲であることを告白するより、看守たちの首謀者であるというでっち上げの罪をかぶることを選択します。こうしてハンナは無期懲役の罪に服するのですが、ミヒャエルはハンナに朗読テープを送り続けます。
ハンナは文盲であることから脱出しようとしてテープと本を比較しながら文字を覚えミヒャエルに手紙を書きます。しかしミヒャエルは返事を書くことなく朗読テープだけを置きり続けます。
そして20年後ハンナは釈放されますが、その前日に独房の中で首をくくって自裁するという物語です。


..2020/07/05(日) 02:35 No.16195
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いOZ=読書会主催者     [引用]

 

『1.ハンナが現代ではルーマニア領に当たる、かなり田舎の出身だったことが、小説のかなり最初の方で書いてある。
        ↓
これによって、彼女が田舎の貧しい農家の生まれや、方言もかなりキツかったであろうことが、想像しやすくなっている。

2.マイケルは、裁判でハンナが文盲である事に気付いた時に、自分の父親に抽象的に話して相談している(マイケルの父は、大学の哲学教授でした)。
        ↓
それで、「ハンナの気持ちの方を尊重しよう」と、自分に対しての言い訳が出来てしまった。

3.映画では、マイケルは一人立ちしてから父親の葬式にも家に帰らなかった、となっているが、原作にはそんな事は書いてませんでした。

4.マイケルは映画では弁護士になっているが、原作では大学に残って法史学の教授になっている。
         ↓
ハンナの裁判を傍聴した後では、法曹界に入って有罪だ無罪だとせめぎ合う仕事をするより、その方がずっと悩んでいる感じが出て、納得いきました。

5.映画ではマイケルはハンナからの手紙を邪険に扱って、苛立っているような様子だったが、原作では手紙は送り返さないものの、ハンナが字が書けるようになった事を素直に喜び、ハンナからの手紙に感銘を受けている。

6.原作では、刑務所の中で字の読み書きができるようになったハンナは、ホロコーストで生き残った人が書いた本や、ナチス高官たちの裁判の本、ホロコーストの研究書なども、刑務所に取り寄せて読んでいた、と刑務所の所長さんが証言。
         ↓
たぶん、この頃から自分の罪の重さを深く感じるようになり、身なりに構わなくなる程、陰にこもるようになった。


..2020/07/05(日) 02:49 No.16196
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いoz=ハンナの弁護人     [引用]

 

ハンナが最も恐れたのは単に読み書きできないという個人的なことではなく、ルーマニアに住んでいるロマという自分の出自が公にされることを恐れたためであるという説があります。
ロマというのは以前はジプシーと呼ばれていた民族です。ロマはユダヤ民族よりも一段低い最下層に属する人々で、第二次大戦下の
ルーマニアではユダヤよりも過酷に扱われ、集団虐殺の対象になっていたのではないでしょうか?そのロマ出身のハンナがユダヤ人強制収容所の看守として働いていたとすると、問題ははるかに複雑化します。ハンナが文盲ゆえの罪をかぶったとしても、自分の出自が公になることを恐れたという考えにはなるほどと納得させる説得力があります。


..2020/07/20(月) 12:03 No.16214
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いoz=ハンナの弁護人     [引用]

 

1933 年からのナチスによるジプシー絶滅政策ほど徹底的なものはなかった。ジプシーの存在はドイツ人の純潔をそこない、ドイツ社会を堕落させてしまうと考えたナチス政府は、ユダヤ人とともにジプシーを大量処刑することに踏み切った。アウシュヴィッツその他の強制収容所で殺されたジプシーの数は 50 万に上っている。

..2020/07/20(月) 12:13 No.16215
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いoz=ハンナの弁護人     [引用]

 

ここからは私の妄想です。
 ハンナはユダヤ強制収容所幹部にロマであることを知られていた。ユダヤ民よりさらに一段低い立場にありながら、ユダヤ民大量逆先の手先として利用されていたことを、識字と読書を通じて知ったハンナはその罪の重さに耐えることが次第にできなくなっていった。
とこう考えればハンナが出所前日に自らの命を絶ったということがすんなり納得できるのではないでしょうか?


..2020/07/20(月) 12:21 No.16216
 ◆ Re:読書会=ヨーロッパにおける個人主義とは    ++ 風の魔法使いoz=ハンナの弁護人     [引用]

 

ドラマの最後にハンナの残したお金をユダヤの識字団体にハンナの名前で寄付するシーンがあります。もしここで、ユダヤではなくルーマニアのロマの識字団体に寄付するとすればもっとドラマの意味が深くなったと思われますが、作者であるシュリンク自身もそんな意識はなかったように思われます。

..2020/07/20(月) 12:29 No.16217








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