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司書室BBS

 
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▼ 老春   [RES]
  あらや   ..2024/12/28(土) 13:29  No.1143
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 ぼくらの年代は戦中から戦後にかけて青春時代を過ごしたことになるが、一世代前の老人と言われる人たちは戦前から戦中にかけて青春時代を送っている。従ってそう言う人たちを描く場合どうしても戦争時代の影を省くことはできない、と言うのがぼくの固定観念にもなっている。関わりの軽重・深浅はあろうが、むしろ老いが深まるにつれて戦争にまつわる影は濃さと重さを増して思いだされるのではないか、と言うのもぼくの中に固く観念化されている。そうした影を意識しない人がおれば、その人はまだ実際には〈老いて〉はいない人なのではないか。一作ずつを書きながら、そんなことを思った。
(針山和美「老春」/あとがき)

2024年の暮れから2025年の新年にかけての仕事になるのかな。小樽のひきこもり生活も8年目に入ります。『老春』の作品群を今一度ワープロから起こしていると、なぜか、馬鹿だった自分の若い頃をあれこれ思い出す。


 
▼ シマ婆さん  
  あらや   ..2024/12/28(土) 13:35  No.1144
   私がシマ婆さんを初めて訪ねたのは、もう十五年程も前になる。
 K町と言う私の生まれ故郷で、開町八十周年記念の行事が開催され、その一環として町史を発行する事になった。当時、私は中学で社会科を教えながら、郷土史に関心を抱き、特に戦時中の庶民の生活や官憲の横暴、朝鮮人や中国捕虜の様子など調べていたので、戦時中の章について執筆を依頼されたのがそもそもの始まりだった。ところが、警察関係を調べているうちに、佐坂正平という者が治安維持法違反容疑で逮捕され、数日後には急性肺炎で死亡した事になっている事実を知った、小林多喜二の例もある事だし、私はその真相を明確にする事に興味を持った。
(針山和美「シマ婆さん」)

驚いた。「京極文芸」に発表した『敵機墜落事件』が「人間像」の『山中にて』に変身した時と同じくらいの衝撃でしたね。針山さんの小説家としての力量をまざまざと感じました。と同時に、合評会の威力というものも感じた。同人たちの講評無くして、こういう作品はなかなか生まれて来ないだろう。K町、W鉱山、手宮富士、胸がわくわくする。

 
▼ 老春  
  あらや   ..2025/01/04(土) 17:11  No.1146
   今日のために一生懸命練習したには違いないが、素人は素人、テレビで眼の肥えている者にとっては気の毒なほどにも見えた。しかし時間つぶしにはちょうど良く、生あくびを噛み殺しながら見ていた作太郎だったが、おしまい近くなって三人の老婦人の踊りが始まると知らず知らず舞台に喰い入っていた。踊りが上手と言うよりはその中の一人に魂が奪われたのである。まだ姿形も若々しく、厚化粧してはいるのだろうが、顔も綺麗だった。それだけならそんなに心が奪われる事もなかった筈だが、見ているうちに胸が苦しくなる程の懐かしさが込みあげていた。作太郎は石にでもなったように身じろぎもせず見入っていたが、あっと言う間に幕が閉まっていた。
(針山和美「老春」)

大晦日のあたりで別の作品に関わっていました。それが終わって一昨日あたりから『老春』の作業再開です。『洋三の黄昏』を終えて、本日『老春』をアップ。明日より『まぼろしのビル』〜『黄昏の同級会』〜『四月馬鹿日記』へと続きます。ザーッと読んだだけですが、『シマ婆さん』のような大胆な改稿はなく、雑誌発表形に近い形のようです。

 
▼ 四月馬鹿日記  
  あらや   ..2025/01/13(月) 13:47  No.1147
  その家内が今度ばかりは僕の言う事を無視して、道議は誰とか、市議は誰などとメモしている。何せ隣近所に自民党や民社党や公明党のファンが大勢いて、義理と人情で縛りつけ後援会にまで参加させると言う訳だ。まあ最初のうちは名前だけ貸したつもりでも、演説会などに出入りしているうちにだんだん妙なしがらみが生じて、いつの間にか庇を貸して母屋を取られる式に、気がついて見たら身も心も後援者になっていたと言う具合らしい。
(針山和美「四月馬鹿日記」/四月七日)

まず起床は六時である。これは休みの身に早すぎるかも知れないが、実際にはもっと早く五時には覚めているのだから、仕方がないところだ。あまり早くから起き出してストーブなど焚いたのでは小言の種になるから、六時までは我慢して布団の中にいる事にしている。
(四月二十五日)

「婆さんや、国旗は立てたか?」
「国旗って、あの日の丸のこと?」
「決まってるじゃないか。今日は陛下のお誕生日じゃろうが、国旗立てんで、どうする」
「お爺ちゃん、日の丸なんて、うちにはありませんよ」
「そんな事あるもんか。ちゃんと神棚の下に入れてあるはずだ」
「そんなの、大昔の話ですよ。ここ何十年も日の丸なんて揚げたことなんかありませんよ」
(四月二十九日)

どういう時に針山さんの小説が生まれるのかが窺え、大変興味深かった。『老春』、終了です。一応、参考として、かかった時間は「75時間/延べ日数17日間」でした。大晦日〜正月の時間を跨いでいますのであまり参考にはなりません。さて、第131号かな。


▼ 迎春   [RES]
  あらや   ..2025/01/01(水) 16:48  No.1145
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−2度、朝7時の雪かきから2025年が始まりました。


▼ 「人間像」第130号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/12/09(月) 16:32  No.1138
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 二十歳代までだったか、三十歳代までだったか、もうまるっきり感じなくなったが、四季のにおいを嗅ぎわけていた頃があった。おそらく自分だけの嗅覚かもしれない。いや嗅覚というものでもなく、頭の芯のほうで捉えるような感じである。いや、それも違う。体全体に感じていたというのが適切だ。
「さやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という視覚や聴覚で捉えるものではなく「みかんの香せり冬がまたくる」といった季節の風物のにおいでもない。純粋無垢混じりっけなしの季節の「におい」なのである。空気のというより大気の「におい」であって、臭い、匂い、香り、と漢字を当てると違うのである。
(福島昭午「記憶」)

福島さんの小説作品が帰って来た!
第130号作業はすでに始まっています。130ページですので年内に終わらせたい。今号は、佐藤瑜璃『かもめ荘冬景色』、福島昭午『記憶』、内田保夫『残酷な終局』、丸本明子『駅前』、土肥純光『馬車道・遠い日』、針山和美『北からの風』と続きます。
『かもめ荘冬景色』はワープロ作業はすでに終わっているのですが、内容構成に不明な部分があり、単行本を取り寄せて確認してから公開したいと考えています。


 
▼ 北からの風  
  あらや   ..2024/12/13(金) 18:42  No.1139
   ゴルバチョフさんが帰国されてしばらくしてから発表になった抑留死亡者名簿というものを、わたしは薄くなった眼に強い老眼鏡をかけてくまなく見ました。でも初めのものには見つかりませんでした。それからしばらくして発表になった二回目の名薄でとうとう発見したのです。死亡が確認できれば長いあいだのわだかまりが消え失せ、わたしは心からホッとするはずでした。ところが死亡が一九五二年となっているのです。昭和でいいますと二十七年なのです。
(針山和美「北からの風」)

道立図書館に予約した『セピア色の薔薇』がなかなか届かないうちに、他の作品のアップはどんどん進んで、先ほど針山和美『北からの風』もアップしてしまいました。
人間像ライブラリーでは「一九五二年」となっている箇所ですが、雑誌発表形でも単行本『北からの風』でも「一九五七年」となっています。針山さんの計算ミスと思いますが、誰か単行本出版までに指摘できなかったのかなあ。私が気がついたのは、私が昭和二十七年生まれだからです。自分が生まれた時代の雰囲気が描かれていて大変興味深かった。
第130号作業が完了したら、単行本『老春』を人間像ライブラリーに挙げたいと考えています。『四月馬鹿日記』は単行本のための書き下ろしみたい。

 
▼ かもめ荘冬景色  
  あらや   ..2024/12/15(日) 14:45  No.1140
   浜小幌駅裏の岸壁にほど近い入船町仲通り。置きざりにされたようにポツンと一戸建っている古い大きな木造建築、まるで廃屋のようなかもめ荘も、宵の口ともなれば人間が住んでいる事を主張するかのように窓々に灯がともり、出入口はざわめく。
 夜間の商科短大へ通うデパート店員の洋子が、「わあ大変だあ遅刻するう、今日試験なのよう時間ないのっ、どいて、どいて」と玄関横の古びても豪華なバラのタイルばりの共同洗面所で仕事から帰って来て手を洗っている大工の辰っあんをおしのけて蛇口をひねる、蛇口は四つあり誰も使っていないのに。手を洗い終った辰っあんは笑いながら洋子の形のいいお尻をペンペンとたたく。洋子は「キャアセクハラッ、訴えられたくなかったら示談金千円出しな、あっ二つだから二千円よ、はい」と手を出す。そこへ屋台ラーメンの謙さんが通りかかる。「辰っあん、現行犯だ、見のがしてやるからこっちへ千円払いな」と笑いながら言った。
(佐藤瑜璃「かもめ荘冬景色」)

ようやく本が届いて、先ほど『かもめ荘冬景色』をライブラリーにアップしたところです。ラストの個所に一文字誤植があって、たぶんこうじゃないかな…とは思っていたのですが、単行本で確認するまでは直せなかったのでした。
作品では「小幌」となっていますが、この「浜小樽駅」は実際にあった駅です。旅客はなく、貨物専用で、小樽築港駅から支線が延びていました。デパートも、これも札幌ではなく、小樽市内のデパートです。勤務が終わって、一旦「かもめ荘」に戻って、商科短大に行くわけですね。位置関係がわかると、なぜ「かもめ荘」の前に捨て子があったのかもぼんやりとわかるような気がする。

 
▼ 沼田流人伝  
  あらや   ..2024/12/20(金) 17:59  No.1141
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第130号の発行は平成4年(1992年)の4月ですが、ここで初めて武井静夫『沼田流人伝』の広告が出ました。「人間像」の広告は一般誌の商業広告とは違います。すべて同人による広告文です。丸本さんの本については針山さんが書く。針山さんの本については朽木さんが書くというように、いちばん推している同人が責任を持って書いているのです。『沼田流人伝』については特にクレジットが入っていませんから編集の針山さんの文章ではないでしょうか。ここから沼田流人にまつわる誤読の歴史が加速して行く…と思うと何かいたたまれない気持ちになる。

 
▼ 「人間像」第130号 後半  
  あらや   ..2024/12/20(金) 18:40  No.1142
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「人間像」第130号(130ページ)作業、終了しました。作業時間は「64時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2453作品」です。裏表紙は前号と同じ。

◇ペレストロイカ、クーデター、八月革命と続いたソビエト連邦が遂に解体し、独立国家共同体という意味不明の集団になってしまった。独立国家同士の緩やかな共同体ということだが、社会主義から資本主義への転向がそんなに簡単に可能なのだろうか。自由経済の移行と同時に姿を現すインフレなどに泣く庶民が多い事を思えば、またまた暴動やクーデターが起こりはしないかと不安がつきまとう。そんな不安を残しながら越年したと思ったら、こんどはアメリカからブッシュ大統領が自国の不況脱却の切り札は日本にありと言わんばかりに、自動車メーカーの社長などを従えて乗り込んで来た。「一粒の米も入れない」という頑なな日本の保護主義をどこまで突き崩せるか。そんな最中の本誌編集となった。
(「人間像」第130号/編集後記)

そんな最中の本誌編集となった…か。いろいろ考えなければならないこともあるのだろうけれど、私は人間像ライブラリーの仕事を続けて行きたい。明日から針山和美『老春』の復刻に入ります。


▼ 「人間像」第129号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/11/17(日) 11:58  No.1133
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第129号作業、開始です。本日、佐々木徳次『椎の雨』をアップしました。この後、土肥純光『翳りある日々』、丸本明子『怒濤』、内田保夫『祀りの構図』、佐藤瑜璃『セピア色の薔薇』、針山和美『黄昏の同級会』、朽木寒三『奥山の砦』と続きます。
前号より表紙の絵柄が変わったように見えますが、描いてる人は変わりません。ずっと丸本明子さんです。

今日は朝から雨降り。この雨が明日には雪に変わるらしい。


 
▼ セピア色の薔薇  
  あらや   ..2024/11/23(土) 16:54  No.1134
   闇の中で電話のベルが鳴った。
 夢の中で二〜三度聞いた。少しずつ辺りの静寂の分だけ心臓を打った。東京の大学へ旅立って行った息子の顔が浮かんだ。とび起きです早く受話器をとった。
「ああ、季枝さん? 夜遅くごめんなさい」
 悪びれた声ではない、姑の菊乃である。時計は十二時をまわっている。舌うちでもしたい気分だ。
「あなた、昨日いらした時私のバックお持ちにならなかったかしら、黒のオーストリッチの……」
 季枝は思はずベットの上で正座した。
「なんですって? おかあさんのバックをどうして私が? ……それに、私、お伺いしたのは火曜日ですから、三日ですよ」
「私、明日ちよっと出かけますのにあのバックを持って行こうと思ったんですけれど、ないのよ、どこにも」
(佐藤瑜璃「セピア色の薔薇」)

冒頭から、持って行かれました。最後の一行まで、ほぼ完全試合に近い作品ではないだろうか。凄い人が同人に入って来たものだ。

 
▼ 黄昏の同級会  
  あらや   ..2024/11/24(日) 17:23  No.1135
   「モシモシ、わたくし浅田と申しますが、吉川小夜さんは御在宅でしょうか」
 電話の向こうは若い女の声である。
「あ、お婆ちゃんのことね。いま呼びます。」
 そう言って置かれた電話を通して先方の様子が伝わって来る、「お婆ちゃん、浅田さんって人から電話よ」 「浅田さん、はて?」 「なんだか若い人みたい」 「若い浅田さん、はて?」 「はて、はて、言ってないで、早く出ればいいじゃないか」 中年の男の声が急き立てている。
「ハイ、吉川小夜ですが……」
「小夜さんね。わたし、玉世」
「あれ、玉世さん? 若い人みたいだなんて言うものだから分からんでしょう」
(針山和美「黄昏の同級会」)

本日、『黄昏の同級会』をアップ。これで、次号の『四月馬鹿日記』を仕上げれば、単行本『老春』の全作品が揃うことになりますね。さて、明日からは朽木さんの『奥山の砦』に入ります。帰って来た斎藤昭。楽しみです。

 
▼ 奥山の砦  
  あらや   ..2024/11/30(土) 17:16  No.1136
   で、上がりがまちでゴム長靴に足をとおしながら、
「ほんじゃ、ユーコンつぁんによろしく言ってけろや」
 などと姉に言って、たちまち靴をはきおえてしまった。
 昭はとめることもできないし、もじもじと立ったままである。
 すると利三郎おじはその前を通り過ぎながら、ふと立ちどまり、気のない調子で昭にたずねた。
「犬っこ、ちっとはおぼえたか」
「うん」 昭は嬉しくて、にこにことうなずく。
「そうな、おぼえたか」
「うん、おぼえたよ」
 犬が一体何をどうおぼえたのか二人とも分からない。だがこれでやっとこさっとこ、仲直りがすんだのであった。
「ほんじゃ」
 と、おじは庭木戸の方へ歩きかけて、また立ちどまった。
「アキラあ、どうだ」と振り返る。「こんど折りを見て槻ノ木平の奥山さいくべと思うんだが、おめもいきてか」
「いぐ、いぐ!」
 昭は叫んだ。行きたいにきまっている。
「つれてってけろ、おんちゃん、いついぐんだ」
(朽木寒三「奥山の砦」)

斎藤昭、数え十五歳。『奥山の砦』、コンサドーレ札幌のJ2降格が決まった本日、人間像ライブラリーにアップしました。斎藤昭の物語をやっていたおかげか、冷静な気持ちで降格を受け入れることができました。

 
▼ 「人間像」第129号 後半  
  あらや   ..2024/12/05(木) 11:33  No.1137
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 ソ連には十月革命というのがあったから、今回のクーデター騒動は『八月革命』と名づけても良いような気がする。騒動の内容は呆気なかったが、結果は革命に匹敵するものだった。
 八月十九日のクーデター発生から、二十六日の共産党の解体まで僅か一週間の出来事である。七十余年続いた共産党の一党独裁があっと言う間に瓦解したのであるから、これは文字通り革命と言うに相応しい。
(春山文雄「八月革命寸感」)

1991年か… この翌年の秋、私は埼玉を出て小樽に来るんですね。〈八月革命〉の記憶がぼやーっとしているのは1991年あたりで帰郷についてあれこれ考えてあたふたしてたからか。

「人間像」第129号(178ページ)作業、終了です。作業時間は「85時間/延べ日数19日間」。収録タイトル数は「2438作品」になりました。裏表紙は前号と同じです。さあ、第130号。残り、60冊。


▼ 「人間像」第128号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/10/11(金) 18:19  No.1125
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 信吾は港に立ってみた。
 二十五年前、信吾が村の郵便局から他局へ移った頃、漁況は順調で各船主は競って漁船を大型化し、港の修復拡張工事も進められて、十年前には二倍以上にも広くなった港に、二十屯級の中型船が十隻も舳先を並べていたはずだが、その日の港には、僅かに五隻の中型と三艘の小型船が係留されているだけで、しかも中型船の内、勝美の第三神洋丸と前後して、山一大森の承久丸も廃船となる運命にあった。
(金沢欣哉「海が暮れる」)

第128号作業、始まりました。金沢さんの久しぶりの小説。しかも、久しぶりの漁村文学が胸に沁みる。この後、土肥純光『落影の女達』、佐藤瑜璃『帰郷』、丸本明子『迷路』、内田保夫『消えた女』、佐々木徳次『素晴らしき恋人』、針山和美『まぼろしのビル』、平田昭三『たこ部屋ブルース(2)』、村上英治『高瀬川(1)』、神坂純『サイパン日記(2)』と延々と続いて行きます。それでは…


 
▼ 落影の女達  
  あらや   ..2024/10/14(月) 17:46  No.1126
   それは、思いがけない便りであった。内容は一片の転居通知に過ぎなかったが、差し出し人が室田隆子であったことが、私を驚かせ、同時に、或る種の感慨を呼び醒させることになった。
 新しい住居は、埼玉県の三郷市となっていた。
(土肥純光「落影の女達」)

私も驚きました。まさか、この1991年9月発行の第128号で〈小野静子〉の話が飛び出して来るとは思いもしませんでした。小野静子追悼号が出たのは1960年6月の「人間像」第56号ですからね。かれこれ30年以上も前の女達のことを今でも考え続けている人がいるということに驚きを禁じえない。じつは、30年ぶりに復活した金沢さんの漁村文学にも私は驚いているんですけど、こういう作品が二連発で続く第128号って何なんだろうと思いながら、次、佐藤瑜璃さんに進みます。

 
▼ 帰郷  
  あらや   ..2024/10/16(水) 12:00  No.1127
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。
(佐藤瑜璃「帰郷」)

やー、凄い! ライブラリーにあげて、最後のチェック(五度目の通読)を終えたら、じっとしていられなくなった。誰かにこの嬉しさを話したい、コピーして皆に送りたい、そんな気分です。佐藤瑜璃さんの作品を読む度に、私は峯崎ひさみ『穴はずれ』を初めて読んだ時の驚愕を思い出すのですが、今回の『帰郷』は特にそれが強かったですね。今少し、この余韻に浸っていたい。作業再開は午後からにしよう。

 
▼ まぼろしのビル  
  あらや   ..2024/10/23(水) 12:14  No.1128
   いつもより盃の回数が速くなっていた。
「そうねえ、名案なんて思い当たらないけれど、とにかく家にいる息子さんがなんと言っても大切なんだから、よそへ行ってる子供さん方には多少我慢して貰うのが良いのじゃありませんか。それとも財産分けなどと言う事ではなくて、財産を元手に収入の上がる道を選ぶとか」
「財産を元手にか……。たとえばどんな事があるかね」
「そうねえ、駐車場かビルでも建てて、そこから入る収入を兄弟で適切に分配するのはどうかしらねえ。実際に運営するのは家にいる息子さんだから当然多く貰えるわけ。ほかに出ている人たちは謂わば不労所得だから、そんなに多くなくっても諒解できるのじゃありませんか」
 女手ひとつで店を切り盛りしているだけあって、喜代はすぐ具体的なことを思いつくようだった。
「なるほどねえ。会社組織にして株を按分すると言う訳か」
(針山和美「まぼろしのビル」)

単行本で読んでいるはずなんだけど、何の記憶もなかった。初めて読む針山作品といった形で新鮮に読めました。新鮮で、かつ、切ない話でしたね。

第128号もこの辺りで中盤。132ページまで来ました。

 
▼ 犬にまつわる話  
  あらや   ..2024/10/26(土) 18:27  No.1129
   『いろはかるた』と言っても知らない人が多いかもしれない。戦前までは、正月の子供達の最もポピュラーな遊びであった。いろは四十八文字それぞれの絵札があり、それぞれに格言や諺がついていて、それを読みながら絵札をひろっていく。『いろはかるた』といっても京都、大阪、江戸(東京)とあって、いろはの『い』の字は京都では『一寸先は闇』 大阪で『一を聞いて十を知る』 そして東京では『犬も歩けば棒に当たる』となる。この江戸かるたの意味は、でしゃばるとひどい目に遭う、とか、出歩くと思いがけない良いことがある、という二通りの意味がある。まして人間はいったん外に出れば大小にかからわず何らかの障害に突き当たるものかも、と解釈される。ほかに、人のあらは探そうと思えば幾らでも見つかる、というのもある。そう言えば、英語でも『犬をぶつのに棒のよりごのみすることはない』という諺がある。Any stick will do to beat a dog with 犬と棒に関しても洋の東西ではこうも違う。
(白鳥昇「犬にまつわる話」)

昔、白鳥さんの文章って凄く読みにくかったものなのだけど、久しぶりに出会った『犬にまつわる話』は圧倒的に面白く読めましたね。さあ明日から『たこ部屋』だ。

 
▼ たこ部屋ブルース  
  あらや   ..2024/11/01(金) 14:47  No.1130
   「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

いやー、長かった。引用したあたりから漸く〈たこ部屋〉話が動き始めるのですが、ここまで来るのに第127号の(1)全部と(2)の三分の一を使って野島要三の人生を引っ張って来たわけですからね。朽木さんの持久力には驚くばかり。
私もここで〈たこ部屋〉話を始めると収拾がつかなくなりそうなので、読書会BBSの方に場を改めて書くつもりです。

 
▼ 高瀬川  
  あらや   ..2024/11/07(木) 10:58  No.1131
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 鴨川の白く乾いた河原に下り、加吉は石に腰をおろした。尻をちょっともたげるほど石は陽に焦げていた。尻切れた草鞋の足を流れにひたす。水は温んでいたが、浸した足から軀の中を涼しい風が吹き抜けていくように思い、加吉は何となく耳を澄ましていた。河原は眼を細めたいほどの光の中で静まり返っていた。時折、せきれいが水際の濡れている石に来て尾を振っている。流れに浸している親指の先に、ちくちくする鈍い感覚があった。高瀬川を曵舟していて、石に蹴つまずき爪を剥がした右足の傷が膿んでいた。その傷口が洗われるかすかな痛みなのだろう。
(村上英治「高瀬川(一)」)

あれ、まだ魚津にいるはずなのに… いきなり京都から話が始まってちょっと混乱しました。でも、この一篇だけを目にした人にとっては、この構成でいいのだと思う。作品が味わい深くなる。単行本では、全体の話の流れに沿ってこの構成は換えられています。

昨夜、初雪でした。

 
▼ 「人間像」第128号 後半  
  あらや   ..2024/11/08(金) 17:19  No.1132
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「人間像」第128号(262ページ)作業、終了です。作業時間は「128時間/延べ日数29日間」。収録タイトル数は「2423作品」になりました。
久しぶりの100時間越え。作業日数がちょっと多いのは、この時期、冬の準備などで時間をとられて作業に集中できなかったからです。印刷インクが薄い号で、画像データを二度撮り直したことも一因かな。裏表紙の『天皇の黄昏』広告文は以下の通り。

 小説家なのに気取って、私は詩人ですという言い方を好む人がいる。小説を書いているのだから私は小説家だとなぜ言わないのか大いに不満だ。その意味で針山和美は正統派の小説家である。
 針山和美の特質を一口で表すのはむつかしいが、詩派ではなくドラマ派であり、様式ではなく感情、たてまえでなくて本音、大袈裟は避けて控え目、衒気とは無縁の平凡、私小説ではなく客観小説、いきり立たず平静、冷感よりも温度、といった作風なのだが、互いに対立する多数の作中人物を書き分けてドラマを組み立てることがうまい。そしてときに毒性のある人物をも活写する。
 今回は短編を主とした創作集だが、以上列記した彼の特質を、個々の作品について味わってもらえれば幸いである。(朽木寒三)

美しい文章。朽木さんも針山さんも私に生きる意味を与えてくれる。


▼ 「人間像」第127号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/26(木) 13:00  No.1120
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 今年七十五歳を迎えた小諸作太郎は、最近発表になった一九八九年簡易生命表がとても気になった。自分が日本人男性の平均寿命と同じところまで来たからだ。表によればあと九年ほどの余命がある事になってはいるが、それはあくまでも計算上の事で別に保証があるわけではない。格別長らえようと思っているのでもないのだが、いつお迎えが来ても誰も不思議に思わない年齢に達したかと思うと、思わないでも不安が込みあげて来るのだった。
(針山和美「忘却の傷痕」)

「人間像」第127号作業、始めました。本日、針山和美『忘却の傷痕』を人間像ライブラリーにアップしたところです。この作品、単行本にまとめる時には『老春』と解題され、謂わば単行本を代表する作品となって行くわけですね。
第127号は、この後、土肥純光『やがて眠りに』、内田保夫『黄葉季』、丸本明子『ガラスの兎』、佐々木徳次『還るべきところ』、千田三四郎『ゴミのような話』、平田昭三『たこ部屋ブルース』と創作が続きます。土肥さん、ずいぶん久しぶり。平田昭三は、朽木さんの別のペンネームですね。「斎藤昭」シリーズと混同しないように平田昭三を使ったのかな。


 
▼ ゴミのような話  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:23  No.1121
   いやな予感が当たった。おもだった人々のあいだで事前に根回しがあったらしく、自治会長の互選に入って、いきなり「小森さんにお願いできないでしょうか」の名指しに、打てば響く阿吽の呼吸というのか、「適任」「賛成」の声があちこちにひしめいた。
 慎二は虎挟みにかかった野獣のごとく逆らい、あげくは自分の多忙・病弱・未経験・無能を並べ立て哀訴嘆願したものの、誰一人その断りに耳を貸そうとはしなかった。寄ってたかって押さえ込むように理不尽な承諾を強いた。とことん拒み切るほどの鉄面皮にもなれず、不承ぶしょう総会を締めくくる羽目になった。
(千田三四郎「ゴミのような話」)

千田さんもこういう身辺雑記的な小説、書くんですね。単行本未収録だから面白く読みました。

 
▼ たこ部屋ブルース  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:26  No.1122
   ふしぎなご縁であなたとこうして親しくお話しすることになったんですが、まず前もってお願やらおことわりやらしておかなくちゃならないのは、私はふつうの人たちに比べたらこんにちまで多少は変化のある人生を過ごして来たものの、せんじつめれば札幌で一介のデンキ屋だった男です。そのくだらねえ人間のくだらねえおしゃべりを聞いて頂く間に、途中ああこれは退屈だとお思いになったら、どうぞ遠慮なく打ち切って下さってけっこうですよ(笑)。その方が私としても気楽ですしね。
(平田昭三「たこ部屋ブルース」)

なんか、仕掛けが多過ぎて、まだ読み慣れない。

 
▼ 私の山頭火 〈十〉  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:31  No.1123
   とうとう島にやって来た。
 平成二年六月十八日、この日は私にとって忘れられない日になるだろう。挨拶代りに編んだ詩集の発行が、間に合わなかったのが気がかりだが、残した人がやってくれるだろう。
 本当ならロタに住み込むところだが、とりあえずサイパンに腰を下ろすことにした。やりかけの仕事がまだ一段落しないためだが、サイパンで一先ず身体を慣らしてから、といった気持ちもないではない。
(神坂純「私の山頭火 十〉」)

波乱の多かった『私の山頭火』ですが、ついに最終回。同号ですかさず『サイパン日記』が始まりましたね。

 
▼ 「人間像」第127号 後半  
  あらや   ..2024/10/08(火) 13:37  No.1124
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「人間像」第127号(154ページ)作業、終了しました。作業時間、「63時間/延べ日数13日間」。収録タイトル数は「2406作品」になりました。

◇前号から数えて八ヵ月目の発行となった。八ヵ月も経つと世界も変わる。湾岸戦争が始まって、終わった。日本からは戦後初めて自衛艦が戦後処理とは言えペルシャ湾にまで派遣された。
◇さて、実に久方ぶりに土肥純光が戦列に加わった。長い間仕事に追われ、書けない不本意をかこっていた者たちが続々と職業から解放され、待ちに待った執筆活動に専念出来る事になったのである。本誌にもまた往年の活気がよみがえる気がして嬉しくなる。ちなみに今年新たに解放されたのは針山・北野・土肥・白鳥などである。年毎に同人の年齢が高くなるのは仕方ないとして、内容と量とで実の詰まった雑誌にしていきたいものである。『人間像』にはこれまで何度か活動期と言うか躍進期と言うか、誌面が充実した時期があった。瀬田栄之助・古宇伸太郎などが活躍した時代からこの方しばらくワーッと言う感じはなかったが、久しぶりにそんな活気が出て来るような気がしている。次号あたりからその芽生えが見えはじめるようだ。
(「人間像」第127号/編集後記)

湾岸戦争か… 後記でも触れている「人間像」第128号に早く取り掛かりたいので今日はこれで失礼します。262ページもある大冊なので、作業が終わる頃はもしかして初雪?


▼ 「人間像」第126号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/09/03(火) 17:36  No.1114
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「人間像」作業、再開です。本日、佐藤修子さんの詩三編と佐々木徳次さんの『軍港』を人間像ライブラリーにアップしました。次、内田保夫『甘美の陥穽』、佐藤瑜璃『落葉日記』、丸本明子『蒼天』、針山和美『洋三の黄昏』、村上英治『海に棲む蛍』と続きます。

「同人消息」に興味深い記事が。

☆朽木寒三の斉藤昭伝は総題を『雪の砦』とする本文四巻・別冊一巻からなり、五千枚にも及ぼうと言う一大長編である。その総目次が編集部に届けられたが、第一巻だけでも七章まであり、第一章は「縁の下の砦」として『人間像』に発表、第二・第三章は『少年マタギ』としてポプラ社から出版。第二巻の第一章から三章までは『釧路湿原』として評論社から出版。別巻のうち六篇が『人間像』に発表済みと言う事になる。従って未発表の物がまだ半分以上あり、百枚ずつ発表しても死ぬまでに発表し絶わるかどうか、と言っている。まさしくライフワークと言う訳だ。
(「人間像」第126号/同人消息)

古本屋でこの『雪の砦』を見かけたことはなく、おそらくは未刊に終わったものと想像されますが… 惜しい! 原稿さえ残っていれば、人間像ライブラリーで復刻するのに。


 
▼ 落葉日記  
  あらや   ..2024/09/06(金) 10:31  No.1115
    四月 二十日 水曜日 曇
 昨夜は三度もトイレに起きて、よく眠られなかったが、いつも通り五時に目が覚めた。一人ぐらしになって九日め、肌寒いのと、けだるさで、起き出す気にならず、うつらうつらする。七時にカーテンを開け、新聞を入れてまたねる。十日前までは今頃の時間は出勤する洋一や香織、大学へ行く洋樹達が台所と茶の間を右往左往していて、それなりに活気があったと今は思う。知らない町の狭い官舎住いがいやで、住みなれた自分の家に一人残ったのだが七十七歳の一人ぐらしはやはり淋しい。
(佐藤瑜璃「落葉日記」)

いや、感じ入った。作業中はいちいち感想を述べたりしないで、てきぱきスピードを上げようと思っていたのですが、こういう作品に出逢うと、作業の手を止めてでも誰かに喋りたくなる。人間像、凄い人が入って来たものですね。

 
▼ 洋三の黄昏  
  あらや   ..2024/09/09(月) 17:01  No.1116
   佐山洋三は家の中でもいちばん先に起床する。本当はもっと早くに目覚めているのだが、あまり早くに起き出しては家人の邪魔になると気がねして、布団の中でじっと我慢している。そして今日の一日をどのように過ごすことが一番よいのかあれこれと思案を巡らせてみる。なにもする事はないのだが、なにもしていないと自分がなにか大きな塵になったような気がして、家の中にいることが苦痛になってくる。
(針山和美「洋三の黄昏」)

針山さんの作品を毎号読めるのは嬉しい。前号の『シマ婆さん』からこっちは1992年4月発行の『老春』という単行本にまとめられるのですが、雑誌発表形を読むとなにか新鮮な感じがしますね。で、改めて単行本を読むと、こちらも楽しい。

『洋三の黄昏』は二日前に終わっていて、すでに村上英治『海に棲む蛍』に入っています。〈海に棲む蛍〉が何か、解るところまで来ました。あと二、三日かな。

 
▼ 海に棲む螢  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:02  No.1117
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 黎明塾の前に、肌の浅黒い骨張った貌の男が立った。雪でも払うように、肩の土埃にぱんぱんと手の音をさせている。
 倉田老師は、眼を細め抱きかかえるようにして、その男を迎えた。
「海に棲む螢を見に来ました」
 男は快活に言った。
 老師はそれに微笑し深く頷いている。
 彼が振り返った。
「頼三樹三郎です。諸君よろしく」
(村上英治「海に棲む螢」})

活字も小さく、その活字よりも小さいルビもこれまた多い。第126号だけに頼っていると時間がかかり精度も落ちるので、参考用に道立図書館に予約しました。そしたら、厚さ3.5p、696ページの本がドカッと届いたわけです。いや、吃驚。
連載第一回ということで、毎回こんな分量の作品が続くのかなあ…とちょっと心配していたけど、単行本を見て一安心。「連載」というよりは「連作」ですね。それにしても分量が凄い。『海に棲む螢』だけでも結構な長篇だと感じたけれど、これ、単行本の約700ページの内の50ページ分にしか過ぎないんですよ。単行本で読み通す人、いるのかなあ。

 
▼ O君  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:06  No.1118
   落ち着いてから入り口で貰った案内書を見る。各段の出場者名簿とトーナメント表が出ている。三段の表を見たあと一段から順に眺めていると、突然京極と言う文字が眼に入った。京極とは前の勤務先の地名である。誰かなと思って見るとO君である。懐かしさだけではない或る種の感動が胸の内に沸くのを覚えた。
(春山文雄「O君」)

私も京極にいる時、なんか剣道熱の高い町だなあ…と感じました。きっと立派な指導者がいたのでしょうね。

 
▼ 「人間像」第126号 後半  
  あらや   ..2024/09/16(月) 10:11  No.1119
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「人間像」第126号(128ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数15日間」。収録タイトル数は「2391作品」になりました。裏表紙の広告が変わりました。こちらも村上さんですね。

 村上英治 あした秋篠寺へ

 村上英治は吾々の仲間の中では寡作の方である。しかし、何年か置きに大作・力作と言ったたぐいの作品を書いて仲間をびっくりさせる。中でもこの『あした秋篠寺へ』は二百枚を超える長篇でありながら、詩的表現とも言うべき密度の濃い文章で緻密に描きあげていて、文字通りの渾身作となっている。
 北海道新聞の「上半期の道内文学」(62・7・11)で執筆者の神谷忠孝が次のように評している。
――二百枚をこえる長編で、末期のがんを病む妻を夫の眼から書いた作品。病室にかかっている藤島武二の複製画に描かれている女の肖像や広隆寺の弥勒菩薩への憧憬を重ねながら妻を抱く場面の文章、秋篠寺の伎芸天の描写が印象的だ。農産物を扱う会社の有能な社員としての一面も描いており、堂々たるロマンになっている――
 そのほか二篇の代表作を加えた第一創作集。


▼ 天皇の黄昏   [RES]
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:25  No.1108
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7/20講演会から帰って来て、直ぐに「人間像」第126号作業に入らないで、単行本『天皇の黄昏』デジタル化に取り組んでいました。収録作品中、『天皇の黄昏』〜『春の狂い』〜『再会』〜『古い傷跡』〜『ひみつ』〜『俺の葬式』と来て、本日、『春の淡雪』をアップし完了となったので、ここでご報告です。336ページの本に対して、作業時間は「66時間/延べ日数14日間」でした。

微妙に手が入れられていて興味深かった。針山氏の場合、書き足すというよりは、削るという修正が特徴的ですね。『敵機墜落事件』→『山中にて』みたいなケースは極めて例外的なことだったんだと知りました。『雪が解けると』(第118号)→『春の淡雪』が若干そういうケースにあたるかな。

考えている仕事がもうひとつふたつあって、それをちょっと試みてみて、時間がかかるようだったら今回は諦めて第126号作業に復帰することにします。


 
▼ 湧学館後の日々  
  あらや   ..2024/08/07(水) 09:32  No.1109
  7/20講演会は、私の声が小さかったり、ピンマイクの性能がいまいちだったり、耳の遠いお年寄りが多かったりで、よく聞こえなかったとの感想がけっこうありました。イベントとしては失敗かな。資料作りに使った画像などがまだ残っていますので文章化して人間像ライブラリーに挙げるかもしれません。

次々とイベント打って客を集めるのが今どきの図書館なのかもしれないが、私には、それが図書館の客とは思えない気持もある。「新谷さんが紹介していた『三年間』という作品を読んでみたい」という声に、「スマホでもパソコンでも読めますよ」と答えて、なにか仕事したつもりになっている図書館はないだろうか。世の中にはインターネット接続料金が払えない年金生活者だっていっぱいいるし、私みたいに電話以外の機能は何が何だかわからない、ガラケー使えなくなったから仕方なくスマホに乗り換えた老人だっている。そういう人たちの「読む自由」にきちんと奉仕してこその図書館だと私は思うのだが。

……と、七年前の私ならそう思い、そう行動するのだが、最近はそのように動けるか…自信がなくなっている。スマホが昭和のテレビのように日本人に蔓延してしまった世の中を感じるからだ。「スマホで読めますよ」と答える図書館員しかいなくなった世界を感じるからだ。私は「スマホで見れますよ」と答えることにしています。

 
▼ 湧学館後の日々・インターネット版  
  あらや   ..2024/08/13(火) 01:07  No.1110
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「聞こえなかった」そうなので、インターネット版をつくりました。人間像ライブラリーの〈新谷保人〉に挙げてます。
頭の中に話した内容がまだ残っていましたので、下書き稿などはつくらず、エディタに直接書き込むという今まで一度もやったことのない方法でつくりました。そのせいなのかどうなのか、何度書き直してもパソコンの画面に表示されない画像が一枚あって、さすがに四度目の書き直し失敗で諦めました。悔しいので、こちらの方に画像をあげておきます。
講演会で話した内容以上のことは書き加えていません。文章にしてみると、本当にこれを1時間+10分でやったのかと本人が驚いてしまいますが、たしか70分でやったのです。「聞こえない」というよりは、「聞いたことのない」名前の続く70分に飽きられたのかもしれませんね。けれど、同窓会をやるつもりのない私には、こういう話しかなかったのです。
経験的にパワーポイントを使えば10分の1の努力でできることを知ってます。話す内容も、所詮は電気紙芝居だから、たらたら適当な言葉をつなげていれば何かものを言った気にもなれる。でもね、「講演」が終わったら、観客の頭の中には3%の記憶すらも残っていないんだよ。私は、それで良しとする人間が嫌いだ。

 
▼ 人間像を走る山線  
  あらや   ..2024/08/22(木) 10:53  No.1111
   温泉行きの大型バスが二台、威勢の良いデイーゼルエンジンの音を残して発車して行ったばかりの駅前は、にわかにひつそりと静まりかえつた感じで、あとに残つた一台は、先刻のロマンスカーとは比較にならぬ程の古ぼけた車体であつたが、その方が、かえつて此の小さな田舎駅と辺りの風景には、ふさわしく見えた。
 三人ほどの乗客が所在な気に窓外を見て居る切りで、未だエンジンも掛けて居ないのは、あと三十分ほどで入つて来る下り列車の乗客を待つてから発車する為である。
(渡部秀正「硫黄山」)

本当にひっそりと今日も山線は走っている。明日もこの風景が消えてしまわぬように私は動こうと思ったのです。北海道を描いたすべての作品には、その背後に山線(函館本線)が走っている。すべての読者は、あそこに線路があり駅があることを前提にイメージを膨らませるのだ。100億や200億の赤字がなんだっていうんだ。北海道の文学から駅員や旅人の物語が消える文化的損失に比べたら、こんなもの、蚊に刺されたほどの痛みでもない。

北海道文学を走る山線に突き進みたい。でも、それは、私がやるべき仕事なのだろうか。(やってもいいけど…) どこか、「北海道」を名乗っているところの仕事ではないのか。いずれにせよ、ここで頑張って抵抗しなければ一生悔いが残るような気がしている。せめて、自分の分をわきまえて、「人間像」を走る山線くらいはまとめておかなくては…と思ったのです。

 
▼ 坂の街の母校  
  あらや   ..2024/08/24(土) 17:57  No.1112
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峯崎ひさみさんの『坂の街の母校』ほか、『「山線」と花嫁たち』、『潮の風に偲ぶ』、『手帳』、『先生の指輪』の四篇を人間像ライブラリーにあげました。

すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、7/20講演会を機に、今まで「○○氏」とやっていた堅苦しい呼び方を「○○さん」に改めています。これは尊敬の念が薄れたとかそういうことではなく、そうかと云って、私は「○○」を研究する人ではないわけで、なにかそういう立場をうまく表す言葉はないかと以前から考えていたのですが暫定的に「○○さん」でやってみようということです。繰り返しますが、尊敬の念が薄れたなどと云うことはありません。むしろ「湧学館後の日々」をやってみて、これから進む方向が明確になったようで深く感謝するばかりです。

今は、机の上に溜まった書類の山とパソコンに溢れているファイル群を片付けている最中です。もう一仕事、「湧学館後の日々」関連の記事を仕上げてから、第126号作業に戻ります。

 
▼ 沼田流人伝を読む  
  あらや   ..2024/08/31(土) 14:02  No.1113
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昨日、『沼田流人伝を読む』という拙文を人間像ライブラリーにアップしました。それと同時に、二年間封印していました『文芸作品を走る胆振線』を復活させました。

『文芸作品――』は十年以上も前に書いた文章です。二箇所に事実誤認があり、とうてい人様にお見せできる代物ではないのですが、一時は人間像ライブラリーで公開していたこともあり、そういう文章がある日突然理由も知らされずに消えるというのは、それはそれで図書館としてはやってはいけない行為だと思っていました。
自分としては、『沼田流人伝』の著者・武井静夫さんに対する態度をはっきりさせる形でなら『文芸作品――』は存続させてもらってもよいのではないかと考えています。その上でなら、批判にもきちんと応えることができるような気もする。
『沼田流人伝を読む』の最後を「みなさん、本を読みましょう」という言葉で締めくくりました。笑われるかもしれないが、私の本心です。結局、私の書いたものは〈研究〉などめざしたことはなく、いつでも単なる〈読書案内〉でした。詰まるところ、「みなさん、本を読みましょう」以上のことを言ってはいないと感じています。

さて、これで、「湧学館後の日々」に触発された仕事は完了しました。明日からは「人間像」作業に戻ります。


▼ 湧学館後の日々   [RES]
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:13  No.1099
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一週間くらいかかって講演会用の資料を作りました。(まだ下書き段階ですが…) 「人間像」第125号の針山和美『シマ婆さん』を例にとって人間像ライブラリーに収録するまでを説明したりしています。こんなことを人に説明するのは初めてなのでなかなか手間がかかります。確認のため、久しぶりに「同人通信」などを読み返したりしていたのですが、手に取る資料や本がどれも面白く、ついつい読み耽ってしまって困った。今日は20日か… あとちょうど一ヶ月後ですね。(なにかドキドキしてきた…) 心を落ち着けるために第125号作業に戻ろう。

 
▼ 「人間像」第125号 前半  
  あらや   ..2024/06/20(木) 14:17  No.1100
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雑誌発表形の『シマ婆さん』を初めて読んだのですが、おお!という手応えが私にはありましたよ。これ、合評会で滅茶苦茶言われるだろうなぁとは思ったが、小説としての痛快さでは単行本『老春』に収められた『シマ婆さん』を越えているのではないか。
ちょうど今、手許に「同通」があるので見てみたら、言われてる、言われてる。

村 シマに言うべき遺言をシマが死んでから、シマを意識して、スマンということは、どうしても逃げになる。
針 うん、逃げだ。
村 ここは逃げてはいけない。
針 村上さんなら逃げないだろうが。
村 ゼッタイ逃げない。
針 僕は書けない。
村 書ける書けないではない。
(「同人通信」No.212/道内同人会「125号合評」)

ううっ、凄い。『いつかの少年』が本気で針山氏に詰め寄っている。…という調子で、「同通」が手許にあるといつまでも読んでしまう。仕事にならない。元の資料保存箱に隔離してしまおう。

 
▼ 流れのアリア  
  あらや   ..2024/06/24(月) 13:59  No.1101
   「興奮していないようだ」と言う婦長の言葉に(こんな時にまで)と柚李は苦笑した。母親はいつも、「この子はお父さんにそっくりなのよ。何を考えているのか、嬉しいのか悲しいのか、ちっともわかりゃしない。女の子はもっと可愛げのある顔しなきゃ損なのよ」と心配そうに言った。柚季の大すきだった、もの静かでやさしい父は柚季が大学二年の秋、突然の心臓発作で他界した。結婚するなら絶対に父のような男性と――、と思い続けてきた柚季が、深い悲しみから立直れず、父の思い出にひたって婚期を逸してしまった。
(佐藤瑜璃「流れのアリア」)

『湧学館後の日々』の講演資料、完成しました。〈佐藤瑜璃〉というピースが入ったことによって講演の話の流れも構想できるようになり、有難いことこの上ないです。

うーん、〈父〉が出て来ましたね。

 
▼ 北の島にて  
  あらや   ..2024/07/02(火) 17:08  No.1102
   三ツ塚留雄は、礼文水道の左手に鯨の背のように浮かぶ青い島影を、いつまでも飽かずにじっと眺めていた。
 海が凪いでいるのに、フェリーボートは緩やかにローリングしていた。船酔いに似た追憶がこみあげてきた。留雄は後部甲板の冷たい風に軀をさらしながら、「あそこが生まれ故郷か……」と声にならない呟きを漏らし、回帰する鮭のイメージへ自分自身の思い入れを重ねて、島に対する得体の知れない不安と期待を込めていた。
(千田三四郎「北の島にて」)

『北の島にて』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。この作品の後、第125号作業は一時中断して、7月20日講演会への準備作業を今はやっています。それは例えば、人間像ライブラリーが始まった2017年当時、司書室BBSに書いていた作業メモを一本にまとめるとか、そんなことです。講演に直接関係があるわけではないのですが、いわば自分に対する裏付けという意味で。

『北の島にて』、大変技巧的な、それでいて物語的な力強さを失っていない、さすが千田三四郎とでも云うべき作品でした。主人公の三ツ塚留雄が、『ばばざかり』(第123号)の須賀三平の三十数年後の姿であることに気がつくと面白さは十倍。早く第125号作業に戻るべく頑張ります。

 
▼ 人間像日誌  
  あらや   ..2024/07/09(火) 11:37  No.1103
  一週間ばかり第125号作業を中断して「人間像日誌」をまとめていました。2017年度、2018年度、2019年度の三年間です。「ただいま」というスレッドから始まり、2020年の二月には武漢のニュースが入って来るという、それなりに私には激動、でも傍目には楽しい読み物に仕上がっていると思います。コロナ下の2020年以降については、また別の機会に。講演までの日にちが迫ってきました。

 
▼ 八百字のロマン  
  あらや   ..2024/07/12(金) 11:56  No.1104
   母の十三回忌の法要を終えて実家から帰る途中、ふと香月駅に寄ってみたくなった。国鉄第一次廃止線の対象となった香月線で、私は娘時代の四年間を直方の女学校へ通った。その始発駅がどうなっているか……、確めたかったのである。「それはよいことだね」と夫はうなずき、車を回してくれた。駅の周辺は想像以上に変容していた。ビルが建ち、ショッピングセンターができ、人通りも多くて活気があった。それにひきかえ、線路は錆つき、枕木は雑草に覆われ、駅舎は廃屋となって壁には板がすじかいに打ちつけられており、無残な光景であった。
(日高良子「八百字のロマン」/廃止線の香月駅で)

講演のことばかり考えているとプレッシャーで押し潰されそうだ。こんな時こそ、ルーチンの「人間像」作業をやらなければならないし、本を読んでいなければならない。それが出来た上での講演だろう…と第125号作業を意識的に再開しました。

扱う作品が日高良子さんで良かった。心が少し落ち着いた。

失敗しようと上手く行こうと、私にはこれしか出来ないのだから、講演は七年前にやっていた出前図書館のスタイルでやってみようか…とか思ったりする。

 
▼ 寅吉の故郷  
  あらや   ..2024/07/15(月) 04:58  No.1105
   「もしもそのころにギネス・ブックがあったなら、脱獄七回の五寸釘寅吉は、当然それに記録されていたろうね。逃げるとき、五寸釘の刺さった板きれを踏み抜いた。その板きれを足裏にくっつけ痛いのを我慢したまま、バタバタと二里半ほども逃げ回ったエピソードで五寸釘寅吉と言われるようになったらしいが、そんな寅吉が明和町の出身なんだ」
(千田三四郎「寅吉の故郷」)

神坂純『私の山頭火』に進みたいのだが、さすがに講演が迫ってきている。寅吉とか、松浦武四郎とか、伊勢国(現在の三重県)ってユニークな人を生み出すなあ。

 
▼ 私の山頭火  
  あらや   ..2024/07/17(水) 14:03  No.1106
   今年私がやろうとしていることは、南の島へ渡ってしまうという一事だ。人間が嫌い、日本が嫌いと言ってみても、南の島にも人が住い、彼らの国としきたりがある。それでも敢えて島に渡ってしまい度い。
 渡ることによって、何かが拓ける。それが何であるかシカと確めた訳ではないが、今迄になかったものが拓けることは、確かなようである。その新天地で、心から素直になって、あの世へ渡る準備をしたい。
(神坂純「私の山頭火〈九〉」)

やあ、第125号、最後まで来ちゃいましたね。上澤さん、ほんとにサイパン島に行っちゃうのかな…

さて、ここからは本当に7/20講演会の準備です。出前図書館(ブックトーク)スタイルでやることにしました。

 
▼ 「人間像」第125号 後半  
  あらや   ..2024/07/19(金) 10:17  No.1107
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「人間像」第125号(142ページ)作業、完了です。作業時間は「73時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2359作品」になりました。

7/20講演会(明日だ!)の資料作りと併走になったわりにはてきぱきと事が運んだように感じます。裏表紙は前号と同じ『愛と逃亡』ですので省略します。

さて… さて…


▼ 「人間像」第124号 前半   [RES]
  あらや   ..2024/05/25(土) 18:53  No.1092
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第123号作業が終わった時点で、そろそろ〈松崎天民〉の練習を始めてみようか…という気にもなっていたのですが、「人間像」第124号の表紙見てすぐに考え直した。「人間像」としては大変珍しい、表紙にメッセージが二行書いてある。

 いつかの少年 (三百四十八枚) 村上英治
 赤提灯素描 (新同人) 佐藤瑜璃

そうか、『いつかの少年』か! そして、佐藤瑜璃さんの登場! もう124号作業に突入するしかないとなったのでした。私にとっても、この「人間像」第124号は、私が初めて手にした「人間像」でもあるんですね。『いつかの少年』を読んでひどく感心したことを思い出します。

黒子 「東西、東西……、ここもとお目にかけまするは、天下に隠れもない兇賊五寸釘寅吉が胸の奥に秘めたる真実、嘘、偽りなきざんげの一幕。それをば一人芝居にて北山品評が一世一代、一生懸命に演じますれば、皆々様にはごゆるりと御観覧のほど、願い上げ奉ります」
(千田三四郎「脱獄のかなたに、遥かな愛と憎しみ」)

昔、「人間像」同人とは知らないで、千田作品を愛読していたことも思い出す。『一人芝居・五寸釘寅吉』、本日、ライブラリーにアップしました。以下、丸本明子『萎る』、佐藤瑜璃『赤提灯素描』、針山和美『娘とマダム』、村上英治『いつかの少年』と続きます。


 
▼ 赤提灯素描  
  あらや   ..2024/05/27(月) 16:35  No.1093
   廃線で赤錆びてしまった線路を渡り、右へ折れた路地裏に赤提灯をぶらさげた古くさいトタン屋根のハーモニカ長屋のような店が五軒、ひっそりと立っている。一番手前が焼鳥の鳥源=A二軒めに、おでん、かん酒と書いた赤提灯が下っている格子戸の前に立って葉子は、ブルゾンのポケットから鍵をとり出し、古びた南京錠をあける。
(佐藤瑜璃「赤提灯素描」)

この坂を真直ぐ上って行くと左側に赤レンガ造りのランプ屋という喫茶店があります。そこを右へ曲って少し行くとやぶ半というそば屋があって、その横の小路を入ると、古い木造二階建てのかもめ荘というアパートの六号室です。
(同書)

私、この店、このアパートの六号室…と指させますよ(笑) 『父、流人の思い出』の時は、ああ、あのあたり…といったレベルの精度だったけれど、話が小樽に入って来て、俄然、楽しみが倍増して来ました。久しぶりに峯崎さんにもこの『赤提灯素描』を送ってみよう。

 
▼ 娘とマダム  
  あらや   ..2024/05/29(水) 15:50  No.1094
   「子供の頃はKと言う所にいたの。知ってる?」
 マダムがぽつりと言う。
「あッ……K」
「あら、小父さんもK知ってるのね」
 女が思わず小父さんと言う。それだけ懐かしい所なのであろう。
「知ってるよ。昔の事だけど」
 と、言いながら良太の脳裡を電撃が走った。
「どうしました? 顔色変わったわよ」
「何でもないよ。そうか、Kで生まれたのか……。どうりで見覚えがある気がしたと思う訳だ」
(針山和美「娘とマダム」)

Kは倶知安。住まいはとっくに札幌に移り、時代は平成に移っても、針山氏が書くのはいつも〈倶知安〉というところが興味深い。

『娘とマダム』はとうにアップを終えていて、今、『いつかの少年』に取組中です。この作品、第124号の192ページ中、じつに130ページを占める大作ですので、いつ完了するのかちょっと予測がつかない。考えてみれば、これも〈K〉ですね。

 
▼ いつかの少年  
  あらや   ..2024/05/31(金) 17:10  No.1095
   映写を知らせるベルが鳴った。
 場内が暗転し、客たちがどよめいた。
 スクリーンに題名が大写しされ、片岡千恵蔵の名が出ると拍手がわいた。さだも盛んにたたいているのだ、と思い慎二は笑った。
 出演者の名がスクリーンを流れていく。
 甲胄のさむらいが白い土埃をあげてこちらへ迫ってくる。まだ顔がぼやけていた。多分ちえぞうだ。慎二は息を止めて見詰めた。そのとき、遠くに山並みが見える背景が、火を付けた紙のようにふっと変色した。映像が乱れスクリーンに静止した。不満の声が吐息と共に場内をざわめかした。拡大された写真で見るような騎馬のさむらいが、めらめらと色のない焔に焦げてめくれあがった。セルロイドの焦げる刺すような臭いが流れた。客たちが総立った。危険な臭いだった。
(村上英治「いつかの少年」)

昨夜から今朝にかけて、この、昭和十八年の布袋座火災の場面をワープロ原稿に作成していました。緻密な文章のおかげで、まだ頭がくらくらしています。私の記憶では、『いつかの少年』はこの布袋座の事件をクライマックスに完結する物語と思っていたんだけど、今回作業をしてみて、この布袋座の後も話は延々40ページ分も続く作品であることを知りました。(何、読んでいたんだか…) というわけで、ライブラリー公開はもう少し先になります。

 
▼ いつかの少年(続)  
  あらや   ..2024/06/08(土) 16:56  No.1096
   「慎二お前な、小説家になれよ」
 雑誌や単行本を枕元に積み上げ、微熱にうるんだ眼をして布団にくるまっている慎二を見舞ったさだが、あきれたようにいった。慎二はその時のことを想い出していた。
「小説家って蒼白くてやせてて、軀が丈夫でないんだよな。お前にぴったりださ」
 そんなふうにもいった。今からおもうとあれはさだからの精一杯、見舞のメッセージだったのだ。読書は好きだったが、考えたこともない自分の未来像だった。苦笑が途中から薄れていく。白い羊蹄山を見詰めて眼が熱っぽくなっているのを慎二は感じた。
 火の中で生きたまま死んでいったさだたちのこと。たった四年の間にあっけなく死んでいった、父や祖父、母のこと。佐渡から北海道のこの町へ移住しなければ、少年がこんなに多くの死を見ることはない筈だった。
 佐渡にいたら俺は生まれていない。
 この町だから俺は生まれたのだ。
 だから、いろんな想いをいつかは小説に書いておくべきかも知れない。慎二はいま切実にそう思ったのだった。
(村上英治「いつかの少年」)

本日、人間像ライブラリーに『いつかの少年』をアップしました。ヤングアダルトという概念もまだない時代にこのような作品が生まれていたことに驚きもし、感動もします。針山和美『三年間』と同じく、このような作品に携われたことに感謝したい。

 
▼ 「人間像」第124号 後半  
  あらや   ..2024/06/10(月) 16:54  No.1097
   前号は四十周年と言う事で短いものを沢山載せたが、今号は村上の長篇「いつかの少年」三百四十八枚をどかんと載せた。割と遅筆の方だからかなり時間を要した作品で、また力の入れようも激しく渾身の作と言って良いだろう。
 新同人として佐藤瑜璃が加わった。沼田流人の娘さんで今後が楽しみな存在である。
(「人間像」第124号/編集後記)

第124号はこれに尽きますね。緊張感のある楽しい作業でした。
「人間像」第124号(192ページ)、完了です。作業時間は「94時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「2343作品」になりました。

http://lib-kyogoku.jp/
この後、第125号に入りますが、この号の作成作業を例に7月20日の講演用に「人間像ライブラリー」のメイキング画像をあれこれ作ろうと思っています。そのため、いつもの作業よりは時間を喰うかもしれません。
講演は開館二十周年記念の同窓会気分の依頼なのかと思って最初は渋っていたのですが、そうではない…ということなので引き受けました。極めて異例です。後にも先にもこれ一回切りと思っています。私はそれほどヒマじゃないから。湧学館でやっていた仕事と今のライブラリーの仕事がどのようにつながっているのか、お話できればと考えています。

 
▼ 針山和美第三創作集『愛と逃亡』  
  あらや   ..2024/06/10(月) 17:00  No.1098
  .jpg / 27.7KB

解説は朽木寒三氏。『愛と逃亡』はすでに人間像ライブラリーにアップされています。

『愛と逃亡』は、前に「人間像」に発表されたのを読んだことがあるので、あらすじは知っているつもりだった。そしてストーリー性のゆたかな小説なので、すじを知っていることは、再読に当たって感興のさまたげになるかと思った。だが、いざ読み始めてみるとたちまちとりつかれてぐいぐいと引きずられ、読みおえたあと茫然となった。以前読んだときには気づかなかった細部の綿密さがすみずみまで分かり、次から次と行く手に新しい世界が展開するのである。
 それにしてもこの一人称で書かれた告白体の小説は、明快な文章で書かれてはいるが実に複雑で微妙な作品である。主人公の、愛と憎しみ、好ましい素朴さとずるさ、内性的な暗さと楽天的な明かるさ、引っ込み思案な弱さと意外な行動力、せつないまでの自己犠牲と利己的な攻撃性、絶望の中の希望、ありとあらゆる矛盾した心情と行為の間を揺れ動き行き来するあわれな若者の魅力が、到底小説という作り物とは思えない切実さで読者の心を捕らえて放さないのだ。
 この作品をしあげるのに、どれだけのエネルギーが必要であったことか。しかも作者はこれを、重傷の肝炎で長期入院となった病床生活の中で書いたのである。作中の、異常なまでになまなましい逃亡者の絶望と希望が交錯する心理描写は、あるいは針山和美自身の心情の吐露だったのかも知れない。
 ともあれこれは、すぐれた「愛と逃亡」のドラマであるとともに、一個の心理小説としても希に見る傑作であると思う。








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