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▼ テルミヌスの風   [RES]
  あらや   ..2023/08/31(木) 17:10  No.674
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今日は全国的には西武デパートのストライキでしょうが、札幌ローカルではエスタ閉店のニュースなんです。

札幌駅の商業施設“エスタ”閉店まで残りわずか…札幌と共に“刻んだ45年の歴史”に惜しむ声続々
https://news.yahoo.co.jp/articles/2aff95c60cfd66c472bfe5517224ce987704ca66

私も書いておきたい。國松明日香「テルミヌスの風」はどうなってしまうんだろう。

私の認識ではビックカメラの屋上なんだけど、あれはエスタの屋上でもあったんですね。意外に手入れの良い屋上庭園で、札幌駅の雑踏に疲れた時なんか、ここに避難していたもんです。

針田和明さんの作品に札幌駅前の食堂の話があったな。



▼ 小樽湊殺人事件   [RES]
  あらや   ..2023/07/22(土) 18:50  No.671
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小樽が舞台になった作品で〈旭橋〉が出てくるのはこれが初めてではないだろうか。

文下睦夫(ほうだし・むつお)とか瓜生鼎(うりゅう・かなえ)とか、出てくる人物の名前がみんな変な名前ばかりなので、なにか、キリスト教の十二使徒とか、『十二人の怒れる男』とか、そういうものに故事付けた命名なのかな…とか思った。(ワープロの漢字変換で「ほうだし→文下」とストレートに出てくるのにも吃驚)

図書館の新刊コーナーにたまたまあったのと、「人間像」作業のちょうど一段落したタイミングが重なって最後まで読んだけれど、作業中だったら、こういう、頭で拵えたものはストレスがかかるので放り出していたかも。(昔は好きだったんですけどね…)

「あとがき」は最近の荒巻義雄の思考が知れて大変面白かった。今日は部屋の片付けの続きをして、さあ、「人間像」第113号だ。〈乾咲次郎〉が待っている。


 
▼ 帝国の弔砲  
  あらや   ..2023/07/28(金) 17:21  No.672
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図書館から借りてきたのはもう一冊あって、それがこの『帝国の弔砲』。何十人もの予約、予約で書架で見かけたこともなかったのだけれど、この前、漸く発見。発行から二年も経ってるけれど、私は別に急ぎませんよ。

 ラジンスキーが登志矢たちのほうに近づいてきて、鋭く言った。
「銃殺は、中止だ」
 ペトレンコ軍曹が確認した。
「恩赦ですか?」
「いいや」 ラジンスキー少尉は青ざめた顔で首を振った。「首都で、革命だ」
「また?」とペトレンコ軍曹が訊いた。
「昨夜、ボリシェビキが武装蜂起して、冬宮の政府はなくなった。元首が誰か、参謀総長が誰かわからない。軍は、様子を見る」
 登志矢たちは顔を見合わせた。
 十月二十六日の昼前だった。
(佐々木譲「帝国の弔砲」)

考えてみたら、小説で〈ロシア革命〉読んだの、これが初めてではないだろうか。凡くらな「ロシア革命史」本なんかより、遙かに鮮明。遙かに知性。

 
▼ 裂けた明日  
  あらや   ..2023/08/11(金) 14:47  No.673
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「女の名前は、サカイマチです。ご存じですか?」
「サカイマチ?」
「ええ」
 佐藤は、酒井真智、と書くのだとつけ加えた。
 酒井真智。信也は直接には答えなかった。
「有名な女性なんですか?」
「仙台市内で治安紊乱活動に関わっていて、数日前に仙台を逃げました。こちらに向かったという情報があります。自分の娘を連れています」
「こちらというのは、二本松市のことですか?」
「沖本さんのお宅です。来ていますか?・」
「いいえ。誰も」逆に訊いた。「その酒井真智という女性が、どうしてうちに来るんです?」
「理由はわかりません。目的地はあなたの家だ、という情報があったというだけです」
「どこからです?」
「言えませんが、信頼できる情報源からです」
「わたしはテロ組織にも治安紊乱活動にも無縁ですが」
(佐々木譲「裂けた明日」)

館内閲覧のみ可の『日高文芸』第14号(平村芳美『酔いの彼方』を所収)を読みに図書館に行ったら、「北海道の作家」コーナーにこの新刊を発見。ラッキーでした。(道警シリーズ最新作も出てこないかな…) 『酔いの彼方』については稿を改めて。


▼ 牧野富太郎   [RES]
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:36  No.666
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『らんまん』、毎日興味深く見ています。人間像ライブラリーでも牧野富太郎に関連する記述があったなあ…と思って、針山和美『三年間』とかあれこれ当たったのだけどなかなか見つからない。この文章にたどり着くのに一週間くらいかかりました。

 一人一人、ルーペを所持させられての授業は、小学校では体験し得なかったことだけに、その喜びと感激は大きかった。それよりも何よりも、採集の名の下に、窮屈な(固苦しい)教室の坐学から、雪の失せた校地の外に、自由に出ることを許された解放感は格別であった。
 あの時の学習で、私の観察した菫は、何という名のスミレであったのだろう。「出来るだけ精しく」――と言う和田先生の指示に従い、花の形状をルーペでこと細かく調べてスケッチし、「スミレの花」――と大書して勇んで提出したところ、先生は笑われて、「葉の表裏や根の先まで観察しないと駄目だ。」――とおっしゃられ、ご自分で作成された腊葉標本を見せて下さった。
 それに貼付されていたラベルには、何やら長ったらしい横文字が書き綴られてあったが、えも言われぬ威厳は、子供心にも十分感じ取られた。それが、学問の世界で通用する正式の学名――、乃ちラテン語の学名と、私との初めての出会いであった。
(長尾登「母校回想あれこれ」)

牧野富太郎の功績のひとつ「植物採集会指導」の全国行脚ですね。昭和十年代の旧制倶知安中学にもその情熱は脈々と生きていたのでした。


 
▼ 阿片秘話  
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:41  No.667
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針田和明『阿片秘話』でも牧野富太郎は扱ったはずなんだけど…と探したんだけど、これも見つからない。で、「牧野富太郎」で項目を立てているわけではなく、「矢頭献一」の項目で登場するのを思い出しました。

 牧野富太郎著『普通植物検索図説』は明治四四年(一九一一年)に刊行された。昭和二五年に増訂版、昭和四五年(一九七〇)に新版が出された。秋風の蔵しているのは昭和四五年版である。新版といえども現代の若い人が読むとおそらく古代文字を解読するような難かしさを覚えるであろう。ひら仮名よりも古めいた漢字の方が圧倒的に多いのである。忙がしい現代の人には不向きのようだ。それでも、野草の好きな人なら、図をみながら漢字の行列を目で追っていくだけで結構楽しいに違いない。
 (中略)
 さて、矢頭献一の『文学植物記』に移ろう。
 矢頭献一は少年時代から牧野富太郎について植物分類学の指導を受けた人だ。成人してからもずっと農学畑を歩んできた根っからの植物学者だけあって、植物のことをさらりと書いたようにみえても要点ははずしていない。
(針田和明「阿片秘話」第三回/53 矢頭献一)

 
▼ 京城日報  
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:45  No.668
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牧野富太郎は図書館とも縁が深い。

朝鮮総督府時代の史料出版/牧野博士の標本用新聞から
(SHIKOKU NEWS 2006/02/16)
 日本植物学の父、牧野富太郎(1862−1957年)が植物標本を作るために使った明治期の古い新聞の中に、朝鮮総督府(日韓併合前は統監府)の機関紙「京城日報」の未発見の部分が含まれていたことが16日、分かった。韓国の出版社が「補遺編」を復刻して出版し、日本でも販売を始めた。
 京城日報は1906年から45年まで発行された。今回出版されるのは07年6月23日から12年2月18日の間の19日分。
 東大の「明治新聞雑誌文庫」によると、牧野博士が採集した植物を押し花にするために挟んでいた新聞は、樺太や朝鮮半島などの現存しない新聞や珍しいものも含まれ、貴重な資料とされる。同文庫が東京都立大(当時)の牧野標本館から譲り受け、保存してきた。

 
▼ 後方羊蹄  
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:49  No.669
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牧野富太郎は後志とも縁が深い。

 軍配は「ようていざん」に上がりました。日本書紀の「羊蹄=し」が、千五百年近くかかって「ようてい」にまで変化したのですね。ああ、長い旅だった!
 十五年前、北海道に戻ってきた私は、それでも、この「羊蹄=し」の読みが不思議でした。なぜ新井白石は「し」と読んだのか? この疑問に答えてくれたのは植物学者の牧野富太郎博士です。牧野富太郎は、「羊蹄」とは「ギシギシ(スカンポ)」という草の漢名で、それを日本では単に「シ」と言うのでこのような用字になったと著しています。この用字は、万葉集や源氏物語にもあるそうで…
(新谷保人「小樽日報 三月/二〇〇九年「後方羊蹄」の旅)

 
▼ 廣井勇  
  あらや   ..2023/07/02(日) 14:53  No.670
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牧野富太郎は小樽とも縁が深い。

10歳より土居謙護の教える寺子屋へ通い、11歳になると義校である名教館(めいこうかん)に入り儒学者伊藤蘭林(1815年 - 1895年)に学んだ。当時同級生のほとんどは士族の子弟であり、その中に後の「港湾工学の父」広井勇らがいた。漢学だけではなく、福沢諭吉の『世界国尽』、川本幸民の『気海観瀾広義』などを通じ西洋流の地理・天文・物理を学んだ。
(ウィキペディア/牧野富太郎)

ドラマで、万太郎に剣の勝負を挑んだのが廣井勇らしい。

このスレッドに使った写真は、私の住んでいる桜に近い熊碓海岸の七月です。沼田流人も愛した熊碓の海。ここから廣井勇がつくった南防波堤が伸びている。そして今日は熊碓神社の例大祭。


▼ 「坊っちゃん」の時代   [RES]
  あらや   ..2023/05/28(日) 14:15  No.665
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 〈京橋瀧山町 東京朝日新聞編集室〉
 〈記事「無政府黨員の公判」〉
啄木 あっ松崎さん これ…… 七十三条該当ということは……
天民 ん……
啄木 死刑か無罪かのどちらかしかない……
天民 だな しかし無罪はあり得ん……
   ひょっとすると政府は二十六名全員を殺すつもりだ
啄木 二十六名全員? ……そんな無茶な
(「不機嫌亭漱石」/第十三章「蒼穹無疆」)

驚いたなあ。明治つながりで『「坊っちゃん」の時代』全五巻を読み返したんだけど、松崎天民、出ていたよ。それも、まさに明治が終わらんとしている最終章あたりで、啄木との会話とは! 『イザベラ・バードの日本紀行』に平取アイヌの酋長として出てくる「ペンリ」が「ペンリウク」だったとか、若い時読んだつもりの本に自信が持てなくなってくる今日この頃です。

天民 主筆! 朝からやっています!
主筆 やっている? なにをやっているんだ 松崎君
天民 死刑ですよ 死刑!
主筆 幸徳たちか!?
天民 判決からまだ六日だというのに もう
主筆 …………
天民 欧米からの反対の声が大きくなる前に
   大急ぎで殺しているんです
   まるで悪事を悟られたくないかのように
啄木 日本は …… 駄目だ
(同署/第十五章「明治が終焉する」)



▼ コブタン第50号   [RES]
  あらや   ..2023/04/27(木) 06:29  No.660
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札幌の同人雑誌「コブタン」が第50号で最終号となりました。編集人がお亡くりになられて終刊となる「人間像」のような形しか知らなかったので、「コブタン」第50号のように、主宰の須貝光夫氏はじめ編集に協力していた家族全員のメッセージが載った最終号には意表をつかれました。最終号となると、愛読していた連載・須田茂『近現代アイヌ文学史稿』も最終回です。

 一九七〇年代において活発な執筆を続けた才能が再び復活していることは大きな希望であろう。就中『揺らぐ大地』はアイヌ文学としての側面から見れば、筆者の知る限り、上西晴治の『十勝平野』(一九九三年)以来となる「小説」の刊行である。アイヌ文学では自伝や詩歌の分野では多くの作品が見られるものの、本格的な創作は乏しかっただけに、『揺らぐ大地』に収録された四編はアイヌ文学史において大きな意義をもっている。
(第十七章 アイヌ民族による現代詩歌〈一〉/現代詩/土橋芳美)

また教えてもらった。「『十勝平野』以来」と聞かされれば読まずにはいられない。そして読めば、なんで俺はこんな大事な本も知らないでおめおめ生きているんだろうとけっこう落ち込む。それにしてもなんという須田さんの持久力だろう。『揺らぐ大地』も、最後の章で取り上げられている『北海道の児童文学・文化史』も、みんな去年発行の本ですからね。でも、これらをすぐに自家薬籠中の物にして進んで行くところに同人雑誌の一番の意味を感じるのです。


 
▼ 揺らぐ大地  
  あらや   ..2023/04/27(木) 06:35  No.661
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「あら、同情?」
 なんということか。今まで感謝こそされ、こんな言い方をされるのは初めてだ。善意を踏みつけにされたようで、むっとして睨みかえした。
 耳の辺りで切り揃えた黒髪に、小さめの顔、濃い睫毛に縁どられた目は、太いアイラインで仕上げたかのように強烈だ。どちらかといえば整った美しい顔なのに、その鋭い眼差しが全てを壊しているように思えた。
「同情なんかではありません。私も学生も勉強になるから手伝わせてもらっているんです」
 落ち着くようにと、一呼吸おいてからゆっくりと言った。
「だったら、研究のため?」
 重ねて言い放った。
(土橋芳美「揺らぐ大地」)

なんといえばいいか。私には、初めて峯崎ひさみさんの『穴はずれ』を手にした時の驚きと同質のものがありました。久しぶりに、小説、読んだ、というか。

 
▼ 光あれ、いまこのときも  
  あらや   ..2023/05/07(日) 11:11  No.662
   その文芸誌を見つめていたら、なぜか書いてみようという気になった。
 久しぶりに原稿用紙をひろげ、
「異族の嫁」
 と、題名を書いた。
 一郎の両親にとって、里子はまさに異族だったのだろう。初めて会った日のことが思い出された。
 結婚しようと思っているんだと一郎が里子を紹介した時、母親が里子の顔をじっと見つめ、声を低めて言った。
「出身はどちらなの」
 すでに重い空気が流れているのは知っていたが、それを感じないふうを装って、
「日高の平取町です」
 明るく返したつもりだった。
「平取町って、あのアイヌの人たちが多く住んでいる所ね」
 アイヌ資料館などもあり、時々ニュースになることもあったが、アイヌ人が多く住むといったって、町の人口の数パーセントでしかない。
「ええ、私もアイヌです」
 少し、語尾が震えた。
「そうなの」
 と言った後に続いた沈黙の意味を里子は知っていた。
(土橋芳美「光あれ、いまこのときも」)

引用が長くなってしまった。でも、何もつけ加えることもない、引き締まった文章だ。

 
▼ コタンの恋  
  あらや   ..2023/05/08(月) 09:49  No.663
   長い旅の間、見知らぬ人々の間で緊張してきたので、この少女の朗らかさに救われた思いでした。
「あなたの名前は」
 少女に尋ねました。
 彼女は持ってきた瓶に水を入れながらクスクスと笑いながら言います。
「私の名前はクラ、ほら大事なものを入れておく蔵からとったんだって。このことは小学校の先生に教えてもらったって。でもうちの父ちゃんの日本語があやしくて、役場に届けに行くとき、クラ、にもう一つラをつけちゃって、だから、クラ、いいえクラ・ラなの」
 そのことが可笑しくてたまらないという風に、ころころと笑うと、髪に挿してあるすずらんが少女の肩で揺れました。笑うなど久しぶりでした。水を飲み、笑いを得て、わたしの感覚はやっと正常に戻りつつありました。
父ちゃんのあやしい日本語≠ニいうのを聞いて、この少女はアイヌなのかと不思議に思いました。
 淡路にいたときは、北海道のアイヌというものをもっと恐いもののように想像していたわたしでした。
 しかし、眼の前の少女は、まるで森の精かと思うほどに愛らしいのです。
 クラ・ラに案内されてコタンに入りました。
(土橋芳美「コタンの恋」)

美しい物語だった。読んだあとは、一瞬、今日これから何をするつもりだったのか、わからなくなる。

 
▼ 向日葵を描く女  
  あらや   ..2023/05/27(土) 18:05  No.664
   「そうね。ラーメン大好きです」
 少し歩くと小さなラーメン屋があって二人はそこに入った。
 裕造はラーメンの値段を確かめ、二人分のお金がポケットにあることにほっとした。カウンターだけの小さな店だった。
 里奈子が味噌ラーメンと言ったので同じものにした。いつもは醤油ラーメンだ。
 里奈子は裕造の左側に座った。
 ラーメンを食べる里奈子を何度も見つめた。
 そしてはっきりと記憶に留めていることがあった。右の耳の下に五芒星のような黒子が盛り上がるようにあったのである。
(土橋芳美「向日葵を描く女」)

 取り残されたような小さな公園に陽が溜まっていた。錆びたブランコ。「故障」の札が貼られたシーソー。屑カゴから空き缶が溢れ、蝿がたかっている。自動販売機だけがやたら新しい。ほどなく冷たいビールが飲めるというのに、ホットココアを買ってしまった。掌に吸い付くほど熱い缶をハンカチに包み、靴跡のついたベンチに座る。
(峯崎ひさみ「バイキ!」)

久しぶりの〈小説〉体験に昂奮して、『痛みのペンリウク』も『ウクライナ青年兵士との対話』も直ちに注文して読みました。六年前にひきこもり生活に入ってからは初めての体験です。


▼ 定本レッド   [RES]
  あらや   ..2023/04/24(月) 09:28  No.659
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51年前の二月、受験のために上京した時、大学の正門前には「銃撃戦断固支持!」のタテ看がズラーッと並んでいたものだった。それが、入学のため上京した四月には、きれいさっぱりタテ看も活動家も姿を消していた。

四月になると思い出す。

昔から気になっていた本なのだが、古本に手を出さなくて正解だった。「定本」の説明には、本作は『レッド』(全8巻)、『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』(全4巻)、『レッド 最終章 あさま山荘の10日間』(全1巻)をまとめたものとあった。私が古書店で見たのは『レッド』(全8巻揃)だったけれど、四、五年前で八千円とかとんでもない値段が付いていた。『レッド』の@〜Gで〈あさま山荘〉まで話が進むと勘違いしていました。

その四月ももうすぐ終わり。五月か… 十年に一度の本に出逢ったので、五月を待たないでまた書きます。



▼ サーベル警視庁   [RES]
  あらや   ..2023/03/05(日) 16:40  No.657
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「へえ、黒猫先生、そんなことを……」
「はい」
「それから……?」
「私の江戸言葉を聞かれて、面白がってくださいまして……。新作の小説に使おうと……」
 鳥居部長の眼が輝いた。
「新作の小説に? おめえさんを、かい?」
「いや、どうやら私と話をなさっていて、気っ風のいい江戸っ子を主人公にすることを思いつかれたようでやす」
「江戸っ子が主人公……」
「それが、愛媛の松山かどこかで教師をやるんだそうで……」
「へえ、そいつは楽しみだねえ」
 そこに、葦名警部と藤田がやってきた。
(今野敏「サーベル警視庁」)

こちらの明治警察も、いたる所に小技が詰め込まれていて楽しく読めました。最後に、関川夏央・谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』への謝辞があって、なるほどと思った。

今、平行して、国立国会のデジタル・コレクションの松崎天民を読み進めているのだけど、日増しに天民を人間像ライブラリーで扱いたい気持が高まっています。


 
▼ 帝都騒乱  
  あらや   ..2023/03/06(月) 17:36  No.658
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 岡崎は尋ねた。「しかし、奉天を占領し、五月二十八日には、日本海で艦隊が勝利しました。日本中が戦勝に浮かれているのですが……」
「今はよくても、このまま戦を続ければ、わが国はたいへんなことになります。庶民は重税にあえぎ、日本は疲弊している。奉天、日本海の勝利はつかの間の夢です。もう、日本は持ちません」
 岡崎と岩井は再び顔を見合わせた。
 岡崎がさらに何か言おうとしたとき、背後から明るい声が聞こえた。
「庶務のおじいさん、さようなら」
 岡崎と岩井は振り向いた。声の主は、城戸子爵の令嬢、喜子だった。
 喜子が目を丸くする。
「あら、岡崎さんに岩井さん。庶務のおじいさんを捕まえに来たの?」
 岩井が言った。
「冗談じゃありません。ちょっとご挨拶に寄っただけです」
 喜子はさらに近寄ってきて言った。
「何か事件があったら、また手伝わせてくださいね」
(今野敏「帝都騒乱」)

お約束のいつものメンバーが集まって、さあ、「サーベル警視庁」劇場の始まり、始まり。楽しい休暇だった。さあ、明日から「人間像」第107号作業、再開だ。これが終わる頃には、雪融けているかもしれない。


▼ 抵抗都市   [RES]
  あらや   ..2023/01/28(土) 14:54  No.655
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「身寄りもわからない店子が死んじゃった場合、あたしはどうしたらいいんだ? 荷物を片づけてしまっていいのかい?」
 多和田が言った。
「警察から連絡が来るまでは、このままにしておいてくれないかな」
 新堂は、卓袱台の下からまとめられた新聞紙を引き出した。
 東京日日新聞、中央新聞、東京朝日新聞があり、時事新報、都新聞、読売新聞もあった。さらに国民新聞、萬朝報、やまと新聞……。
 この一週間ばかりのものだ。
(佐々木譲「抵抗都市」)

日露戦争終結から十一年、ロシア統治下の東京…という設定は、ちょうど松崎天民を調べていた時だったので、なんともタイムリーでした。大津事件や日比谷暴動をこんな風に使うのか…という面白さもあった。このシリーズ、楽しめそう。


 
▼ 偽装同盟  
  あらや   ..2023/02/17(金) 17:43  No.656
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 新堂は駅前で市電を降りると、広場の新聞売店へ歩いて、目につく夕刊をさっと五紙買った。とくに選ぶことなく、ペトログラードの騒擾を見出しにしている新聞だけをだ。
 売店の脇で、ざっと目を通した。
 帝都実報新聞の見出しはこうだ。
「露都、軍発砲 死者百名超か」
「一部連隊、反乱」
 東都日日新聞はこうだった。
「露都市民、軍と衝突、死者数百」
「反乱露軍、出動拒否」
 あとの三紙も、見出しは似たようなものだった。
(佐々木譲「偽装同盟」)

うーん、今度はロシア革命か! 芸が細かいな。今回は「二月革命」の時期だったから、次の事件は十月か。ロシア帝国消滅だから、これで終わりか。

今、松崎天民の本を国立国会図書館のデジタル・コレクションで少しずつ読んでいるんだけど、デジタルって読みにくいね。(少し反省…) 年寄りは紙に印刷して読んでます(笑)


▼ 父・流人の思い出 メモワール編3   [RES]
  あらや   ..2023/01/16(月) 17:41  No.644
  「さあ夜祭り見物だ、行きたい人はついて来い」と言って立上がる。子供達はみんな「ワーイ」と喜んで後を追う。サーカスのジンタが聞こえてくると父は、スローテンポで「旅のつばくら淋しかないかあ」と小さな声で唄いながら私達をサーカス見物につれて行ってくれた。哀愁にみちたクラリネットの音色や、スポットライトをあびて華やかな曲芸をしている少女の、笑っているのに泣いているように見えた美しい顔、虎やライオンの恐しいのに悲しげな目など私は今でも懐しく思い出す。
(第二十一回/祭りのあと)

 そして、風に躯を委ねる放浪者の群に入って、いろんな世間師等の仕事をした末、とどS市である小さな曲馬団の歌手として雇われた。
 彼女は、そのK曲馬団で、エリナと称ばれていた、馬つかいで、その群の中で果てもない漂浪の日を送っている娘であった。
 明三の頭には、その時A市で興行中起ったある場面が、幻のように湧き上って来た。
 舞台は、総ての光を取り去られて暗くされていた。明三は、慄える燭灯を掲げて、そこに立った。青ざめた小さい光に、恐ろしい程の無数の人間の視線が、暗い観客席から光った。
 エリナは、その微かな光の下に跪いて、自分の胸の中に怜悧な仔馬の首を抱いて、その鬣を撫でて寝せつけた。明三は、沈んだ弱音でその馬の為に、小唄を歌った。
(沼田流人「血の呻き」/第二章)


 
▼ メモワール・二十二、二十四  
  あらや   ..2023/01/16(月) 17:44  No.645
  父は終日机に向って坐っていたので、気分転換とか足の運動という意味もあってか散歩は日課のようになっていた。私が子供だった頃も戸外で父の姿を見かけると必ずかけ寄っていったものだった。たしか小学校四・五年生までは手をつないで歩いた。一しょに遊んでいた友達もきまって同行した。父が道端の草花などの名やそれにまつわる民話などを話してくれるのが、みんな楽しみだったからである。クラス会などで、昔の友達に逢うと、よくその頃の話しが出る。みんな懐しそうに「おじさんやさしかったもね、いろいろきいたお話し忘れないよ。子供にも話して上げたよ」と言われると、私は心の中でひそかにつぶやくのである。「これは父さんの大いなる遺産だわ」と。
(第二十一回/遺産)

淳が幼稚園から小学生になる頃には、おじいちゃんのお話は淳の友達にも知れわたり、近所の子、遠くから自転車に乗って来る子もいて日中からお話会が始まることもあった。父は仕事の手休めに煙草をすいながら淡々と話したが、子供達は結構興奮して、怖ろしい所では身をすり寄せたり、おかしな話には笑いころげたりしていた。私はその光景を見てほほ笑ましく思ったものである。
(第二十二回/おじいちゃんの連続ドラマ)

流人の思い出を語れる倶知安高校の同僚の方々はもうお亡くなりになっているのだが、ここに描かれている子供たちはまだご存命かもしれない。

 
▼ メモワール・二十三  
  あらや   ..2023/01/16(月) 17:47  No.646
   私が小樽の男と結婚する事になった時の父の第一声は、「小樽は父さんもいろいろ縁のある街だったが、とうとう娘までご縁があったとはなあ」 「小樽はいい街だ。父さんは小樽が好きだよ。東京へ行けないと決った時、せめて小樽へ出てくらしたいと思ったものだ。倶知安から一番手近かな都会ということもあったが、何よりも眼の前に広がっている海がよかった。
 (中略)
 その頃はもう家にひきこもりがちだった父は、私が小樽に移住すると、小樽築港近くの私の家によく遊びに来た。孫の小谷淳が小学生で必ず同行して来て、よく海辺へ行った。春夏秋冬のそれぞれの晴れた日、雨の日、雪の降りしきる暗い日の海を、父はあかずに眺めていた。ある夏の、月の光が波間をキラキラ照らしている夜だった。ほろ酔い気嫌の父と私は熊碓海岸の砂丘を散歩した。父はため息のような低い声で呟くように言った。
(第二十一回/故郷)

この家は、私の住んでる桜の隣町、若竹ですね。

 
▼ メモワール・二十六  
  あらや   ..2023/01/16(月) 17:50  No.647
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次週再び倶知安の父のもとに訪れた夫が「弁慶隧道に決定した。ついてはトンネルの正面に名前をつける字を書いて下さい」と言った。父は喜んで、長い間机の引出しにしまったままの大きなさばきを出した。一字が七〜八十糎四方もの大きな字なので部屋一杯に新聞紙を敷き、父はいつもの和服をセーターに着替え、厚い大きな美濃紙に一気に書いた。その時の父の嬉しそうな表情を私は今も忘れない。「もうこんなデカイの書けないと思ってた。よかった。いい冥土のみやげができた。ありがとう」と言って筆をおいた。
(第二十二回/弁慶隧道)

流人の書作品は残さなければならない。そして、流人の書について、生涯を踏まえた上で作品として正確に語れる人が欲しいといつも思う。写真は岩内にある尾形家(倶知安神社)の墓標。書はもちろん沼田流人。

 
▼ メモワール・二十八  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:40  No.648
  そして、月がきれいな夜は、そのまま、散歩といって、ほろ酔い気げんで夜道をさまようので夏はいいけれど冬は身体に悪いと家族は心配した。みんなが注意すると、「俺はもういつでもあの世へ行く準備はできている。借金もないし未練もない。きれいな月の道をあの世まで歩いて行けたらいいのになあ」などと言っていたが、ある冬の凍れる夜、帰宅するとすぐふらふらとしながら布団に入った。姉は心配になって、「父さん、目まいでもしたんでないの」と枕元に行くと父はじっと目を閉じたまま何も言わなかったという。すぐ医者を呼んでみてもらうと、「血圧がひどく高い、心臓も弱っている。すぐ入院して下さい」と言われたが、「家族のものが大変だから明日にします」と言って父は眠ってしまったと夜遅く小樽の私のところへ姉から電話が入った。私も心配になって、翌日早朝の汽車で行くと、「一晩ぐっすり眠ったから治ったよ」と父は、ケロリとした顔で言ったが、当時室蘭にいた兄も来て、息子、娘全員がそろって説得し倶知安厚生病院に入院することになった。父にとって少年の日、片腕を失った時の入院以来の事だった。
(第二十三回/入院)

 
▼ メモワール・二十九  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:44  No.649
  私はさっそく倶知安の実家へ行き、向いの小柴運送社のおじさんから「車はどうせオンボロで投げてもいいもんだが、ゆりちゃんはまだ雑品には惜しいぞ、気をつけてな」と、古い軽自動車を借り、まだ舗装のしていないのどかな山道を、父を乗せて走り廻った。父は京極や喜茂別の神社など、ゆかりの所へ行くと、必ず車から下りて、まるで自分の足で昔を懐しむように、そぞろ歩いた。当時の田舎道は交通量もなく、道端でも橋の上でも自由に駐車ができ、初心者の私でも羊蹄山麓はなんとか廻ることが出来た。思えばあの時のドライブが、父が最後に見た京極や喜茂別の神社であり、岩内の海だった。
(第二十三回/ドライブ)

入院を境に家族がどんどん介護モードに入って行くのが切ないです。晩年の流人が何に別れを告げていったのかがわかり大変興味深い。

 
▼ メモワール・三十  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:49  No.650
  秋風が立つ頃には再び家にとじこもり、たまに散歩に出るか浅田屋さんへ呑みに行くくらいになった。そして呑む度に、「小樽の高島の海はよかった、イキのいい魚がうまかった」、「余市のりんご園で見た月はきれいだった、もぎたてのリンゴはうまかった」、「比羅夫の坂道の地蔵さんはそのままで安心した、ミヨちゃんの手打そばは昔と変らずうまかった」などと話した。短い間の小旅行だったが、父はとても楽しそうだった。「父さんすっかり元気になってよかったね」と私達も嬉しかった。思えば父は若い頃からこんな放浪生活にあこがれていたようだった。父の人生をふり返ってみれば、父が旅立つという時それを引き止める事情が必ず出現し、父の足には重い鎖がまきついていたように思われる。
(第二十四回/流浪の人)

 
▼ メモワール・三十二  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:51  No.651
   昭和三十九年秋、私がまもなく二才になる息子をつれて倶知安へ行くと、父は突然、神社参拝に行きたいので車に乗せて行ってくれないかと言った。私も姉も「お祭りも終ったのに、なんで今頃?」ときくと、「お祭りに行けなかったし、なんとなく若い頃のおれの字見たくなったんだ」と言った。
(第二十四回/神社参拝)

 
▼ メモワール・三十三  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:54  No.652
  未完成の家には鍵はかかっていて中に入れなかったが、父は庭先に腰を下ろしてさえぎる物のない羊蹄山をあかず眺めていた。その夜姉が「父さんどうでした、静かでいいでしょう」と言うと、「ああ、いいよ、俺はいいが、母さんにはお前から言ってくれ」と、仏壇を見て言った。
 その十日後、父は突然他界した。集まって下さった近所のおばさん達は、「やっぱり母さんと同じ家で逝きたかったんだね、仲よかったもね」と話した。
(第二十五回/アカシア並木の思い出)

 
▼ メモワール・三十四  
  あらや   ..2023/01/18(水) 17:58  No.653
  もう一度赤いタンスを開け、やっと見つけてやれやれと元通りに入れはじめると、数枚の写真の入った大きめの封筒があったので何気なくとり出してみた。それは若い日の父であることがすぐ判った。絣の着物を着て頭髪を長くたらしたのや、黒紋付を着て数人の男性と並んだもの、上野駅をバックにして初めて背広を着たという感じの青年時代の父であった。島田を結った若い美しい女性のが二枚あった。私の見知らぬ人だった。姉もはじめて見たと驚き、そのセピア色の写真を何回も見た。
 (中略)
私はふとあの写真を思い出し姉に聞いてみたが「小引出しはきれいに片付けられていて、あの写真はいくら探しても無かった」とのこと、「そういえば父さん、お盆すぎから、古い手紙などうら庭に出ては焚火のように燃やしていたっけ。引出しからはみ出したとか言って」とも言った。
(第二十五回/赤いタンス)

上野駅をバックにして…か。函館ならなんとか頑張ってみようという気に今はなっているが、東京となると正直キツイ。

 
▼ メモワール・三十五  
  あらや   ..2023/01/18(水) 18:02  No.654
   父は晩酌のテーブルに夕刊を広げ、可愛がっていた孫の淳が見ている相撲のテレビをいっしょに観戦しながら、コップ酒をグイッと呑み、急に咳こんで後ろにたおれたという。淳が背をさすり、台所にいた姉がとんで来て、ちょうど車で帰宅した義兄が病院へとび、妹の家にいた私達を迎えに来て、私達がかけつけた時は、お医者さんが来ていて「ご臨終です」と言っていた。
(第二十五回/父をおくる)

佐藤瑜璃『父・流人の思い出』は第二十五回が最終回です。函館の謎を始め、今まで解らなかった多くの事柄に解明の光をあててくれた『父・流人の思い出』に感謝です。何を探し、何処に行けばよいのかがはっきりしました。

今のところ、依然として謎のままなのは『ライチシの涙』ひとつだけという状態。明日からは司書室BBSの方で「松崎天民」について調べます。


▼ 父・流人の思い出 メモワール編2   [RES]
  あらや   ..2023/01/14(土) 10:38  No.637
   私はエビ天のそばが好きだった。父は必ず「ざる」だった。「本を売って本を買い、その上ウイスキーものめるし、そばも食える、父さんは幸せだ」などと父は良い気嫌で夜汽車に乗ると、高いびきで寝てしまう。私もコックリコックリしているうちに余市につき、沢山の人が降りるざわめきで目覚めた父は、静かになった車内で両脚を投げ出し、今日買って来たばかりの本をひらく。
(第十八回/古本屋)

小樽の古本屋がどこの○○書店だったかなんてどーでもいい。大事なことは「山線」だ。啄木の昔から人間像まで、北海道の文学の大半は「山線(函館本線)」の上で起こって来たのだ。線路が消えたら、北海道の文学は心臓を病んで死ぬだろう。

『父・流人の思い出』は第十八回に至って、またメモワール編が帰って来ました。前回より、より「父と私」の色彩が強いように感じます。佐藤瑜璃の作品として自立したと思った。余計なコメントは、もう必要ないだろう。


 
▼ メモワール・十四  
  あらや   ..2023/01/14(土) 10:44  No.638
   家が変っても、仕事机は窓から羊蹄山のよく見える場所に置いたし、散歩の時もいつも羊蹄山を仰いでいたようだった。それらを思う時私は、心の中で、羊蹄山は父の魂の墓標であり、父はその山ふところに抱かれて静かに眠っているのだと、心篤く感ぜずにはいられない。私は倶知安を訪れるたび、羊蹄山が見えると、巨大な父の墓標に向って「父さん、来ましたよ!」と心の中で語りかけている。
(第十八回/星雲窟)

 
▼ メモワール・十五  
  あらや   ..2023/01/14(土) 10:49  No.639
  家に入ってから「さわいでばかりいて、自分の悪かったことあやまったの?」と、私は逆に母に叱られてしまった。
 父はなだめるように、「もうわかったんだな、いいんだ、あやまったんだよ母さん」と私と母に向って言った。姉が入って来て、「父さんほんとにたたいたの?」と聞くと、本当はぶってなどいないので、父は静かに、ああと言ってから、「ゲンコツより、ビンタより痛い言葉の暴力ってのがあるんだ。おまえ達ももう直ぐ社会へ出てゆくんだから、人にものを言う時はよく気をつけるんだ」と、いつになく厳しい表情で言った。
 夕食時になって、父が晩酌を始めても、私はまだ興奮が収まらなくて叫んだものである。「父さんだって怒るよぅ。怒ればとってもおっかないよっ」
(第十九回/父さんだって怒る)

 
▼ メモワール・十六  
  あらや   ..2023/01/14(土) 10:56  No.640
   そう言えば私もかなり幼い頃からこんな光景を見ていたことを、その時思い出した。父の机の引出しには、いつもドライバーセットが入っていて時計に限らず、懐中電灯、電気スタンド、ラジオなども分解したりしていた。後に北電に勤務した兄も子供の頃から電気機具類を分解組立などすることが好きで、よく父の助手をさせられ、後には電気蓄音機なども作ったりしたものだった。兄が就職して家に居なくなると、助手は弟になった。弟の話しによると、置時計には「一八??年改造社」と後ろに金文字で書かれてあったとのことで、父の「地獄」が載った雑誌「改造」となにか関係があったのではないかと想像する。不思議なことにこの時計は、父が亡くなるまで、時に遅れたり止まったりしながら動きつづけたが、父が亡くなったと同じ時刻くらいに、いつの間にか止って動かなくなってしまった。
(第十九回/時計の分解掃除)

 
▼ メモワール・十七  
  あらや   ..2023/01/14(土) 11:03  No.641
   その日は朝からぬけるような青空だった。母が丹精をこめた家の前の花畑には、秋の花々が美しく咲きほこっていた。妹や弟を学校へ送り出し、高校講師をしていた父を送り出し、出勤する私を笑顔で見おくってくれた母が、夕方には帰らぬ人となってしまった。
 私はこの日のことを、その後の日々の事を、こうして文に書くのはこれが初めてである。あまりにも悲しすぎて、私はなるべく思い出さないようにして長い年月を送った。父もきっとそうだったにちがいない。父は母の仏前にひれ伏すだけで、母のことを語り合うのをさけて生きていたように思う。母の思い出を語るようになったのは、ずっと後のことになる。
(第十九回/母が死んだ日)

 
▼ メモワール・十八  
  あらや   ..2023/01/14(土) 18:25  No.642
  「へえー父さん小説かいていたの?」 その頃は私も誰かから、父が昔小説を書いていたことがあったと風聞で耳に入ってはいたが、あまり興味は湧かなかった。「ああ、若い頃ちょっとな、おまえなんかの生れるずーっと前の話だ」 「うーん、売れたの?」 「いや、売れなかった、おもしろいもんじゃなかったからな」 その頃の私の小説に対する知識は、人気作家が恋愛小説などを書いてベストセラーになり大金が入るというくらいのものだった。「売れないのにどうして書いたの?」 「書きたかったからだ、少しは金も入ると期待してな」 「それで止めたのか……」 私があまり興味を持っていない事を知って父は「さあ寝ようか」といって布団に入った。
(第二十回/小説の話)

このやりとりは、大正十年発行の「種蒔く人」創刊号に載った『三人の乞食』についての流人の述懐と捉えるべきなのだろうが、私は解釈を広げて、流人が過去に書いた『血の呻き』などの作品全般についての述懐と捉えたいところだ。文学と完全に決別した流人にとって、特に『三人の乞食』にこだわる理由はない。みんなまとめて過去の仕事であるはずだから。

 
▼ メモワール・十九  
  あらや   ..2023/01/14(土) 18:29  No.643
  父は私に、いただいてきた引出物の包みから焼魚や煮物等を出させて、線路の脇の草むらに一つ一つポトポトと置きながら、その上にお酒をかけたりした。私は父がひどく酔っているナと思い「父さん、もったいないでしょ、母さんのお土産にって頂いたのよ」と言うと、「母さんにはおまえのをやりなさい、母さんはもっと美味いものも食べているよ、まずいものさえ食えずに死んだ者も大ぜいいるんだ」と言った。私は戦争中のことを言っているのだと長い間思っていたけれど、後に父は酔っていたことは確かだが、あの線路の工事で死んだ土工夫への供養だったのではないかと気がついたのは、父の小説「地獄」の悲惨な土工夫の実態を知った時であり、父はその時もうこの世にはいなかった。
(第二十回/ああ、胆振線)

タコ部屋は京極線(胆振線)が出来てしまえばこの世から消える。二度と線路上に現れることはない。その一瞬の場に流人がいたことは天命とでも云えることなのかもしれない。文学の神様が流人を選んだことには意味がある。








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