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▼ Anne with an "E"   [RES]
  あらや   ..2021/12/16(木) 17:08  No.578
  .jpg / 17.4KB

「人間像」の現在の編集者・福島昭午さんが亡くなってしばらくの間、夜中に目が覚めて酒を飲む習慣が復活してしまった。動揺しないつもりだったけれど、実際には動揺していたのかもしれない。
『アンという名の少女』に出会ったのは、そんな頃です。シーズン2が始まるので、以前のシーズン1を夜中に再放送していたのだと思う。
いや、面白かったですね。私はこの歳まで『赤毛のアン』読まないで来ちゃった人間なんだけど、こんなに面白い話なら今からでも読もうかとさえ思いましたよ。
で、クリスマス近い今になっても、本は読んでません。テレビは欠かさず観てるけれど…
というのは、ウィキペディアの解説を読んでしまったから。

「著名な原作に基づいてはいるが、過去の映像化作品と比べてやや暗いストーリーが描かれる。アイデンティティ、偏見、いじめ、アウトサイダー、受容、人種差別、同性愛、先住民迫害、女性の自立などの現代的なテーマが追及され、新たな登場人物とストーリーが追加されている。」

私が面白いと感じたのは、その「新たな登場人物とストーリー」の面だったのですね。
へぇーっ、こんなやり方もあるんだ。ちょっと『ツイン・ピークス』っぽい画像も好みですね。


 
▼ カクエト  
  あらや   ..2022/02/02(水) 10:01  No.580
  .jpg / 31.6KB

シーズン3第8話(1月30日放映)、もう5回くらい見直している。

土人学校を脱出するカクエトの作戦、沼田流人『血の呻き』で明三がタコ部屋を脱出する作戦に酷似してましたね。ハッとした。


▼ 神威岬   [RES]
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:10  No.574
  先日、積丹半島を一周してきました。一応、免許証を持って行ったんだけど、いやー、今の車って、もう運転駄目だわ。カーナビにドライブレコーダーとか。エンジンキーじゃなくて、ボタンでスタートとか。助手席で運転を見ているだけで全身が緊張する。自分の息子ほどにも歳の離れた「人間像」に参加した古宇伸太郎みたいな心境。

 
▼ 電磁台  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:14  No.575
  神威岬にこんなものがあったなんて、この歳になるまで知らなかった。

電磁台(電波探知塔)
明治三十七年五月六日、神威岬の無電所が神威岬沖合にウラジオ艦隊が出没していることを受電し、それが原因で大騒ぎになったことがある。翌年の明治三十八年五月六日にも神威岬沖合にロシアの軍艦が出没したことで騒ぎが起こり、住民の安全を守るという意味で灯台を一時消灯したことがあった。
昭和十五年、ロシア軍が北海道に上陸する情報をキャッチするため無線塔一基、レーダー三基を神威岬に設置する計画を立て、二年後の昭和十七年に完成した。
その名残がこの電磁台である。
(側の解説板より)

二十年前の灯台スタンプラリーで懲りているので、岬の突端は遠慮しました。老体にはちょっとしんどい。

 
▼ アテナ像  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:17  No.576
  .jpg / 24.7KB

積丹半島一周を企てたのは、「北海道デジタル彫刻美術館」のおかげで、岩内町に撮り忘れた作品が一つあることを教えられたからでもありました。

[作品番号] 242
[作品名] アテナ像
[彫刻家名] 木下合金
[地域] 道央
[設置場所] 岩内町港公園
[設置環境] 野外
[素材] ブロンズ

 
▼ 東日本フェリー  
  あらや   ..2021/09/17(金) 14:21  No.577
  .jpg / 28.3KB

木下合金は小樽の会社じゃないかな。「アテナ像」の周りを子細に見たけど彫刻家のクレジットはありませんでした。(失礼な話だな。町長の名前は大書きしてあるのに…)
家に帰ってヤフー検索してみたら、「田中正秋」の名が浮上してきました。版画家として有名な方らしいが、よくわからない、調査中です。

それよりも、ここがフェリーが発着していた場所だったことの方が発見でした。ウィキペディア「岩内港」の沿革です。そうか、直江津か…

1907年(明治40年):町費による岩内港修築工事着工。
1945年(昭和20年):アメリカ軍による空襲を受ける(北海道空襲)。
1953年(昭和28年):「地方港湾」指定し、岩内町が港湾管理者となる。
1964年(昭和39年):中央ふ頭-5.5 m岸壁竣工。
1975年(昭和50年):中央ふ頭-7.5 m岸壁竣工。
1985年(昭和60年):「保税上屋」指定。
1990年(平成2年):新港地区-8.0 m岸壁竣工。東日本フェリーによる岩内―直江津間フェリー航路開設(1999年休止)。
2000年(平成12年):「特定地域振興重要港湾」指定。
2003年(平成15年):港内にて海洋深層水取水開始、臨時分水施設完成。
2005年(平成17年):岩内町地場産業サポートセンターオープン。フェリーターミナル解体


▼ はみだしっ子   [RES]
  あらや   ..2021/08/22(日) 11:04  No.573
  http://moonlighting.jp/sekaiten/

第一回目のワクチン接種を受けた週末、札幌の「三原順の世界展」に行ってきました。普段、手作り作品のバザーなどをやっている会場なので、あんな狭い場所だからきっと原画がちょぼちょぼ並んでいるような展示会を想像していたのだけど、全然ちがった。小学一年生の冬休み絵日記から晩年(といっても42歳だが…)の作品考察まで、じつに完璧に「三原順の世界」してた。さらに〈無料〉というのが素晴らしい。

『はみだしっ子』を見ると、最初に勤めた県立高校の図書館を思い出す。石油ショックのおかげで札幌の図書館の道も絶たれ、初めて足を踏み入れた土地で、当然県立図書館勤務だと思っていたのに考えてもいなかった県立高校に配置されたりして不安定な気分だった。大学に司書課程がなく、夏の文部省講習でやっと資格をとった程度の図書館学なのにボロが出なかったのは、普通の社会人のように大人数の職場で揉まれることのない、学校の五階の一人職場だったからかもしれない。そんな未熟な司書の図書館に自然に集まって来たのが「はみだしっ子」たちだった印象がある。教室にいられない、いたくない子どもたち。
今回、ふと三原順の42年の人生を垣間みせてもらって、あの時の「はみだしっ子」たちや私について多くの気づきがありました。何を思ったかはまだ語りたくない。相変わらず未熟だし。今、私がやっている「人間像」がその1974年、石油ショックの時代に入ったことをとても不思議な縁と感じています。



▼ 滝錬太郎   [RES]
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:10  No.572
  先日、道新が突然「滝錬太郎」の記事を載せて、その記事で滝氏が昨年三月にお亡くなりになっていたことを知りました。

 滝錬太郎 多彩な美術家
 東京の一等地、銀座4丁目父差点に立つ和光ビル屋上の時計塔は、言わずと知れた銀座のシンボルだ。だが時計の文字盤下の唐草模様をデザインしたのが、昨春78歳で死去した美術家の滝錬太郎だと知る人は少ない。
 明治の1894年に完成した初代の時計塔が解体され、現在の2代目が登場したのは昭和初期の1932年。戦後の54年6月10日の「時の記念日」以降は「ウエストミンスター式チャイム」の音が毎定時に鳴り響き、銀座の風物詩となった。
 滝は70年代前半の改修で活躍。現在の文字盤下の唐草模様4面を手掛けた。「最初のデザインを和光に見せたところ一発でOKをもらいました」とうれしそうに語っていたという。時計塔は2009年、国の「近代化産業遺産」にも認定された。
 (中略)
 北海道の自然を愛した滝は毎年、オホーツク管内遠軽町で陶芸教室を開き、町には多くの作品が屋外展示されている。滝がアトリエを構えた埼玉でギャラリー碌山を営む浅見洋子さんは「とても穏やかで物静かな芸術家でした。どの作品も力強く、よく見ると穏やかさが感じられる。そこが愛されたのでしょう」。
 (後略)
(北海道新聞 2021年7月5日夕刊)

私には遠軽町生田原にある『オホーツクの風』がひときわ美しい。



▼ 違星北斗歌集   [RES]
  あらや   ..2021/07/08(木) 11:05  No.571
  六月のある日、この本、『違星北斗歌集』が贈られてきた。おお、凄いな、山科さん、ついにやったな。早速、礼状を書こうとしたんだけど、本が角川書店の方から送られてきたので住所がわからない。それで、こちらの方に書くことにします。

最初の遺稿集が世に出てから九十一年、ついに私たちが正確に違星北斗の人生を辿ることが出来る本が生まれたことを喜びたい。しかも、誰もが手にすることができる文庫本。山科清春さんが積み重ねて来た発見や考察を、最も「正しい道」で表現したと感じる。これが私たちの「違星北斗文学館」だ。

タイトルを、『コタン』ではなく、『違星北斗歌集』としたことは卓見。これで「感傷的に歌よむやから」と決定的な別れを果たしたと思ったのだが。帯に「アイヌの啄木」と書いた角川の社員かデサイナー、消えてしまえ。

時系列に歌が並んだことで、須田茂さんの、小樽新聞の北斗の歌には並木凡平の手が入っているのではないかという指摘がかなり鮮明なものになったように感じました。全てを時系列で整え、山科さんの解題・語注で補強し、その上での同人誌『コタン』創刊号の全文掲載には拍手喝采でした。



▼ 第1回 朝里川桜咲く現代アート展   [RES]
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:40  No.567
  桜、咲いていましたよ。小樽は蝦夷山桜の季節です。「ハルカヤマ藝術要塞」が幕を閉じてしまって淋しい想いをしていたけど、朝里が頑張ってくれたおかげで少し元気が出た。この、コロナ下での開催には本当に頭が下がる。

頭が下がると云えば、「北海道デジタル彫刻美術館」、ついにスタートしましたね。昨年夏から待ち望んでいました。以下、四月の道新記事の引用です。

 野外彫刻3150点ウェブに収蔵
 札幌の市民団体 保全の広がり期待
 IT初心者ら 道内巡りコツコツ30年
 野外彫刻の調査や清掃などを行う市民団体「札幌彫刻美術館友の会」が、道内の野外彫刻をデータベース化し、ウェブサイト「北海道デジタル彫刻美術館」を開設した。野外彫刻を一括管理する組織も資料もない中、会員が各地をまわって一つ一つ調査。会員の多くがシニアのIT初心者≠ニあってデジタル化に苦戦しつつも、「継続は力なり」を合言葉に足かけ約30年、ようやく念願を果たした。
(北海道新聞 2021年4月10日夕刊)


 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:43  No.568
   公開を始めたのは3月中旬。その直前には、同会の橋本信夫会長(88)ら会員4人が札幌市内で集まった。「デジタル彫刻美術館」の本格運用を控え、検索機能などの最終チェックをするためだ。
 だが、メンバーは「あれ、ここどうするんだっけ」「なんか違うんじやない?」「これかしら」―。なにやら混沌とした空気が漂っていたが、細川房子さん(73)は「パソコンできる人いないのよ。ただのおじさん、おばさんですから、いつもこんな感じです」と笑った。
 「北海道デジタル彫刻美術館」は道内179市町村に設置された3150点を網羅。作家数は729人にのぼる。市町村や彫刻の素材などで検索すると、該当する作品の写真とともに、作品名や作者などを知ることができる。
 サイトの基になったのは、会員だった仲野三郎さん(故人)が1987年ごろから独自に始めた調査だ。妻と各地の野外彫刻をたずね、約20年かけて2400点を撮影。制作年や素材などの基礎資料も収集した。これを他の会員たちが引き継ぎ、さらに約700点を追加。2006年から資料のパソコン入力を始め、データベース化を目指した。

 
▼ 道新記事(続き)  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:46  No.569
   メンバーは60〜70代が中心。自力でパソコンやインターネットを習得し、ホームページ制作や地図作成といった技術は講習会に参加するなどして学んだ。会員の入退会などで作業が停滞気味の時期もあったが「一つ一つ丹念に教え合い、補い合いながら」(橋本会長)、コツコツとゴールを目指した。
 サイト開設の背景には、野外彫刻が置かれている厳しい現状がある。コンクリートや木は経年劣化や腐食が進みやすい。耐久性が高いブロンズも、酸性雨の影響とみられる変色などが起きる。定期的なメンテナンスや保全対策がとられないまま、劣化が進んでいる作品も少なくないという。「野外彫刻は設置して終わり、ではない」と橋本会長。作品を知ってもらい、文化財としてどう守っていくか考えるきっかけになれば、と期待する。
 本郷新記念札幌彫刻美術館の吉崎元章館長は「(同館で)数十年前に道内の野外彫刻を調査したことがあるが、あくまで書類ベースだった。会員が実際に足を運んで調査した確かな情報が、誰もが見られる形で公開されるのは、とても価値がある」と評価する。
 実はデジタル彫刻美術館はまだ完成しておらず、解説文を付ける作業が続いている。既に解説が完成しているのは札幌市内や近郊の作品約120点で、残りあと約3千点。会員の地道な歩みはこれからも続く。

 
▼ 北海道デジタル彫刻美術館  
  あらや   ..2021/05/26(水) 10:52  No.570
  https://sapporo-chokoku.jp/digital-sculpture/search.php

例えば、岩内町の人影ない雷電海岸にあるレリーフ。壁面に「ヒデノリ」のサインがあったので作者は米坂ヒデノリと直感したのだが、裏面に彫った碑文は潮風に腐食されてぼろぼろ。タイトルも来歴も何も読めない。最近、古宇伸太郎『漂流』の仕事をやっているので、昔この海岸線は鰊漁で賑わった、一応小学校はあるくらいの集落であったことを知りました。でも、現在はレリーフひとつがぽつんとあるだけで、あたりには建物ひとつない。あんな人気ない場所の彫刻、載ってないだろうと「岩内町」を検索したら、載ってた。凄い。

このホームページは残ると思いますね。パソコン技術なんか、本当に伝えたい気持があれば後からついてくるとも思う。事実、自分の足で歩き、ここにこんな彫刻があるんですよ、この美しさを誰かに伝えたい、残したい…という気持を過不足なくストレートに表現している大変すぐれた機能と思う、このシステムは。しかも〈無料〉だ。芸術の森美術館が典型だけど、入館料払わないと見られない野外彫刻なんてナンセンス。こういう美術館は〈野外彫刻〉が持っている意味や価値を意図的に誤解していると私は思っている。少しは「北海道デジタル彫刻美術館」の知性を見習ってほしい。

各市町村毎にひとつかふたつ載っていない作品があるのだけどどうしたものか。今現在も新しく建てられる彫刻もあれば、老朽化や設置主体や設置場所の変転によって消えて行く彫刻もある。札幌彫刻美術館友の会に通じる回路みたいなものがあるともっと良くなると思うのだが。


▼ 穂足内騒動   [RES]
  あらや   ..2021/04/08(木) 10:45  No.566
  「一説には、この浪人は江戸浪人とあるから、多少は江戸生活も知っていたのだろう。下国なんか江戸屋敷にいる間に、何か女の事件を起して脱藩したものとすると、ますます面白くなるのだがね」
「それじゃいよいよ大衆小説だ」
 笑話になったが、永田の頭の中にはすでに下国と荒谷が一種の英雄となって存在しているのを梶は知った。このいい気な歴史家の妄想を叩き破るには、史実によるほかないのである。
(丹羽文雄「暁闇」)

丹羽文雄、読んだの、これが初めてではないだろうか。(ちがうか…)
古宇伸太郎『蛾性の女』のライブラリー化で「北海道文学全集」を調べていたら、解説に、丹羽文雄が来道した折古宇伸太郎が案内した作品があると知って興味を持ったのでした。それがこの『暁闇』。文中の梶が丹羽文雄、永田が古宇伸太郎ですね。そして、扱っている素材がなんと「穂足内騒動」ではないですか。
「人間像」第84号の古宇伸太郎『暗礁』以来、変に「穂足内騒動」づいているのが不思議です。『暗礁』の物語仕立ての巧みさに比べると、『暁闇』は史料を梶と永田の軽妙な会話でコラージュしただけの随分お手軽な作品だなあと思って読んでいたのだけど、ラストの場面でバックドロップ! 一転、気品ある小作品に変貌したのでした。大作家って、こうなのか。

この前見つけた、過去のライブラリー仕事の破片もこちらに寄せておきます。
http://www.swan2001.jp/oa074.html



▼ 隠蔽捜査8/清明   [RES]
  あらや   ..2021/02/27(土) 11:39  No.565
    清明時節雨紛紛
  路上行人欲斷魂
  借問酒家何處有
  牧童遙指杏花村

 七言絶句だ。その詩を読み下そうと、竜崎が苦労していると、滝口が再び口を開いた。
「清明の時節、雨紛紛。路上の行人、魂を断たんと欲す。借問す、酒家いずれの処にかある。牧童、遥かに指さす、杏花の村。清明の季節、つまり春ですね。雨がしとしと降っていて、道行く私はひどく落ち込んできた……。牛飼いの牧童にちょっと尋ねる。どこか酒が飲めるところはないだろうか、と。牧童は、はるか向こうの杏の咲く村を指さす……。いや、実に味わいのある詩ですね。私の好きな詩です」
 竜崎は、滝口の意外な一面を知り、驚いた。
(今野敏「隠蔽捜査8/清明」)

『隠蔽捜査7/棲月』の犯人があまりにチンケな奴だったんで、『8』も心配だったんだけど大丈夫でしたね。神奈川県警に移ったのは正解か。犯人がチンケなのは、世の中がチンケなものに変容しつつあるからではないか。



▼ 支笏湖   [RES]
  あらや   ..2021/02/18(木) 14:26  No.564
  支笏湖YH 来月末閉館
宿泊者半減 建物売却へ
【支笏湖畔】日本ユースホステル協会は、千歳市支笏湖温泉の支笏湖ユースホステル(YH)を3月末で閉館することを決めた。新型コロナウイルスの感染拡大で宿泊者が半減したため。建物は道内の民間企業に売却する方針。
 支笏湖YHは、日本ユースホステル協会直営の全国第1号として1955年に開業。現在は同協会が建物を所有し、運営を個人に委託している。
 鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建ての新館(20室、定員108人)と倉庫や事務所として使っている木造2階建ての旧館があり、学生や工事関係者の利用が多いという。旧館は道内を代表する建築家田上義也(1899〜1991年)が設計し、赤い三角屋根がシンボルマークとなっている。
 同協会などによると、年間宿泊者は1973年の2万1千人をピークに減少傾向にあり2019年は3千人、20年は新型コロナの影響で1500人まで減った。
 同協会は「コロナの影響で経営が立ち行かなくなった」としている。(後略)
(北海道新聞 2021年2月16日 社会面)

うーん、残念。建物、解体しないでほしい。旧館がなくなったら、もう支笏湖じゃなくなる。



▼ 諸星大二郎展   [RES]
  あらや   ..2020/12/23(水) 18:49  No.563
  http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/knb/exhibition/sp_R21121.htm

近代美術館の「諸星大二郎 異界への扉」展、行ってきました。近美なら、家の裏からバス一本で行けるし、駅前や街中の人混みを通ることもない。多くを望まず、さっさと小樽へ戻って来ればよろしいのではないかと考えたのでした。

美術館、凄いことになっているのね。ホールに入った瞬間、誰もいないのよ。平日の朝十時半とは言え、ホールに人っ子一人いない近代美術館なんて初めてみました。いつもはグッズ売り場の人混みにうんざりして写真撮る気にもなれないブールデルの『力』もすっくと立ち上がってその美しさに見とれた次第です。ホール部分は写真OKなのを思い出し、諸星展に入る前に一枚。
展示会場に入っても吃驚。やはり誰もいない。鑑賞には皆さん密を避けて間隔をとって…どころじゃない、誰もいないんだもん。こんな美術展って、ありなのか。奥へ入っていって、やっと二人連れの女性客を発見しました。ようやく落ち着いた。美術展なんだ。
諸星キャラクター総選挙ってのをやっていて、もしかしたら諸星大二郎サイン入り直筆イラストが当たるかもしれませんよ…という釣り言葉にまんまと惹かれて私も応募しました。私は「きとらさん」に一票。









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