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▼ 黄色い花   [RES]
  あらや   ..2019/08/17(土) 09:36  No.510
   「へえ、ほんとにきつねだったのかねえ。尻にたれさがってるの太かった? まさか、しっぽのない頭の黒いきつねだったんじゃないだろうね。なんだか怪しいなあ、山へ入ったらなんて言って」
 ママは、まだ竹岡をからかいたい様子だった。
 その時、うつ伏したままの田代老人が突然かすれた声をあげた。
「きつねなんかおっかなくないぞ、きつねなんかでおれをおどかそうってのか。この野郎。ばか」
 この一年行きつけのこの店で、いつの頃からか竹岡はたまたまこの老人を見かけるようになっていた。四十なかばのママにとっては、ゆずり受けてこの店を始める以前、クラブに勤めていた時分から知っている、どうやら苦手な客のようであった。
(菅原政雄「黄色い花」)

いやー、『黄色い花』、よかった! 北海道文学全集の『残党』に興味を持って、市立小樽図書館にある菅原政雄著作を全部借りて来て読んでいるのですが、『風の向こうからの声』(檸檬社,1981)ラストの『黄色い花』にガーン! そういえば、『残党』のイントロもこれだったな。

 元次郎の末娘の中学生が戸を細くあけて、「とおさあーん」と呼んでいる。それを見て多美さんは元次郎の頭を少し乱暴にこづいている。すると、髪の薄い脳天がまるでふざけているように調子よく左右にゆれるのである。
「ねえガンジーさん、帰りましょう。アコちゃんが迎えにきているよ。かわいそうに、この寒いのに」
 元次郎はいびきをかきはじめる。
「また、たぬき寝入りなんかして」
 と言って元次郎の頭をパチンとたたくと、娘の方に声をかける。
「アコちゃん、もうすぐ帰るから先に行ってな」
(菅原政雄「残党」)

呑み屋の酔っ払い老人は、菅原ワールドの鉄板。


 
▼ 集産党事件  
  あらや   ..2019/08/17(土) 09:41  No.511
   「日曜日だよ。ほんとに。酒ばっかり飲んで、どうする気なんだか。ほんとに。日曜日だよ。わたしは知らないよ」
 旭川から津島という男が訪ねてくる日なのである。旭川からこの町までジーゼルカーとバスで三時間半はかかるから、来るとしても昼ごろだろう。どんな男かわからないから元次郎もハナも不安なのである。泊まるといいだされてもやっかいだし、だいいち集産党事件について調べたいというのが、元次郎にもハナにも気が重いのである。
(菅原政雄「残党」)

この〈集産党〉の言葉に惹かれて、私も遂に道立図書館にリクエスト出しました。貸出は不可、小樽市立の館内閲覧しかできないけれど、それでも目にする価値はあると感じます。

 革命的マルクス主義の党。マルクス主義の研究と宣伝と実践をめざし、すでに大正十一年七月に結成されていた日本共産党に対し、コミュニズムは産を分配することではなく、国家機関に集産することであって、従って正しくは集産主義であるという理論をたてて結成した党、集産党は、大正十四年から昭和二年にいたる二年間たしかに存在していたし、たしかに元次郎はその党員だったのである。だから三・一五事件、四・一六事件にさきがけて、北海道での赤狩りの第一弾といわれるその事件に治安維持法違反でひったてられもしたのだ。誇らしい鉄道員生活からほうり出されて活動弁士もしたし日傭もしたのだ。しかし、集産党の検挙は昭和二年の秋だったが、新聞報道は統制され、世間の知らぬまに生まれた党は、世間の知らぬまに潰滅してしまっていたのだ。
(同書より)

うー、ぞくぞくする。

 
▼ 菅原政雄  
  あらや   ..2019/08/17(土) 09:44  No.512
  いちばん詳しいと思われる北海道文学全集の著者略歴を書き写しておきます。

菅原政雄・すがわらまさお。
昭和八年(一九三三)一一・二−。小説家。釧路市生れ。三一年北海道学芸大学旭川分校を卒業、上川郡下川町立一の橋中学校、名寄市立智恵文中学校を経て、現在北見市立光西中学校教諭。二九年以降、詩誌「時間」「眼」「フロンティア」「風土」「現代詩評論」「餓鬼」などに加わり、四一年「北見文学」同人となるが五二年退会。主なる作品は「残党」(昭四二・一二「北見文学」)、以後「北方文芸」掲載の「夢の中味」(昭四六・一二)「うみ」(昭四九・一)「黄色い花」(昭五三・五)「風の向こうからの声」(昭五五・五)。「作品」別冊「地域の文学」(昭五六・一)に「けぶる緑は」。作品集に詩集「馬糞道」(昭二七・私家版)「記憶の垂線」(昭三八・一一、詩潮社)、小説集「残党」(昭五〇・七、私家版)「風の向こうからの声」(昭五六・二、檸檬社)があり、研究に「北見文学史稿」戦前戦中篇、戦後篇(昭五三〜五四、北見市編さん室刊)がある。

 
▼ 残党  
  あらや   ..2019/08/25(日) 16:47  No.513
  北見文化連盟より1975年7月刊。収録は『うみ』、『暮色』、『ライフィズ バッタ ドリーム』、『廃家の歌』、『残党』の五篇。どの短篇も余韻の残る佳作でした。甲乙、つけがたい。『残党』は、北海道文学全集の活字詰め込み本で読むよりも、遙かにこの文庫本サイズの方が読みやすかった。

作中に歌が効果的に使われています。興味を持って調べてみました。

ライフィズ バッタ ドリーム http://hsgoldstone.jugem.jp/?eid=13
討匪行 http://takurou.co-site.jp/natumero/gunka/touhikou.html
故郷の廃家 http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/hays-dear-old-home.htm
東京節 http://kazuo.r-cms.jp/blog_detail/id=87

『うみ』。「♪ダリヤにアネモネ、チューリップ」はわからなかったが、作品の向こうから潮風が渡ってくるような美しい作品だった。

 
▼ 集産党事件覚え書き  
  あらや   ..2019/08/27(火) 07:03  No.514
  戦前、北海道であった「集産党事件」とは?
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-02-07/ftp20080207faq12_01_0.html

菅原政雄氏の『集産党事件覚え書き』は、確かに「覚え書き」であって、当時、散逸風化しつつある第一次資料群を取りあえず何としても残しておかなければ…という氏の歴史的責任において編まれた書物であることがよくわかりました。

 元次郎は西村鉄之助のことを思っていた。彼は津島の「集産党事件ノート」のために、かなりたくさんのことを語り出している。元次郎にはどうしてもそれが津島に真実を伝えているようには思えなかったのである。年寄りの思い出話、自慢話にすぎないものをまるで時代の貴重な証言ででもあるかのようにこの青年に語ったのではないのか。西村はむかしからほらふきでいい気でおっちょこちょいのところがあったのだ。西村の書いた戯曲をここの消防番屋の二階で上演したときのこともそうだ。津島のノートには地方演劇活動のはしりとして評価している演劇発表会、それはそれなりに事実だ。しかしそれは演劇発表会などといえる態のものではなかったのだ。あの時西村は原作者演出者で出演もした。ろくすっぽ観客がいなかったとはいえ西村はその夜大得意だったのだ。それもいいさ、みんな若かったし興奮の一夜だったのだから。ただそれが年月を経て西村の口から語られると、ずいぶん立派な演劇発表会になっている。
(菅原政雄「残党」)

こういうニュアンス、後世の人が受けとるには非常な苦労が要るのですが、『集産党事件覚え書き』には当時の関係者たちが書いた詩や文章が(情報操作することなく)そのまま写し残されているので、私たちは「大得意だった」その夜の情景を頭にイメージすることができる。同時代を生きた歴史的責任とは、こういうことだ。

歴史を語るとは本当はこういうことではないだろうか。先頭に引用した日本共産党の公式見解や、次のスレッドで照会する宮田汎『朔北の青春にかけた人びと』も、『集産党事件覚え書き』を目撃した後では、津島ノートの亜流にしか見えない。

 
▼ 朔北の青春にかけた人びと  
  あらや   ..2019/08/27(火) 07:08  No.515
   「集産党事件」において、被疑者として取調べを受けましたが、不起訴となった一人に栗栖貞和さんがいます。「集産党」には加入していなかったということで起訴されませんでした。
 すでに、ふれたように、栗栖さんは労農党に加入し、一九二六(大正一五)年、同党旭川支部の結成式では党委員に選出されています。もちろん「集産党」のメンバーとは交流もありましたので、そのかかわりで検挙されたのでしょう。しかし、本人には「私有財産制度否認ヲ目的トスル」認識がなかったものと判断されたようです。
(宮田汎「朔北の青春にかけた人びと」/12.栗栖貞和)

この人のその後が興味深い。1928年(昭和3年)、名寄にバターその他乳製品製造を目的とする酪連(北海道製酪販売組合連合会)工場ができ、栗栖貞和氏はそこに入社。そして、翌年には同酪連倶知安工場に転勤するのですね。
1928年2月は、日本初の男子普通選挙。後志でも小林多喜二『東倶知安行』に描かれたそのままの世界が展開されていました。栗栖貞和はその世界に飛び込んで来たのです。

 一九二九(昭和四)年一一月二日東京で新労農党が結成され、党首大山郁夫が、一〇日、函館を皮切りに道内一一市町村で遊説をしました。一一日昼には倶知安に立ち寄りました。
 一枚の写真が残されています。前列には大山郁夫、小樽の鈴木源重、竹尾弌党中央委員、そして後列に沼田流人、岡本米司と並んで左端に栗栖貞和さんが立っています。このときに労農党倶知安支部が緕成され、岡本が支部長になったと伝えられています。
(同書より)

えっ、沼田流人!

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2019/08/27(火) 07:13  No.516
  『倶知安町史』に載っている有名な写真だから湧学館にいた頃から知っているけれど、私にとっては「沼田流人が写っている」写真なのであって、隣に写っているのが誰かなんて細かく考えたことなかったですね。こういうところが私の詰めの甘さで、決して郷土史家などにはなれない頭の悪さではあるのですが… ただ、今回、「栗栖貞和」という考えてもいなかった角度から沼田流人の名が浮上してきたことは、私にある種の希望の光を与えてくれました。

沼田流人『血の呻き』は、大正12年(1923年)6月、流人が初めて世に問うた小説です。今でも「タコ部屋告発の書」などと、流人を読んだこともない人間たちが吹聴しているけれど、これ、ちがう。流人がいわゆる「タコ部屋告発」の正義の凡人になって行くのは、後年の『地獄』(大正15年)、『監獄部屋』(昭和3年)なのであって、それは『日本残酷物語』(昭和35年)で決定的になり、流人は昔語りするだけの古老になり果ててしまった感があります。
『血の呻き』の売行き不振(世間の無視)が応えたのか、定職(倶知安中学講師)や美人の奥さんを得たことで人生と和解したのか、あるいは「書」に目覚めることによって「小説」が必要なくなったのか、その間の流人の心の動きはわからない。解明したいとは思いつつ、ここ(倶知安)からはもう何も発見はないだろうなと感じていた湧学館時代の毎日でした。ここの人たちは皆、「小樽に多喜二、倶知安に流人」の公式レートで満足しているように見える。湧学館に来ればいつでも『血の呻き』は読めるのに、読みもしないで「沼田先生」については妙に饒舌だった。

『地獄』や『監獄部屋』は確かに〈倶知安〉の物語でしょう。でも『血の呻き』はちがう。〈函館〉の物語ですよ。函館の貧民窟から物語は始まり、貧民窟でその物語を閉じる、死火山の麓の街からの流れ者・藤田明三の〈函館〉物語ですよ。描かれた函館の市街や登場人物たちが動きまわる時間の正確さから、これは何らかの形で函館にかかわるか生活した人でなければ書けない作品だとは考えつつ、何の手掛かりも掴み得ないで悶々とする湧学館時代ではありました。でも、今回のように、〈名寄〉といった思いもしない地から流人の情報が出てきたりすると、あるいはいつか、思いもしない人や角度から『血の呻き』の解明がなされるかもしれないとの思いが私に芽生えたのは事実です。


▼ 骨踊り   [RES]
  あらや   ..2019/06/19(水) 09:37  No.503
  六月に入ってからたらたらと毎日少しずつ読んでいます。この本は道新(北海道新聞)の書評欄に取り上げられていた本なんだけど、本体4900円+税が今の私にはキビしく(本って高くなりましたね…)市立小樽図書館にリクエストして読むことができました。

もっと早くに気づくべき作家だった…という気もするし、今の仕事に入ってから知ったことに何か変な安堵感みたいなものもある。本を読みながらいろいろな発見が続いているのですが、その中でも、

向井豊昭アーカイブ
http://genshisha.g2.xrea.com/mukaitoyoaki/index.html

このホームページの存在には驚きましたね。世の中には同じことを考えている人がいるんだと感じ入りました。残したい…と思う人がいる限り、こうやって作品は残って行くんだということを実感しています。
大森光章さん、本山悦恵さん、大沼桂子さん… 湧学館時代から慣れ親しんだ作品群、人間像ライブラリーに収めたいとは思ってはいても、著作権交渉をする時間が今の私にはなかったり、著作権継承者に辿るルートがわからなくて滞っている作品がまだいっぱいある。そういう段階の身の上であることを久しぶりに痛感しましたね。

『人間像』第52号を復刻しながら、追々書きます。


 
▼ 向井夷希薇  
  あらや   ..2019/06/21(金) 10:11  No.504
  日高なるアイヌの君の
行先ぞ気にこそかかれ。
ひよろ/\の夷希薇の君に
事問へど更にわからず。
四日前に出しやりたる
我が手紙、未だもどらず
返事来ず。今の所は
一向に五里霧中なり。
アノ人の事にしあれば、
瓢然と鳥の如くに
何処へか翔りゆきけめ。
大タイしたる事のなからむ。
とはいへど、どうも何だか
気にかゝり、たより待たるる。

向井豊昭氏は向井永太郎(夷希薇)の孫にあたる方だそうで。(私も、書評のその部分に最初は気を惹かれて読みはじめました…)

向井夷希薇(いきび)については、石川啄木の明治40年10月2日の岩崎正宛書簡によって決定的な「評価(人間像)」が固まってしまった。向井豊昭氏も、当然この10月2日付書簡をめぐって考究をはじめるのだが、私には、なぜか「夷希薇」と聞くと、明治40年9月23日並木武雄宛書簡の戯詩に出て来る「夷希薇」の名を思い起こします。啄木の夷希薇に対する感情はとても微妙。啄木学者や啄木ファンが考えている「夷希薇」像は頓珍漢だと私も思う。

『鳩笛』に『後方羊蹄山(しりべしやま)』全文が引用されているのが有難い。夷希薇の詩というものを初めて読みました。啄木が『小樽日報』創刊号に書いた無題詩「浪とことはに新らしく…」のルーツはこれか。

 
▼ ユリシーズ  
  あらや   ..2019/07/09(火) 18:05  No.508
  『骨踊り』だけではなく、向井豊昭氏の作品全部から受ける印象は〈ユリシーズ〉でした。ホメロスではなく、ジェイムズ・ジョイスの方の〈ユリシーズ〉ですね。
私には、二十世紀小説の基本的な骨格というのは〈ユリシーズ〉に始まって〈ユリシーズ〉に尽きるのではないかという勝手な思い込みがあって、これ以上簡単に〈自分〉というものを表現できる方式ってなかなかないのではないかと思ってます。だからこそ、この方式に凭れないカフカの小説やレヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』をいまでも尊敬しているけれど、自分には及びもつかない世界ではあります。

ジョイスには『ダブリン市民』という近代小説のお手本のような美しい作品もあって(私も学生時代からの愛読書)、これ、北海道文学全集(立風書房)に収録されている向井豊昭『うた詠み』という作品を発見した時、「おお!ダブリン市民」と唸ってしまいましたね。これが書ける人の〈ユリシーズ〉は信用できるかもしれない。作品発表年の昭和41年を考えても、この人の〈違星北斗〉理解は時代を飛び抜けていると思った。

ずいぶん久しぶりに読んだ北海道文学全集。「人間像」を完全無視しているから、こちらも無視だったんだけれど、『うた詠み』の隣りにあった菅原政雄『残党』、とても面白かった。今、ひとつ飛び、隣りの作品を読んでます。

 
▼ さまざまな座標(二)  
  あらや   ..2019/08/07(水) 13:12  No.509
  針山和美『奇妙な旅行』のデジタル復刻を行いながら、夜、向井豊昭つながりで『北海道文学全集 第21巻/さまざまな座標(二)』をたらたら読んでいました。第21巻の収録作品は以下の通りです。

内容:誤診 古屋統著/賤墨 小松茂著/うた詠み 向井豊昭著/残党 菅原政雄著/脚を待つ男 村上利雄著/来訪者たち 朝倉賢著/老父 倉島斎著/ポロヌイ峠 上西晴治著/白釉無文 川辺為三著/北海道牛飼い抄 中紙輝一著/蛸沼の話 北沢輝明著/停留所前の家 寺久保友哉著/雪のない冬 春山希義著/出刃 小檜山博著/後志、雨のち雪 伊藤桂子著/観音力疾走 高橋揆一郎著

その日の体調や天候によって読後感にもかなりばらつきがあるのですが、『うた詠み』以降、最初に「おおっ」と唸ったのが菅原政雄『残党』。中盤で倉島斎『老父』、北沢輝明『蛸沼の話』、寺久保友哉『停留所前の家』と来て、伊藤桂子の『後志、雨のち雪』でとどめを刺された感じです。伊藤桂子、もっと読みたい!(著者略歴に『後志、曇りのち雨』という連作もあることが紹介されているけれど、なかなか図書館検索でヒットしない…)

「東京」風を吹かせない…が「さまざまな座標」入閣のキメ手か。本当は人一倍「東京」文物に学び物真似ているのに、そんなことはおくびにも出さず「この大地に生きる」みたいなポーズが大事と感じました。したがって、「座標」自体のスケール、小さいな。全然「さまざま」じゃない。その点、六十歳で「東京」での勝負に出た向井豊昭には天性のスケール感がある。本物かもしれません。小檜山博『出刃』なんかよりは、遙かに本物。


▼ いずみ   [RES]
  あらや   ..2019/07/01(月) 06:44  No.505
  札幌文化芸術交流センターSCARTコートで6月29日に開かれた公開セミナー「いま、野外彫刻の保全を考える」に行ってきました。そこで無料で配られていた札幌彫刻美術館友の会会報「いずみ」第68号に嬉しい記事が。

 「北海道デジタル彫刻美術館」公開を前に 友の会会長 橋本信夫
 札幌彫刻美術館友の会のホームページに「札幌街なかの美術館」というページがある。ページを開くと市内各区の名前があり、該当の区名を開くと地図上に野外彫刻の設置場所を示すマークが現れるほか、該当地域に所在する彫刻の作品名、所在地が示される。目的の項目をチェックすると彫刻の写真、作品名、作者、設置場所、設置年、サイズ、材質の基本情報と共に作品の解説記事を読むことが出来る。まさにバーチャル(仮想)美術館であり、2011年の公開以来、友の会ホームページで閲覧回数の多いベストセラー≠ナある。
 この「札幌街なかの美術館」の全道版が今年秋の公開を目指して準備が進んでいる。 「北海道デジタル彫刻美術館」の誕生である。全道179市町村に点在しているざっと3000点の彫刻作品の情報を収めたデータベースとこれに付随するさまざまな写真資料をもとに検索機能を備えた大型彫刻地図コンテンツが出来上がる予定だ。

おお、すばらしい! 〈札幌〉という小さな枠に纏まることなく、全道展開に踏み切った度量と知性に敬服します。


 
▼ 仲野三郎さん  
  あらや   ..2019/07/01(月) 06:49  No.506
   これら全道的な彫刻データベース作成に欠かせない資料作りの基礎を作ったのは元会員の故仲野三郎さん。夫人同伴で20年の歳月を費やして道内をくまなく調査して回り、約2200点もの彫刻の写真、記録をもとに基本台帳を作り上げた。
 その後、2002年にこの手書き資料を会員が分担してパソコンに入力した。さらに会員によるその後の調査結果も加え、現在データベース化された作品数は約3000点に達している。これにより全道各地に分布する彫刻の作者、作品名、素材、設置場所や管理者などの基本情報の検索が可能となった。
(橋本信夫「北海道デジタル彫刻美術館」公開を前に)

世の中には同じことを考えている人がいるもんだな…とつくづく思う。データベースを隅々見て、見落としていた作品に出会えることが今から楽しみです。
新しい北海道地図だと思う。私の頭の中の「北海道地図」の半分は彫刻作品で出来ていて、あの町のここの角にはあの彫刻があるとか、この公園にこの彫刻を置いた○○市は偉い!とか、そんなことをぶつぶつ考えながらドライブしていたもんだ。(残り半分が文学作品ね、一応…)

公開セミナーで、大変タメになったこと二つ。ひとつは、北海道独特の野外彫刻劣化の原因として冬期間の「融雪剤」使用が考えられること。もうひとつは、2018年11月15日、稚内の『氷雪の門』が落雷で破損したこと。新聞はちゃんと読んでいるつもりなんだけど、気がつかなかったなぁ。

https://www.asahi.com/articles/ASLBK3F5GLBKIIPE004.html

 
▼ 友だち  
  あらや   ..2019/07/05(金) 16:47  No.507
  https://www.hokkaido-np.co.jp/article/321819
岩見沢駅前に車突っ込み銅像倒壊 2体のうち1体が足首だけに(07/04 05:00)
【岩見沢】3日午前0時ごろ、JR岩見沢駅前の広場に設置されているブロンズ像に乗用車が突っ込んでいるのを通行人が見つけ、岩見沢署に届け出た。背中合わせに立った少女2体の像のうち1体が足首から折れて倒れ、10メートルほど引きずられた跡もあった。
 署員が現場に駆けつけた時には車はなかったが、約400メートル離れた路上で前方が破損した車を発見。車の持ち主とみられる40代男性は「駅前広場で事故を起こした」と話したという。男性にけがはなく、同署は事故原因などを調べている。
 像は駅前ロータリーから約20メートル駅舎側にある。周囲の芝生にはタイヤの跡が残り、車の部品が散乱していた。
 市によると、像は彫刻家の故・朝倉響子さんの作品「友だち」。1997年の駅前広場整備に合わせて市が制作を依頼し、駅前のシンボルとして親しまれてきた。高さはそれぞれ約170センチ、2体を合わせた重量は約300キロ。像本体と設置費用は計5400万円だった。

Webの道新記事は時間が経つと読めなくなるので書写しました。この事件はテレビの民放ニュースで知り、新聞報道を待っていたのだけど、小樽後志の北海道新聞には現れませんでした。空知版だけだったみたい。(稚内の「氷雪の門」もきっとこんな感じだったのだろう…) それにしても、これが「少女」像に見えるとしたら相当の節穴ですね。

野外彫刻は動く。人が思っている以上に、十年、二十年の単位で動くものだと感じます。データベースは時間軸をくっきり取って、彫刻の生成消滅を伝えてほしい。


▼ 砂澤ビッキウィーク   [RES]
  あらや   ..2019/05/27(月) 18:36  No.500
  
https://www.sapporo-community-plaza.jp/event.php?num=409

5月24日(金)〜25日(土)と札幌文化芸術交流センターに通ってました。この週は、二階スタジオで過去の砂澤ビッキ関連映像を連続無料上映していました。それに加えて、最終の二日間はビッキの関係者たちの連続トークがあったもんで、さすがにデジタル化作業の手を止めて札幌をうろうろしていたわけです。
画期的なことだと思う。芸術の森美術館や本郷新彫刻美術館で砂澤ビッキ展をやっているのは知っていたけれど、それだけでは札幌まで出かけるのはなかなか面倒でした。私は音威子府に行ってますからね。あの開放感に包まれたビッキを見た人間には、都会のきれいな美術館や文学館に整列させられたビッキが少し可哀想にみえる。それに野外彫刻見るのに金がかかるというのも私には今も昔もナンセンスだし。
ただ、音威子府に行っても見ることができないビッキというものがあります。今回、札幌に行ったのは、関連映像のラインナップに『オトイネップタワー物語』(40分)を見つけたからです。
いや、迫力でしたね。筬島(おさしま)のビッキアトリエから音威子府駅前まで町民総出でタワーを御輿のように牽いて行く姿の中に、オトイネップタワーの大きさや重量感をずしりと感じました。これ見ただけで札幌に出た価値があった。札幌文化芸術交流センター、ありがとう!
あまり他の映像には期待していなかったのですが、1965年HBC北海道放送制作の『トアカンノの息子たち』(30分)には吃驚。砂澤ビッキが映っている最古の映像だそうで、阿寒湖畔の「ビッキの店」が映像で残っているとは思いもかけませんでした。
能藤玲子さんの創作舞踊『風に聴く』(90分)+(30分)を観られたものも幸運でしたね。これこそ、金を払わないで観てしまって悪いみたい。


 
▼ 砂澤陣氏  
  あらや   ..2019/05/27(月) 18:43  No.501
  連続トークのラインナップです。橋本正司〜矢崎勝美〜砂澤陣〜河上實〜井上浩二〜能藤玲子〜藤嶋俊會(敬称略)。ビッキに興味を持った人なら必ずどこかで目にするお名前でしょうか。砂澤陣氏以外は。

【砂澤陣】工芸家。砂澤ビッキの長男。ビッキ文様を継承し和柄と組み合わせた作品作りに取り組んでいる。ビッキが父として彼に語り伝えたことを中心に、息子の目を通して見た知られざる側面などについて語る。(ビッキウィーク・パンフレットより)

私にはけっこう驚きでした。ある意味、こういうビッキ礼賛の集まりの中で砂澤陣氏の居場所なんかあるんだろうか…と思いましたけど。けっこう前の席にいたのでトークの来賓者席も見えていましたがそこに砂澤陣氏の姿はなく、きっとキャンセルになったのだろうと思ったほどです。砂澤陣氏は後ろの方から登場しました。
トークが終わった小樽への帰り道、バスの中で考えたのだけど、たぶん砂澤陣氏は来賓席の一団と席を同じうすることを拒んだのでしょう。それは、アイヌの血(世界観)を引いているからビッキの作品は素晴らしいみたいな、客席のヒューマンをも拒んでいるのかもしれない。連続トークの模様はいずれ書籍化されるそうだから、そこからは新しい深化した砂澤ビッキ世界が始まることを確信しました。とりあえず美術館行きはやめた。文学館など論外。

 
▼ 市民会館  
  あらや   ..2019/05/27(月) 18:48  No.502
  昔、市民会館の前には、この山内壮夫の『希望』像(というか、私にとっては「女の人」像だったけれど…)があって、若い私には、ここが〈札幌〉の一丁目一番地でした。(本郷新の『泉の像』は当時でもすでに全国区っぽくて、これを〈札幌〉というのは私には照れくさい)
今、札幌文化芸術交流センターというのは、昔の札幌市民が持っていた市民会館みたいなイメージに近いのかなとちょっと感じました。

映像とトークの休憩時間に隣接する(というか、完全に一つながりのスペース構成の)図書・情報館を見ていました。「貸出」とかいったもう疲れ切った図書館概念に縛られないで、図書館の持つ「無料原則」をここまで展開するとは、なかなか昭和の図書館人には刺激的な空間でした。歳をとったな…と感じた。

早く小樽に帰ってデジタル化作業を再開したい…とも思った。


▼ 鈴木吾郎と新鋭作家展   [RES]
  あらや   ..2019/05/20(月) 12:08  No.497
  
https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/artmuseum/tenrankai.html

土曜日(5/18)のアーティストトークに行ってきました。潮陵高校の関係者なのかな、物凄く人がいっぱいいた。写真OKなのは市立小樽美術館のポイントですね。


 
▼ 上嶋秀俊「水のもり」  
  あらや   ..2019/05/20(月) 12:10  No.498
  ハルカヤマの時と同じく、今回は美術館の壁一面を素材につかって展開してました。パンフレットに紹介してある作品は「水の音」となっていて、感じは似ているけれど、「水のもり」とはちがっている。「水の音」の進化形かな。上嶋秀俊氏のトークは来月(6/22)なのでまた行くかもしれないけど、その時は、進化した「水のもり」が見られるかもしれませんね。

 
▼ 國松明日香「風渡る」  
  あらや   ..2019/05/20(月) 12:13  No.499
  一階通路に國松明日香が増えていた。トイレのドアが映り込まないように写真撮るのに一工夫。


▼ なつぞら   [RES]
  あらや   ..2019/04/13(土) 10:59  No.495
  ここ数ヶ月あまり小説作品を読んでいない。図書館現場を離れ、引き籠もりみたいな生活だからしょうがないんだけど、なにか理由はそれだけではないような気もする。

『人間像』の作品が面白いからではないだろうか。第40号代に入ってから特に感じるのだが、力作が多い。一号の中に必ず「おっ!」と唸る作品がある。新同人の一人一人が強烈な個性だ。今、第50号をやっているのだけれど、『人間像』の第一次ピークの時代はこの後に来るのだそうで、この今より凄い時代に突入するなんて、いったいどういう『人間像』なのだろう。どきどき。わくわく。

話は変わりますが… 朝飯を食べて、朝ドラを観る。『なつぞら』の主人公・奥原なつが級友の山田陽平の家を訪ねて、陽平の絵を見せてもらうという場面が今週あったのだけど、部屋に掛けてある絵を「これはお兄さんが描いたもの…」。で、「僕の絵はこっち…」と馬の絵が登場した瞬間、ええっ!となったのでした。もしかしたら、神田日勝?

じゃあ、、お兄さんは神田一明氏ではないですか。
ホームページ「人間像ライブラリー」の先頭画面の写真は、旭川市にある神田美術館の写真を使わせていただいています。この美術館は、画家の神田一明氏と彫刻家の神田比呂子氏の作品を収めた私設美術館です。
私は野外彫刻が好きで(なにか図書館の「無料原則」に通じる精神性を感じる…)全道の彫刻作品の殆どをカメラに収めた者ですが、「人間像ライブラリー」を構想した時、その先頭画面は「神田美術館」以外には考えられなかったことを懐かしく思い出します。


 
▼ ビッキ?  
  あらや   ..2019/05/15(水) 06:51  No.496
  今週、吹雪の中で遭難しかかった奥原なつが熊の木彫り制作を生業としている親子に助けられるという場面があったのだけど、その彫刻家のお爺さんが商品製作の傍ら、自分の彫りたいものを自分のためだけに造っている…という、その作品、妙に砂澤ビッキっぽかったですね。

来週は、そのビッキ関連で、珍しく札幌へ。

今週は、おとなしく小樽で鈴木吾郎。


▼ 遠い幻影   [RES]
  あらや   ..2019/03/10(日) 10:17  No.493
  朝から夕飯までライブラリーのデジタル化作業を行い、夜や早朝(←年寄りなのか、朝が早い…)の布団の中で本を読む生活。もうかなり安定化してきたように思います。そのベースには、去年、集中的に読んだ『吉村昭自選作品集』(新潮社,1990−1992)があって、その時々で話題の本や関心のある作家の本へ遠征することもあるけれど、疲れたら、ホームの〈吉村昭〉にいつしか戻って来て身体のチューニングをやっているような気がします。

『遠い幻影』もそんな一冊。遺稿となった『死顔』の、骨と皮ばかりの無惨な〈吉村昭〉の文体を目撃した身には、熟年期の力に溢れた作品群は殊更に大切なものに感じます。大事に、大事に読みたい。1992年以降の吉村作品がまだ数多く残っていることは私の人生の励みです。「人間像」の仕事を手掛けているお蔭で、〈同人雑誌出身の吉村昭〉という視点を持つことができたことも私の幸運でした。

以下、恒例の〈北海道〉部分。


 
▼ 遠い北  
  あらや   ..2019/03/10(日) 10:20  No.494
   この町の刑務所に転勤になったのは、昨年の春であった。
 都会から遠くはなれた町に行くのは気がすすまなかったが' 上司たちは一様に幸運だと言い、かれ自身も日頃からその町の特異な性格を耳にしていたので、自らをはげますように赴任した。
(吉村昭「ジングルベル」)

 ジーゼルカーは、丹念に駅にとまることを繰返し、多くの高校生が乗ってきたり、海産物を売りに出た帰りらしい籠や箱を手にした中年の女たちが乗りこんできたりした。が、ジーゼルカーが進むにつれて乗客はへり、窓外に人家の絶えた雪原がひろがった。
 久美子はなぜこんな所にまで来たのだろぅ、
(吉村昭「父親の旅」)

「お父さんは、今、北海道でどのような生活をしているんだろう」
 私は、たずねた。
「住所をきいただけで、それ以上きくと警戒されるおそれがありますのでそのまま帰って来ました」
 房子は、答えた。
「恐らく、その人が君の父親だと思う。これからどうする」
 私は、房子の顔を見つめた。
「会いに行こうと思います。その前に速達の手紙でも出しておいてとも思っていますが……」
 房子は、思案するように首をかしげた。
「会いに行く気になるのは当然だが、その人は、果して喜ぶだろうか」
 私の言葉に、房子は驚いたように顔をあげると、
「喜びませんか」
(吉村昭「夾竹桃」)

 男が寒気にさらされている東屋で夜をすごすことができるのは、北国生れであるからなのだろうか。野外で暮すことをつづけてきたかれには、それに応じた肉体的な強靭さがそなわっていて、或る程度の寒さには耐えられるのかも知れない。
(吉村昭「眼」)


▼ 青べか物語   [RES]
  あらや   ..2019/01/20(日) 11:04  No.491
  竹内紀吉氏(浦安図書館)関連の基礎教養として、山本周五郎『青べか物語』を今頃精密読書。

 そして****とひどい悪態をついた。
 美しく純粋な、黄金の光を放つものが毀れた。助なあこは自分を反省し、また独学に熱中し始めた。いちどならず「死んでしまおう」と思い、どこか遠い土地へいってしまおうと決心した。北海道かどこかの広い広い、はだら雪の人けもない曠野を、頭を垂れ、うちひしがれた心をいだいた自分が、独りとぼと.ほと歩いてゆく。こう想像するたびに、彼は一種の快感にさえ浸されるのであったが、現実にそうする勇気は起こらなかった。
(青べか物語/蜜柑の木)

 救いの主は五郎さんの姉であった。父親から手紙を受取った姉が、一人の娘を伴れて北海道からはるばるやって来たのである。娘は小柄な軀ではあるが、健康そうで、縹緻もゆい子より一段とたちまさっていた。実科女学校中退、年もゆい子より二つ若かった。
(青べか物語/砂と柘榴)

引用した個所は、『青べか』の中に「北海道」の文言が登場するのが面白くて個人的趣味でピックアップしただけです。『蜜柑の木』や『砂と柘榴』の作品本質とは別に関係ありませんからご注意を。

面白かった。黒澤明『どですかでん』の原作『季節のない街』も一気に行こう!


 
▼ 季節のない街  
  あらや   ..2019/02/19(火) 08:53  No.492
   公演の成功を陰ながら祈り、周囲の人々に観劇を勧めた立場上、自分のことのように原作の味わいを裏切らぬ舞台に、うれしさがこみ上げて来てならなかった。ただひとつ残念だったのは老船長との挿話が割愛されていたことだ。
(竹内紀吉「〈青べか物語〉を観る」)

『どですかでん』が、他の黒澤明作品に較べて何故か印象が稀薄なのはどうしてなのだろうと若い頃から時々は思っていた。「もう一度観たい黒澤映画」があったとしたら、ベスト5には到底入りません。(『生きる』も別の意味で入らないけどね…)
たぶん、竹内氏が『青べか』の舞台に感じたものを、私も原作『季節のない街』を読んでいて感じていたのだと思います。例えば、こういう個所。

「うちの福田は大学の文科へいったんでずのよ」と光子は初めてますさんと話したときにいった、「私立ですけれど有名な大学で、入学率は東大よりむずかしいんですって、家庭の事情で中退したんですけど、教頭先生がとても惜しがって、月謝が足りないのならはくぼくになっても学問をしろって、しまいには校長先生までがたびたび勧誘しにきたそうですわ」
(「季節のない街」/「肇くんと光子」)

「プールのある家」は映像化できても、なかなか、この「光子」さんの愉快さは映像や演技では伝えられないだろうと感じましたね。(私なんか、「はくぼく」を「学僕」を通り越して「啄木」とまで深読みして布団の中で笑い転げていました)
小説という領域でしか表現しきれないものが山本周五郎作品にはふんだんに含まれていて、それが映像作品を消化不良にしたり、だからこそ映像化に挑ませるような衝動にもなったりもするのだろう。
ともあれ、一級品であることに間違いはない。死ぬ前に気がついてよかった。竹内氏に感謝です。市立小樽図書館には「山本周五郎探偵小説全集」(作品社)が入っていて、何気なくついでに借りて来た第二巻「シャーロック・ホームズ異聞」が滅茶苦茶面白いの…
作品社って、峯崎さんの『穴はずれ』の出版社ですよね。いい仕事してるなあ。


▼ 松岡國男妖怪退治   [RES]
  あらや   ..2019/01/20(日) 10:59  No.490
   「ご覧なさい。この有様なんですよ。……私ほんとに苦労したわ。」
と、如何にも弱々しく言つて、もう涙ぐんだ。おみよは一寸返事の仕様に困つた。心の奥ではひどく気の毒になつて来た。お君は東京に出て来てからの窮状を今更のやうに話し立てたが、おみよは今お君の話す、大抵の事はM――町に居た時に、その手紙で知つて居たので、半分、話に耳を貸しながら、心では頻と札幌に居た時分の、お君の華美な生活を思ひ出して居た。夫婦で放蕩の限りを盡して、財産を失してしまひ、それから東京に流れ込んで来ると男は肺病になつてしまつた……
(水野葉舟「おみよ」)

筑摩書房「明治文学全集」をまともに読んだの、これが初めてじゃないかな(笑) 図書館司書人生が始まった四十年前から、読もうと思えばいつでも図書館に在る本だけれど、読む必然が何もないままこの歳になってしまったというか。呆れた話だが。
大塚英志/山崎峰水『黒鷺死体宅配便スピンオフ 松岡國男妖怪退治』を読んでいたら、水野葉舟が登場していてちょっと興味を持ったのでした。まあ、青空文庫でいいんだけど、一生に一度くらいは「明治文学全集」で読むのもいいかと。
水野葉舟はまあどうってことない作品でしたが、並んでいる「明治文学全集」の各巻ラインナップはちょっと興味を惹かれましたね。将来デジタル化を夢見ている沼田流人『血の呻き』のための筋力トレーニングとして積極的に取り入れようかと思いました。
あと、啄木の散文作品のクォリティの高さも再認識しましたね。『病院の窓』ひとつで、「明治文学」のゴミ作品を蹴散らかして余裕で予選リーグ一位通過だわ。



▼ いざなうもの   [RES]
  あらや   ..2019/01/08(火) 10:00  No.488
  最後、下描きの線だけになって終わって行くの、切ないなぁ。

遺作。「17ページ目までは完成した」。残りは「ご遺族と相談の上、下描きの形で掲載とした」。谷口ジロー、死の直前までの姿が彷彿とされ、怖く、美しい。同時代を生きたことを嬉しく感じる。私は、もう少しだけこの世に残って、私の仕事を終わらせます。


 
▼ 犬を飼う  
  あらや   ..2019/01/08(火) 10:04  No.489
   ちょうど昼時であった。休憩するに都合のよい相手を得たのを潮にひと区切りつけて、弁当を広げると、犬はもう傍らにきちんと座って私の手元を注視している。弁当を少し分け与えると、またたくまにそれを平らげてしまって、こちらの箸の上げ下げをじっと目で追っている。幾日も食い物にありつけなかったのか、余程の空腹らしい。二度目の餌もあっという間だった。こちらも朝からの重労働で腹ぺこだ。犬の視線を無視して箸を運んでいると、こらえきれなくなってワンと一声放つのである。しかたなくまた少し分け与える。なんの事はない、こんなことを繰り返して結局弁当の半分以上をこの珍客に食べられてしまったのであった。
(竹内紀吉「犬との出会い」)

『いざなうもの』で、またブームに火が点いてしまった。年末年始、昼は竹内氏の『僕のアウトドアライフ』デジタル化、夜は谷口ジロー再読の毎日でした。こういうの、巡り合わせって云うのかな。

 私の房州通いは毎週週末の三日間、金土日に限られている。翌日もそのつぎの日も、犬はどこからともなくやって来て、昼を共にするばかりか、夕暮れ私が仕事をたたむまでなんとなくそこらへんで遊んでいて、車のエンジンをかけてこちらが動き出すと、来たときのようにどこかへ帰っていくのだった。
 次の週末まで、犬があの土地にまた来るかどうか気になってならなかった。もし来たなら褒美に少しぜい沢をさせてやろう。翌週私は犬のためにもう一つ別の弁当を用意して保田の地に向かった。
(同書)








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