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読書会BBS

 
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▼ 走る女   [RES]
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:39  No.483
  竹内紀吉『影』が収録されているので古書店から買った『小説の発見1』なのだけれど、『影』以外にもおーっ!と思った作品が二つあって、一つが以前書いた金子きみの『東京のロビンソン』。そしてもうひとつが、宇尾房子さんの『走る女』なのでした。
ところが、『東京のロビンソン』がすらすらと感想を書けたのに対して、『走る女』は一行の感想文も頭に浮かび上がってこない。ほんとに一言も浮かんで来ないんです。じゃあ、語るに値しない駄作かと言ったら、全然そんなことはない。これは何か重大な電波が放出されている作品であることははっきり感じるんだけど、巧く合致する言葉が私の文字パレットにはない…というか。
けっこう悶々としていました。竹内氏の作品を読み進んで行くと、その前後に宇尾氏の姿や作品がちらちらします。なにか、「人間像」の人たちにはあまり感じない質の電波であって、大変興味津々です。
こんな質量であろうか…ということを庄司肇氏が的確に書いていますので、そちらを引用させてもらいます。同人雑誌「朝」第29号「追悼・宇尾房子」に転載された、「千葉日報」2009年10月30日の庄司氏追悼文です。


 
▼ 珍しい思考の観念性@  
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:44  No.484
   珍しい思考の観念性 宇尾房子さんを悼む  庄司肇
 宇尾房子さんが消えてしまった。84歳。年に不足はないと言われそうだが、闘病半年は呆気(あっけ)なさ過ぎる。重いものが肩を押さえつけてきて、足の先から地面に沈みこんでゆくような気分だ。悲しい。寂しい。
 彼女に初めて会ったのは、同年の私たちが30代の後半にいたころだった。『走る女』の詳細な年譜によると――一九六三年一月夫の転勤で千葉県市川市に転居したのを機に「文芸首都」に入会――とある。JR検見川駅で降リ、バスに乗り換えて行くと、大きな団地があり、社宅の3階に仲間と一緒に遊びに行った。ハルサメの入ったおいしいサラダをごちそうになった。
「文芸首都」は保高徳蔵先生が私財や文壇人の浄財を注入して新人のために40年近くも続けられた雑誌である。この雑誌のことは、宇尾さんはすでに富山時代に会社の同僚の夫人江夏氏から教えられていたらしい。ここからはたくさんの作家が生まれている。私たちの少し先輩に佐藤愛子さん、同期に北杜夫氏、なだいなだ氏、森礼子さん、早世した中上健次、群像新人賞の小林美代子、文芸賞の赤坂清一とつづき、いま活躍中の勝目梓氏、加藤幸子さん、林京子さんときりがない。

 
▼ 珍しい思考の観念性A  
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:47  No.485
   宇尾さんの作風については、加藤幸子さんの達文《肉体の衣を着た観念小説》があり、この名解説をぬきんでる文章は当分現れないだろう。宇尾さん自身は、《ものを書く人のタイプを嘘言癖と被害妄想癖に分けるとすると、私は嘘つきの方に入るようです》と述べている。宇尾さんらしい明晰(めいせき)な分類であろう。彼女の特質は、女性には珍しい思考の観念性であり、その抽象性を具象化して表現できることであろう。しかもそこにいささかのエロチシズムをまぶすことのできる想像力の拡大にあると思う。
 私の大好きな小説『走る女』では、やせたいと思っている中年女が、朝の時間は取れないので、夜のマラソンを始めようとし、友人から男に襲われる危険ありとの忠告をうける。しかし内心それを期待している主人公は承知しない。ある晩、追ってくる男の気配を感じ、逃げてのどを乾かし、やっとジュースボックスの明かりまでたどりつくが、小銭を持っていない。そこに来た若い男がジュースをおごってくれるが、それ以上の行動はなく、去ってしまったのを不満とし、男を追って走り始めるという、女心の微妙な変幻と、内奥にひそむ欲望のエロチシズムとを活写した小説である。彼女との雑談で、実際にあった同窓会での温泉旅館一泊で、女同士がはだかの肥満くらべをした話を聞いて笑ったばかりだったので、彼女の空想力の飛躍や、小説に構築する腕力にほとほと感心させられた。
 こうした見事な才華をむざむざと見送ってしまったことが、悔しくてならない。神話の世界のように、黄泉の国まで追いかけて行って連れ戻せるものならば、連れ戻したい気分で歯ぎしりしている。幽鬼となってでもいいから、会いに来てくれ。(作家・眼科医)
    ×    ×
 宇尾房子さんは10月13日死去、84歳。
(千葉日報 2009年10月30日)

 
▼ 文芸首都  
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:51  No.486
  同人雑誌「文芸首都」については、なんと、最近の「人間像」第40号にも話題が…

 二月二十七日 赤木さんと二人で「文芸首都の会」を訪ね初めて保高徳蔵氏御夫妻と会う。ぼくは作家を訪ねる趣味のない男なので、長年東京におりながら保高さんが四人目である。タバタ・ムギヒコという快青年が同席、戸外は雪、机上にふさ子夫人の著書「女の歴史」が一冊のっている。出版社の手違いでね、作者の手許に五冊しか来ないんですよ。これでは親しい人に配ることも出来ないです。と保高先生が言いおわった処に当の作者たるみさ子夫人がお茶を持って入って来た。そして赤木さんあなたに一冊さし上げましょうねと言ったので、赤木さんは少女のように手を打って喜ぶ。「まあ、嬉しいわ」 そこにぼくが余計な口を出した。
 ――「赤木さん、これは数少い御本の中の一冊なのだから光栄ですね」
 すると、少し間をおいてみさ子夫人がけげんそうに言った。
 ――え? えゝ私は本をいくらも書いてませんので……
 ぼくは狼狽したが間に合わない。もう駄目かと思ったら、赤木さんがくちぞえしてくれた。「いえ、今先生から五冊しかないってことをお聞きしたんですの」
 実に危機一髪だったような気がする。それともぼくのひとりずもうかもしれない。
(朽木寒三「三月十日の会 ―八木さんのことなど―」)

「文芸首都」の保高徳蔵氏の名前が出てきたので、ちょっと吃驚。さすがは「東京支部」グループだねぇ、と。東京は著名人でいっぱい。
作品「三月十日の会」は1956年(第40号)の「3月10日」のことだと思いますから、宇尾氏が「文芸首都」に作品を発表し始める昭和38年(1963年)以降とは約十年くらいの開きがある。朽木氏や平木氏たちと宇尾氏たちとの交流というのはちょっと考えにくいかな。

 
▼ 解体  
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:56  No.487
  ここは北海道小樽なので、さすがに宇尾房子さんの本は見当たらない。何の拍子か小樽市立図書館に『私の腎臓を売ります』(双葉社,1994)があって、これはとても面白かった。千葉の図書館なら、もっとばりばりいろんな作品が読めるんだろうなぁ…と思うと悔しいです。

縁あって、千葉県茂原市から出ている『双頭龍』という雑誌(書籍?)の第一号をお借りする機会があったのですが、この中の『解体』という作品にはうおーっと唸ってしまいました。「朝」の年譜で確認したら、この『解体』、作家としてのデビュー第3作なんですね。いやー、第3作にして『解体』か… 途轍もない才能だ。

インターネット古書店で『走る女』(沖積舎,1987)を手に入れたので、年末読書はこれで大丈夫かな。元日だって、昼はデジタル化作業、夜は布団で読書。「文芸首都」一揃いが手に入る…の初夢でも見よう。


▼ 2018年9月6日以前の読者の皆様へ   [RES]
  あらや   ..2018/11/08(木) 16:00  No.478
  2018年9月6日以前に、 Internet explorer を使用してインターネットに入り「人間像ライブラリー」を閲覧されていた方の中には、現在、作品表示に辿り着けない状態になっている方がいらっしゃるかもしれません。この理由については過去の司書室BBS「緊急連絡」に書きましたが、この状態を回復するには、一旦、インターネットの閲覧履歴を削除することが必要です。

以下、履歴の削除方法を図解します。


 
▼ インターネットオプション  
  あらや   ..2018/11/08(木) 16:03  No.479
  1. インターネット画面を開く。例:YAHOO先頭画面
 右上にある歯車マーク(@)をクリックして、
表示されたメニューの中から「インターネットオプション」(A)をクリック。

 
▼ 「全般」→「閲覧の履歴」→「削除」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 16:06  No.480
  2. インターネットオプションウインドウが表示されましたら、
「全般」タブを開き、「閲覧の履歴」の「削除」をクリックします。

 
▼ 「閲覧の履歴の削除」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 16:10  No.481
  3. 「閲覧の履歴の削除」画面が表示されます。
以下の項目にチェックが入っていることを確認してください。
  それ以外は未チェック状態にして下さい。
・インターネット一時ファイルおよびWebサイトのファイル
・クッキーとWebサイトデータ
・履歴

4. チェックを入れ終わったら「削除」をクリックします。

 
▼ 「選択された閲覧の履歴が削除されました。」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 16:13  No.482
  5. InternetExplorerの下部に「選択された閲覧の履歴が削除されました。」と
表示されましたら完了です。

6.「全般」画面の「OK」を押して作業終了。
 「人間像ライブラリー」の検索ボタンに入って確認してください。


▼ 隠蔽捜査   [RES]
  あらや   ..2018/10/19(金) 09:15  No.477
  「俺、署長のSNSのアカウントを乗っ取って、好き勝手にいろいろな人にメッセージを送ることができます。誰かを怒らせることも、誰かに嫌われるように仕向けることも可能です。さらには、クレジットカードの情報を入手して、ネットでとんでもない金額のものを購入することも可能です。あるいは、銀行のシステムに侵入して、預金を空にすることもできるかもしれません。それって、怖いでしょう」
(今野敏「隠蔽捜査7棲月」)

うーん、怖いか? そんなの。

「隠蔽捜査」史上、最もチンケな犯人でしたね。今時ってことなのかな。スマホの合間に人生やってる人たちの世界観ではありました。面白いから、少しずつ観察してる。

図書館のレシート見ると、この後20人が待っているようなので早めに返却します。そういえば、『棲月』借りる時に、書架に村上春樹『騎士団長殺し』が在ったので(←こちらは予約ラッシュ終わったらしい)一緒に借りて来たんだけど、なんか、最初の10ページも読むとなんかうんざりして来た。こんなの読んでるより、「人間像」作業やってた方がましだ…というか、なんか、そういう身体になってきたみたい。厚真の地震以後はどんどんそれが加速してる。これは、読まずに返却ね。



▼ 五の日の縁   [RES]
  あらや   ..2018/10/06(土) 06:49  No.473
   浴衣を着た姉は人中で目立った。私達の傍を通り過ぎて行く人が、きまって姉のほうへ視線を泳がせる。それが私の予想といつもぴたりと重なるのであった。姉に連れられ、そうして人の目に立っていることは、肉体的な快感をともなって、私の自負心を満足させていたように思う。私が当時縁日を好んだのは、其処で子供なりのささやかな買物が出来るという以上に、姉と並んで、注がれている人々の目を感じながら歩くという、快感のためであったかも知れない。どちらかといえば無口で。神経質だった姉が、夜になって浴衣を着、きりっと帯を締めると、急に大きく脹よかになった。そうして大きくなった姉に、私は快い優しさを覚えた。湯上りに浴衣を着た姉は、何故か私に、露に濡れた大輪な花を思わせた。私は姉を、たいそう美しいと思っていたのである。
(竹内紀吉「五の日の縁」)

小岩界隈、五の日の縁日風景で始まる物語は、やがて、通りの向こうからやってくる姉と私の登場でその話が動き出す。

 千葉の内海の何処も、まだ埋め立てなどされておらず、小岩から三、四十分も総武線に揺られていれば、松林を越して青い海原の拡がっている光景を跳めることが出来た。都心に住む者にとっては、千葉駅に至るまでの沿線の小駅は、どの駅も潮干狩の出来る海岸であることで名が通っていた。「稲毛」や「幕張」という地名に、盛夏の光や貝の臭いを思い出すのは私ひとりではないだろう。
(同書)

端正な文体。きらきらとした夏の陽が照り返す道を歩いていた記憶は私を変革してくれると思います。


 
▼ サルビアの苗  
  あらや   ..2018/10/06(土) 06:53  No.474
  ――どのようにお伝えしても、気持ちを受け入れて戴けないことはわかっていますが、身辺を清算して、その上で綾さんと結婚したいのです。
――身辺を清算?
――はい、妻とは離婚します。綾さんを知る前から話し合っていたことなのです。
(竹内紀吉「サルビアの苗」)

いやー、どきっとした。二十年の歳月を越えて、あの『五の日の縁』の男が帰って来たのかと思ったよ。

いかに『五の日の縁』が竹内さんにとって大切な作品だったのかがよくわかりました。『五の日の縁』の前に『サルビアの苗』を読んではいけない。この二つの作品だけは読み流してはいけない。
『日傘の女』もアップしました。これも、『反面教師だった父』や『母の初恋』を飛ばして読んではいけません。いちいちうるさい!と怒られそうだが、味わいってものがあります。竹内紀吉さんの六十五年間の生涯を読み飛ばしてはほしくはないと思いました。

作品のアップは今少し続きます。

 
▼ 佐藤さんとの日々  
  あらや   ..2018/10/13(土) 16:07  No.475
   佐藤正孝さんと初めて会ったのは一九五八年、私が十八歳の時である。日記をつける習慣のない私が四〇年以上前の年を正確に言えるのは、後に書く読売新聞の一件から、同人雑誌「短編小説」に加わることになった年だからで、佐藤さんは玉虫八郎の名でこの雑誌に小説を書いていた。
(竹内紀吉「佐藤さんとの日々」)

その玉虫八郎氏も作品を発表している同人雑誌「短編小説」から、竹内氏の五作品『猫』『少年時』『午後の車中にて』『父のゐる庭』『白樺のみえる窓』をライブラリーにアップしました。1960年代、竹内氏の青春期の作品群です。『父のゐる庭』や『猫』には、後の竹内作品を予感させる力がすでに発芽していることを見てとれます。この力とは、若い日の針山氏や渡部氏が持っていた力でもあることに気がつきました。そういうこともあって、私は『少年時』という作品がお気に入りです。

 
▼ 「街を歩けば」へ  
  あらや   ..2018/10/13(土) 16:12  No.476
  おそらく、両国高校時代のガリ版や自筆原稿を除けば、印刷媒体で発表された〈小説〉作品はほぼカバーしたのではないかと思います。このまま、浦安タウン誌「ばすけっと」連載の『街を歩けば』シリーズや、「事実と創造」連載の『図書館を支える人々』に突入することも考えたのですが、心の中には「少し落ち着け」という声もあることも事実です。少し、私自身が何が何だかわからなくなってきているところもあるので、ここは、一度「人間像」に戻って頭を冷やしたい。

竹内氏は、人間の観察眼がとても鋭いと感じます。この「佐藤さんとの日々」が典型なのですが、一見何気ない佐藤正孝氏の追悼文に見えるのですが、『五の日の縁』〜『サルビアの苗』と読み進んで来た身には、これが『五の日の縁』以来のさらなる新展開に思えてしょうがない。あと一歩、間合いを詰めるときっちり小説作品になってしまうような緊張感があります。竹内氏の〈エッセイ〉編再開にもご期待ください。


▼ 海炭市叙景   [RES]
  あらや   ..2018/09/17(月) 06:37  No.470
   待合室がにぎわったのは、夜明け前と昼すぎの下りのロープウェイの到着までだった。その後、山に登る人も下る人もいない。わたしたちと共に、初日の出を眺めるために、海峡に突きでた、たった三百八十九メー卜ルの山に登った人々は、もうすベて家へ帰ってしまった。今頃はあらためて、温かい部屋で新年を祝っているだ-ろう。うらやんではいない。わたしたちとは違うというだけだ。
(佐藤泰志「海炭市叙景」)

いや、悪かった…
函館と炭鉱という取り合わせ、つまり「海炭市」というネーミングに何故か違和感があって長らく近寄らないでいたんだけれど、そんな小さなことに拘っていた小さな自分が恥ずかしい。再発見で脚光を浴びていた時に読むべきでした。いや、悪かった…

個人的には、ロミー・シュナイダーという言葉が私の脳髄のどこかに残っていたことを教えてくれた優れた小説。


 
▼ そこのみにて光輝く  
  あらや   ..2018/10/03(水) 10:30  No.472
  現在まで『移動動物園』〜『きみの鳥はうたえる』〜『そこのみにて光輝く』〜『オーバー・フェンス』〜『撃つ夏』と読みつないで来て、これから『黄金の服』に入るのだけど、なにか『海炭市叙景』が延々と続いているような印象です。生涯かけて〈海炭市〉を書き続けた人ですね。『きみの鳥はうたえる』がビートルズの「And Your Bird Can Sing」とか、へえーっと思うことは多々あったが、個人的には『そこのみにて光輝く』がキラッと光ったかな。というのは…、

「すぐそこだ。少しぐらい我慢しろよ」
 拓児は市が建設した六楝の真新しい高層住宅を指さす。達夫は内心驚いた。この辺一体はバラック群がひしめき、周囲は砂山だったのだ。子供の頃には近づかなかった。どの家でも犬の皮を剝ぎ、物を盗み、廃品回収業者や浮浪者の溜り場で、世の中の最低の人間といかがわしい生活があると聞かされていた。それを市が根こそぎ取り壊した。観光客のための美観とゴミ焼却場建設のために、代替え用に造った住宅だ。砂山はコンクリー卜で埋め、申訳け程度にハマナスを植えた。それからこの地にゆかりの若くして死んだ歌人の像を建てた。それも観光客のためだ。
(佐藤康志「そこのみにて光輝く」)

ああ、あそこね。


▼ 東京のロビンソン   [RES]
  あらや   ..2018/09/28(金) 09:07  No.471
  竹内紀吉氏の『影』という作品が載っている関係で、たいまつ社の「小説の発見」シリーズ第一巻をインターネット古書店(埼玉志木の古書店だった!)でゲット。『影』だけでなく、前後の作品をつらつら読んでいると金子きみの名に再会。これが良かったんだよね。

 ひとり暮しの私の出入りする道は、笹藪をよぎって一筋くぼんでいる。公道から十メートルほどだが、すいすいとは往来できない。雨の日や露の朝など通ると、下半身が濡れる。月に一、二度訪れる郵便配達人が、濡れたズボンを指して、不服そうに言った。
「藪、なんとかなりませんか」
「うちには午後に来て下さい。笹が乾きます。雨降りならお天気になってからでいいです」
 一心に言う私の顔を、不審そうに見た配達人は、黙って尻込みするように戻った。久しぶりに訪れた兄は罵った。
「狸の巣だ。よくも尻尾が生えんもんだ」
(金子きみ「東京のロビンソン」)

金子きみさんは北海道生まれ。サロマ湖に近い湧別町芭露の開拓農家の子。「北海道文学全集」にも『赤い靴』という作品が収録されています。赤い靴、きみ、なんとなく赤い靴の彫刻を建てては、何の関係もない薄幸の女の子の実名を暴いて恥を知らないあの連中の類か…との警戒心が働いて今まで遠ざけていたんだけど、この『東京のロビンソン』でチャラになったようです。竹内さん、ありがとう。動いてみるもんですね。



▼ 木村政彦は   [RES]
  あらや   ..2018/09/10(月) 17:53  No.465
  地震停電の最中、昼の光だけを頼りに読んでいたことでも忘れられない一冊になりました。

参戦した選手たちに聞くと、ルールが七項目しかないので当然だが、立技では相手の肘関節を極めながら掛ける背負い投げも許されていた。一部の古流柔術流派が使っていた、いわゆる逆一本背負いだ。普通の一本背負いは自分が右組みだと相手の右腕を担ぐが、相手の左腕を肘を逆に極めながら担ぐものである。小林まことの人気漫画「1・2の三四郎」で東三四郎のライバル柳正紀が使っていたいわゆる柳スペシャル≠セ。
(増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」)

地震でロスした二日間という時間の回復が先なので、いつものようにのんびり読書感想文を書いている暇がない。でも、あまりに木村の人生と時代が克明に描かれているので、急ぎ足で通り過ぎるのは惜しい。メモだけでも取っておきたい。


 
▼ 勝ち組  
  あらや   ..2018/09/10(月) 17:58  No.466
   情報化の進んだ今では考えられないことだが、当時はほとんど海路しか移動手段がなかったので、邦字新聞どころかラジオまで取り上げられた日系人にとって、地球の裏側にある故国日本はあまりにも遠かった。
 十月三日に「終戦広報」が船便でブラジルに到着し、日本語に訳されたものが日系人に伝えられたが、この内容を信じたのはわずか二割にすぎず、八割の人間はこの広報を偽物だと思い、「日本は勝った」と信じ続けた。
 結果、日系人二十五万人は、日本の敗戦を絶対に信じない者たちと負けた事実を受け入れて屈辱に耐える者たちに、真っ二つに別れてしまった。前者を「勝ち組」、後者を「負け組」といった。負け組はポルトガル語新聞を読めるインテリ層に限られたので、勝ち組が八割、負け細が二割という割合は終戦から実に十年も続くことになる。
  (中略)
 「神国日本が負けるわけがない! 無条件降伏したのはアメリカである!」
 自分たちのアイデンティティが崩壊するため、ブラジル日系人の勝ち組はこう言い張って「青年愛国運助」「桜組挺身隊」など無数のグループを組織した。負け組はこれに対抗して「新撰組」などを組織する。
 そのうち、勝ち組が負け組に対して天誅と称した攻撃を加えるようになり、三月には溝部幾太バストス産業組合専務理事を暗殺する。
 すぐに血で血を洗う報復合戦が始まった。この抗争は延々と続き、多くの死傷者を出す。
  (中略)
 そんななかで、「日本の強さ」の象徴であった日系人たちの心のよりどころ、国技柔道で、日系人たちがエリオ・クレイシーの寝技にことごとく敗れていた。
 木村政彦がブラジルにやってきたのは、まさにそんなときだった。
(第18章「ブラジルと柔道、そしてブラジリアン柔術」)

 
▼ 朝鮮戦争  
  あらや   ..2018/09/10(月) 18:01  No.467
  そのうち三十八度線まで押し返したが膠着し、マッカーサーは北朝鮮に対する原爆投下と、台湾の蒋介石の投入を本国アメリカに提言、これがトルーマンの逆鱗にふれてマッカーサーは解任され、日本を去ることになる。
 この朝鮮戦争は、焦土日本にとってはまさに神風となり、軍需品の製造で鉄鋼業界をはじめ国内産業が徐々に息を吹き返す契機になるが、日本に残った在日朝鮮人たちにとっては悪夢だった。混乱する故郷とは連絡すらとれなくなっていく。
 力道山が力士廃業を決断するのは、この朝鮮戦争が始まった二ヵ月後、九月のことだ。
(第22章「もう一人の怪物、力道山」)

 
▼ 昭和29年  
  あらや   ..2018/09/10(月) 18:04  No.468
   昭和二十九年(一九五四)。
 日本列島にはまだ土埃が立ちこめていた。雨の日にはそれが泥となってぬかるみ、野良犬たちの小便と混じり合って異臭を放った。
 田畑の肥料は人糞だった。その人糞を撒いた田の中に、人々は素足で入り田植えをした。蒸汽機関車の煤煙が、民家の屋根や壁を、そして人々の顔をモノクロームに覆っていた。
 GHQが日本から去ったのは昭和二十七年(一九五二)、それからまだ二年しか経っていなかった。灰燼と化した都市に次第に建物が建ち、経済が少しずつ復興してきても、国民は泥土の上を這うように生きていた。戦後はまだ終わっていなかった。
(第28章「木村雅彦vs力道山」)

 
▼ なぜ力道山を殺さなかったのか  
  あらや   ..2018/09/10(月) 18:08  No.469
   私はあえて断言する。
 あのとき、もし木村政彦がはじめから真剣勝負のつもりでリングに上がっていれば、間違いなく力道山に勝っていたと。決め技は、もちろん得意のキムラロックである。
 木村が死んだ平成五年(一九九三)から資料を集めて取材執筆を始め、十年以上かけて人に会い、数百冊の書籍、数千冊の雑誌、数万日分の新聞を手繰って得た私の結論である。
(増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」/プロローグ)

確かにこの「主要参考文献」リストは凄い。私も若い頃に意味なく格闘技本を集めては喜んでいた人間なのですが、この本を読んでつくづく自分が厭になった。もう全部売り払って、ライブラリーの足しにでもしよう。もう本棚にこの一冊があれば、それでいいんじゃないかと本気で思いました。

(ま、『がんばれ元気』と『1・2の三四郎』だけは残しておこう… デジタル作業の休憩の時にまだ必要…)


▼ 北海タイムス物語   [RES]
  あらや   ..2018/07/12(木) 08:51  No.458
  「新入社員に毎年紹介してますが、あれはタイムス少年像というものです。昔、うちの会社は北海道の貧しい田舎でタイムスの新聞配達をしている少年たちに奨学金を出して高校や大学に行かせていました。そのときの名残りです」
 たしかに左脇に新聞の束を抱えていた。その少年の後ろには大きな鳩がレリーフされている。
 桐島さんが僕の顔を見た。
「鳩が気になるんでしょ」
「あ、はい……」
 桐島さんがくすりと笑って「毎年新人に聞かれてここで説明してるけど今年は宿題にします。鳩と新聞社の関係、考えといて」と言った。
(増田俊也「北海タイムス物語」)

で、これが竹中敏洋「タイムス少年像」。「北海タイムス」はもう廃刊しましたから、もうこの彫刻はありません。写真は、原子修の彫刻詩集『札幌の彫刻をうたう』(みやま書房,1981.10)からお借りしました。

野外彫刻って、けっこう動くんですね。この彫刻詩集の中央区エリアだけでも、例えば、エイトビルにあった梁川剛一「開拓凱旋の像」や、札幌市民会館にあった竹中敏洋の「札幌市民憲章」レリーフが改築などでいつの間にか消えたりしています。で、突然、駅前のアスティ45壁面の竹中敏洋「THE SKY」を見つけて、あれーっ、これって「札幌市民憲章」レリーフじゃないの?とか。なかなか奇怪なことが多い。


 
▼ ことば  
  あらや   ..2018/07/12(木) 08:57  No.459
  「彼女は原稿を書き上げたその日の夜、十九歳で亡くなった。だから彼女は出版されたこの本を見てないんだよね。作家が命を削って書いた本ていう言葉があるよね。でも彼女は命を削ったんではなくて、命と引き替えにこの活字を遺した。ほんとに俺たちアイヌ民族の誇りだよ」
「…………」
「なにかの目的を持って人間が生まれてくるのだとしたら、彼女はこの本を出すというたった一つの目的のためだけに生まれてきたのかもしれない」
 そう言ってマスターはウィスキーを一口飲んだ。
「俺、浦さんが大学時代に戻ってきたときこの本を貸したのさ。それをお守りのように肌身離さず読んで、精神的にきついときに自分を鼓舞してたみたいだよ」
「きついとき?」
(増田俊也「北海タイムス物語」)

ことばが、いちばん動かないものかもしれない。残したいと思う人がいる限り、ことばは、作品は残って行く。

知里幸恵のことばは人々の心に残って行く。『北海タイムス物語』が残るかどうかはまだわからない。

 
▼ シャトゥーン  
  あらや   ..2018/07/19(木) 14:14  No.460
   このところ、天塩研究林ではヒグマによる人身事故が続いていた。二年前の冬、フリーの動物カメラマンが行方不明になり、捜索隊によって片脚と頭骨のー部が発見された。山狩りで擊ち取られたヒグマの胃の中から、カメラマンの骨や髪などが出てきた。その半年後には、薫のかつての師である北大の夏目次郎教授が行方不明になっている。こちらは死体は見つからず、ヒグマに食い尽くされたのだろうと言われている。
(増田俊也「シャトゥーン」)

アマゾンで「吉村昭」とか「羆嵐」を引くと必ずこの本が関連で出てくるので昔から気にはなっていたのですが、これも増田俊也だったんですね。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、『七帝柔道記』、凄いですね、ヒット作ばかりじゃないの。

写真は、去年の夏、彫刻写真を撮りに稚内へ行った時、通り道だったので苫前の「三毛別羆事件復元地」にも寄った時の一枚です。いやー、北の沢。羆のエリアと人間のエリアの接点そのものですね。「シャトゥーン」が「穴はずれ(穴持たず)」の意味だとは… 勉強になりました。

 
▼ 七帝柔道記1  
  あらや   ..2018/08/15(水) 16:45  No.463
   一番のラストを見て、ああ私が入部した日の夜、和泉さんが歩きながら口ずさんでいたのはこの歌だったんだと気づいた。歌手の持ち歌ではなく寮歌だったのだ。
 杉田さんによると『都ぞ弥生』の都≠ニは札幌ではなく東京のことを指しているらしい。弥生≠ヘ陰暦で三月、つまり新暦で四月前後のことを指す。寮歌が作られた当時は旧制高校は九月入学だった。四月、東京で花見の饗宴に参加しながら、大都会の享楽と奢侈にうんざりし、暮れゆく北の空に瞬く星々を見て《人の世の清き国ぞとあこがれ》、北大予科に入学しようと決心する東京の旧制中学生の気持ちを一番の歌詞で歌っているのだという。つまり一番はプロローグで、二番からが入学後の札幌の四季を歌っているらしい。
(増田俊也「七帝柔道記」)

ふーん、なるほど。今回も蘊蓄の山ですね。七帝の柔道着をあしらった表紙、カッコいい。

 
▼ 七帝柔道記2  
  あらや   ..2018/08/15(水) 16:49  No.464
  「搏c君、あんた井上靖の『北の海』読んだかいね」
「はい」
「あのなかに出てくるじゃろ。寝技には立技のような僥倖はないんじゃ。寝技が強いやつは必ず弱いやつに勝つ。引き分ける力のあるやつは必ず引き分ける。十五人の団体戦の七帝戦には、確実に計算のできる寝技なんじゃ。ポカは許されん。立技は強くても何かの拍子で飛ばされる」
(増田俊也「七帝柔道記」)

懐かしいな。初めて勤めた図書館(学校図書館)で、その夏の読書感想文コンクール課題図書が『北の海』だった。課題図書だったからかな、もちろん読んでません。反省して、図書館から借りてこようと思ったけれど、今日も雨降ってる… 日和って、ジュリアン・グリーン『幻を追う人』が先になりました。


▼ 一年後の真夏   [RES]
  あらや   ..2018/08/05(日) 11:07  No.461
  『真夏の雷管』、佐々木譲「道警」シリーズの第八作。去年の七月発行なんですが、人気シリーズ故、予約希望者多い。私も行列の43番目に並んで、ようやくその順番が来たのがこの夏なのでした。小樽図書館からのケータイ連絡受けたの、千葉県市川の芳澤ガーデンギャラリー前の坂道だったのが面白い。

 最終的には、爆破予告声明文が決め手となって、このガスボンベ爆弾犯は逮捕された。ほんの些細なことで丘珠警察署への憎悪を募らせての――としか道警には判断しようのない――犯行だった。被疑者は犯行を否認したが、送検され起訴されて、一審で有罪判決が出ている。現在、高裁で審理中だ。
 被疑者逮捕後に、つまり被疑者が留置場にいるときにまたもガスボンべ爆弾事件が発生した。誤認逮捕か、と一瞬、関係者だれもが冷や汗をかいた。しかし爆弾の材料、作り方の違いから、道警はこれを模倣犯の犯行と判断した。
 残念ながら、こちらの爆弾犯はまだ逮捕されていない。つまり札幌管内には、まだひとり爆弾製造能力を持った人間が、自由の身でいるのだ。
(佐々木譲「真夏の雷管」)

物語中に巧みに当時の事象を織り込む得意技、今回も炸裂ですね。


 
▼ 一年後の雷管  
  あらや   ..2018/08/05(日) 11:12  No.462
  こんなのもあった。

「でも」新宮が、同意できないとい声で言った。「外だと、爆発させる象徴的な意味合いが薄れます。梶本は、どこでもいいわけじゃないはずです」
「何かに取り憑かれたとき、発想は飛躍する。殺された愛犬の敵討ちだと、厚生省の元事務次官を殺した男がいたことを思い出せ」

これもあったなぁ。

「会社は、ぼくらの組合の活動家に恨みがある。いったん解雇した職員については、人生破壊してやるってぐらいの勢いで、あることないこと伝えますよ。倶知安駅で自殺した男のこと、覚えています?」
「いいえ」
 篠原が、職場に伝わっている話として教えてくれた。民営化直後、JR北海道に採用にならなかった職員は、再就職がどうしてもうまく行かず、倶知安駅の構内で首を吊ったのだという。一文なし、餓死寸前の身体だったそうだ。やはりJR北海道が、身元照会に対して過激な組合活動家だったと回答していたからだと噂されている……。

表紙カバーの写真、倶知安駅かな?


▼ 羽志主水   [RES]
  あらや   ..2018/07/09(月) 16:07  No.457
  用あって、久しぶりに「青空文庫」へ。
今は、「人間像ライブラリー」作品の最後から直で「青空文庫」に移行できるので便利です。また、直で「えあ草紙」画面で読めるので、作品理解度が格段にちがう。(もう、横書きHTML画面には戻れません…)
驚いたのは、「青空文庫」に音声読み上げ部門ができていたこと。聴いてみたけど、タコ部屋話をアニメの女の子音声で語られた日にはぶっ飛んでしまいましたね。でも、あえて、それを違和感とは今は云うまい。「ちまちま人形」を初めて見せられた時のような不快感は全く感じなかった… 事によったら大化けするような気配もある。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001305/card47418.html
羽志主水(はし・もんど)、『監獄部屋』。初出が『新青年』大正15年3月号。青空テキストの底本が『日本探偵小説全集11・名作集1』(東京創元社,1996.6)。
プロですね。沼田流人が『監獄部屋』166ページで力一杯書いた物語を、わずか数ページの短篇でそれを越えてしまっている。
決心しました。デジタル復刻すべきは、沼田流人『血の呻き』、ただ一冊きりだ。「人間像」の仕事が終わったら、取りかかります。









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