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読書会BBS

 
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▼ 東京の下町   [RES]
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:53  No.432
  初期「人間像」デジタル復刻と併走するように半年間読み進んで来た『吉村昭自選作品集』(新潮社,1991)ですが、ついにラストの『別巻/東京の下町ほか』です。

吉村昭。昭和2年、東京日暮里の生まれ。針山和美氏が昭和5年の倶知安生れですから、例えば、敗戦直後の昭和21〜22年なら、吉村昭は学習院高等科文科甲類に合格、針山氏は戦中の勤労動員から倶知安中学に復学といったように「大学/高校」「東京/北海道」といった微妙な違いが大変興味深かった。勉強にもなった。さらに、吉村昭は昭和23年の肋骨5本を切除する大手術を挟みますから、それぞれの同人雑誌時代が微妙に重なって来ていて、それぞれの作家にとって転換点にあたる重要作品、例えば吉村昭なら『少女架刑』、例えば針山氏なら『百姓二代』を書いたのがこの歳だったのか…みたいなことをよく考えました。いい体験でした。


 
▼ やみ倉の竜 ほか  
  あらや   ..2018/01/18(木) 18:56  No.433
  というわけで、ポスト「吉村昭」というか…

夜、布団の中で読む本を探して放浪中です。しかたないので、佐々木譲『真夏の雷管』も、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』も、リクエスト出しました。『真夏』が24人待ち、『おら』が7人待ち。『おら』が7人で済んだのは、リクエスト申し込んだのが芥川賞受賞前だったから。(ラッキーと言えるのかな…)

柏葉幸子+佐竹美保の『やみ倉の竜』は「北海道青少年のための200冊」コーナーに別置されていたのをたまたまゲット。よかった。でも、同時期に発売された『涙倉の夢』はついぞ書架で見たことがない。(もうこれもリクエストかな。読みたい本は全部リクエストで出して、届いたものから読んで行くような生活になって行くのかな…これからは)

「小樽」本ということで借りて来た二冊。一冊は駄作もいいところでしたね。名誉も生活もあるのだろうから著者名も書名も明かさないが、こんな本、紙資源の浪費だ。もう一冊、荒巻義雄『ロマノフ帝国の野望』は今夜から読書開始。


▼ 水の葬列   [RES]
  あらや   ..2017/12/31(日) 17:04  No.431
  今年最後の読書は吉村昭『水の葬列』でした。いろいろな変化があった一年をこのような作品で締めくくることができて幸福です。吉村昭から貰った「虚構小説」という概念をこれからも大切に大切に持っていたい。

 たとえば『水の葬列』の場合は、こんな風であった。或るダム建設工事の技師と酒を酌み合っている時、かれが、工事の現場近くにある渓流に流れてきた朱色の椀のことを口にした。その上流に人は住んでいないとされていたので、不思議に思って調べてみると、上流に小さな村落があった。その地の人は、山を越えた向う側の村としか交流がなかったので、こちら側の町村の人たちは、そのような村落があることを全く知らなかったという。
 その話に私の触角は刺戟され、脳の細胞も一斉に動き出して、『水の葬列』の小説世界が築かれていったのだ。
(「吉村昭自選作品集」第十五巻/後記)

この流れの向こうに、このような概念が潜んでいることを知らなかった一人でした。私も。



▼ 百姓の子   [RES]
  あらや   ..2017/12/27(水) 10:59  No.426
   新有島記念館は赤く燃えるレンガの壁、その外形は大地に凍てつく白い炎。欧州の教会を思わせる建築……… 万縁の中に白い和服の貴婦人の如く静かなたたずまいを見せており、昆布獄に身を落す太陽が赤々と有島の里に照を残していた。
「人は自然を美しいという。然しそれよりも自然は美しい。人は自然を荘厳だという。然しそれよりも自然は荘厳だ………。」有島武郎の「自然と人」の一説を辰三は残照の中で一人つぶやいて居た。
(阿部信一「百姓の子」)

冒頭、書き出しを同じに揃えて、片方は『有島の大地』というエッセイへ。そしてもう片方を『百姓の子』という小説に進化させる…という大技を「京極文芸」で見た時は吃驚しましたね。「辰三」という人間描写の中に「阿部一族」の来歴のすべてが流入してきて、作品の厚みを何倍にも増すことに成功しています。

十年間で十五冊を発行した「京極文芸」。その創刊期から中盤までのチャンピオンはもちろん針山和美氏といっていいでしょうが、その針山氏は第11号の『重い雪のあとで』を最後に作品を発表しなくなります。それと入れ替わるかのように、彗星の如く第12号『濃霧の里』で登場して来たのが阿部信一氏なのでした。以降、第13号で『有島の大地』、第14〜15号で『百姓の子』と大爆発。第15号での終刊、針山氏にも納得するものがあったのではないでしょうか。


 
▼ 屠殺  
  あらや   ..2017/12/27(水) 11:07  No.427
  私は、『百姓の子』の、『カインの末裔』ばりのバイオレンス描写にシビれていた一人です。ストレートに「少年」の目を通して描かれた「有島の大地」には暴力も血もなにもかも精神の高みへ浄化する何かがある。そして、阿部さんには俳句という必殺技があって、なにげない風景描写のひとつひとつに情感やドラマが立ち上がる。屠殺目撃の帰り道、川の流れに頭を突っ込んで飲む水の向こうに地獄の針の山で苦しむ父ちゃんの姿が見える…なんて場面、もう最高でしたね。

「ね! 辰三さん。又、乗せてね。きっとよ約束ね」右手の小指を突き出した。
「ウン! 約束するよ」小指をからませた。
 彼女の家の前で馬車を止める。彼女を飛び降ろさせるわけにはいかず、抱き降ろすことになる。教科書の入ったカバンを受け取ってから両手を突き出した。彼女は当たり前とばかりに辰三の胸に飛び降りる。
 その瞬間、彼女の唇が辰三の唇にふれた。瞬間の出来事だったが辰三は、とんでもない事をしてしまったと全身に震えがきているのに気がつく。
「さいなら」すばやく馬車に飛び乗ってドンの尻を打つ。ドンは、ふいに打たれたのでいきなり後足で宙をけってかけ出した。
「辰三さん。辰三さん。待ってよ」彼女の声には振り返らなかった。
(阿部信一「屠殺」)

『百姓の子』には皆無だった要素、「少女」。それも「東京から転校してきた少女」ですからね、かなり驚いた。(ライブラリーに搭載しましたので、ぜひご一読を)

 
▼ 吉太郎  
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:10  No.428
  『百姓の子』に「少女」が皆無と書いたけど、皆無じゃなかったですね。立たされている辰三にオウムの絵の筆箱くれた女の子もいたか。まあ、いいか。それより気になる点が阿部さんの作品には時々出てきます。

 祖父母から父養吉の時代と移って行く。この中に父養吉の人生に大きな役割りを持つ二人の人物に遭遇する。
 その一人が、有島武郎が三十九歳にて発表した「カインの末裔」のモデルと考えられる広岡吉太郎(本人は長男だから吉次郎ではなく吉太郎だと言っており近所の者も広岡吉太郎と呼んでいた。)の隣に住む事に成る。
(阿部信一「有島の大地」)

へえーっ、「吉太郎」。「人間像」第18号には、針山和美氏が『吉太郎』という短篇を発表していますね。まあ、『吉太郎』は『カインの末裔』とは何の関連もない話なんですけれど、なにか山麓のこの地域には、荒ぶる者、人の域を越えている者に対して「吉太郎」みたいな符丁があったのだろうかと思ったりしますね。

 
▼ 丸茂  
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:14  No.429
   この時は、すでに広岡一家は小作人として入っていた。
 広岡吉太郎の長男勇作とは喧嘩友達で、父養吉の方は年上で体も大きく強かったので、喧嘩も角力もいつも勝って居た。
 父養吉が十七歳の時にわか山子と成るべく広岡の指導を受ける。広岡は自分を慕ってくる者を可愛いがった。気質の似た父養吉には特に目をかけた様である。
 広岡は親分肌でめんどうみの良い男として知られていたし、性格は荒く弱い者いじめをする者にはいつも立ち向って居た様だ。
 地主と小作人との関係についてのとらぶるや、丸茂博徒との間に首を突込んだり、小作人のために良く働いた。
(阿部信一「有島の大地」)

じゃ、『百姓の子』(『屠殺』)の「三太」のモデルは「勇作」なのかな。

ここで「丸茂」に遭遇するのも吃驚ね。「丸茂」については、花村萬月『私の庭』がお薦めです。性描写が凄いので子どもには薦めないけど、大人なら別。北海道開拓の実感を摑むには必読文献と私は思ってます。公式の、真面目な開拓史本ばかり読んでると馬鹿になるよ…という含みを込めて、わざと『私の庭』をお薦め本に一冊こっそり混じえたりしますね。(だからメジャーになれないんだけど…)

 
▼ 有島の里  
  あらや   ..2017/12/28(木) 10:19  No.430
   私が有島武郎に関心を持ったのは、「カインの末裔」のモデルと考えられる、広岡吉次郎である。
 新有島記念館が出来てから、案内をたのまれて記念館を訪れる事が多いが時々団体の一行と一緒に成る事があるが、案内者の説明を聞いて居ると、「カインの末裔」のモデル、広岡吉次郎という人は小説に出てくる様な極悪人だったそうだ。年貢を納められなく成って小樽へ逃げて行ったそうです、と声高に話している事を聞くと何んとなく自分には直接関係も無いのに気に成る。
 父養吉が死ぬまで一度といいから小樽市の広岡吉次郎宅を訪問したいと口ぐせの様に言っていたので、昭和五十一年十一月三日に車で広岡家を訪問する。
(阿部信一「有島の大地」)

ふうーん、そんな馬鹿ガイド、いたのか。全然『カインの末裔』読めてないじゃん。知ったかぶりもいいところだ。今年の年貢が払えないことについての広岡仁右衛門の弁舌なんて近代的理性そのものですよ。荒ぶる肉体と近代的理性の合体という、大正六年の日本人が考えてもいなかった造形がどれほど当時の文学者に衝撃を与えたか!、それが『カインの末裔』の醍醐味なのに、馬鹿ガイドのおかげで台無しになっちゃった。新谷さんにガイド頼めば、大正六年の『カインの末裔』と明治四十三年の啄木『一握の砂』の意味についてしつこいくらい説明したのに。

なんか、『有島の大地』のベースになった『有島の里』もデジタル化したくなってきた。


▼ 標本   [RES]
  あらや   ..2017/12/25(月) 08:52  No.424
  「望月さんは声をあげなかったとききましたが、痛みには個人差というものがあるのでしょうか」
 私は、当時ひそかに考えていたことを口にした。
「多少はあるでしょうが、骨を切断する時、神経も一緒に切れるし、それは耐えられない痛みだと思いますよ。あなたも御存知のように……。あの人は、手術中に、先生、しくじらないで下さいね、みたいなことを言ったりしましてね。これには参りましたよ。手術中に患者さんから声をかけられるのはやりにくいし、いやですよ。手術中は、やはり全身麻酔で患者さんに眠っていてもらわないとね」
(吉村昭「標本」)

ひえ。望月久子、凄い。凄いもん、読んぢゃった。

「記録を見ますと、望月さんは、三年間は再発もせずにいたようですね」
「そうでした。何年か後まで時々検査に分院へ来ていましたよ。たしか三、四年してからでしたが、子供を産んでもいいかと言いにきましてね。たしか、いい、と答えたはずです」
 氏の言葉に、望月久子のベッドのかたわらに坐っていた男のことがよみがえった。一般的に十二本も肋骨を切除された娘が嫁ぐことは至難のはずだが、婚約者だと言っていたその男は、彼女の不利な条件も意に介さず結婚したのだろうか。
「望月さんは、今でも生きているのでしょうか」
彼女が生きていれば、六十三歳になっているはずだった。
「さあ」


 
▼ 炎のなかの休暇  
  あらや   ..2017/12/25(月) 09:03  No.425
  小樽に戻って来てから始まった「吉村昭自選作品集」(新潮社)読書。現在、第十四巻です。あと、最終巻(第十五巻)と別巻を残すのみ。最初は、めぼしい新刊書が貸出中で全然書架になく、予約するにも「七十人待ち」なんて事態を到底受け入れられず、昔取った杵柄みたいな感じで始まったんだけれど、なにかガリ版時代の「人間像」復刻作業にペースが合っていて、たらたらと今に続きました。新聞書評の年間ベストを見てみると、ずいぶん読み落としている本も多かったけれど、列の七十一人目に並ぶかどうかは、まだ迷ってる最中。

 戦後、戦争は軍部がひき起し持続したものだ、という説が唱えられ、それがほとんど定説化している。しかし、少年であった私の眼に映じた戦争は、庶民の熱気によって支えられたものであった。私は、自分の見た戦争をいつかは率直に書きたい、と強く思っていた。
(吉村昭「私の文学的自伝・十四」)

『炎のなかの休暇』は、吉村昭の気迫が充満し、私小説の技量が隅々まで行き渡った佳作でした。というか、第十四巻全体がバランス良い「吉村昭」集合体でした。


▼ 或る過程   [RES]
  あらや   ..2017/12/19(火) 18:06  No.422
  「人間像」第24号の『或る過程』には驚いた。なんと「学校もの」。この手の作品は針山和美氏の独壇場かと思っていたもので。葛西庸三氏は『腐敗せる快感』以降の爆弾作品の人かと思っていたもので。いや、驚いた。
『或る過程』を読んで、「京極文芸」に『校長群像』という不思議な作品があったことを思い出した。

 ところが、K校長の大声は、全く予期しなかった内容のものであった。
「貴様らの仕事の仕方は何だ。後かたづけもしていないんじゃないか。
 こんなことで、教員がつとまるか。この馬鹿野郎。
 今、教育事務局(当時、教育局をこう呼んでいた。)の某課長がいらっしゃっているから、貴様らの仕事振りを全部報告するぞ。
 あんな、きたない石炭の後仕末を、某課長が見たら、一体どうなると思うんだ。」
というのである。
(葛西庸三「校長群像」)

いくら戦後間もないとは云え、校長が「貴様ら」「この馬鹿野郎」?
『校長群像』には四人の校長が登場しますが、この「K校長」、際立ってますね。


 
▼ 校長群像  
  あらや   ..2017/12/19(火) 18:11  No.423
  こんな不思議な記述もあります。

 しかし考えて見ると、軍国主義時代を、小学校出身だけというハンデを背負って生きて来たK校長の姿が、あわれでもあった。
(葛西庸三「校長群像」)

うん、なんだろ、これは? 「小学校出」が校長になれるのか。
長らく疑問だったのですが、湧学館の読書会メンバーの中に、針山先生と京極小学校で同僚だった人が二人いて、教えてくれました。戦前〜戦中、学校教練で派遣されてきた将校だか下士官だかが、軍隊に戻らずそのまま学校に居座って校長にまで成り上がったようなケースがあったそうですね。

「新谷先生」だったのか…


▼ セールスマン物語   [RES]
  あらや   ..2017/12/12(火) 10:10  No.420
   雑踏する繁華街を、サムプルの風呂敷包みを背負い、或はトランクを重そうに提げて歩いて居るセールスマンの姿を私は時々、見かける。
 セールスマンと云うよりは、むしろ、彼等の間に丈け使はれる販売員とか出張員とか云う呼び名がぴつたりするのだが、その風呂敷包みは、大低、黒無地か或は唐草模様なので一寸、注意すれば簡単に見分けることが出来る。そして彼等は、極く一部の例外を除いて大部分がその片手に皮鞄を下げて歩いて居る。
(渡部秀正「セールスマン物語」)

「人間像ライブラリー」に検索システムが付いて、誰でも読めるようになったので、これからは「読書会BBS」に書くようにします。

渡部秀正さん。初期「人間像」には小樽から参加している重要メンバーが二人いて、その一人が渡部秀正さん。(上沢祥昭さんについては後日…) 針山和美氏が「初期人間像のチャンピオン」と書いた程、デビュー作からその才能が全開でした。何をもって「才能」というのか難しいところなんですけれど、渡部さんの小説に付いている筋肉って、とても自然な筋肉に感じる。厳しいトレーニングや増強剤でつくった筋肉ではないだけに、なにか本物を感じますね。あと、昭和の小樽光景がふんだんに描かれていて心底嬉しいです。


 
▼ 壮徳/北鈴沢  
  あらや   ..2017/12/12(火) 10:15  No.421
   その日、壮徳で仕事を済ませた私は、午後六時を過ぎて、すつかり暗くなつた街に泊らず、終列車で、未だ行つた事の無い北鈴沢へ入ることに極めて居た。
 壮徳の加納旅館はあの時以来、泊つて居らず、大低は少し無理をしても洞爺湖温泉まで入つて了うのだつたが、ふと、未だ余り人に知られて居ない田舎の温泉と云う点に興味を持つて北鈴沢へ行つてみようと思いついたのだつた。まさか其處で、とんでもない災難に遭うだろうとは考えてもみなかつた。
(渡部秀正「セールスマン物語」)

渡部さんの小説は昭和の小樽情景が嬉しいのですけれど、『セールスマン物語』は、さらに「壮徳」「北鈴沢」という年末ボーナスが付いた感じですね。

物語の「壮徳」は実際の「壮瞥(そうべつ)」町ですけど、ここに「徳」の字を当てるのは、同じ胆振線沿線に優徳(ゆうとく)や徳舜瞥(とくしゅんべつ)があるからですね。「北鈴沢」は実際の「北湯沢」ですけれど、ここに「鈴」を持ってくるのは、同じく沿線に「北鈴川」があるから。この二つの土地を架空にすることで、この『セールスマン物語』というドラマの震源地を暗示しているばかりでなく、主人公が小樽から来たセールスマンであることによって、ひどく私の心を揺さぶったのではありました。まるで私のための物語。渡部さん、ありがとう。


▼ 仮釈放   [RES]
  あらや   ..2017/12/02(土) 11:05  No.418
  いやー、とてつもなく切ない物語だった。吉村作品の中でも一二を争う暗さではないか。

『仮釈放』は、『赤い人』以来行刑史にふれてきた私の胸の中で自然に醱酵した罪というものを、自ら問うてみたいという願いで書いたフィクションである。モデルはなく、あえて言えば私自身である。
(「吉村昭自選作品集」第十三巻/後記)

『少女架刑』の、骨になるまで解剖されて行く自分を見ている眼。『赤い人』も(『破獄』も)、もしもこういうモチーフに貫かれて書かれた小説なのだとしたら、読み返さなくてはならない。私は甘く読み間違えているかもしれない。

もしも、私がこの男のような立場にあったら、このような無期刑に相当する行為をとったかも知れず、仮釈放された後の生活も、恐らく主人公と同じ生き方をしたにちがいない、と思いながら筆を進めた。
 三分の二ほど書いた時、私に迷いが生じ、筆をとめた。最後の部分は執筆前から定めていたことであったが、それを改めてみようかという考えにとらわれたのである。
 私が主人公であったら、と思った。熟慮した結果、私は定めた通りの結末にすることを決意し、再び筆をとった。
 この結末について、単行本で発表された後、読んだ方から酷にすぎるという批評をうけたが、罪という奥深い淵をのぞきみるには、これが妥当であったと思っている。


 
▼ 野外彫刻  
  あらや   ..2017/12/02(土) 11:09  No.419
  『仮釈放』『冷い夏、熱い夏』スレッドに使われている写真は、滝錬太郎「オホーツクの風」。遠軽町生田原の文学館前にあります。
『遠い日の戦争』は、ル・ナンテック「座せる乙女」。斜里町・北のアルプ美術館内の一枚。「司書室BBS/デジタル文学館」の写真は、同館庭にある藤原秀法「北の裸像」。
『破獄』は、網走・中央橋の本田明二「朝翔」。
『海の祭礼』は、稚内公園の「樺太犬訓練記念碑」。
「同人雑誌」は、稚内・宗谷岬の峯孝「あけぼの像」。
『破船』は、湧別町の滝錬太郎「やすらぎ」。合併したので、地名表示、なんと書いていいのかわからない。
『深海の使者』は、國松明日香「テルミヌスの風」。札幌駅前、ビッグカメラが入っているビルの屋上にあります。
「潜水艦」は、渡辺行夫「風技の庵」。「ハルカヤマ芸術要塞」の一枚。
「旅行」はもう説明不要とは思いますが、本郷新「氷雪の門」。珍しいライトアップの一枚です。

青空の夏が懐かしい…


▼ 冷い夏、熱い夏   [RES]
  あらや   ..2017/11/26(日) 09:20  No.417
   私小説は数多く書いてきたが、『冷い夏、熱い夏』は、私小説としては唯一の長篇である。
 弟の死という事実を素材としているだけに、書くことに大きなためらいを感じたが、これを書かなければ小説家としての資格はない、と思った。
 執筆中、小説を書くということはなんという因果なものか、と自己嫌悪におちいり、小説家であるべきか、人間であるべきか、と自ら問うことを繰返した。その間、弟のことがよみがえって胸に熱いものがつき上げ、何度筆をとめたかわからない。辛い歳月であった。
(「吉村昭自選作品集」第十三巻/後記)

検索システム搭載の「人間像ライブラリー」がこの世界の片隅に生まれた夜、読了。

腹がすわる。

 書き上げて単行本として発表された後、私は一度も読み返すことはしなかった。読む気になれなかったのである。
 この作品集に収めるにあたって、字句の修正の有無をたしかめるため読み直してみた。堪えがたい苦痛であったが、死んだ弟がこの小説の中で生きているのを感じ、それが唯一の救いであった。



▼ 遠い日の戦争   [RES]
  あらや   ..2017/11/15(水) 13:15  No.415
   大久保ミヨ婦人の述懐によれば、夫の靖は戦時中南方派遣軍の一員であつた。ある時、米軍の飛行機が靖等の部隊近くの森の中に不時着したのであつた。その時、まだ若いその搭乗員を銃殺する様靖は上官より命令された。理由など考える事は靖等には許されなかつた。靖は忠実に上官の命を守り、ある夕暮時草原で米兵を銃殺した。敗戦直前靖は内地え帰還した。そのまゝ家に落ち着いた。それがある時、靖の小さな静かな家庭の中え米兵と警官が押しかけ、無言の抵抗を示す靖を引き連れた。その時、ミヨも紀子も側に小さく震えながら、それを見守つていた。妻も子も何もかも不可解であつたのだ。靖はすつかり青ざめて一つも言葉を発しなかつた。その時すでに死を覚悟していたのかもしれない。
(葛西庸三「傷魂の彷徨」)

これは、現在デジタル復刻作業中の「人間像」第20号に収められた葛西庸三氏の作品です。ちょうど『遠い日の戦争』を読んでいた時だったので、「へえーっ」と思ってこちらを引用してみることにしました。第20号の発行日は昭和27年(1952年)4月。『遠い日の戦争』が昭和53年(1978年)の雑誌「新潮」連載ですから、およそ四半世紀の時間を隔てて何か呼び合う感情を感じました。

大久保紀子には、また何処かで逢いたいと思った。


 
▼ 破獄  
  あらや   ..2017/11/18(土) 09:12  No.416
   宇都宮駅をすぎて間もなく、浦田は、佐久間が片肘を窓ぎわにのせて頰杖をつき、眼をとじるのを見た。浦田は眼をみはった。前手錠をかけられた佐久間にはできぬ姿勢であった。驚いて手首をみると、一方の手は膝の間にたれ、手錠がはずれていた。浦田は他の看守とともに佐久間を見まもっていたのに、いつの間にか手錠をはずしていることに愕然とした。
(吉村昭「破獄」)

『破獄』、また読み返してしまった。『羆嵐』と同じで、ちらっとでも読み始めると、そこからラストまで読んでしまう。昭和二十年前後の世相を描くのに、これ以上の題材ってそうはないといつも唸ります。

 二人の看守が顔色を変えて立ちあがり、
「足錠をかけ、縛りましょう」
 と、言った。
 浦田は、看守を制すると、
「佐久間、ちゃんとかけとれ」
 と、言った。
 眼をあけた佐久間は、窓ぎわから片手をおろして手錠をはめ、
「手が疲れたのではずしただけですよ。主任さんにはお世話になったし、ご迷惑をかけるようなことはいたしません」
 と言って、頭を壁にもたせて再び眼をとじた。


▼ 海の祭礼   [RES]
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:42  No.413
   森山は、「プレブル号」の消息をたずね、
「私ハ、ソノ軍艦ニ乗ッテ帰国シタ捕鯨船員ラナルド・マクドナルドカラ、英会話ヲ教エテモラッタ。カレハ元気ダロウカ。ナニカ知ッテイルコトガアッタラ、教エテ欲シイ」
 と、真剣な表情でたずねた。
(吉村昭「海の祭礼」)

ラナルド・マクドナルドの碑が利尻島にあるんですね。
http://www.town.rishiri.hokkaido.jp/rishiri/2505.htm
車を使わなくなったのでもう行くこともないだろうけれど、記憶にはとどめておこう。なにかの拍子に…ということはあるだろうから。

読んでいて、何かにつけて思わぬ邪魔が入り難航する「人間像ライブラリー」の今を、どこかで森山栄之助の姿に重ねている自分がありました。


 
▼ 同人雑誌  
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:49  No.414
  新潮社の「吉村昭自選作品集」には毎号に月報「私の文学的自伝」が付いていて、その第九号月報が興味深かった。ちょうど吉村昭の同人雑誌時代にあたります。

 私は、「文學界」で没になった中篇小説『少女架刑』を、丹羽文雄氏の主宰する同人雑誌「文学者」に投稿した。
 『少女架刑』は、「文学者」十月号に掲載され、その月の合評会で激賞してくれる人がいて、私は嬉しかった。しかし、同人雑誌評ではほとんど無視され、「文學界」の同人雑誌評でも、死者が「私」であるというのは不自然だ、と数行書かれているだけであった。
 私は、やはり、『少女架刑』が「文學界」編集部で不採用になったのも無理はないのだ、と、あらためて思った。
(中略)
 私は、「文學界」に発表した『貝の音』の評にひそかに期待していたが、文芸時評では全く黙殺された。文壇に登場するのは、きわめて至難であることを、私はあらためて意識し、打ちひしがれた思いであった。
 芥川賞候補に二度えらばれ、文芸誌に一作のりはしたが、私は、それがほとんど意味のないことであるのを感じていた。たまたま、そのようなことがつづいただけのことで、私は、依然として同人雑誌に作品を寄せる人間であるのだ、と思った。
(吉村昭「私の文学的自伝・九」)








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